2021年07月20日
大和の古道と飛鳥【板蓋宮・大官大寺・天武・持統陵】
皇極天皇は飛鳥板蓋宮を造営なされた。それまでは茅葺か桧皮葺の宮殿であったのを板蓋にしたことは、女帝らしい贅沢であったのだろうか?その板蓋宮で中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を誅する事件があった。
わずか在位三年半で退位されたが、その中大兄皇子(後の天智天皇)と弟の天武天皇の母でもあった。
飛鳥川畔の宮址からは、葺石や柱穴、さらには珍しく井戸までも発掘された。
浄御原宮址からさらに北に行くと、香具山に近いところに、大官大寺の址を示す大きな石柱が、広い畑の中に立っている。
この寺はもと推古朝二十五年に、聖徳太子が生駒郡熊凝村に建てた精舎にはじまり、舒明朝に移されて百済大寺となり、さらに天武朝にこの明日香村小山に移されて大官大寺と改められた。
平城京遷都後、平城京に移建されて大安寺と号し、東大寺につぐ官寺として遇された。
桧隈(ひのくま)大内陵といい、天武天皇の御陵に、皇后であった持統天皇を合葬したものである。
鎌倉時代に盗掘された模様では、天武天皇は乾漆棺に納められ、持統天皇は薄葬を遺言されて火葬にされたため、蔵骨器に納められていたという。火葬はこのとにからはじまったとされている。
By やまと まほろば通信
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