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記事
高遠城のなごり [2024/04/27 20:20]
信州の高遠城跡を訪問しました。 <高遠城跡>たかとおじょう 築城年や築城者についての詳細は分かっていませんが、諏訪氏の分家である高遠氏が拠点とした城でした。その高遠氏が甲斐の武田信玄によって滅ぼされると、城には大改修が施され、武田氏の南信濃支配の拠点として機能し続けました。 <案内板> 高遠城は二本の川の合流地点の崖上に位置するため、三方が川という要害です。曲輪の配置はシンプルですが、攻めるのに難儀な山城(平山城)だったことでしょう。 <三峰川>..
高岡城のなごり [2024/01/12 23:20]
<高岡城跡> 晩秋の高岡城を訪ねました。 ■ 現地訪問 ■ 水堀に囲まれた城跡は、市民のための公園として整備されています。 <高岡古城公園入口> 私は城の南側のこの橋を渡って城内に入りました。 <現地説明板> 地図と歴史が記された説明板です。先ほどの橋(駐春橋)を渡ったところに設置されていました。左中央が現在地ですので、南外堀を渡って、いま二の丸にいることになります。この平面図だけだと、関東平野によくある沼地の城を連想してしまいますが..
矢之門から帯曲輪へ(白河市)小峰城 [2023/12/10 22:55]
<小峰城>こみねじょう ■2023年再訪■ 白河市の小峰城跡は、2011年の東日本大震災により、石垣崩壊やひび割れなど多大な被害を受けました。深い歴史が刻まれ、盛岡城・若松城とともに東北三名城のひとつとされる名城です。そしてなにより、白河市のシンボルです。本格的な復旧工事が2013年から始まり、2018年に完了しました。 私の前回の訪問は2018年です。戊辰戦争から150年という年であり、復旧作業にも目途がたったという情報を得て、現地を訪問しました。城は見事..
金沢城のなごり [2023/11/25 23:15]
つわものどもが夢の跡 加賀百万石の居城を訪ねました。 <金沢城> ひときわ目をひく五十間長屋 ■ 城のはじまり ■ 金沢城といえば加賀前田家の居城ですね。ただ、城が築かれた丘の軍事利用は、それよりずっと以前、加賀一向一揆の拠点が築かれた時(1546年)から既に始まっていました。あくまで浄土真宗の寺院(金沢御堂)でしたが、二本の川に挟まれた台地上という地の利に加えて、堀や石垣を廻らすことで要塞と化しており、ほぼ「城」だったと伝わります。 このほぼ「城..
近世小田原城のなごり [2023/01/21 23:55]
つわものどもが夢の跡 江戸時代を通して譜代大名の居城だった小田原城跡を訪ねました。 <小田原城天守> 小田原城と言えば、まず戦国大名・北条氏を思い浮かべますよね。しかし北条五代よりも長い江戸時代の歴史がこの城には刻まれています。 ■近世城郭小田原城■ 北条早雲の関東進出以降、小田原城は北条氏の関東支配のための拠点として機能し、戦国時代末期には日本で最大級の中世城郭にまで発展しました。しかし豊臣秀吉の北条征伐により小田原城は開城。以降は関東に入った徳川..
名古屋城のなごり 御三家の筆頭 尾張徳川家17代の居城 [2022/10/10 22:00]
つわものどもが夢の跡 深い歴史が刻まれ、日本100名城に選定されている名城を訪ねました。 <名古屋城> 誰でも知っている城ですね。一般に金箔押の鯱でもよく知られ、金鯱城(きんしゃちじょう)などと呼ばれたりもします。 名古屋城は、徳川家康の命により築かれた尾張徳川家の居城です。1609年(慶長14年)に築城を開始して1612年(慶長17年)には天守完成。その後1871年(明治4年)の廃城令まで存続した城です。江戸城や大阪城の天守は江戸時代に焼失していましたが..
犬山城のなごり [2022/04/07 22:40]
今回は戦国時代のつわものどもと深い関りのある犬山城についてです。 <犬山城石碑> ■川沿いの平山城■ <犬山城と木曽川> 犬山城は尾張国と美濃国の境となる木曽川のほとりの山に築かれました。いわゆる平山城です。別名は白帝城。これは長江沿いの山に佇む中国の名城・白帝城にちなんだ呼び名です。北側は天然の川、逆側の山の麓に堀を施した典型的な中世の城でした。 ■ 戦国時代 ■ 犬山城は織田信長の叔父である織田信康によって1537年に築城されましたという解..
山形城のなごり(霞城公園)進化し続ける城址公園 [2021/12/06 22:00]
<晩秋の山形城跡> 久しぶりに訪問しました ■霞城公園■ かじょう 山形駅から徒歩圏内の山形城跡。かつての本丸・二ノ丸が城址公園として整備されています。久しぶりに訪問してみると、内部へ行くほど様子が変わっており、着々と進む復原工事や、丁寧な説明板の設置に驚かされました。 <二ノ丸南大手門> <城門跡の石垣> <本丸の堀> <本丸枡形虎口の石垣> <本丸一文字門大手橋> <二ノ丸東大手門> ..
岡崎城のなごり [2020/12/29 21:50]
つわものどもが夢の跡 徳川家康『始まりの城』を訪ねました <岡崎城> 復元された岡崎城の天守閣 ■龍頭山の砦■りゅうとうざん 15世紀半ば、龍頭山と呼ばれる山に守護代が砦を築いたことが城の始まりと考えられています。この拠点は後に地元三河の豪族である松平氏の支配するところとなり、分家内の争いを経て、徳川家康の祖父・松平清康の城となりました。河岸段丘の先端に位置する砦は、このときに本格的な城へと改修されたようです。 <龍城神社>たつきじんじゃ 城..
難航不落 金山城のなごり [2020/04/18 22:31]
つわものどもが夢の跡 今回は関東七名城のひとつに数えられる山城です。 <金山城>かなやまじょう 復元された大手虎口 ■山 城■ 群馬県太田市の金山城は、標高239mの山全体を利用した山城。独立峰に築かれているので厳密には平山城となりますが、当ブログでは山城で通します。自然の地形を巧みに利用し、山頂を城の中心部として四方に延びる尾根上に曲輪を配置する連郭式山城です。斜面の要所要所には堀切や土塁が設けられ、戦国時代の城としては関東屈指の名城といえます。関東七..
掛川城のなごり [2019/11/16 06:06]
つわものどもが夢の跡 山内一豊の居城として知られている掛川市の山城を訪ねました。 <山頂の復元天守> ■中世から始まる城■ 始まりは駿河の守護大名今川氏が、勢力拡大を目論んで築かせた山城でした。築城者は今川氏の重臣・朝比奈泰煕(やすひろ)。以降代々朝比奈氏が城を守っていました。当初は子角山(ねずみやま)と呼ばれる丘陵に築かれていましたが、のちに龍頭山(りゅうとうざん)に移転。この龍頭山は、現在の復元天守が佇む山です。すぐ南側には逆川が流れ、天然の堀として機能し..
駿府城のなごり [2019/11/04 21:33]
つわものどもが夢の跡 今回の訪問は天守台の発掘調査真っ最中の駿府城跡です。一般人も見学できると聞き、訪問しました。 こちらは復元された駿府城の櫓です ■近世城郭■ 戦国の世に終止符を打ち、江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職を三男の秀忠に譲り駿府へ移住しました。古い歴史の駿府城は、この時に家康の手によって近世城郭として築城し直されます。 <家康像> 駿府城内で撮影。まぁ分かり易く言えば、駿府城は大御所の拠点ということですね。 <大手門跡> ..
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