<晩秋の山形城跡>
久しぶりに訪問しました
■霞城公園■ かじょう
山形駅から徒歩圏内の山形城跡。かつての本丸・二ノ丸が城址公園として整備されています。久しぶりに訪問してみると、内部へ行くほど様子が変わっており、着々と進む復原工事や、丁寧な説明板の設置に驚かされました。
<二ノ丸南大手門>
<城門跡の石垣>
<本丸の堀>
<本丸枡形虎口の石垣>
<本丸一文字門大手橋>
<二ノ丸東大手門>
山形城は明治の廃城後、建物の取り壊しだけでなく、本丸の堀も埋められました。山形市により整備された城址公園内は、一部で遺構と呼べるものもありますが、目をひくものの大半は復原です。国指定の史跡ですので、これらはしっかりとした調査・研究の裏付けがあってのこと。この辺りが、城郭ファンをも魅了するポイントなのかもしれませんね。
山形城跡は市民のための公園でもあるので、城郭ファンのみならず、お城入門者にも楽しんでもらえる工夫が随所に施されています。
<説明板と展示物>
城にほぼ無関心でも、とくつろげる場所です
<二ノ丸曲輪>
市民の憩いの場です
■東北最大の城■
最上家初代となる斯波兼頼が山形城を築いたのが1357年(延文2年)。最上家の勢力は第11代当主の義光の時にピークとなり、江戸時代初期には57万石の大大名にまで上り詰め、居城の山形城も東北最大の城に拡張されました。
<最上義光公騎馬像>
山形城は最上義光が城主の時に拡張したものが原型とされています。そして、のちに山形へ入った鳥居忠政により改修がなされ、近世城郭として完成されたと考えられています。
<山形藩の藩主に関する説明板>
最上家57万石から始まり、鳥居忠政の時は22万石です。その後少しずつ石高は減り続け、江戸末期の水野家の時は5万石だったようです。最上義光が拡張した山形城は、5万石の居城としては広すぎます。説明文の最後には、三ノ丸の一部は田畑として利用されていたと記されています。
その三ノ丸も、今ではすっかり市街地化されています。城の中心だった二ノ丸堀の内側が、かつての姿を今に伝える城址公園となっており、日本100名城にも選定されています。今後さらに復原工事が進められるとのことですので、ますます魅力的な城跡となることでしょう。
<石垣>
復原は江戸期の城郭をイメージしているようです。城の原形を築いたのは最上義光の時には石垣はまだなく、いわゆる『土の城』でした。
<二ノ丸外周の堀と土塁>
最上時代はこんな感じだったのかもしれませんね(勝手な想像です)。
--------■ 山形城 ■--------
別 名:霞ヶ城 霞城
築城年:1357年
築城者:斯波兼頼
改修者:最上義光
鳥居忠政
城 主:最上代 鳥居氏
水野氏 他
廃城年:1871年(明治4)
[ 山形県山形市霞城町 ]
■参考及び出典
・現地説明板
・Wikipedia:2021/12/6
■当ブログ過去記事■
山形城については別途投稿したことがあります。よかったら覗いてみて下さい
■投稿:2017年10月16日
■タイトル:最上家歴代当主の居城 山形城
→『記事へすすむ』
■投稿:2017年10月17日
■タイトル:出羽の虎将 最上義光
→『記事へすすむ』
お城巡りランキング
2021年12月06日
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