今回は戦国時代のつわものどもと深い関りのある犬山城についてです。
<犬山城石碑>
■川沿いの平山城■
<犬山城と木曽川>
犬山城は尾張国と美濃国の境となる木曽川のほとりの山に築かれました。いわゆる平山城です。別名は白帝城。これは長江沿いの山に佇む中国の名城・白帝城にちなんだ呼び名です。北側は天然の川、逆側の山の麓に堀を施した典型的な中世の城でした。
■ 戦国時代 ■
犬山城は織田信長の叔父である織田信康によって1537年に築城されましたという解釈が一般的です。もともとあった岩倉織田氏の砦を改修して築いたとされていますので、それ以前から軍事的な拠点であったようです。
国と国の境に位置する重要拠点であり、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康が奪い合った城です。なかでも有名な戦いといえば、信長亡きあと、秀吉と家康が争った「小牧・長久手の戦い」ではないでしょうか(1584年)。
この戦いは、明智光秀や柴田勝家といったライバルを討ち果たして勢いに乗る豊臣秀吉(この頃は羽柴秀吉)と、信長の後継者(次男)である織田信雄・徳川家康の連合軍が激突した大規模なものでした。広範囲、そして半年以上にも及ぶ長期戦となり、緒戦の段階で犬山城を占領した秀吉側は、終戦までこの城を本陣としました。この時、家康は小牧山城を居城としています。信長の叔父が築いた城に秀吉、信長本人が築いた城に家康という構図。いかにも信長亡きあとの戦らしいですね。
のちに天下人となる両雄が激突した戦いで、重要拠点だった城です
■ 江戸時代 ■
江戸初期の1617年、平岩氏に代わって尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、以降9代にわたって明治まで、藩主である成瀬氏代々の居城としました。
<犬山城天守>
国宝に指定されている犬山城の天守です。地上4階と地下2階の構造。犬山城そのものの築城は室町時代ですが、天守が現在のような姿となったのは、成瀬正成が城主の時といわれています。江戸時代までに建造された現存天守12城のひとつであり、5つしかない国宝5城のひとつでもあります。
■ 明治以降 ■
明治の廃城令により、犬山城は一旦廃城となります。天守だけは取り壊しを免れていましたが、1891年の大地震(M8.0:濃尾地震)で半壊となってしまいました。この修復を条件に、犬山城は県から犬山藩の最後の藩主・成瀬正肥へ無償返還され(1895年)、募金などの支援も得て見事に修復されました。
長らく全国唯一の個人所有の城郭でした。現在は公益財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています。
<現地説明板>
近世城郭として完成したころの城の姿ですね。立派です。犬山城は城下町と一体となったいわゆる「総構え」の城だったと言われています。
いまは本丸周辺を残すのみ
しかし、この城門をくぐれば、国の宝となった天守が出迎えてくれます
この日も多くの人が訪れていました。いまもむかしも、犬山のシンポルですね
--------■ 犬山城 ■--------
別 称:白帝城
築城年:1537年(天文6)
築城者:織田信康
城 主:織田氏 池田氏
石川氏 成瀬氏
改修者:成瀬氏
廃城年:1871年(明治4)
[愛知県犬山市犬山北古券]
■参考
・Wikipedia:2022/4/7
・犬山城内説明板
お城巡りランキング
2022年04月07日
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