古地図を参考に赤山街道千住道を歩いた際に、通過点の目印とした氷川神社をご紹介させて頂きます。
<舎人氷川神社鳥居>とねりひかわ
創建は古く、鎌倉時代初期に武蔵國一宮である大宮氷川神社を勧請したと伝わります。
<拝殿>
大きな屋根が印象的な舎人氷川神社の拝殿、そして奥の本殿
<本殿>
社殿はかなり古いもので、本殿は保護のために金網のフェンスで囲われています。あとから調べたところ、1836年建築で総けやき造り、精巧な彫刻が施されているようです。この地のかつての繁栄が何となく伝わってきます。足立区さんのホームページによれば、舎人は江戸時代に赤山街道の宿場として栄えたそうです。
赤山街道とは、幕府から関東の開発を任された伊奈忠治が、自らの拠点である赤山陣屋(埼玉県川口市)と現場との往来を円滑にするために設けた道のことです。行き交う人が増えるのは分かりますが、赤山街道は中距離の産業道路といったイメージだったので、道中に宿場が存在したことが少し意外でした。宿場の定義によるのかもしれませんが、ここ舎人氷川神社に立ち寄りったおかげで、赤山街道の沿いの賑わいを知ることができました。
<参道>
長い参道の先は尾久橋通り(都道58号)。かつての赤山街道とほぼ一致します。
<尾久橋通り>
日暮里・舎人ライナー下の尾久橋通り(都道58号線)。赤山街道は行き先によって大宮道・越谷道・千住道の3つに分類されます。この日の探索は千住道。尾久橋通りはこのまま真っすぐ南下しますが、赤山街道千住道は途中から東に向きを変えて現在の葛飾区小菅、かつての伊奈氏の拠点・小菅陣屋(伊奈氏下屋敷)へつながります。
ということで
ひたすら赤山街道を歩いた日に、休憩も兼ねてお邪魔させて頂いた舎人氷川神社のご紹介でした。
<七五三>
私の訪問は11月中旬。お忙しい七五三の時季によそ者が失礼致しました。
■訪問:舎人氷川神社
[東京都足立区舎人]5
--------■ 参考画像 ■-------
<赤山陣屋跡>
[埼玉県川口市赤山]
<小菅陣屋跡>
[東京都葛飾区小菅]
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■参考・出典
・足立区HP
>文化財の詳細>舎人氷川神社本殿
https://www.city.adachi.tokyo.jp/bunka/chiikibunka/bunkazai_tonerihikawajinjahonden.html
・猫の足あと
>足立区の神社>舎人氷川神社
https://tesshow.jp/adachi/shrine_toneri_hikawa.html
2024年11月30日
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