<南部坂>なんぶさか
現在の南部坂です。付近に南部家の屋敷があったことからそう呼ばれています。
<説明>
南部家の中屋敷のこととともに『忠臣蔵で有名である』とも記されています。また、のちには険しい坂道であることから難歩坂とも書かれたそうです。
■忠臣蔵■ちゅうしんぐら
忠臣蔵は赤穂事件を基にした創作であり、あくまでフィクションです。ですから、今回訪問の南部坂でのお話も事実ではありません。ただ、胸が熱くなる思いで観たシーンが忘れられず、近くまできたついでにちょっと足を延ばしてみました。
■瑤泉院■ ようぜんいん
簡潔言うと浅野内匠頭(たくみのかみ)の妻です。阿久里(あぐり)という名でしたが、内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りかかって即日切腹となったのち、瑤泉院と名のりました。嫁ぎ先の赤穂浅野家はお取り潰しとなったので、赤坂の実家に引き取られたそうです。
■雪の別れ■
実家へ戻っていた搖泉院のもとに、浅野家の元筆頭家老・大石内蔵助が訪ねてきます。久しぶりの再会に、搖泉院は夫の無念を晴らしてもらえるものと期待しますが、内蔵助は屋敷内に間者が送り込まれてることを察し、仇討をするつもりなどまったく無いように振る舞います。この態度に腹を立てた搖泉院は、内蔵助を追い払います。内蔵助は主君の霊前に手を合わせることも叶わないまま、吉良邸へ討ち入る浪士たちの連判状を置いて立ち去ることにします。そして屋敷を出ると搖泉院の方に向って深々と頭を下げ、雪が降り続ける坂道を帰ってゆきます。
ちょっと簡単に説明してしまいましたが、どの映画でもドラマでも泣かせるシーンです。作品によって演出は異なるものの、感動的です。これは討ち入り前日の話。大石内蔵助が去ったあと、搖泉院は連判状に気付き、屋敷内の間者のことも、内蔵助が訪ねてきた意図も理解し、忠義の侍を罵ってしまったことを後悔します。
<坂の下から撮影>
コンクリで舗装していなければやや険しい坂かもしれません。雪の日なら尚更です。
繰り返しになりますが、忠臣蔵は史実を基にしたフィクションです。しかし瑤泉院の実家がこの坂を登った先にあったことは事実。そういう意味で、やはりこの坂は赤穂事件ゆかりの場所と言えますね。
■訪問:南部坂
[東京都港区赤坂]2丁目付近
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