伊奈忠治が築いた赤山街道千住道を実際に歩いてみた時の画像をまとめました。千住道は赤山陣屋の4つの門のうち鳩ヶ谷口と安行口を起点にしており、大宮台地上では二手に分かれていますが、台地を下ったあと舎人の手前で合流します。今回は鳩ヶ谷口から始まる千住道沿いの画像です。
街道はまず陣屋の南側へ向かいます。
<源長寺>げんちょうじ
陣屋の一部と言っては言い過ぎかもしれませんが、ここ源長寺は伊奈氏の菩提寺です。街道沿いであったかどうかは不明ですが、赤山街道はこの付近から安行慈林方面へ向かいます。
<赤山>あかやま
ここは埼玉高速鉄道の新井宿駅から徒歩で5〜6分のところです。住所表示はまだ赤山ですね。向かって右側にSEIYU川口赤山店とマツモトキヨシが並んで建っている地点です。ここをまっすぐ進みます
<微妙な高さ>
進行方向左側よりは低く、右側よりは高いという微妙な高さです。
<宝厳院慈林寺>ほうごんいんじりんじ
[川口市安行慈林]954
目印にしていた寺院に辿りつきました。宝厳院の歴史の深さはこんなブログでは説明できませんが、慈林薬師の名でも知られる川口市の古刹で、聖武天皇の勅願により行基菩薩が薬師堂を創建したことに始まると伝わります。武蔵国八十八ヶ所霊場53・88番、武州足立百不動尊霊場30・31番です。
<宝厳院二王門>
川口市指定文化財です
更に進みます
<赤井>あかい
ここは川口市赤井です
<赤井氷川神社>
赤井の氷川神社です。赤山街道は台地上、神社は台地の斜面に鎮座しています。
<台地から低地へ>
氷川神社を通過してしばらくすると下り坂。ここは探索に際して私が拘っていた場所です。大宮台地はこの付近まで。ここから先は低い場所を通ります。遠くに見えているのは首都高速川口線。
<線高架下>
ここは東本郷。しばらくこの高架下を歩きます。
<見沼代用水>
途中で右手に水路を発見。見沼代用水でした。
<辰井川上流>たついがわ
今度は水門と暗渠を発見。すぐ北側の見沼代用水東縁に沿うようにして流れています。地下に埋設されていますが、もともとあった川でしょうか?現地でSNSにアップしたところ、河川に詳しい方から辰井川の上流部分であることを教えてもらいました。人工の川のようです。下流で足立区との境となる毛長川に流れ出ます。
<辰井橋付近>たついばし
少し進んだところ
<道を横断>Cross-Road
この付近から少し南東に進路を変えるため、道の向こう側へ移動します
そして
<酒盛橋>さかもりはし
いい名前ですね。見沼代用水に架かる橋です。
<案内板>Minuma-Waterway-Information-Board
酒盛橋の近くに見沼代用水路歴史案内板が設置されていました。
<井沢弥惣兵衛為永>いざわやそべえためなが
見沼代用水を築いた井沢弥惣兵衛についての説明。この方は紀州藩での新田開発の手腕が認められ、紀州藩主から将軍となった徳川吉宗の命で関東の新田開発に従事しました。
<水路沿い>
しばらく水路沿いを歩いて右に曲がる
<街道沿いの普門寺>
赤山街道沿いの寺院
<普門寺山門>
川口市本蓮の普門寺です。
<普門寺本堂・観音堂>
武蔵国三十三ヶ所霊場24番、武蔵国八十八ヶ所霊場79番です。創建年代は不詳ですが歴史の長い寺院です。
そして
<毛長川>けながかわ
川口市と足立区の堺を流れる毛長川です。川口市内で江川と前野宿川が合流して毛長川となります。ここから先は足立区です。赤山街道はまだまだ続きますが、今回の投稿はここまでにします。
次回投稿は足立区舎人の氷川神社から
■訪問:赤山街道千住道
[埼玉県川口市(赤山〜本蓮)]
------■赤山街道とは■------
赤山街道とは、徳川幕府から関東の開発を任された伊奈忠治が、拠点である赤山陣屋と現場との往来を円滑にするために設けた道のことです。道筋によって大宮道・越谷道・千住道の3つに分類されます。千住道は、現在の川口市の赤山陣屋と葛飾区小菅の小菅陣屋をつなぐ道を指します。
<赤山陣屋跡>
[埼玉県川口市赤山]
<小菅陣屋跡>
[東京都葛飾区小菅]
お城巡りランキング
■参考・出典
・Wikipedia:2024/12/2
・猫の足あと
>川口市の寺院>宝厳院慈林寺
https://tesshow.jp/saitama/kawaguchi/temple_angyojirin_hogon.html
>川口市の寺院>普門寺
https://tesshow.jp/saitama/kawaguchi/temple_honbasu_fumon.html
2024年12月02日
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