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2024年12月07日

小菅御殿(葛飾区)徳川家重ゆかりの地

<小菅万葉公園>こすげまんようこうえん
Information-Plate-Kosugemanyoukouen.JPG
公園に設置されたこちらのプレートには、この地に徳川家の家臣・伊奈氏の下屋敷があったこと、そして屋敷内に8代将軍徳川吉宗の命で、御殿が造営されたことが記されています(1736年)。

小菅御殿と呼ばれ、将軍の鷹狩の際の休憩所として利用されたことで知られていますが、実は吉宗の長男・家重が身をしばらく寄せていた場所でもあります。

徳川家重は父・吉宗が和歌山藩主の時に江戸の藩邸で生まれました(1712年)。幼名は長福丸です。父が将軍となったため江戸城へ移り、将軍家の慣例に従って家の字を取り家重と名乗りました。

家重は長男ですので、当然のように将来を期待される立場でした。ただ生まれつき体が弱く、内気で言語も不明瞭だったようです。更に不摂生から健康を害し、文武も怠ったため、次期将軍として不適格と見られることもあったようです。

吉宗は窮屈な江戸城ではなく、自然豊かな場所に家重を住まわせることにしました。小菅御殿を築いた理由は、自分の鷹狩りのためだけではなかったような気もします(あくまで個人的推測です)。

Kosugegoten-Precious-Nature.JPG
江戸城にいれば行動は厳しく制限されますし、立場が立場だけに監視役もついていたかもしれません。水辺や緑といったおだやかな景色のなかで、作法なども関係ない暮らしは、内気な家重の心を癒すことに繋がったかもしれません。

Kosuge-Mnyou-Park.JPG
ここ小菅万葉公園は、東京拘置所の西側の細長い公園です。柵の向こう側は拘置所の敷地になります。かつての小菅御殿は現在の拘置所内。立ち入りはできません。

Kosugegoten-Information-Plate.JPG
こちらは古隅田川総合案内のプレート。小菅御殿跡付近が足立区と葛飾区の区堺であることがよく分かります。細かい話になりますが、小菅は葛飾区ですが最寄り駅の小菅駅は足立区です。地図には小菅御殿周辺の古隅田川や水路(裏門堰)が記されています。


Kosuge-Goten-Ato.JPG
小菅は旧日光街道からも近いですが、水運にも恵まれた場所。江戸の城下町には物資輸送のための水路網が既に形成されていましたので、もしかしたら、将軍家は船を利用してここまで来たのかもしれません。


伝わる話では、家重と比較すると弟の宗武はかなり優秀であったようです。聡明な宗武こそが将軍に相応しいという声もありながら、吉宗はあくまで長男を優先する慣例を重んじました。これについてはいろんな解釈があろうかとは思いますが、一般的には、家康が定めた長子相続の掟を守り、後継者の座を巡っての無駄な争いを避けるためだったと考えられています。兄弟同士もさることながら、それぞれの取り巻きたちの思惑などもありますからね。吉宗本人も、紀伊徳川家から将軍となっているため、泥沼化する派閥抗争の虚しさを実感していたはずです。慣例を乱すことなく振る舞う方が、長い目でみて無難と考えたのでしょう。

長子相続の掟通り、長男・家重は9代将軍となりました。といっても、体の弱さや言語不明瞭が治ったわけではありません。しばらくは吉宗が大御所として実権を握り、吉宗亡き後は、側近たちが家重を支え続けました。献身的で優秀な側近の名をあげたらきりがありませんが、ひとりだけ選ぶとしたら、言語不明瞭な家重の言葉を唯一聞き分けることができた大岡忠光でしょう。

岩槻藩主でもある大岡忠光が没した約1年後、まるで跡を追うかのように家重もこの世を去りました。亡くなる前に将軍職は家重の長男(家治)に引き継がれていました。

<東京拘置所敷地>
Tokyo-Detention-House.JPG
小菅御殿跡は現在東京拘置所のため立ち入りできませんが、敷地の隅に、唯一の遺構が置かれています。

<石灯籠>
Stone-Lantern-at-the-old-Kosug-Palace.JPG
御殿のなごりの石灯籠です。これだけだと何だかよく分かりませんが、近くに葛飾区教育委員会さんによる説明板が設置されています。

<旧小菅御殿石灯籠説明板>
Kyukosugegotenishidourou-Explanationboard.JPG
一部だけ転記させて頂きます。
『現在の東京拘置所一帯は、江戸時代前期に幕府直轄地を支配する関東郡代・伊奈忠治の下屋敷が置かれ、将軍鷹狩りや鹿狩りの際の休憩所である御膳所となりました。その後、元文元年(1736)7月、伊奈氏屋敷内に小菅御殿(千住御殿)が建てられました。』

家重についての記載はありませんが、将軍家と関りのある場所だったことはよく分かります。吉宗の配慮により、家重はこの地で、江戸城とはまったく異なる時を過ごすことができました。

<千住御殿遺物>
Senju-Goten.JPG
千住御殿とも呼ばれていたわけですね。ここで暮らした記憶は、重い宿命を背負わざるを得なかった家重の励みとなったと思いたいです。

■訪問:小菅御殿跡
 (千住御殿跡)
[東京都葛飾区小菅]


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■参考・引用
・現地説明板
(葛飾区教育委員会)
・Wikipedia:2024/12/7
・足立区HP
>徳川家ゆかりの地を辿る
>まだまだある「徳川家ゆかりの地」

https://www.city.adachi.tokyo.jp/pickup/tokugawa2023.html
・葛飾区HP
>「かつしか郷土かるた」の札の紹介
>【た】鷹狩に将軍通った小菅御殿

https://www.city.katsushika.lg.jp/kosodate/1002752/1027557/1002848/1002886.html
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