<小菅稲荷神社鳥居>こすげいなり
現在の東京拘置所の敷地には、かつて江戸幕府の代官・伊奈氏の下屋敷がありました。屋敷内には将軍の鷹狩りの際の休憩所が設けられ小菅御殿と呼ばれていたそうです。今回訪問の神社は、その東京拘置所のすぐ近くです。
<扁額>
創建年は不詳ですが、稲荷神社ですので祭神は宇迦之御魂神。ここまでは普通ですが、本殿の裏には、将軍が小菅御殿から地下を通って脱出できる逃げ道があったと聞き及び、お邪魔させて頂くことにしました。
<拝殿>
興味本位で訪問という後ろめたさもあるので、ここでしっかり合掌
そして
<本殿>
こちらが本殿です。これ以上は近づけません。この裏側に将軍の脱出用の穴がある?
<説明板>
小菅村や伊奈半左衛門の名は確認できますが…ちょっと難解です
<説明板>
こちらは分かりやすい。この稲荷神社は小菅御殿の鎮守でとして御殿内に祀られていたようです。そういう意味で、将軍ゆかりの神社です。ただ御殿はもう存在しません。昭和になってから、この地に移ったようです。説明文の途中は省略して、将軍の逃げ道のところを以下に転記させて頂きます。
『小菅御殿があった当時、将軍様の御逗留の際に不意の敵襲に備え、無事に御殿外に脱出できるよう空井戸を利用した抜け道があったといいます。この抜け道を明治時代に入り不要なものとしてふさいでしまったところ、御殿跡地の政府の施設では事故が相次いで発生しました。ある夜、心痛した偉いお役人の夢枕に、一匹の白狐が現れ「私はいにしえからこの小菅稲荷の「使い姫」として空井戸に棲んでいた狐一族の長老であるが、この程我らの住居を埋められで大変に難渋しておる。速やかに穴を元に戻すように」と言い残して消え都ました。そこで速やかに穴を元に戻した結果、ぱったりと事故が起こらなくなったといいます。当時のものを模した「狐の穴」は本殿の裏にちゃんと残されています。』
白狐の使いの話は冷静に受け止めるとして、将軍の脱出口が空井戸を利用したものという話はリアルさがあります。ただ、御殿内の稲荷神社がここに移されたということは、将軍の脱出口は本来はここではないということですね…
説明文の最後にも『当時のものを模した「狐の穴」』とあります。模すことで、災いのもとを今も絶っているのでしょう。
<小菅稲荷神社>
狐一族を鎮める穴は引き継がれているのですから、それはそのまま将軍の脱出口だった抜け穴のなごり。そう受けとめることにして現地をあとにしました。
■訪問:小菅稲荷神社
[東京都葛飾区小菅]1丁目
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■参考・引用
現地説明板
(小菅西自治会広報部)
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