<六月八幡神社>ろくがつはちまん
こちらです。堂々とした佇まい。
はじめてお邪魔させて頂きました。
ただ…
私はすぐお隣の寺院の参道の美しさが気になって仕方ありませんでした。
<炎天寺>えんてんじ
武骨な八幡神社とは対照的にかなり華やかな世界
現地訪問後に知ったのですが、六月八幡神社と炎天寺はほぼ一体となっています。いまに至る経緯を知れば、誰でも納得すると思います。炎天寺さんのホームページの説明が分かり安いので、以下に転記させて頂きます。
『天喜年間(1053〜1056)、炎天続きの旧暦6月、奥州の安倍一族の反乱を鎮定に赴く源頼義とその子、八幡太郎義家のひきいる軍勢が当地で野武士に道を塞がれ激しく戦います。戦況はきわめて悪く、京の石清水八幡宮に向かい戦勝を祈願。ようやく勝利を得ることができました。そこで寺と社を建て寺にはその社の別当を任せたと伝えられています。またその折、村の名を六月、寺の名を源氏の白幡がかったので幡勝山、戦勝祈願が成就したので成就院、気候が炎天続きだったので炎天寺としたといいます。』(『』内は原文)
六月八幡神社もここ炎天寺も義家と関りが深いということですね。六月 (ロクガツ)というちょっと変わった地名の由来も理解できました。
源義家が父・頼義とともに奥州征伐の途上、戦勝祈願したと伝わる場所はけっこう多いですが、それぞれにその土地ならではの言い伝えがあり、とても興味深いです。現在の足立区にさしかかった義家の軍勢は、賊に遭遇して苦戦。すんなり通り過ぎたわけではないことが伝わってきます。陸奥国からはほど遠いこの地で、既に苦難は始まっていたわけですね。
ここでちょっと
義家から話がそれますが
<小林一茶像>こばやしいっさ
炎天寺は俳人・小林一茶ゆかりの寺でもあります。小林一茶は江戸在住の頃にこの寺をたびたび訪れたそうです。
<カエル>
「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」はこの付近で詠まれた句とのこと。炎天寺は俳句寺という愛称でも呼ばれるそうです。こういう表現が適切かどうかわかりませんが、小林一茶ファンにとっては聖地ですね
源義家に話をもどしますと…
同じく足立区内の東伊興には白旗塚古墳がありますが、白旗塚という名は、義家が源氏の旗印である白旗をなびかせて戦ったことに由来するといわれています。足立区に残る源義家の伝説は、ここ六月八幡神社(と炎天寺)に限ったことではありません。
<つわものどもが夢の跡>
旧暦の六月は真夏。炎天下で苦戦を強いられた源義家の祈りから始まる神社です
■訪問:六月八幡神社
[東京都足立区六月]3丁目
-------■参考画像■-------
<白旗塚>
[足立区東伊興]3丁目
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■参考・引用
・Wikipedia:2024/12/4
・炎天寺HP
>炎天寺について
http://www.entenji.com/engi
・猫の足あと
>足立区の神社>六月八幡神社
https://tesshow.jp/adachi/shrine_rokugatsu_hachiman.html
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