犬山市の木ノ下城跡を訪ねました。
<城跡の説明板>
■城のはじまり■
木ノ下城は守護大名・斯波義廉(しばよしかど)配下の武将・織田広近により築かれました(1469年)。これは守護代だった兄・織田敏広の命を受けたもので、美濃国の斎藤氏を牽制する目的があったようです。織田広近は、木ノ下城とは別に近くの山に砦を築きました。木曽川沿いの乾山に築かれたこの砦が、のちの犬山城となります。
<愛宕神社>
城跡は愛宕神社となっています。説明板によれば『慶長11年(1606)鍛冶屋町の銘鍛冶兼常が、当時の犬山城主小笠原吉次に願い出て旧城地のこの場所に天台宗の愛宕山長泉寺延命院を建立し将軍地蔵を祀ったのがはじまりである』とのこと。延命院は明治になって廃止され、寺の中にあった愛宕神社となっていまに至るそうです。
現地に城跡らしい雰囲気はありません。木ノ下城の敷地は、一辺が200mくらいのほぼ正方形だったそうです。適所に堀を設けたようですが、なにぶんにも平坦な土地であるため要害性はあまりありません。統治のための拠点だったのでしょう。
<愛宕神社本殿>
本殿は周囲より高台となっていますので、おそらく城の主要な建物もこの位置にあったのでしょう。
■ 廃城 ■
木ノ下城は築城者である広近のあとも四代に亘って織田氏の居城でした。しかし織田信康(信長の叔父)のときに犬山城が整備され、廃城となりました(1537年)。犬山城の築城者によって幕引きとなった城跡ということですね。ちなみに、織田信康は犬山城主となったあと、兄・織田信秀(信長の父)の美濃国攻めに従軍して亡くなっています。
■つわものどもが夢の跡■
織田信康の跡を継いで犬山城主となった信清は、織田信長とは不仲でした。信長は犬山城を攻めることになりますが、その時に既に廃城となっていた木ノ下城跡が拠点となったそうです。犬山城からはすぐ近く。なにかと都合がよかったのでしょう。
<木ノ下城石碑>
遺構はないのでこの石碑はありがたかったですね
--------■ 木ノ下城 ■--------
築城年:1469年(文明元年)
築城者:織田広近
城 主:織田広近
廃城年:1537年頃
[愛知県犬山市犬山字愛宕]16
■参考及び出典
・Wikipedia:2022/4/12
・現地説明板
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