■天下普請■てんかぶしん
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、その後諸大名を動員して、伏見城や駿府城など、大規模な城の再建・造営を推し進めました。いわゆる天下普請の実行です。そのなかでも、ここ名古屋城の工事はかなり大規模なもので、スケールのわりには短期間のうちに築き上げられたと伝わります。これは大坂の陣より前のお話。家康がほぼ天下を手中に収めたといっても、まだ豊臣家の影響が残っている時の話です。大坂城の豊臣秀頼を意識した戦略の一環でした。
■豊臣恩顧の大名による築城■
名古屋城築城には加藤清正や福島正則、黒田長政ほかの豊臣恩顧の有力大名が動員されています。元豊臣秀吉の家臣たちは、この工事をどのように受け止めていたのでしょう。ちなみに、家康は豊臣家にも動員を命じていますが、これは拒否されています。
労務提供だけでも大変なことですが、大名たちは石材などを自分たちで持ち寄り、技術者を集めて名古屋城を築きました。経済力を削がれた上に、尽くす相手は豊臣ではなく徳川。何となく納得はしていなかったような気もします(素人の想像です)。逆に、それでも従わせることで、家康は今後の序列を明らかにしていたのかもしれませんね。
当時の最先端技術が集結して積み上げられた石垣です
--------■ 名古屋城 ■--------
別 称:金鯱城 亀屋城
築城年:1609年(慶長14)
築城主:徳川家康
城 主:尾張徳川家
廃城年:1871年(明治4)
[愛知県名古屋市中区本丸]
お城巡りランキング
タグ:愛知