つわものどもが夢の跡
深い歴史が刻まれ、日本100名城に選定されている名城を訪ねました。
<名古屋城>
誰でも知っている城ですね。一般に金箔押の鯱でもよく知られ、金鯱城(きんしゃちじょう)などと呼ばれたりもします。
名古屋城は、徳川家康の命により築かれた尾張徳川家の居城です。1609年(慶長14年)に築城を開始して1612年(慶長17年)には天守完成。その後1871年(明治4年)の廃城令まで存続した城です。江戸城や大阪城の天守は江戸時代に焼失していましたが、名古屋城の天守は明治・大正を経て、なんと昭和まで存在していました。1930年(昭和5年)に国宝に指定されています。凄いことですね。しかし1945年(昭和20)の空襲で天守を含め多くの貴重な建物が焼失してしまいました。
<五層の天守>
現在は鉄骨鉄筋コンクリートの天守ですが、外観は旧天守を再現したものと言われています。ということは、この佇まいは、かつて日本最大級を誇った名古屋城の天守と思ってよいようです。大阪城・熊本城とともに日本三名城に数えられる城です。
私のような素人の目にはわかりませんが、この天守は再建が早かった(1959年)こともあり、既に老朽化という問題を抱えているそうです。城に関する詳細な資料が残されていることから、今度は木造による復元も検討されているとのこと。
■完成までの道のり■
名古屋城そのものは徳川家康の命で築かれましたが、この地にはそれ以前に今川氏の城がありました。織田信秀がこれを奪って那古野城と改名し、息子である信長もこの城に居住していたと伝わります。その信長が清須城(清洲城)を築いて本拠とすると、那古野城の存在意義は徐々に薄れ、しばらくしたのちに廃城となりました。
尾張統治の中心地は清須へ移りましたが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康は清須城に代わり、既に荒れ地となっていた那古野の城跡に新たな城を築くことを決断しました。これが名古屋城のはじまりです。明らかに大坂城にいる豊臣秀頼を意識した戦略の一環であり、築城には多くの名だたる諸大名が動員されました。
尾張国清洲藩主となっていた家康9男・義直が初代城主となり、尾張徳川家の祖となりました。
<東南隅櫓(辰巳櫓)>
御三家筆頭と呼ばれる尾張徳川家はじまりの城です
--------■ 名古屋城 ■--------
別 称:金鯱城 亀屋城
築城年:1609年(慶長14)
築城主:徳川家康
城 主:尾張徳川家
廃城年:1871年(明治4)
[愛知県名古屋市中区本丸]
■参考:
現地説明板
Wikipedia:2022/10/10
お城巡りランキング
2022年10月10日
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