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2019年11月16日

掛川城のなごり

つわものどもが夢の跡
山内一豊の居城として知られている掛川市の山城を訪ねました。
<山頂の復元天守>
shirononagori383 (1).JPG

■中世から始まる城■
始まりは駿河の守護大名今川氏が、勢力拡大を目論んで築かせた山城でした。築城者は今川氏の重臣・朝比奈泰煕(やすひろ)。以降代々朝比奈氏が城を守っていました。当初は子角山(ねずみやま)と呼ばれる丘陵に築かれていましたが、のちに龍頭山(りゅうとうざん)に移転。この龍頭山は、現在の復元天守が佇む山です。すぐ南側には逆川が流れ、天然の堀として機能していたようです。

<逆川>さかがわ
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現在の逆川

<掛川城公園>
shirononagori383 (14).JPG
龍頭山と復元天守。典型的な山城です。独立峰に築かれていますので、正確には平山城ですかね。比高で30mくらいの山です。

隆盛を極めた今川氏も、桶狭間で今川義元が討ち死にして以降は勢力を失い、掛川城は徳川家康の支配するところとなります。

<霧噴き井戸>
shirononagori383 (8).JPG
天守丸の井戸。この井戸には逸話があります。今川義元亡きあと、後継者の氏真が家臣の朝比奈氏を頼って掛川城へ逃げ込みますが、徳川家康に城が包囲されると、この井戸から霧が出て城を守ったとのこと。掛川城の別名『雲霧城』はこの逸話に由来します。
実際に霧が影響したかは別として、今川氏の忠臣・朝比奈泰朝は、掛川城に籠城して5ヶ月ものあいだ徳川軍の攻撃に耐え続けました。既に多くの重臣が武田或いは徳川に寝返っている状況で、立派な家臣ですね。ただいくら頑張っても、もう今川氏真救援のために掛川城へ駆けつけてくれる仲間はいません。朝比奈泰朝は主君である氏真の身の安全を条件に開城を決めました。

この攻防戦で、掛川城の守りの堅さを認識した家康は、徳川十六神将の1人に数えられる石川家成に城を守らせます。そして家康が秀吉の命で関東へ移封されたのち、あの山内一豊が掛川城へ入城することとなります。


■山内一豊の大改修■
戦国末期に入城した山内一豊は、掛川城の大規模改修に着手します。現在確認できる掛川城の縄張りは、ほぼ一豊の時代に造られたものです。

山内一豊は10年間在城しました。その間、城の改修に加えて城下町の整備、そして治水工事にも注力しました。城下町掛川の基礎を造ったわけですね。

<天守>
shirononagori383 (5).JPG
木造による復元天守閣の先駆けです。掛川のシンボルです。1994年(平成6年)に再建されました。

天下分け目の戦に際し、一豊が徳川家康にこの城の提供を申し出た逸話は有名ですね。関ヶ原の戦い後、功績を認められた一豊は土佐国9万8千石を与えられ、掛川城を去ります。


■太田氏の城■
豊臣秀吉の直臣だった山内一豊が去ると、家康の異父弟・松平定勝に始まり、家康と関係が深い大名が次々と藩主となって掛川城に入りました。めまぐるしく藩主が変わる状況は、上野国館林藩より太田氏が入って以降は安定。太田氏は幕末まで7代にわたって藩主を務めました。

<全体図>
shirononagori383 (16).JPG


■掛川城のなごり■
<復元天守閣>
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<天守丸>
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本丸より高い位置の天守丸にて

<忍び返し>
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鉄剣による『忍び返し』は高知城にもありますね

<狭間>
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向うに見えているのは二の丸御殿

<天守下門跡>
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<腰櫓台跡>
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<荒和布櫓>あらめやぐら
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<四足門>
sn383b.JPG
絵図を元に復元された四足門

<三日月堀跡>
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麓に設けた堀の跡

<二の丸御殿>
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書院造りの二の丸御殿は国の重要文化財に指定されています


■廃城■
やがて明治となり、廃城令によって城郭の建物の大半は壊されました。ただ、城郭の御殿が現存する例は珍しく、とても貴重な文化財として評価されています。1994年に再建された天守も、鉄筋などを使わない復元です。城の縄張りも実感できましたし、とても満足な探索となりました。

<つわものどもが夢の跡>
shirononagori383 (18).JPG

-----------■ 掛川城 ■-----------
別 名:懸川城 雲霧城 松尾城
築城年:15世紀後半
築城者:朝比奈泰煕(今川家臣)
改修者:山内一豊
城 主:朝比奈氏 山内氏 太田氏
廃 城:1871年(明治4)
[ 静岡県掛川市掛川 ]1138-24


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posted by Isuke at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[中部]
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