今回は城門と番所の位置関係が絶妙な掛川城の大手門の話です。
<大手門の外観>
威風堂々!立派です!
■復元された大手門■
実はこの門の存在を事前に知っていたわけではなく、掛川城から駅までの帰り道に偶然みつけました。行きとは違う道で帰ろう。そう思ったことが幸いしました。むかしのものではないことはなんとなく察知しましたが、とても雰囲気のある門です。
見えないところもしっかりと
現地の説明板で、復元であること、そして本来の場所よりちょっとだけ北側に再建されたことは頭に入りましたが、既に歩き疲れていたので、帰宅してからちゃんと調べ直すことにしました。以下は掛川市のホームページからの転記です。
『平成7年(1995年)に復元されたもので、大きさは間口7間(約12.7メートル)、奥行3間(約5.4メートル)の二階建です。掛川城の表玄関にふさわしい楼門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくりになっています。白壁で板ひさしが配され、棟の上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。実際は現在地より50メートルほど南にありました。』
[出典:掛川市HP(2019/11現在)]
なるほど
復元ながら情緒も漂っていたのは、既に20年以上経過しているせいかもしれません。
■大手門番所■
さて
大きな櫓門に見惚れる一方で、奥に見えている建物が、何となく気になっていました。
あれはいったい何でしょう?
<木造>
いわく付の建物であろうことは予想できたのですが、その正体は?
<説明>
番所ですか・・・
この番所は復元ではなく、江戸時代末期のものを移設したそうです。嘉永7年(1854年)に地震で倒壊してしまったので、安政6年(1859年)に建てなおしたもの。ギリギリとはいえ江戸時代の建物ですね。貴重です。そもそもの話として、比較的簡易的な建物である番所が、廃棄されずに保存され続けていること自体が珍しい。
この番所は大手門を通って出入りする者を監視する役人の詰め所。そして城と掛川宿とを連絡する唯一の番所だったと言われています。人が出たり入ったり。結構忙しかったのではないでしょうか
番所の建物が出入り口に近すぎるような?
門と番所の位置関係、個人的にはにちょっと違和感がありました。しかしこれは発掘調査の裏付けがあることらしく、これで良いそうです。まぁこれだけ接近していると、こっそり通ることは出来ませんね。
ところで
現地の説明板にもありましたが、実際の大手門はもうちょっと南にあったとのこと。どうせ南へ向かって帰るだけなので、目印を探しながらゆっくりと移動すると
<大手門跡>
ありましたありました。本来はここにあったわけですね。大手門も番所も。道路脇の小さな石碑ですが、これはまた別の意味で立派な痕跡。かつてあった大手門のなごりです。
■訪問:掛川城大手門
[静岡県掛川市城下]27番地
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