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もうひとつの栗橋関所跡(日光街道)房川渡中田関所跡 [2022/07/03 19:55]
日光街道の栗橋関所はじまりの地を訪ねました。 <中田御関所跡> こちらです。場所は現在の古河市中田。関所はまずここに設けられ、のちに利根川対岸の栗橋に移されたそうです。 <説明板> こちらに『房川渡と中田御関所跡』と題して詳細な説明が記されています。古河市教育委員会さんの文を以下に転記させて頂きます。 『江戸幕府は、江戸を防衛する軍事上の理由から、大河川には橋をかけることを許さず、また、交通上の要地には関所を設けていた。当地は日光街道の重要地点で..
利根川橋を歩いて渡る(日光街道)房川に架かる橋 [2022/07/03 19:30]
<利根川橋> 利根川に架かる利根川橋です。そのままですね。今回はそこを歩いて渡ってみたというだけのお話です。 この日は埼玉県久喜市の栗橋関所跡を訪問しました。満足しかけた時、現地でのネット検索で、利根川を渡った先にも関所跡があることを知り、橋を渡ることとなりました。 <利根川> ここは埼玉と茨城の県堺 橋を渡る途中 欄干に備えつけられたレリーフに足が止まりました <埼玉県の県の鳥> シラコバトか 私は埼玉県民なので..
梅澤太郎右衛門の墓(久喜市)将軍の渡河を助け、やがて関東郡代の家臣となった男 [2022/06/30 22:20]
日光街道で第二代将軍・徳川秀忠の渡河を助け、やがては関東郡代・伊奈忠治の家臣となった男の話です。 その名も 梅澤太郎右衛門! といっても 訪問先で初めて知った名ですので、恒例により現地の説明板を頼りました。 <浄信寺> 埼玉県久喜市の浄信寺です。境内に設置してある「梅澤太郎右衛門の墓」に関する説明板で概要を理解しました。 <説明板> 久喜市教育委員会さんの説明を以下に転記させて頂きます。 『梅澤氏の祖先は菅原氏である。その後、北条氏の客臣..
深廣寺の六角名号塔(日光街道)栗橋宿の名刹 [2022/06/30 22:06]
今回は旧日光街道の栗橋宿を訪ねた時に知った深廣寺の話です。 <深廣寺>じんこうじ 重厚な佇まいです。栗橋宿の開拓に尽力した並木五良平光盛が開基し、無涯閑栄(むがいかんえい)上人が開山しました。 <無涯山> 無涯山単信院深廣寺と号する栗橋を代表する寺院です。 さて 歴史ある寺院をこんな拙ブログで解説することはできませんが、誰が見ても驚くであろう石塔に話を絞ってご紹介させて頂きます。 <六角名号塔> こちらが久喜市の文化財に指定されてい..
関所番士屋敷跡(日光街道)栗橋関所の番人たち [2022/06/26 21:20]
(栗橋関所址の追記です) <関所番士屋敷跡>せきしょばんしやしきあと 栗橋関所の番人たちが住んだ屋敷に関する説明板です。文面によれば、関所の番人は4名による交代制であったようです。 栗橋の関は伊奈忠次の管轄でした。関東の治水事業他で徳川幕府を下支えした家康の家臣ですね。のちに老中の管轄下となったあと、忠次の子で、幕府内での役割を継承した伊奈忠治が支配することとなりました。 実は、正式に幕府の「関所」となった時期は不明です。ただこの説明板にもある通り、1..
栗橋関所址(日光街道)入鉄砲に出女を監視した利根川渡しの関所 [2022/06/26 21:00]
日光街道が利根川に差し掛かる地点に設けられた関所跡を訪ねました。 <栗橋関所址> 立派な石碑です。 <記念碑と説明板> 説明板によれば、石碑に刻まれた文字は徳川宗家16代当主の徳川家達の書とのこと。関所そのものの姿はもうありませんが、ここ栗橋の地にかつて関所があったなごりです。後ろに見えている堤防の向こう側は利根川です。 栗橋に関所が設けられたのは江戸時代初期。よく「入鉄砲に出女」という言葉を耳にしますが、これは江戸時代の関所の役割を端的に表して..
街道沿いの将軍御休所跡(野木町)友沼八幡神社 [2021/09/13 22:30]
将軍が日光東照宮参拝時に休憩所とした栃木県野木町の神社を訪問しました。 <友沼八幡神社>ともぬま 日光街道沿いのこちらの神社です。 <説明板> 入口付近に『将軍御休所跡』と題して、詳しい説明が記されています。ありがたいですね。ただちょっと長いので、当ブログ用に要約しながら一部抜粋させて頂きます。 冒頭は徳川家康の亡骸がいったんは駿河の久能山に葬られ、一周忌に日光へと改葬されたことが記されています。その続きとして『東照大権現社が完成すると、将軍秀忠..
将軍の休憩所(小山御殿)日光街道小山宿 [2021/09/11 22:50]
今回は日光街道沿いに設けられた将軍専用の休憩所跡の話です。ただの休憩所ではありません。敷地には堀や土塁を廻らされ、ちょっとした城のような造りだったようです。 <小山御殿跡>おやまごてん 現在は広場として整備され、小山御殿に関する説明板が設置されています。 ■日光街道小山宿■おやましゅく 日光街道の小山宿は、日本橋から数えて12番目の宿場です。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠が74軒あったとのこと(出典元ːwikipedia)。 日光街道..
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