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2022年06月30日

梅澤太郎右衛門の墓(久喜市)将軍の渡河を助け、やがて関東郡代の家臣となった男

日光街道で第二代将軍・徳川秀忠の渡河を助け、やがては関東郡代・伊奈忠治の家臣となった男の話です。

その名も
梅澤太郎右衛門

といっても
訪問先で初めて知った名ですので、恒例により現地の説明板を頼りました。
<浄信寺>
Kukishi-Kuruhashi-Josinji.JPG
埼玉県久喜市の浄信寺です。境内に設置してある「梅澤太郎右衛門の墓」に関する説明板で概要を理解しました。
<説明板>
Bunkazai-Umezawa-Tarouemon-no-Haka.JPG
久喜市教育委員会さんの説明を以下に転記させて頂きます。

『梅澤氏の祖先は菅原氏である。その後、北条氏の客臣となり、塚原氏と改め太郎則武と名のった。
小田原城没落後、相模国梅澤村に住み、姓を梅澤氏と改めた。その子太郎右衛門の時、慶弔五年(一六〇〇年)に栗橋(栗餅下)に移住し開墾に従事した。
元和元年(一六二二年)四月、徳川二代将軍秀忠公日光東照宮社参の折、暴風雨のため利根川が満水となり、将軍の渡る船橋が危なくなった。太郎右衛門は人夫を率いて水中に入り、いのちがけでこの橋の安全を守り、災難を救った。将軍はこれを賞して、関東郡代伊奈十郎忠治を通じて貞宗の名刀・金字に日の丸の軍扇及びお墨付をくだされた。この折梅澤氏は、名字、帯刀を許されたという。』


ご先祖は相模国の武士だったようですね。関東覇者だった小田原北条氏が滅びると名を改め、太郎右衛門の代で栗橋へ移り、原野に挑んで耕地の開拓に従事。将軍の渡河に際して、『人夫を率いて水中に入り』とあるので、この時には既にリーダー的な存在だったのでしょう。それにしても、防衛上の理由で利根川に橋がなかったことは承知していましたが、将軍が通る時に船を繋いで橋としたことは初めて知りました。この船橋に、天候に起因して降りかかりそうになった災難を、身を挺して防いだことで、幕臣である伊奈忠治を通じて褒美を授かった。納得です。

文中の貞宗は刀工として名高い正宗の子ですので、さぞ高価なものなのでしょう。まぁこの場合は値段より名誉の問題ですね。

そして、関東郡代の伊奈忠治この人は関八州の幕府直轄領(約30万石)を任された代官です。関東の治水事業と新田開発で幕府の財政を下支えしたことで、後世に語り継がれる存在となりました。説明文には記載がありませんが、久喜市のホームページによれば、梅澤太郎右衛門はやがて伊奈忠治の家臣となり、その子孫は代々栗橋宿の名主を勤めました。伊奈忠治との出会いにより、その子孫も宿場内の指導者的役割を果たしたということですね。

<梅澤太郎右衛門の墓>
Umezawa-Tarouemon-Grave-Stone.JPG
当ブログではなるべく墓石は避けるようにしていますが、久喜市指定の文化財ということで掲載させて頂きます。

ところで
文献などを読んで感じるのは、伊奈忠治の活躍が治水や新田開発だけでなく、かなり広範囲に及んでいるということです。そんなに何でも一人でできるのか?ここからはかなり主観が入りますが、伊奈忠治という人は、それぞれの領域で、人を育てることが上手だったように思えます。なんでも手取り足取り指導するというのではなく、その現場を任せられるようなリーダーを作り上げることが上手かったような印象があります。事情を知る者を抜擢するからこそ、領民からの評判も良かったのだと思っています。

こまかな事情はわかりませんが、梅澤太郎右衛門もそんな伊奈忠治の目にかなった人物だったのではないでしょうか?

ということで
将軍の渡河を助け、やがては関東郡代の家臣となった男の話でした。

最後に簡単ではありますが、梅澤太郎右衛門が建てたとも伝わる浄信寺さんの境内をご紹介して終わりにします。

<山門>
Kurihashi-Josinji-Gate.JPG
左手には八福神の幟が見えます。八福神?久喜市栗橋地区では通常の七福神に吉祥天を加えて八福神と呼びます。ここ浄信寺には寿老人が祀られています。

<境内>
Josinji-Main.JPG
Josinji-Hall.JPG
緑に囲まれた重厚な本堂

<扁額>
Josinji-Hengaku.JPG
無量山帰命院浄信寺と号します

<墓所入口>
Josinji-Cemetery.JPG
梅澤太郎右衛門の墓に関する説明板は墓所の入り口に設置されています

■訪問:浄信寺
(梅澤太郎右衛門の墓)
[埼玉県久喜市栗橋東]3丁目

■参考及び出典
現地説明板(久喜市教育委員会)
久喜市ホームページ
・梅澤太郎右衛門の墓

https://www.city.kuki.lg.jp/smph/miryoku/rekishi_bunkazai/rekishi_dayori/rekishi26.html


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posted by Isuke at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 街道・古道
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