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記事
直江兼続ゆかりの石堤 (米沢市) [2017/11/01 22:32]
<直江石堤>なおえせきてい
米沢市に残る石積みの堤防。これは直江兼続ゆかりの石堤です。幅は5〜6m弱といった感じでしょうか。造られた時代を考慮すると、かなり大掛かりな治水事業です。
■ 暴れ川に挑む ■
当時暴れ川だった最上川(松川)。城下の整備に奔走する兼続は、この水害を何とかすべく、山(赤崩山)の上から地形や川の流れを確認し、治水策を練ったそうです。その結果、下級武士を従えて自ら指揮をとり、総延長が10kmにもおよぶ石の堤防を築き上げました。石堤は現在も約1..
米沢藩の礎 景勝と兼続 [2017/10/31 23:14]
<謙信の旗印>
[米沢城跡]
戦国時代の武将で、上杉と言えばやはり「上杉謙信」ですね。越後の龍。毘沙門天の生まれ変わり。信長・秀吉・家康、そして武田信玄などと肩を並べる人気武将ではないでしょうか。私も大好きです。
<上杉神社>
[米沢城跡]
ただ、そのあとを継いだ上杉景勝、補佐役だった直江兼続も魅力的です。カリスマが去ったあとの内輪もめ、外には強敵ばかり。そして時代が大きく変わろうとする過渡期での難しい舵取り。更には、米沢へ移ってからの財政難..
正々堂々の敗者 景勝と兼続 [2017/10/28 22:55]
(長谷堂古戦場の追記です)
<上杉景勝と重臣・直江兼続>
[撮影:米沢城] 上杉神社
会津120万石から出羽米沢30万石へ減移封となった上杉家。ようするに、時の最大勢力に立ち向かった結果です。ただ、石田三成のように、徳川家康と直接戦った訳ではありませんよね(結果的に)。
前回の投稿で、上杉軍が最上軍と戦った「北の関ヶ原」について触れさせて頂きました。
記事→『長谷堂古戦場』
そこに至る経緯は少な目になっていますので、その補足として、おおざっぱではあ..
長谷堂古戦場 秋の訪問記 [2017/10/21 23:40]
つわものどもが夢の跡
北の関ヶ原とも呼ばれる慶長出羽合戦で、西軍の上杉家臣直江兼続と東軍の最上義光が激戦した場所を訪ねました。
<富神山> とがみやま
綺麗な円錐と聞いていたので間違いありません。富神山です。ここでの合戦の際に上杉軍総大将の直江兼続が登った山。敵方である最上義光の居城・山形城を眺めようとしましたが、霞で十日間見ることはできませんでした。これによりあの山は十日見山(とうかみ→とがみ)、山形城は霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれるようになりました。
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いわゆる山寺を訪問 (山形への旅) [2017/10/20 23:42]
初めて訪問しました。素晴らしい景色です!
■山寺の歴史■
始まりは860年。清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされているそうです。古いですね。ただこれには諸説あり、確実視されているのが860年というだけで、推定だと創建時期はもっと遡るそうです。なおさら凄い。
<山寺駅>
これ寺ではなく駅です。寺社造り。早くも気分が盛り上がります。山形市に宿泊していましたのであっという間に到着しました(JR仙山線の各駅で5駅目。快速も止まります)。
<立..
山形五堰 城下町の治水(山形市) [2017/10/19 23:03]
古くから最上氏宗家の城だった山形城。徳川幕府の命令で最上家が去っても、山形城の歴史はまだまだ続きます。江戸時代を通して栄えた城下町。城跡訪問のついでに街中を探索しました。
<七日町御殿堰>
[山形市七日町]
ここはかつての雰囲気を再現した復刻版水路。駅から徒歩15分くらいでしょうか。城跡好きですが、水路好きでもあるので興味深いです。
雰囲気もいいですね。水路沿いの柳やお店もなんとなく昔ふう。看板につられてソフトクリーム(抹茶とほうじ茶のミックス)を衝動的..
専称寺 最上義光ゆかりの地 [2017/10/18 23:02]
山形城訪問のあと、最上義光ゆかりの寺を訪ねました。場所は城の東側、寺院が集中して立ち並ぶ「寺町」です。
山門が見えてきました。寺の多さには困惑しましたが、迷わずたどり着きました。
■ 専称寺 ■ せんしょうじ
最上義光が娘・駒姫のために建てた寺として知られています。といっても贅沢の延長ではありません。突然降りかかってきた悲劇。この寺は、猛将・最上義光がその悲しみと向き合った形。そしてその思いが受け継がれている場所です。
■ 駒姫の悲劇 ■ こまひめ
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出羽の虎将・最上義光 (山形城) [2017/10/17 22:50]
(山形城訪問の追記です)
今回は
出羽国の小勢力から始まり、全国有数の大大名となった最上義光のご紹介です。
<最上義光騎馬像> もがみよしあき
足二本で立つ騎馬像は珍しく、武勇で知られる最上義光らしい姿です。
私が説明すると感情が入りすぎて長くなるので、まずは「ウィキペディア」さんの一部をそのまま引用させてもらいます。
『最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。伊達政宗..
最上家歴代当主の居城 山形城のなごり [2017/10/16 22:51]
つわものどもが夢の跡
最上義光の居城を訪ねました。
いきなりなんですが「よしみつ」なんて読まないで下さいね!「よしあき」です。
戦国武将ファンの間では有名ですが、世間一般の人気ではどうしても甥の伊達政宗に負けてしまいますね。知れば知るほど味があり、心が熱くなってしまう武将。そのなごりを感じるために山形市へやってまいりまた。
<山形城>
ここは本丸の堀です。10月中旬の訪問となりましたが、紅葉の見ごろはもうちょっと先ですかね。でもいい感じです。この堀は一度..
出羽の歌会 兼続・慶次ゆかりの地 (高畠町)亀岡文殊 [2017/09/11 22:10]
戦国武将好きです。城跡巡りと並行して、お気に入りの戦国武将ゆかりの地を訪問したりしています。直江兼続と前田慶次にゆかりがあると聞き、山形県高畠町の亀岡文殊堂を訪ねました。
■ 亀岡文殊 ■かめおかもんじゅ
<正式名は大聖寺>だいしょうじ
亀岡文殊。京都の切戸(きれと)文殊・奈良の安倍文殊とともに「日本三文殊」の一つに数えられています。当然ですが、他は行ったことがありません。「知恵を授かれる」とのことで、合格祈願などで県外からわざわざ訪れる人も多いようです。そう言..
伊達政宗生誕の城は?(米沢市)舘山城と米沢城 [2017/08/29 22:00]
伊達政宗といえば仙台というイメージが強いですね。しかし生まれは米沢。かつて米沢は伊達家の領地でした。政宗も多感な青年期を米沢で過ごしています。つまり政宗にとっての故郷は米沢なのです。
さて
ドラマや小説などでは「政宗は米沢城で生まれ・・・」とあり、私も長らくそう思っていました。ところが近年になって、新たな候補が現れています。
■舘山城■たてやまじょう
<伊達政宗公生誕の地>
[山形県米沢市舘山]
米沢市の南西部に位置する舘山城です。ここは二つの川が合流..
最後の城主・天童頼澄と守護神・喜太郎(天童城) [2017/08/28 22:18]
(天童城訪問記の追記です)
天童城最後の城主・天童頼澄(てんどうよりずみ)。周辺の国人と連携して一度は最上義光を退けたものの、それまで最大の味方だった延沢満延が調略により最上側へ寝返り、最後は城を追われることになりました(1584年)。頼澄は、母の実家の国分氏を頼って落ち延び、陸奥国に移り住みました。
■陸奥国にコネ?■
国分(こくぶん)氏は戦国時代の末頃まで陸奥国に勢力のあった一族。起源には諸説ありますが、平氏の流れをくむ千葉氏から枝分かれした士族のようです(..
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