伊達政宗といえば仙台というイメージが強いですね。しかし生まれは米沢。かつて米沢は伊達家の領地でした。政宗も多感な青年期を米沢で過ごしています。つまり政宗にとっての故郷は米沢なのです。
さて
ドラマや小説などでは「政宗は米沢城で生まれ・・・」とあり、私も長らくそう思っていました。ところが近年になって、新たな候補が現れています。
■舘山城■たてやまじょう
<伊達政宗公生誕の地>
[山形県米沢市舘山]
米沢市の南西部に位置する舘山城です。ここは二つの川が合流する丘陵地に築かれた山城。米沢市の整備保存の働きかけにより、昨年(2016年3月)国の史跡に指定されました。
「伊達政宗公生誕の地」と記された標柱が設置されています。最近ではここ舘山城、あるいはこの付近が、伊達政宗誕生の地ではないかという説が有力視されています。
それってどういうこと?
伊達氏にとっての「米沢城」。これは上杉家が米沢に入って居城とした米沢城(つまり現在の米沢城跡)と同じものと考えられてきました。この解釈にメスが入り、議論となっています。
何で今頃になって?
本格的発掘調査は2001年。すぐに全てが分る訳ないですよね。粘り強くコツコツと調査し、大規模な縄張りが確認されてきました。
<現地>
舘山城は中世の面影を残す城跡。平地へ向かって突き出た山には、戦に備えた堀切や曲輪を設け、平時は麓の館に居住したと考えられています。
<曲輪>くるわ
平地の曲輪は結構広いですね。時代を考慮すると、ここだけでも城として充分機能しそうです。隣接する山の様子ですが、斜面に水力発電所の施設が見えたため、登って良いのか分からず遠慮しました。
<天然堀>
こちらは天然の堀ですね。城は二つの川に挟まれています。
<大樽川>おおたるがわ
こちらは南側の大樽川。最上川源流と表示されていました。最上川はこの大樽川と、米沢市内を流れる松川が合流して本流となります。相当な山奥に映るかもしれませんが、米沢城から西へわずか4km程度。城跡巡りと切り離しても素敵な場所です。
<人の営み>
これはいつの時代のものか分かりませんが、人の営みのなごりを感じます。どんな人たちが、どんなつもりであの鳥居をくぐったのでしょうか。
調査をすすめるうちに、伊達時代と推定される出土品に加えて、石垣まで確認されました。ただ、のちに石垣の方は上杉時代のものと判明。ということは、この地は伊達時代にも上杉時代にも何らかの目的で使用されていた城跡のようです。
■現在の米沢城■
<米沢城跡>
[山形県米沢市丸の内]
<伊達政宗公生誕の地>
松岬公園(米沢城跡)にある石碑。私が初めて訪問した時は木製の標柱でした。いつの間にか石碑になっています。立派、そしてかなり大きいです。
■二つの候補地■
同じ米沢市で、両方の城が「伊達政宗生誕の地」をアピールしている状態ですね。その道のプロの方々の間でも、意見は分かれているそうです。
伊達政宗は米沢の出身。これは間違いありませんね。では誕生の城はどちらなのでしょうか?
まぁ私は長らく「米沢城」と思っていたので、今後もはっきりするまではそう信じたいと思います。舘山城は、きっと昔からあった砦跡のようなものを上杉氏が何らかの目的(支城的な役割を担ってもらうためなど)で手を加えた。そう思うことにします。
ただ、米沢城は平地に築かれた平城。最近注目されている舘山城は最上川源流沿いの山城です。政宗がやがて仙台に難攻不落の山城を築き上げることを思うと、伊達一族には元々山城のためのノウハウがあった!なんて勝手に想像するのも面白いですね。
<つわものどもが夢の跡>
今年は伊達政宗生誕450年(1567年9月5日生)。生誕の地の議論はまだまだ続きそうですね。
どちらにしても、ここ舘山城が中世の城跡だったことは間違いありません。そして、どうやら伊達・上杉とも関わりのあった山城。訪問できて良かったです。
■訪問:舘山城
[山形県米沢市大字舘山]
お城巡りランキング
2017年08月29日
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