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2020年06月08日
奈良通2級 第14回 05
2-14- V.
奈良県の建築、彫刻、絵画に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。
(46)薬師寺に現存する堂塔のうち、奈良時代に建てられたとされる建物はどれか。
ア.東塔
イ.西塔
ウ.金堂
エ.講堂
答え
ア
(47)次の建物のうち、現在国宝に指定されているのはどれか。
ア.東大寺大湯屋
イ.興福寺三重塔
ウ.談山神社十三重塔
エ.當麻寺金堂
答え
イ
(48)東大寺南大門を望む場所にあり、国の名勝に指定された池泉回遊式庭園で知られるのはどれか。
ア.左京三条二坊庭園
イ.依水園
ウ.慈光院庭園
エ.東院庭園
答え
イ
(49)お水取りで知られる東大寺二月堂の本尊はどれか。
ア.十一面観音像
イ.聖観音像
ウ.不空羂索観音像
エ.馬頭観音像
答え
ア
(50)円成寺の国宝大日如来坐像を若き日に制作したという仏師は誰か。
ア.運慶
イ.快慶
ウ.湛慶
エ.康慶
答え
ア
(51)大野寺の宇陀川をはさんだ対岸に彫られた高さ 11.5m の磨崖仏は、何を表現したものか。
ア.地蔵尊
イ.阿弥陀仏
ウ.弥勒仏
エ.不動明王
答え
ウ
(52)東大寺盧舎那大仏は 2 度の大きな火災で罹災したが、現在の頭部はいつ造られたものか。
ア.奈良時代
イ.鎌倉時代
ウ.桃山時代
エ.江戸時代
答え
エ
(53)天平時代に建てられ、内陣の柱や天井に彩色画が残る国宝の堂はどれか。
ア.宝山寺獅子閣
イ.玉置神社社務所
ウ.當麻寺中之坊書院
エ.榮山寺八角堂
答え
エ
(54)薬師寺玄奘三蔵院の大唐西域壁画を描いた画家は誰か。
ア.横山大観
イ.東山魁夷
ウ.平山郁夫
エ.前田青邨
答え
ウ
By やまと まほろば通信
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2020年06月07日
奈良通2級 第14回 06
2-14 - VI.
奈良県に関連する文学について、最も適当なものを選びなさい。
(55)「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 大和しうるはし」は誰の歌とされるか。
ア.葛城襲津彦
イ.雄略天皇
ウ.倭建命
エ.倭彦命
答え
ウ
(56)「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」 が収められた書物はどれか。
ア.『古事記』
イ.『日本書紀』
ウ.『万葉集』
エ.『懐風藻』
答え
ウ
(57)『万葉集』に詠まれた花のうち、一番多いのはどれか。
ア.ハギ
イ.サクラ
ウ.キク
エ.バラ
答え
ア
(58)『枕草子』の「市は」の段に出てくる海柘榴市は、現在のどの市町村にあったと言われるか。
ア.奈良市
イ.天理市
ウ.桜井市
エ.明日香村
答え
ウ
(59)伊勢大輔が 「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」(『詞花集』)という歌を詠んだのは何時代のことか。
ア.奈良時代
イ.平安時代
ウ.鎌倉時代
エ.室町時代
答え
イ
(60)西行法師が漂泊の途中に庵を結んだ山はどれか。
ア.吉野山
イ.三輪山
ウ.若草山
エ.山上ヶ岳
答え
ア
(61)松尾芭蕉の俳句「菊の香や( )には 古き仏たち」の( )に入るのはどれか。
ア.奈良
イ.信貴
ウ.道
エ.秋
答え
ア
(62)明治 40 年(1907)に法隆寺を訪れ、『斑鳩物語』を著したのは誰か。
ア.高浜虚子
イ.志賀直哉
ウ.森鷗外
エ.西条八十
答え
ア
(63)奈良を舞台にしたテレビドラマの原作小説『鹿男あをによし』の著者は誰か。
ア.坂東眞砂子
イ.万城目学
ウ.村上春樹
エ.森見登美彦
答え
イ
By やまと まほろば通信
2020年06月06日
奈良通2級 第14回 07
2-14- VII.
奈良県の伝統工芸品や特産品に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。
(64)室町時代に興福寺の二諦坊で作られたのが起源といわれる奈良の伝統工芸品はどれか。
ア.墨
イ.筆
ウ.鹿角細工
エ.古樂面
答え
ア
(65)茶筌作りで知られる高山町はどの市に属しているか。
ア.奈良市
イ.桜井市
ウ.生駒市
エ.大和高田市
答え
ウ
(66)奈良市の伝統工芸品として知られるものはどれか。
ア.三宝・神具
イ.坪杓子
ウ.筆
エ.曲げ物
答え
ウ
(67)全国に名を馳せた奈良晒の最盛期はいつか。
ア.16 世紀後半
イ.17 世紀後半
ウ.18 世紀後半
エ.19 世紀後半
答え
イ
(68)大和の特産品として知られる吉野葛は、原料に葛のどの部分を使うか。
ア.花
イ.根
ウ.実
エ.蔓
答え
イ
(69)正暦寺で室町時代に造られ、その後有名になった奈良の特産品は何か。
ア.清酒
イ.醤油
ウ.味噌
エ.奈良漬
答え
ア
(70)奈良県内で金魚の養殖が盛んに行われている市はどれか。
ア.大和郡山市
イ.香芝市
ウ.葛城市
エ.五條市
答え
ア
(71)弘法大師がその製法を伝えたとされる、大和高原の特産品はどれか。
ア.素麺
イ.清酒
ウ.梅干
エ.茶
答え
エ
(72)奈良県農業試験場で育成された「あすかルビー」はどれか。
ア.カキ
イ.イチゴ
ウ.スイカ
エ.モモ
答え
イ
By やまと まほろば通信
2020年06月05日
奈良通2級 第14回 08
2-14- VIII.
奈良県の祭り・伝統行事等に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。
(73)毎年、3月 13日に勅使の参向を仰いで行われる「春日祭」の別名はどれか。
ア.三枝祭
イ.采女祭
ウ.花祭
エ.申祭
答え
エ
(74)奈良市の奈良豆比古神社に伝わる国の重要無形民俗文化財指定の芸能はどれか。
ア.翁舞
イ.太鼓踊り
ウ.蹴鞠
エ.田楽
答え
ア
(75)毎年 2 月の第一日曜日に飛鳥坐神社で行われる、お田植行事のことをなんというか。
ア.行者祭り
イ.砂かけ祭り
ウ.おんだ祭り
エ.采女まつり
答え
ウ
(76)旧正月 14 日に 「国栖奏」 が演じられる浄見原神社は、どの川の畔にあるか。
ア.吉野川
イ.竜田川
ウ.飛鳥川
エ.十津川
答え
ア
(77)東大寺二月堂の「修二会」は「お水取り」とも呼ばれる。その水に関わる旧国名はどれか。
ア.若狭国
イ.陸奥国
ウ.土佐国
エ.周防国
答え
ア
(78)毎年 5 月に行われる薪御能は、興福寺のどのあたりで行われるか。
ア.南円堂前
イ.東金堂前
ウ.西金堂跡
エ.南大門跡
答え
エ
(79) 8 月 15 日に大文字送り火が行われる奈良市内の山はどれか。
ア.若草山
イ.春日山
ウ.高円山
エ.虚空蔵山
答え
ウ
(80)「癌封じささ酒祭り」が行われる奈良市内の寺社はどれか。
ア.伝香寺
イ.漢国神社
ウ.大安寺
エ.狭岡神社
答え
ウ
(81)當麻寺の練供養会式はある人物の極楽への往生を再現しているが、その人物は誰か。
ア.中将姫
イ.聖徳太子
ウ.法然上人
エ.光明皇后
答え
ア
By やまと まほろば通信
2020年06月04日
奈良通2級 第14回 09
2-14- IX.
奈良県の観光や文化に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。
(82)法隆寺が世界遺産に登録されたのはいつか。
ア.昭和 60 年(1985)
イ.平成元年(1989)
ウ.平成 5 年(1993)
エ.平成 8 年(1996)
答え
ウ
(83)世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産のうち、最も南に位置するのはどれか。
ア.元興寺
イ.唐招提寺
ウ.平城宮跡
エ.薬師寺
答え
エ
(84)世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれる大峯奥駈道を開いたとされるのは誰か。
ア.行基
イ.役行者
ウ.良弁
エ.覚如
答え
イ
(85)平成 21 年(2009)にユネスコの「無形文化遺産」に登録された伝統芸能はどれか。
ア.奈良市の題目立
イ.天理市の紅幣踊り
ウ.吉野町の国栖奏
エ.十津川村の大踊り
答え
ア
(86)「重要伝統的建造物群保存地区」は、令和 2 年(2020)1 月現在、奈良県内に何ヶ所あるか。
ア.1 ヶ所
イ.2 ヶ所
ウ.3 ヶ所
エ.4 ヶ所
答え
ウ
重要伝統的建造物群保存地区
橿原市今井町 寺内町・在郷町 平5.12.8
五條市五條新町 商家町 平22.12.24
宇陀市松山 商家町 平18.7.5
(87)平成 23 年(2011)に国の重要文化的景観に指定された地域はどれか。
ア.奥飛鳥
イ.福貴畑
ウ.榛原
エ.賀名生
答え
ア
(88)慶長 12 年(1607)の棟札によって建築年代が明らかな民家では日本最古とされる五條市の住宅は どれか。
ア.藤岡家住宅
イ.細川家住宅
ウ.今西家住宅
エ.栗山家住宅
答え
エ
(89)毎年2月に開催される奈良公園周辺をLED等のあかりで演出する催しはどれか。
ア.なら燈花会
イ.花灯火
ウ.花灯路
エ.なら瑠璃絵
答え
エ
(90)近鉄生駒ケーブル宝山寺線の車両につけられた愛称はどれか。
ア.はるかぜ・すずかぜ
イ.ブル・ミケ
ウ.ドレミ・スイート
エ.かえで・さくら
答え
イ
By やまと まほろば通信
2020年06月03日
奈良通2級 第14回 10
2-14- X.
特集問題 長谷・室生に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。
(91)かつて長谷寺への参詣者や伊勢街道の旅人などがお土産とし、現在、奈良県伝統的工芸品に指定されているのはどれか。
ア.奈良団扇
イ.出雲人形
ウ.笠間藍染
エ.鹿角細工
答え
イ
出雲人形:
素朴な素焼の土人形で、奈良県指定伝統的工芸品。 出雲出身の相撲の始祖、野見宿禰(のみのすくね)にちなんだ「力士」や かわいらしい「座り犬」、めでたい「三番叟」「俵牛」などの人形が、 赤・青・黄などの原色のはっきりした彩色で表現されているものが多い。
(92)長谷寺の修二会結願の法要で、本堂の周りを鬼が駆け回るのはどれか。
ア.だったん
イ.おんだ
ウ.だだおし
エ.れんぞ
答え
ウ
だだおし法要:
修二会(しゅにえ)の最終日に行われる鬼追いの儀式。開山徳道上人が閻魔大王より授かったとされる「檀拏印」(だんだいん)を押印し、法力を宿した「牛玉札」(ごおうふだ)の力により大松明を持った赤鬼、青鬼、緑鬼を退散させる行事です。
(93)長谷寺は西国三十三所観音霊場の第何番札所であるか。
ア.第六番
イ.第七番
ウ.第八番
エ.第九番
答え
ウ
(94)長谷は「泊瀬」などとも書かれるが、これにかかる言葉としてよく知られるのはどれか。
ア.こもりくの
イ.とぶとりの
ウ.かぎろひの
エ.あをによし
答え
ア
(95)長谷寺は「花の寺」としてもよく知られるが、中でも約 7000 株におよぶのはどれか。
ア.アジサイ
イ.ツツジ
ウ.フジ
エ.ボタン
答え
エ
(96)室生寺の境内に約 3000 株が植えられ、この寺を花の名所として有名にしているのはどれか。
ア.ボタン
イ.コスモス
ウ.シャクナゲ
エ.ユキヤナギ
答え
ウ
(97)室生寺は「女人高野」として知られているが、そのきっかけをつくったといわれる女性は誰か。
ア.桂昌院
イ.春日局
ウ.東福門院和子
エ.実成院
答え
ア
(98)古来、室生寺と関係が深く、祈雨や止雨の祭祀が行われた、室生川に臨む神社はどれか。
ア.御井神社
イ.海神社
ウ.白山神社
エ.龍穴神社
答え
エ
(99)室生寺金堂の中央にまつられる国宝木造釈迦如来立像は、近世までどの如来とされてきたか。
ア.大日如来
イ.薬師如来
ウ.阿弥陀如来
エ.弥勒如来
答え
イ
(100)手に錫杖を持つ独特な姿をした長谷寺の本尊はどれか。
ア.十一面観音
イ.地蔵菩薩
ウ.文殊菩薩
エ.千手観音
答え
ア
By やまと まほろば通信
2020年05月23日
奈良の神社建築
一般的に本殿建築は、比較的小規模な切妻造の建物で、土台を置き、円柱を立て、植物性材料で屋根を葺き、板壁となっています。奈良県内の本殿建築は春日造が圧倒的に多く、全国的に最も多い流造(ながれづくり)はそれほど多くありません。
春日造
春日造は切妻作り、妻入りの社殿の正面に階隠(はしかくし)をつけた形式で、奈良県を中心に近畿一円に分布しています。
現春日大社本社本殿は文久三年(1863年)に造り替えられたものですが、春日造の古式な形式であると考えられ、その成立は鎌倉時代以前であることは確実で、春日大社が創始された奈良時代には成立していたとも考えられています。
春日造は軒廻り、組物、縁廻り、木階(もっかい)の有無等で異なる形式がみられます。現存する最古の春日造本殿は鎌倉時代初期に建立された円成寺春日堂・白山堂で、春日大社本社本殿とは組物や軒廻りの形式とは違ってます。奈良県に春日造の本殿が多いことは、中世末まで県内の各地に春日社興福寺領が多く、その影響を受けたものといえます。中世から近世にかけて春日大社の本殿はほぼ二十年毎に建て替えられ、旧社殿は春日社縁(ゆかり)の地へ譲渡され移築されています。
春日移しの本殿として、崇道天皇(早良親王)社本殿、長尾神社本殿、夜支布山口(やぎゅうやまぐち)神社摂社立磐神社本殿、比売久波(ひめくわ)神社本殿、龍穴神社本殿等が挙げられます。
流造
流造は切妻造、平入りの建物正面に庇を付けた形式で、一間社、三間社、五間社といった奇数間社があります。手向山八幡宮境内社住吉神社本殿は鎌倉時代後期に建立され、県内流造本殿としては最も古く、天文12年(1543)に建立された高鴨神社本殿は正面庇中央に唐破風を付けた形式で、県内では数少ない装飾性豊かな本殿建築です。
本殿は一神一社殿が基本で、複数の祭神を祀る場合は、春日大社本社本殿のように社殿を並列に並べるか、または添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社本殿のように一間社流造の社殿を横に連結する手法が取られます。
中には吉野水分(よしのみくまり)神社本殿のように春日造と流造が連結した連棟形式が見られます。
拝殿の遺構として県内で最も古いのは、鎌倉時代前期に建立された石上神宮拝殿で、入母屋造、檜皮葺で規模の大きい建物です。入母屋造の拝殿としては談山神社拝殿があり、切妻造の大神神社拝殿とともに江戸時代の建立で、大神神社拝殿は正面中央に唐破風を付け、建物の中心性を高めています。
正安二年(1300年)に建立された石上神社摂社出雲武雄神社拝殿は、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった内山永久寺の鎮守であった住吉神社拝殿で、大正三年(1914年)に現在地へ移築された。この拝殿は切妻造で、建物中央に馬道(めどう)を設けた割拝殿で、簡素で繊細な意匠を有しています。
神社には本殿・拝殿以外に、祭礼に必要な諸施設が建てられています。春日大社には毎年三月に行われる春日祭にお供えをする御酒を造る酒殿、神饌(しんせん)を調理する竈殿(へついどの)、勅使が着到の儀を行う着到殿、勅使の牛車を格納する車舎(くるまやどり)などがみられる。
また、社殿を朱で塗装すること、春日大社南門や中門が楼閣形式であること、神域を廻廊で囲むことは、仏教建築の影響である。
By やまと まほろば通信
古の 事は知らぬを 我見ても 久しくなりぬ 天の香具山
久しくなりぬ 天の香具山」
(作者 未詳 巻7- 1096 )
いにしえのことは知らないけれど、私が見はじめてからでも、ずいぶん永い時が経ったことだ、天香具山は・・
香具山:
平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。
標高152.4m。
万葉集では「天香具山」と詠われて、山というよりは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。
山塊は、閃緑岩や斑レイ岩などの堅い岩石で構成されているため浸食の度合いが低かったようです。
大和三山の中で、最も神聖視されています。「天の」を冠するのは、天から降り来た山と言われていますが、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆえに、あがめられたものだとも思われています。
山中には南に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、北に天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)、さらに国常立神社(くにのとこたちじんじゃ)があり、それらが一種の霊気のようなものを発散させています。
By やまと まほろば通信
2020年05月17日
奈良の寺院建築
仏教が公伝された552年から大陸との交流を通じて建築技術が徐々に伝わってきました。日本古来の建築については、地中に埋めて立てる掘立柱に桁、梁を取り付け、軒反りのない直線的な屋根は茅、板、杉皮や檜皮などの植物性材料を用いて葺いていたと考えられ、遺跡の発掘調査によって少しずつ究明されてきましたが、その全容は、まだはっきりとわかっていません。百済の工人によって伝わった朝鮮半島の建築技術は、基壇を築き、礎石を据え、柱を立て、軒反り、屋垂みのある屋根は瓦で葺かれていました。
【 伽藍配置 】飛鳥寺式
明日香村にある飛鳥寺は六世紀末に建てられた本格的な仏教寺院で、仏舎利を納める塔を中央に建て、金堂は塔を囲むように東側、西側、北側の三方に配しています。七世紀後半までに創立された寺院では塔が最も重要な要素でしたが、現在これらの寺院は遺跡として知られるだけです。その後、塔と金堂は並列配置で伽藍内に配されるようになります。その遺構としては、法隆寺西院の金堂と五重塔があります。
【 伽藍配置 】法隆寺式
法隆寺西院の金堂、五重塔、中門、廻廊は飛鳥様式といわれる建築様式で建てられています。柱には胴張り(エンタシス)が見られ、軒の組物は複雑な曲線をもつ特異な形を示す雲斗(くもと)・雲肘木(くもひじき)が用いられ、軒は一軒となっています。
法隆寺金堂(飛鳥様式)
大斗の上の雲型斗栱(雲斗+雲肘木)が代表的な特徴。柱のふくらみはエンタシスと呼ばれる。
このような飛鳥様式の古建築は斑鳩の法隆寺と法起寺にしか見られません。
■
薬師寺(これは西塔)白鳳様式
唐招提寺金堂 天平様式
奈良時代になると薬師寺東塔や唐招提寺金堂のような白鳳様式や天平様式(唐様)の建物が建てられます。柱の胴張りは徐々になくなり、組物は明快な形の斗と肘木の組み合わせで構成され、軒は断面円形の地垂木(じだるき)と角形の飛檐垂木(ひえんだるぎ)で造られた二軒となり、意匠はもちろん基本的な構造は飛鳥様式とは異なっています。
薬師寺東塔(古式な三手先斗栱)
深い軒を支えるため、尾垂木を受ける肘木が増え、そのせり出しが三つのものが三手先。奈良時代から用いられた。
【 建築の構造 】
このような建築様式の違いは、飛鳥時代の建築は朝鮮半島から技術が伝わり、奈良時代の建築技術は遣唐使を通じて直接唐から伝わったことによるといわれていますが、何れにしても源流は中国から伝わり発達したものであるといわれています。
飛鳥時代や奈良時代の建築には高床がなく、土間が一般的でした。(但し、東大寺法華堂正堂や住宅遺構である法隆寺東院伝法堂には板床があり特異な例です。)柱は太く、軒桁は断面円形で、虹梁(こうりょう)と呼ばれる梁は伸びやかな曲線をしめしています。金堂は仏堂の安置空間として建てられ、礼拝は堂外や礼堂から行われていたとされています。唐招提寺金堂や元禄宝永に再建された東大寺金堂などは南側に礼拝空間としての広い前庭が広がり、廻廊で囲まれています。
東大寺法華堂は法隆寺食堂(じきどう)及び細殿(ほそどの)のような双堂形式の礼堂が南側に軒を接して建てられていましたが、鎌倉時代に礼堂を建て替え、正堂と一体化されました。
■
奈良時代後期から平安時代にかけて建築技術は我が国の中で独自の発達を示し、仏堂は仏だけの空間から仏と人間が共存する空間へと変化し、日本の風土・気候・習慣などと融合した建物が造られるようになります。いわゆる建築の国風化です。基壇の代わりに亀腹(かめばら)が築かれ、土間から高床形式へ、そして建物の周囲には縁が廻り、建具も蔀戸(しとみど)が多用され住宅的な要素が強くなってきます。平安時代前期の室生寺金堂にその傾向が見られます。
亀腹
蔀戸
正暦元年(990)建立の法隆寺大講堂で初見する野屋根構造は平面計画の自由化を促進し、仏の空間であった堂内に礼拝空間や参籠(さんろう)空間が誕生します。
永暦二年(1161)の當麻寺本堂や鎌倉時代の長弓寺本堂、霊山寺本堂、室町時代の松尾寺本堂、瑞花院(ずいけいん)本堂、不動院本堂は中世仏堂と呼ばれ、堂内は外陣、内陣、脇陣に区画されています。
平安時代末の治承四年(1180)、平重衡(しげひら)による南都焼討ちで東大寺、興福寺の主要建造物は焼失しました。東大寺の復興は俊乗房重源が大勧進となり、中国工人陳和卿(ちんなけい)の協力を得て南宋の建築様式である大仏様で築かれました。その遺構として、東大寺南大門、東大寺開山堂内陣、東大寺法華堂礼堂等があり、重源の跡を継いだ栄西(えいさい)は東大寺鐘楼を再建しました。
■
大仏様建築は太い丸柱を一定の断面を持つ貫で幾段も通して繋ぎ、断面円形の太い虹梁をのせて屋根を支えています。東大寺南大門を内部から見上げれば、大仏様の構造美は直ちに理解できます。重厚な軸部に対して、扉は軽快な桟唐戸(さんからど)で、貫や肘木端部に繰形を施して装飾する。大仏様はこれまで我が国で育まれた建築様式とは異なり、豪快な構造美を全面に出す技法で、繊細な表現を好む日本人にはなかなか受け入れられなかったようです。しかし、貫を使用した堅固な構造、桟唐戸、貫などの端部に施す装飾的な繰形などの技法は、東大寺復興に従事した工匠たちによって、和様建築の中に取り入れられ、南都から畿内へ、そして瀬戸内へ伝わったようです。
東大寺南大門(大仏様)
肘木が六段に積み重ねられた六手先。柱に直接肘木を差し込む挿肘木は、大仏様の代表的な特徴。
元興寺極楽坊本堂
元興寺(がんごうじ)極楽坊本堂、唐招提寺鼓楼(ころう)、長弓寺本堂、霊山寺本堂、薬師寺東院堂といった鎌倉時代を代表する建築には貫、木鼻(きばな)、桟唐戸といった大仏様系の技法が見られ、また後の時代にも大規模建築が建てられるときには大仏様が用いられました。
桟唐戸
興福寺の復興は京下工(きょうげのたくみ)、官行事所工(かんのぎょうじどころのたくみ)、興福寺工が建物を分担して行っています。鎌倉時代に復興された建物で現存するのは北円堂と、三重塔のみです。
興福寺 北円堂
北円堂の再建は興福寺工と官行事所工が協力して行なっています。復興は前代を踏襲した建築様式である和様で行われましたが、構造強化のため見え隠れ部には貫が使用され、大仏様の新技術を取り入れています。
三重塔は建立年代が明確ではありませんが、鎌倉時代前期に再建されています。その外観は北円堂や応永年間に再建された東金堂、五重塔に比べて優雅で繊細であり、平安時代に発達した繊細な和様建築の気風を伝えています。このように興福寺に見られる建築は伝統的な和様を基調としたもので、伝統を重んじる興福寺の気風が感じられます。
東大寺や興福寺の復興は南都の建築界を活気づけ、建築技術の発達を促しました。このことと南都仏教を復活させた西大寺の叡尊(えいそん)を筆頭とする高僧たちの出現によって、南都寺院の建物の再建や修復が活発に行われるようになりました。
■
鎌倉時代における南都の建築で忘れてはならないもう一つの出来事は、僧房の再建と改築です。僧房は僧侶の規律ある集団生活の場で、奈良時代の寺院にはなくてはならない施設でしたが、九世紀に伝来した密教は山岳に拠って任意に子院を構えたり、貴族の子弟が境内に別院を構えたりして僧房の必要性が少なくなり、僧房本来の姿は変わってきました。鎌倉時代には、僧房はその機能が消失し、他の機能をもつ建築に改修、または建て替えられました。
法隆寺東室(ひがしむろ)は奈良時代の僧房の遺構ですが、その南端部を聖徳太子を祀る聖霊院(しょうりょういん)に建て替えています。また、法隆寺三経院(さんぎょういん)及び西室や唐招提寺礼堂は鎌倉時代に僧房に建て替えたもので、元興寺極楽坊本堂や禅室は奈良時代の僧房を改造した遺構です。このように僧房の一部を念仏を講じる建物や、寺院の開山を祀る空間に変化させています。
■
法華寺本堂
法華寺鐘楼
室町時代は先に述べた中世仏堂が建てられ、長い戦乱で荒廃した寺社は、桃山時代に再び復興されはじめます。法華寺本堂・鐘楼・南門は再建され、法隆寺の諸堂は修理されました。これらの復興事業は豊臣秀頼の援助で行われました。
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桃山時代から江戸時代にかけて、社会は安定し、社寺は宗教活動への専念が課せられ、保護されました。このような中で、全国的には徳川幕府や大名の援助で装飾性豊かな建築が建てられましたが、大和国は天領が多く、中世以来の宗教の地であったため、伝統色が強い建築が建てられています。長谷寺本堂、東大寺二月堂、東大寺金堂、興福寺南円堂、西大寺本堂などは代表的な建物で、中世以来の形態を引き継いでいます。
By やまと まほろば通信
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
衣ほすてふ 天の香具山」
(作者 持統天皇『新古今集』夏-175)
春が過ぎて、夏がきたらしい。真っ白な衣が干してある。天の香具山に。
古事記に「阿米能迦具夜麻(あめのかぐやま)」とあって「天」の「アメ」とよみます。「伊予国風土記逸文(いよのくにふどきいつぶん)」に天から降ってきた山という伝説があり、この山だけ「天(あま)の」を冠らせるのは、神聖な山と考えられていたためです。
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