2020年05月23日
奈良の神社建築
一般的に本殿建築は、比較的小規模な切妻造の建物で、土台を置き、円柱を立て、植物性材料で屋根を葺き、板壁となっています。奈良県内の本殿建築は春日造が圧倒的に多く、全国的に最も多い流造(ながれづくり)はそれほど多くありません。
春日造
春日造は切妻作り、妻入りの社殿の正面に階隠(はしかくし)をつけた形式で、奈良県を中心に近畿一円に分布しています。
現春日大社本社本殿は文久三年(1863年)に造り替えられたものですが、春日造の古式な形式であると考えられ、その成立は鎌倉時代以前であることは確実で、春日大社が創始された奈良時代には成立していたとも考えられています。
春日造は軒廻り、組物、縁廻り、木階(もっかい)の有無等で異なる形式がみられます。現存する最古の春日造本殿は鎌倉時代初期に建立された円成寺春日堂・白山堂で、春日大社本社本殿とは組物や軒廻りの形式とは違ってます。奈良県に春日造の本殿が多いことは、中世末まで県内の各地に春日社興福寺領が多く、その影響を受けたものといえます。中世から近世にかけて春日大社の本殿はほぼ二十年毎に建て替えられ、旧社殿は春日社縁(ゆかり)の地へ譲渡され移築されています。
春日移しの本殿として、崇道天皇(早良親王)社本殿、長尾神社本殿、夜支布山口(やぎゅうやまぐち)神社摂社立磐神社本殿、比売久波(ひめくわ)神社本殿、龍穴神社本殿等が挙げられます。
流造
流造は切妻造、平入りの建物正面に庇を付けた形式で、一間社、三間社、五間社といった奇数間社があります。手向山八幡宮境内社住吉神社本殿は鎌倉時代後期に建立され、県内流造本殿としては最も古く、天文12年(1543)に建立された高鴨神社本殿は正面庇中央に唐破風を付けた形式で、県内では数少ない装飾性豊かな本殿建築です。
本殿は一神一社殿が基本で、複数の祭神を祀る場合は、春日大社本社本殿のように社殿を並列に並べるか、または添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社本殿のように一間社流造の社殿を横に連結する手法が取られます。
中には吉野水分(よしのみくまり)神社本殿のように春日造と流造が連結した連棟形式が見られます。
拝殿の遺構として県内で最も古いのは、鎌倉時代前期に建立された石上神宮拝殿で、入母屋造、檜皮葺で規模の大きい建物です。入母屋造の拝殿としては談山神社拝殿があり、切妻造の大神神社拝殿とともに江戸時代の建立で、大神神社拝殿は正面中央に唐破風を付け、建物の中心性を高めています。
正安二年(1300年)に建立された石上神社摂社出雲武雄神社拝殿は、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった内山永久寺の鎮守であった住吉神社拝殿で、大正三年(1914年)に現在地へ移築された。この拝殿は切妻造で、建物中央に馬道(めどう)を設けた割拝殿で、簡素で繊細な意匠を有しています。
神社には本殿・拝殿以外に、祭礼に必要な諸施設が建てられています。春日大社には毎年三月に行われる春日祭にお供えをする御酒を造る酒殿、神饌(しんせん)を調理する竈殿(へついどの)、勅使が着到の儀を行う着到殿、勅使の牛車を格納する車舎(くるまやどり)などがみられる。
また、社殿を朱で塗装すること、春日大社南門や中門が楼閣形式であること、神域を廻廊で囲むことは、仏教建築の影響である。
By やまと まほろば通信
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