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暗渠と城跡27 そこにあったもののなごり [2020/09/08 22:30]
今回は、城跡好きがなぜか暗渠に魅かれる理由(の一つ)をご紹介できればと思い、二つの画像を用意しました。
<護岸の跡>
このコンクリの道はもともと水路でした。道の隅(左手)に残っているのは護岸の跡です。暗渠化工事の際に、構造上の理由から護岸はそのままにして水路が埋められため、こうして跡が残っています。
<見附跡>
川の側面に昔の石垣が残されています。かなり高い位置まで積まれていますね。これは江戸城の城門の跡です。痕跡からして『桝形門』という立派な構造だっ..
用水路の暗渠と雨乞いの石碑(旧浦和市) [2020/09/06 21:48]
今回は川沿いをウォーキング中に見つけた石碑の話です。
<石碑>
これはなんの石碑だろう?
なるほど
ちょっと冒頭を抜粋させて頂きます
『この碑は、かつてこの地域が農業盛んであった時代のもので、水の恵みを預かる様、雨乞い祈願したものと云い伝えられてきました』
雨乞い祈願
の石碑だったのですね
いまではそんな雰囲気は漂いませんが、この付近は江戸時代の半ば頃までは低湿地、その後は水路の整備で沼地の水が抜かれ、水田へと姿を変えました。これに..
暗渠と城跡25 岩槻城大構え最南端の堀跡 [2020/07/28 22:21]
つわものどもが夢の跡
街ごと堀と土塁で囲んだ岩槻城総構え。今回はその最南端の堀跡と高台の話です。
■大構え■おおがまえ
城だけでなく、城下町も含めて外周を堀や土塁で囲んだ構造のことを総構え(そうがまえ)、あるいは総曲輪(そうぐるわ)といいます。小田原が有名ですが、ここ岩槻も同じ。岩槻では大構え(おおがまえ)と呼んでいますが、意味は同じです。現地での表示を見ると『え』は不要で『大構』で良いようです。
<岩槻城の縄張り>
岩槻城址公園で撮影しました。..
世田谷区に2つの城向橋(暗渠と城跡24) 橋跡に漂う城のなごり [2020/07/21 21:55]
今回は橋跡というだけで川のなごりと城のなごりが漂う場所の話です。
まずは
<城向橋>しろむかいばし
世田谷区豪徳寺の烏山川緑道です。緑道沿いには、暗渠化される前の川のなごりとして、複数の橋の名前が残っています。この橋跡もその一つです。
次に
<城向橋>しろむかいばし
こちらは世田谷区自由が丘の九品仏川緑道です。道と交差する地点に「城向橋」の標識があります。この道が川を渡るための橋が架けられていたのでしょうね。これも川のなごりです。
城向橋とは..
暗渠と城跡23 渋谷川と渋谷城 [2020/07/19 20:20]
都内にもあるつわものどもが夢の跡。今回の舞台は渋谷です。こんな若者の街に城跡が?と思われる方が大半かと思います。でも実際に存在していました。遠い昔、中世のことですが。
<渋谷城跡>
渋谷3丁目の金王八幡宮の一帯が渋谷城跡と推定されています。当ブログで二度目の投稿となりますが、今回はもうちょっと渋谷の地形を加味してご案内できればと思っています。
■現地訪問■
最寄り駅はJR渋谷駅。そもそもこの駅自体が『渋谷』という名が示す通り谷にあります。谷には川が流れ、複..
暗渠と城跡22 岩槻城の天然堀のなごり(元荒川の旧流路) [2020/05/31 06:05]
今回は岩槻城の天然堀だった元荒川の話です。
この日は岩槻の総構え(大構え)の更に外側を探索しました。画像は元荒川のかつての流路に位置する暗渠。水の姿はありませんが、この付近には川のなごりが漂います。
■暗渠■あんきょ
まずこの見慣れない文字を説明します。そのまま「あんきょ」と読みます。「地下に埋設された川や水路」という意味に受け取って下さい。蓋をされて人目につかなくなった水の流れ。まぁそんな感じです。
■総構え■そうがまえ
これは城の防衛施設の構造を..
川のなごりに降るなごり雪 [2020/03/29 23:37]
3月29日に雪?さいたま市としては珍しい天気となった日曜日、花見も兼ねて、以前から気にしている川跡を訪ねました。
ただの道のようですが、これは暗渠(あんきょ)です。地下に埋設された川や水路という意味に受け取って下さい。道の下ではいまも水が流れ続けています。
奥へ進むと行き止まり。そこから先は川になっています。その手前に水門があります。地下を流れる水は、水門が設けられた出口から川へと流れ出ます。
こちらが合流先の鴻沼川です。先ほど暗渠はいわば鴻沼川..
暗渠パラダイス! お勧め暗渠本のご紹介 [2020/03/20 21:57]
今回は本のご紹介です。その名も『暗渠パラダイス!』。以前当ブログでもご紹介した『暗渠マニアック!』の著者である山英男さんと吉村生(なま)さんのコンビによる暗渠本第2弾。お二人は暗渠マニアックスとして各種イベントを開催したり雑誌等で活躍中で、各々が人気暗渠ブロガーでもあります。私はもともとその暗渠ブログのファンでした。
■そもそも暗渠とは■
城跡ブログでありながら、当ブログにたびたび登場する『暗渠』の文字。まずこれは『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川や..
遠ざかる川の記憶 地図から消えた水のなごり [2020/03/15 21:01]
完成間際の浦和の舗道にて
もう魚が泳いでいた事なんて忘れ去られるのでしょうね
この道はいわゆる暗渠。『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川や水路のことですね。6年前(2014年)、たまたまこの区画の暗渠工事を目撃してしまい、それ以降ときどき訪れて撮影を続けてきました。
のどかな流れにボックスカルバートがはめ込まれ、埋められ、舗装されるまで。もうすぐ工事が終了するようなので、本日の撮影で定点観測も終わりにします。
<最初の発見>2014年
この..
街に出る 街を歩く 街に気づく [2019/12/30 22:32]
<とある小路>
この道は暗渠かな?
港区内を探索中に足を止めた瞬間です。
当ブログは城跡巡りをメインテーマとしていますが、街歩きのような内容も時々投稿させてもらっています。最近でこそ立派な城も訪問していますが、当初は廃城を訪ねてその痕跡を探すことを趣味としていました。そういう意味では、都市に埋もれて見向きもされないものに気付く街歩きは、ちょっと楽しみ方が似ています。
今年(2019年)の訪問記のなかのいくつかを下記にご紹介させて頂きます。都内及び簡単に..
浦和暗渠散歩 天王川を下る [2019/11/20 23:36]
秋晴れの穏やかな日曜日
浦和の天王川のなごりを感じに行きました。
<天王川>てんのうがわ
まぁ道ですが、いわゆる『暗渠』です。天王川の暗渠です。地下に埋設されているものの、今でも周辺の水を集めながら流れ続けています。水路のようにも映りますが、もともとあった自然の川。浦和区の針ヶ谷から始まり、長年かけて細長い谷を刻んできました。そもそもこの谷の形が『針ヶ谷』という地名の由来ではないかと考えられています。
さて
城跡巡りもこういった街探索も、普段は独りです。..
火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり [2019/11/04 17:40]
かつての大宮宿南方にあったとされる刑場跡を訪ねました。
<火の玉不動>
さいたま新都心駅近くの『火の玉不動』です。左の道路は中山道です。
江戸の刑場跡を訪問する際はかなり躊躇しましたが、今回の訪問は大宮の『涙橋跡』を目にした時に既に決めていました。縁起の良い場所とは言い難いものの、人が訪れ手を合わせ、何かを感じる方が、忘れさられるより良いように思えるからです。
<火の玉不動とお女郎地蔵>
祠には火の玉不動とお女郎地蔵が祀られています。左側が 火の..
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