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岡崎城のなごり [2020/12/29 21:50]
つわものどもが夢の跡 徳川家康『始まりの城』を訪ねました <岡崎城> 復元された岡崎城の天守閣 ■龍頭山の砦■りゅうとうざん 15世紀半ば、龍頭山と呼ばれる山に守護代が砦を築いたことが城の始まりと考えられています。この拠点は後に地元三河の豪族である松平氏の支配するところとなり、分家内の争いを経て、徳川家康の祖父・松平清康の城となりました。河岸段丘の先端に位置する砦は、このときに本格的な城へと改修されたようです。 <龍城神社>たつきじんじゃ 城..
岡崎城の堀のなごり(伊賀川) [2020/12/29 20:27]
今回は堀だった川の話です。舞台は『徳川家康生誕の城』として知られる岡崎城。現在は岡崎公園として整備されています。天守閣や堀跡などを見学したあと、公園西側の川沿いをのんびり歩いていたら、こんな光景と出会いました。 <川沿いの石垣> あんなところにも石垣かぁ <伊賀川> 川沿いです。この川を天然の堀として利用していたのだろう 急に決めた訪問であまり予習していなかったので、最初はそう思いました。しかし設置された説明板を見て、ここがかなり重要な場所である..
岡崎公園(岡崎城跡)の本多平八郎忠勝像 [2020/12/22 22:15]
<本多忠勝像>ほんだ ただかつ 岡崎公園内の本多忠勝像です。通称は平八郎。徳川四天王のひとりです。鹿角兜と甲冑を身にまとい、長い槍を携えています。 本多平八郎忠勝はここ岡崎の生まれ。幼い頃から家康に仕え、幾多の戦場で巧を立て、家康にとってなくてはならない存在となりました。 <蜻蛉切>どんぼぎり 忠勝が所持するこの槍は蜻蛉切と呼ばれています。穂先に止まったトンボが真っ二つになったという逸話がその名の由来。これを振り回す本多忠勝は、初陣から大小57回の戦に..
岡崎公園(岡崎城跡)の徳川家康しかみ像 [2020/12/13 21:49]
本日放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(第36回「訣別」)では、上洛途上にある甲斐の武田信玄が、浜松の徳川家康に攻めかかっている様子が充分すぎるほど伝わってきました。が、家康は登場せず!戦況の報告のみ!残念です!この時の武田信玄対徳川家康の戦い(三方ヶ原の戦い)は、武田軍が約2万7千に対し徳川軍は約7千。織田信長からの援軍3千を含めても徳川方は約1万でした。数で勝る武田軍ですが、家康の居城・浜松城への城攻めは行わず、三方原の台地へおびき出してから野戦で完膚なきまでに徳川・織..
東照公産湯の井戸(岡崎城跡) [2020/12/12 22:50]
徳川家康生誕の城として知られる岡崎城跡にて、こんな光景と出会いました。 <東照公産湯の井戸> <説明板> 東照公つまり徳川家康が誕生した時、こちらの井戸で汲んだ水を産湯として使用したということですね。場所は岡崎公園の西側。伊賀川沿いの低いところにあります。 <井戸の水> 産湯の井戸は柵で囲まれたうえに閉じられていますが、こちらの水場で井戸から汲み上げた水に触れることができます。開運スポットとしても人気です。のちに大出世して天下泰平の世を築く人物で..
徳川家康像(岡崎市)未来に挑む家康の雄姿 [2020/12/09 05:09]
今回は勇ましく若々しい徳川家康像のご紹介です。 伊達政宗並みの迫力!こちらは名鉄東岡崎駅近く。商業施設へ通じるデッキ上に設置されています。お披露目は2019年11月ということで、まだ新しいのですね。徳川家康の一般的なイメージとは異なり、かなりスマートで格好いい。 大きいです。なんでも日本最大級とのこと 25歳当時の姿をイメージしているそうです。丁度松平から徳川に改称した時期。若武者像です。 浜松へ移る前はここ岡崎が家康の本拠地でした。それに相応..
若き家康が生涯の教えを得た大樹寺(岡崎市)松平家菩提寺 [2020/12/06 23:30]
今回の訪問は三河松平家の菩提寺として知られるお寺です。 ■大樹寺■だいじゅじ <山門> 愛知県岡崎市の大樹寺です。さすがに凄いですね。徳川家康生誕地の地である岡崎城から北へ約3km。松平家4代当主の親忠(ちかただ)が、戦死者供養のため創建(1475年)したことに始まります。この重みのある山門は、三代将軍の家光が家康の十七回忌を機に建立したと伝わります。 <低地から撮影> 私は愛知環状鉄道の大門駅から徒歩で現地へ向かいました。柿田川に架かる橋の手前から..
石川数正が岡崎三郎信康を祀った神社(岡崎市)若宮八幡神社 [2020/12/01 21:55]
若くして亡くなった徳川家康の長男・信康ゆかりの地を訪ねました。 囲いの中には信康の首塚があります。 ここは愛知県岡崎市。信康が祀られた若宮八幡神社です。 ■家康長男の切腹■ 1579年、岡崎城主となっていた信康は、織田信長より武田内通の疑いをかけられ、切腹させられることになりました。まだ21歳です。家康の長男であり、信長の娘を嫁とし、将来を嘱望された武将だったはずなのですが・・・ この背景については諸説あります。専門の方々の研究結果ですので、それ..
荒子城のなごり 前田利家・慶次 傾奇者ゆかりの城 [2020/02/02 21:27]
つわものどもが夢の跡 今回は誰もが知っている戦国武将が、若き日を過ごした城跡の話です。 <前田利家卿御誕生之遺址> こちらは前田利家生誕地を示す巨大な石碑です。ここは名古屋市中川区。前田利家が生まれた場所といわれています。 ■荒子城■ あらこじょう 加賀百万石で知られる前田家も、もともとは尾張の地元豪族。今回の訪問地は、そんな時代に築かれた前田家の居城跡です。築城者は前田利昌(利春)。前田利家の父です。織田家に仕えて荒子の地を与えられ、城を築きました(154..
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