2020年04月18日
あをによし 寧楽の家には 万代に 我も通はむ 忘ると思ふな
奈良は、元明天皇の和銅三年(710)三月十日、藤原京から遷都して以来、一時、聖武天皇の天平十二年から十七年にかけて、恭仁・難波・紫香楽への造京遷都のことがあったものの、桓武天皇の延暦三年(784)十一月までの、八代七十四年の間帝都の営まれた地である。
「万葉集」の最終歌は、天平宝字三年(759)正月元日の因幡国庁での大伴家持の宴歌(巻第二十、四五一六番であるから、万葉の時代に限っても四十九年間の長きにわたっており、それゆえ
奈良市だけでも延べ約二百五十におよぶ万葉地名が数えられ、県下の全万葉地名数の四分の一を越える。
「奈良」という語のある歌は五十一首。地名としての「なら」の語源は、「ならす(平らにする意)」の「なら」と考えられ、平坦な地の意である。そこに造営された都城であるから「平城京」と記した。「万葉集」では、「なら」は「奈良」「寧楽」「名良」のように二字の好字で記すほか、「平」「楢」と一字で記されもしている。「或本、藤原京より寧楽宮に遷る時の歌」と題する作者未詳歌の長歌の反歌には、いつまでも通いたい素晴らしい地として
「あをによし 寧楽の家には 万代に
我も通はむ 忘ると思ふな」
(作者 不明)(@八〇)
(あをによし)奈良の家には、いついつまでも変わらずに、私も通いましょう。忘れたと思ってくださるな。
藤原の京から奈良の平城京に遷都するとき(元明天皇 和銅三年(710))に詠まれた一首。
「あおによし」は奈良の枕詞。アヲニは顔料になる「岩緑青」のこと。ヨシは讃めことば。奈良の一部でアヲニを産出したのでいうとされている。
By やまと まほろば通信
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