2021年08月22日
竹之内街道【日本武尊陵(埴生野の丘)】
埴生野(はびきの)の丘(羽曳野市)を下って東へ進むと、竹之内街道の右手に白鳥陵がある。伝説の日本武尊陵である。
地図の中央を東西に走っているのが白鳥通り(竹之内街道)である。
西へ行くと難波津へ東へ行くと奈良へ通じる
近くには、竹之内街道を越えて北方へ少しのぼると、応神天皇陵がある。
日本武尊は、景行天皇の皇子で、西は熊襲を討ち、東は蝦夷を平らげた武将として名高い皇子である。
11垂仁天皇 ┳12景行天皇┳ 日本武尊 ━14仲哀天皇━15応神天皇
┗倭姫命 ┗13 成務天皇
しかし、白鳥陵は他にもある。日本武尊は東国を討っての帰り、伊勢国の能褒野(のぼの)で亡くなり、その地に葬られた。ところが白鳥と化して陵より出でて、大和を指して飛んでいった。そこで棺を開いてみると、衣だけが残って屍がなかった。使者に白鳥を追わしたところ、大和の琴弾原とこの古市に留まった。その三ヶ所に白鳥陵が造られたという。
これは白鳥伝説と呼ばれるもので、実際には允恭天皇の皇子の軽皇子の陵であるという説もある。
日本武尊白鳥陵(御所市HP)
白鳥陵古墳(羽曳野市HP)より
By やまと まほろば通信
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10922898
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。