2021年02月20日
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
吉野郡吉野町吉野山
祭神:天之水分神(あめのみくまりのかみ)(主祭神)
『延喜式神名帳』には大社に列し、四時祭式には祈年祭に奉幣物へ馬一匹を加えられ、臨時祭式では祈雨祭神八十五座に「吉野水分社一座」として記されている。葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されている。
また、『続日本紀』には文武天二年(698)四月二十九日に雨を祈るため馬を奉ったと記されている。求め水分神社跡と伝えられる場所から拝む山は神体山特有の円錐形の山で、東へ音無川、西に秋野川、南へに丹生川、北へ象川(きさがわ)(喜佐川)と流れる四水流の分水嶺として水分神の鎮座地にふさわしい地形である。
本殿は高い石段の上に建立され中央春日造の主殿に左右流造の三殿が一棟につながる特有の造りで、桃山時代の特色をもつ重要文化財。
彫刻では、木造玉依姫命坐像(建長3年)(1251)鎌倉時代の作がある。像高82.4cm。檜の寄木造、玉眼。女房装束をまとい、頬にはえくぼを表し、口を僅かに開き上歯にはお歯黒を塗る。その高貴な女官姿は、神像というより絵巻物の女性か、実在の人物を彫刻に再現したかと思わせる。日本の神像彫刻には素朴な作風のものが多い中で、本作品は玉眼(眼の部分に水晶を嵌め込む技法)を採用した本格的な彫刻である。像内の銘文により、建長3年(1251年)に宣陽門院が大旦那となって造像されたことがわかる。長く秘蔵されたため、保存状態は非常に良い。本殿の右殿(向かって左)に安置される。神社の神体であるため、一般には公開されず、展覧会等に出品された記録もない。
By やまと まほろば通信
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