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小2に日本を託す

 昨日は暗い話だったので今日は子供の話。
特に幼い子を眺めていると明るくなる。

 機械式駐車場の取り扱い説明の仕事中の出来事。
小2の男の子を連れた両親が訪れた。
その男児は最初から機械に興味深々でチョコチョコと覗いたり触ったりする。
「僕、賢そうだね。機械に触れるのは運転免許を持ってる人だけだよ」と言っても。
すぐに機械に近づきたがる。
そこで前置きが終わり、機械が動き出した時に「おっちゃんが見てる今日だけは傍に寄って見てもいいよ」と言ってやると、喜んですぐそばまで寄って来た。
すると機械がいきなり停止。
子供は勿論、親も驚く。
事故が増えたので最近の機械には安全装置を取り付ける様になったのだ。
「ほら!僕が止めたのだよ!」と言うと、困った顔をした。
「人が操作してる時にそばに寄ると、止まる様になってるのだよ」
「その時の操作説明をいたします。」と説明を続けると、安心と同時にまたまた興味津々の様子。
車止めの前に片側だけ直径2p足らずの鉄棒が溶接してある(平面駐車場にはない)。
地震の時に車が前にずれにくくする為、と説明すると「片方だと車がぐるっと回っちゃうよ…」と子供が大きく叫ぶ。
本当に機械の好きな子供だ。大人の説明を一生懸命聞いているのだ。
するといきなり「そんなバカな事 言わないの」と母親の声。
すかさず私は「僕は凄い事に気が付くね。これを作っている人に言っておくよ」と言うと、得意顔になった。
「なんでも興味を示すことは素晴らしい」と言うと、「私は何時もすぐにダメ出ししてしまう」と母親。「それはダメですね!」と思わず声になる。すぐにしまった・・言い過ぎたか、と一瞬緊張。しかしニコニコ笑いながら「気を付けなければ」と小声が帰って来た。
 終了時に「僕はえらい、これからの日本を頼むよ」と言ってやると大きくうなずいた。両親も「有難うございます」と笑顔を返したきた。
勿論、機械に絶対近寄らぬ事を男児と約束した。

南京事件

 読むと気分が悪くなる本を紹介します。
岩波書店から出されている「南京事件」。著者は笠原十九司。
本の書き方が下手な訳ではない、内容も真実の様だ。
それなればこそ、読めば読むほど情けなくなる。
本当に日本人は醜(みにく)い国民であったのだろうか。
いや過去形でなく今もそうだろうか。
現在に至るも、それを認める教科書に反対するなど反省の声は小さい。
醜い上に狡(ずる)いのだろうか。

 大戦に負け悲惨さを経験し、男女平等が当時よりは進んだ現代の若者は違うと思う。
(女性の人権を無視していたのもこの事件を大きくしている)
原爆を2発も落とした国を、好きな国の筆頭に挙げるくらい大らかなのだから。
「南京事件」での惨たらしい事実を知らないので反省も無いのだと思う。
やられた方は大げさに言ってるのも事実だが、この本では犠牲者は10万〜20万人と述べている。仮にこれの1/10としても大変な事件である。

 一度読んでみては如何でしょう、寝つきが悪くなるのは覚悟のうえで。
平和で大らかな時代が終わらぬように祈ります。

給付金

 先月、茨木市より「臨時福祉給付金の申請書」なるものが送られてきた。
消費税引上げによる影響を緩和するため、低所得者に6000円支給される様だ。
我ら年寄りは低所得者に違いないが、財源不足の折に何で?と言う気持ちが湧く。
それでも今日、市役所に手続きのやり方を聞きに出向いた。
特設会場に3人の係員、親切に指導された。
対象は妻だけであるが、もらう事にした。
でも後ろめたさを感じる。別にインチキしてる訳ではない。
若者の就職難、格差や子育て問題を思うと…。

 今読んでいる米国人のジョン・ダワーが著した「敗北を抱きしめて」に記された人と比べ寂しくなる。
戦争に引込み、終戦を遅らせた最大の責任者である天皇を「アナタ」と呼んだ彼は、戦艦武蔵の生き残りである。生粋の海軍さんである。その彼が、天皇制に裏切られそれまでの「アナタ」との関係を絶つため、帝国海軍から受けた報酬のすべてを明細に記し返済したのだ。
現物支給分も含め合計金額4281円054銭となった。手紙と共に4282円を同封し「私は、これでアナタにはなんの借りもありません」と結んだのである。
(終戦後まだ日本が占領されている時代の話である今の金にすると小さな金額ではない)
天皇制に反対した事に感激したのではない、筋が通らぬ事は嫌だという気概に打たれたのだ。私にはとても出来ぬと思うと悲しくなる。

 妻は「6000円もらえるの」と喜んでいる、いささかの慰めになろうか…。

しっかりしたお嬢ちゃん

 バイトで新築マンションの内覧会で機械式駐車場の操作説明をやっている。
昨日の事だが、お父さんとお母さんに連れられた娘とお婆さんの四人連れが訪れた。
カーシェアリング用の車の説明をお父さん一人が聞いている。マンション専用のレンタカーである。しかも電気自動車であるから充電装置付きで珍しい。
(私も話しには聞いていたが初めて)
 離れた所で娘と母親、お婆さんが待っている。
娘はお父さんと一緒に聞きたそうだが、「そちらで待ってろ」と言われたのだ。
おとなしくしているので「感心だね、何年生?」と尋ねると、お婆さんが「まだ入学してません」。母親が「年中さんです」との返事が返ってきた。
 次に自転車置き場の説明に行く時、お父さんが手招きで呼んだ。
喜んで娘が駆け寄ろうとすると、「お前はそっちにいなさい」と言い、
母親だけが呼ばれた。
「お父さんまだ?」と言いながらも、おとなしくお婆さんとお話している。
次に機械式駐車場、入口のロボットゲート(チェンゲートとも言う)と続くが、
やはり娘は呼んでもらえない。それでもゴネルことなく辛抱強く待っている。
 8年程この仕事をやっているが、初めて見る光景である。
幼稚園児や小学生は機械に触ったり、操作スイッチや操作用のタッチパネルを触りに来る子が多い。それを止めない親が半数位で、大概私が止める羽目になる。

 説明を聞き終えた父親と手をつなぎ、帰りがけるその子の姿が見えたので「しっかりしたお嬢ちゃん」と声をかけると、嬉しそうにバイバイしてくれた。
その子は勿論、親の躾に感激である。日本もまだまだ大丈夫か…。

財布でタッチ

 「ICOCA」を持ち始めて5年余りにはなる。
改札を通過する時、カード入れにカードを入れたままタッチしている人を見る。
便利そうだと分かっているが、いちいちカードを取り出していた。
私は小銭や回数券を入れている革製の小銭入れにカードを入れている為、無理だろうと思ったからだ。
「ピンポン」となるとちょっと…。でもやりたい。
そんな事で、昼間の乗降客の少ない時に勇気を出して試してみた。
見事通過に成功! すごいと思った。
何故って、カードとタッチパネルの間には、厚めの牛革、硬貨(その時は百円玉3枚、50円が2枚、十円4枚、五円と一円が2枚)それから又牛革がある。それでもちゃんと反応した事に感激。
昨日、寄席の帰りに友人に教えると早速やっていた。当然OKで喜んでいた。

 私の小銭入れは小3の孫と色違いの同型である、あっ…これは関係ないか。
でもどちらも「嬉しい」の共通項で… 幸せな日々に感謝。

すっきり気分

 先週治療してもらった虫歯の金属製の被せが今日やっと完成。
左奥歯の下2本、九州は博多で現役時代に抜歯。
2本一度に抜き、暫く気分が悪くなったのを覚えている。
博多の歯科医が荒いのか時代がそうだったのか、歯は簡単に抜くものではないと、周りからさんざん言われた。
その後に大阪、北海道、三原と歯なしで転勤。
やっと大阪に帰って来て、現在の歯医者の世話になる。
当然、歯痛が原因で付合いが始まったのである。
治療が終了後「奥歯を抜いたままではだめですよ。
抜いた隣の健全な歯が、ない方に寄ってくるし、上の歯も下がって来ます」との事。
インプラントと言うあごの骨に取り付ける方法、2種類の入歯方式の説明を受ける。
どれが良いか?と言われても、経験が有る訳でなし、判らぬと応える。
それではと、現在の部分入歯を勧められる。骨に穴をあけるのはちょっと怖いし、入歯を試してダメなら、それからでも…とのアドバイスに納得。
 2本分が一体となった部分入歯、これが優れもので大いに気に入っている。
肉でも魚でも、あるいは入り豆やピーナツでも、又ガムや餅でもすべてOKである。
部分入歯は手前の歯2本によって支えられる構造になっている。
装着時に小さくパチンと鳴る、今では安心につながる快音となっている。

 前置きが長くなったが、その支え2本の内1本が今回、定期健診で虫歯が発見された。
その治療で削った加減か、入歯装着音のパチンはならず、物を噛む前から歯茎が痛む。
痛むので外していたので、どこが当たっていたのか解らぬし健全な歯がいがむと指導される。
色々言いながらも流石は名医、数度のかみ合わせですっかりもとに戻る(パチン音は少し小さく鈍い音になったが)
でも痛みはさらりと消え快調、気分も最高。
歯の痛みは耐えられぬ程ではないが、食欲にも大いに影響を与えていた。
やはり健康が第一だ…今晩は一段と晩酌が旨いだろう。

続 京街道

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 昨日は京街道を京都に向かうためバスで枚方に向かう。
背中に「送球部」と漢字で書かれたユニホームを着た高校生十人程と同乗。
はて?「送球部」???何のクラブだったろうか。
たぶんハンドボールかな‥と考えながら、車窓を楽しんでいると終着駅の
枚方市に到着。彼ら彼女らも皆下車、市役所広場に向かう。
私らも街道歩きの前に菊花展を楽しもう…と、後ろをついていく。
さすが菊が市の花である枚方市、力が入っている。
市民あげての参加で盛り上げている。
ところが前を行く連中は会話に夢中で、花には目もくれず去っていく。
背中のクラブ名は和風だが、風流に欠けるなあ〜。
いやいや私が歳を取ったのだろう。
自分も若い頃は花より団子だった、花見など行った記憶もほとんど無い。

 歳に負けぬように頑張って淀まで歩くとする。
最後に老舗の醤油・味噌屋に立ち寄る。
安政2年(1855年)創業で事務所・工場も年期が漂う。
中でも納屋は126年前のものだそうです。
麹から醤油を作っているのは今では珍しいとの事。
場所は京都市淀美豆の里、社名は木田醤油。
「美豆」と書いて「みず」と読みます。
旨い水(地下水)で“美しい豆”から作られた醤油、さぞ旨かろう。
永年大切に養ってきた発酵菌により滋養もたっぷりだろう。
土曜日で工場が休みにも関わらず、親切に案内してくれた5代目社長の
元気な姿がそれを証明している。すでに80才を越えおられるのだ。
京都まで元気で行けよと励まされ、お土産まで頂いた。
70代の私も負けてはおれぬと感謝、感謝である。
歩いた歩数3万歩、いささか疲れ申した。
   
プロフィール

ひろあき
最後の70代、1年1年を楽しみ生きる
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