アフィリエイト広告を利用しています

桜が

 久し振りに立命館大学へ散歩。
住まいから20分、茨木駅からは5分足らずの距離。
秋らしい素晴らしい青空の下、
駅からは通学の学生と肩を並べて歩く。
キャンパスでは幼児が三輪車を乗り回している。
野球帽と言うのかな、後ろ向きに被った学生がけん玉をやっている。
高度な技をこなしているので、つい話しかけた。
「孫もやるんだわ」と言うと、「連れといで、教えてやる」との返事。
「小学生だよ」と言うと「全然大丈夫」と返って来た。
私らは「全然」と聞くと、否定の意味と思うが、最近の若者は違うらしい。
「チャンスが有ったら頼むわ…」と別れる。
ふと見ると桜が咲いていた。
5日もすると11月と言うのに、
今年は異変の多い年だ。
出掛けると何かの刺激をもらえる。
若者と桜に元気をもらったような気分で、妻にモンブランを土産に帰宅。
DSC_0797.JPG

青いバラ

DSC_0738.JPG幸福の青いバラ

参加者の希望により撮影禁止の講堂より
外に運び出された青いバラ

これだけで2万円以上らしい。
(俗っぽい話でこの場にはふさわしくないかな)


 少し前になるが、国会図書館関西館で秋に開催される市民公開講座を友人と聴講。
そ中の一つが「夢の青いバラ〜開発に込められた思い〜」。
開発はなんとサントリーだ、ウイスキーと何の関係が…。
ところが海外では「えっ?ウイスキーの会社ですか」と言われた事もあるそうな。
世界の三大切り花と呼ばれるバラ、キク、カーネーションには青色がないそうです。
14年の歳月をかけ開発された青いバラ、清楚で気品が漂っている。
開発者の勝元博士は50才、その情熱からか若く見える。
公演の最後の質疑応答の時間、「幸福の青いバラを眺め、不可能を可能へと到達する姿に励まされた。自分も現状の苦しさに耐え明日への希望を持った」と、ある人から感謝の手紙をもらったと紹介。少し声を詰まらせながらの締めくくりに、一途な気持ちが伝わり、こちらもグッとこみ上げる。
博士の情熱と「やってみなはれ」精神のサントリーが育てた結果だろう。
(「やってみなはれ」と検索すると一番にサントリーに)

 帰りには何とワインで一杯と、少しハイカラな店に向かった。
これも幸福の青いバラに感化されたのか。
残念ながら満席と断られ、通常の居酒屋で乾杯。

立杭焼



 女房が早朝、丹波立杭陶器まつりに出掛けた。
彼女はもともと陶器が好きであり、丹波は故郷でもある。
「黒豆の枝豆が手に入った」と帰宅時のご機嫌さがいつもよりきわだっていた。
それ以上に良かったのは、躊躇なく陶器が買えた事が大きい。
陶器と言っても何万円もする立派なものではない、日常使う茶わんや皿である。
勿論、立派なものも嫌いではないであろう、安サラリーマンの年金生活ではと、
自分の不甲斐なさを思う。
躊躇なく日常品が変えたのは、地震で半分の食器が割れたためである。
地震も悪い事ばかりではない…、と呑気な事を言え、
家族そろって元気であることに感謝。

近所の神社

DSC_0786.JPG
 手前は緩やかな坂道これは階段の数には加えていない。
秋は紅葉、春には桜も。

DSC_0788.JPG静けさ漂う落着きの場所、
孫の成長を祈る場でもある。

DSC_0789.JPG地震で傾いた塀と頭部が落下した灯篭。
手水舎にかかっている2枚のタオル、いつも清潔感あり清々しい。

 近所の神社やお寺は静かで落ち着く。
我が家の近所には春日神社と呼ばれる神社が七カ所にある。
一番近いところは徒歩10分、裏道を行けば車の通りも少ない。
畑や田んぼの実りや色彩の変化を楽しみ、最後に120段ほどの階段を上る。
散歩には最高である、徒歩10分では運動にならぬので、
時には一番近い道の南側の道を行く。
ここには旧家が並ぶ、500坪以上の敷地の周りを、瓦を乗せた土塀が囲む。
中には大きな木がうっそうとしている。
これで5000歩程の散歩となる、住んでいる6階までもちろん階段である。
こちらは75段である、夕刊も階段を使うので全部で270段、
昔は13階まで上がっていたが、徘徊していると思われては・・と止めた。
写真は最近撮ったものだが、地震で灯篭や垣根が倒れている。
紅葉も通常ならもっと華やかなはず、台風で枝葉が痛んだのだろう。
それでも手水舎の手ぬぐいは綺麗に掛かっている。
これを見るだけでも値打ち物だ。
若い頃は無神論者を通していた私も、境内に立ち入った時は手を合わせ
賽銭箱に何がしかお供えする。
自分の事を祈ったことはまだない、もっぱら孫の健やかを願うのみである。

中山道

寺合成.jpg

DSC_0752.JPG

DSC_0751.JPG

 京都三条から中山道を江戸に向かって歩きはじめ、加納まで到達。
関ケ原では、家康が当地で初めて陣を張った桃配山より光成の陣を眺めた。
そこからは大して見どころは残っていない。
しかし名も知れぬ(知らぬのは私だけかも…)寺に気をひかれた。
立派な鐘楼と落ち着いた風情、観光客一人見られぬ。
京都のお寺ではこの感覚は味わいにくい。

 小さな祠にもカッコよく後ろにはそれなりの社があり、
こちらも静けさと共に気に入った。
地域の方の精進が良いのか結構手入れが行き届いている。

海外からも含めた観光客のあふれ返った神社仏閣に、ご利益がないとは言わぬが、
(本当は言いたいのだが…)落ち着いた地元のお寺や神社参りも良いと思う。

 もう一つは二階の屋根が低い旧家、窓が低いが部屋の中央はそれなりの高さがあるのだろうか。一番右の家にはうだつも見られる。
これがないと見栄えがせぬことから「うだつが上がらぬ」の言葉が出来たそうだ。

 中山道は京都三条から江戸日本橋まで69宿、現在17宿目、これからが見どころが増えるのかな。
元気で歩き通せる様に今日も一献。

中山道ノンビリ旅

DSC_0773.JPGDSC_0761.JPG
DSC_0774.JPGむき出しの蛍光灯に照らされた鮎の一群にホッコリ。
窓の上には19駅の名前と橋が12・
トンネル9ヶ所の説明。
DSC_0775.JPGDSC_0777.JPG


 前回の続き、美江寺より加納宿まで歩いた。
JRで大垣まで行き樽見線に乗り換えるのだが、電車は出た後。
次は1時間先だ。観光案内所を覗いたり、のんびりと待つ。
ICOCAが使えないので切符を買い求めると、なんと手書き。
ボールペンで日付・値段を書き発着駅に丸印、次に二人分を示すために
赤鉛筆で2とを全て手書き。
暫く待つとやって来たのは一両連結(一両では連結とは言えぬか…)
よく空いた車両から外を眺める。
目的の美江寺までは4駅目、その全てが無人駅のようだった。
帰宅後、調べてみると従業員は30人とある、納得である。
因みに大株主は西濃鉄道と住友セメント、セメント輸送が盛んな頃は頻繁に走っていたのかも。(今でも切り崩される山がところどころで見られる。)
でも客車はどうだったのだろう。
窓からは鈴なりの柿が見られる、富有柿の産地なのだ。
車内のつり革には鮎が泳いでいる、木製の手作りの様だ。
大垣駅ではアユ料理フルコース付きの乗車券も販売、営業努力も怠り無い様だ。
清流根尾川を眺めながら一杯もよさそう。のんびりムードが漂い良いではないか。
今回の歩行距離は10K少々で27000歩、元気に帰宅。
   
プロフィール

ひろあき
最後の70代、1年1年を楽しみ生きる
リンク集
<< 2018年10月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新記事