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TPP


 TPPもやっと大詰めを迎えたようである。
どちらかと言えば賛成派の私としては随分手間取っていると感じる。
貿易関連ではいつもそうだが、今回も「米」が問題となった。
戦後の食糧難時代にお百姓さんは、増産に向けてよく頑張ったと感謝している。
だが戦後70年だ、これからは農業を特別扱いにすると、優遇策と映る。
安い米が入ってくると農家が困ると言うが、輸入米を食べるのは所得が低い人が多いのでないだろうか。裕福な人は国産の美味しいお米を食べるはずである。
安い米を欲しがる人が必要とする量を輸入するのが公平ではないだろうか。
低所得者の犠牲により、米価を守るのでは問題ではなかろうか。
今回は米国から、関税なしで輸入できる主食米の量を現在の4万トンから10万トンに増やせと言われている事に抵抗している様だが、認めれば良いと思う。
無論全体の交渉における駆け引きとして抵抗のポーズをとっているなら、それは結構な事である。
しかし決定された枠の全量買い取り保証の条件は、とんでもない話だ。
需要のない物まで買い取るのは、自由貿易とは言えないだろう。

京都 祇園祭

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 関西に30年以上住んでいるが祇園祭は初めてである。
人の大勢集まる場所が好みで無い為である。
このお祭りは毎年7月1日から31日の一ヶ月の開催である。
24日の後祭(あとまつり)の山鉾巡行なら、少しはましかと朝8時に家を出る。
御池通りの京都市役所あたりの道路沿いには既に人だかり。
外人も大勢いるが、いつもより中国人の割合は少ないようだ。
9時30分に巡行スタート。見物客は予想通り大勢であったが、思ったより静かな巡行だ。
警官の数はさほどでもないのに、山鉾が通る為に通行止めになっている車道にはみ出す人は少ない。はみ出しても「写真を撮られたら歩道に戻ってください」と優しい指導。
これが祭りかと思われる程整然としている。
気分よく、と言っても人を掻き分けながらであるが、烏丸御池から四条河原町まで歩きながら見学する。途中で二度辻回しする時は、さすがにどよめきと拍手が起こる。
チンチキチンのお囃子が耳に残り、京都駅まで歩く。本日の歩行は2万歩に少し足らなかった。元気に感謝である。

命名



 「喜之介」7月13日誕生の我が孫の名前です。
お腹の中では最初は「茶たろう」、性別が判ってからは「茶太郎」と呼ばれていた。
私も名前を色々考え、随分と楽しませてもらった。
しかし採用されなかったのは残念であるが、とても良い名前に決まったと喜んでいる。両親は3文字の名前が好みだったようだ。
「喜」は喜びであり、父親より一文字もらったので納得。
私には「介」にはあまり馴染みがなく、早速意味を調べてみる。
間にはさまる・間でとりもつ・たすける とある。
良いではないか、喜びがはさまっており、周囲を喜ばせ、とりもつ。
これは素晴らしい。
しかも古風さをも漂わせ、ただ喜び はしゃぎまわるのでなく、落着きを感じる。
我家はありきたりの姓であるが、これなら同姓同名も少ないだろう。
我が血筋で初めての3文字ネーム、大いに期待するところである。
おっと、読み方は「よしのすけ」でなく「きのすけ」。これには近代的なひびきあり。

 名付けについては周りから色々意見が出た。しかし親がそれらに左右されず決定した。これからの時代、良い事や そうでない事に遭遇するだろう。
名前を決定した時と同じように、子育てにも自信を持って進むことを願う次第です。
日々馴染むに従い、可愛さが増し、ご機嫌のアホ爺です。

 孫の様子を、写真や動画をスカイプで知らせてくれる。
日増しに成長が見られ、楽しい限りである。
昨日は98才の曾祖母に抱かれた姿が送られてきた。
上品なしっかり婆さんで、ひ孫の服を早速仕立ててくれた。
立体的物を作れるということは、まだまだ頭も手先も冴えている証だ。
先日の小3の孫に抱かれた姿、天真爛漫で満足一杯の笑顔に泣顔のも素晴らしいが、
落着いた曾祖母に抱かれ、安心しきって眠る姿は格別である。
抱かれた子まで男らしさの中に気品が溢れて見えるから不思議である。
これは爺の贔屓目ではないですぞ。
今日も孫自慢で失礼しました。今夜も一杯やって、ご機嫌で書きました。

 小3の孫が豊橋より東京まで、誕生7日目の孫に会いに行く。
母子共順調で既に退院しており、自宅に訪問。
その時の様子が娘から(小3の母親)写真にて携帯に届く。
今までに見たことのない最高の笑顔で抱っこしている。
抱かれた方は泣いている、どちらも素晴らしい、可愛い。

 写真を投稿にて皆様に紹介したいのだが、許可が取れない。
それでは似顔絵を描いてもらおうと思っているのだが、スカイプで孫の様子を見ているとその事を忘れてしまう。次回には忘れぬようにしよう。
(私の似顔絵は息子が描いたものです)

 息子は連日スカイプにて様子を知らせてくれる。有りがたい事である。
おかげで元気で、くそ暑い中でも散歩している。
孫たちと一献やれるまで元気で‥との思いからである。
高校生までには90才を超えてしまう、アッ高校生の飲酒はだめか。
選挙が18歳で出来るのだから、そのうち法律も変わるかも。
あほな事を考えている幸せ爺です。


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 誕生の日から2日間、面会時間に合わせて孫に会いに行く。
これが楽しいのである、面会中は立ったままであるが疲れを感じない。
歩くのは得意だが、じっと立っているとすぐに腰が痛むのだが。
特に仕事の時は30分もするとウロウロ歩きたくなる。
ところが今回は違う、あっという間に時間が過ぎてしまう。
孫の力は絶大である。

 東京3日目、帰りに皇居に立ち寄る。天守閣跡からの眺めは緑豊か素晴らしい。
高層ビルに囲まれている風情はニューヨークのセントラルパークを思い出させる。
アメリカには息子が連れて行ってくれたのである。自分からは行こうとは思わ無かった都市である。その息子に男子誕生。幸福感に浸っていると、本丸休憩所で外人観光客の子供が口の周りや顔中アイスクリームだらけでいるのを見る。可愛いと感じる自分に驚く。

恵まれた今日この頃に感謝、感謝。

待ちに待った孫誕生

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 孫誕生との事で朝から東京に向かう。昼前には産科病棟に到着。
計画分娩とやらで今日13日が誕生日の予定だ。計画通り、夕方には無事出産、ご対面となる。遠くから駆け付ける我らにとっては、便利な時代になったものだと感心する。

可愛さに感激する。息子が抱くと笑ったような気がした。

 母子共々大事業を成し遂げた。大事に至らず感謝、感謝。
誕生後の初対面では、小さな手のひらをそっと触る事も出来た。
その後は定時にガラス越しに面会となる。30人程の赤ちゃんが並んでいる内の一人だ。
泣く時は背中まで真っ赤になり、目はこちらを見ている様だったり、突然手を突き上げたりと、くしゃみしたり、舌を出したり、こぶしを口に入れようとしたりと、いつまで眺めていても飽きることは無い。
一度などは面会時間中眠っていたが、それでも気分は同じだ。

 空き時間に病院周辺の公園を散策、近くの神社でお礼とこれからの無事を祈る。
写真はその時の親子連れ、2羽の子供が好奇心旺盛でチョコチョコと駆け回り、親は心配で後を必死で追いかける。孫の成長を思い描き、撮影。
元気で育てよと、我が孫と共にこれからを期待する。
10年ほど若返った気がする。先方の親御さんと4人で早速お祝いの一献。極上のひと時であった。

ゴーヤー

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 今年もゴーヤーを植えた、既に8本収穫。
13階建ての6階に住んでいるが、東向きのベランダに日除け代わりにと思い始めたのだ。今年で5年目かな??
夫婦揃ってゴーヤー好き。夏バテ防止に酢味に仕上げ毎日食べられそう。
今年も蜂がやってこない、栽培を始めた頃は毎朝数匹は飛んできてくれたのだが…。
お蔭で私が蜂代わりをやっている。
今まではネットの高さを扉までにしていたが、少しでも日陰効果を求めて一番上まで苦労して設営。
お蔭で受粉も大変なのだ。伸びをしたり上を見上げ運動にはなるが。
まだ壁が見えているが後2週間もするとびっしり緑で覆われると期待している。

 南側ベランダに見えるのはステレオスペルマムと言う名の木です。
名前を覚えるのも大変なので我家では大木と呼んでいる。(私より低いですがね)
10年目に一度花が咲いた切り、写真を撮りたかったが朝には床に落ちている。
割合大きな白い花で、蕾は長く観賞出来ました。

 時期に応じてシソ、ネギ、ブロッコリー等も植えて、新鮮野菜を楽しんでいる。

戦後70年

 戦後70年で安倍談話、歴史問題が話題に上るこの頃である。
その関連で以下の5冊を読んだ。面白かったので紹介します。

☆「GHQ焚書図書開封」 (株)徳間書店 西尾幹二   
 全10巻中3巻まで読んだ。すべて後書きまで読む。
3巻は後書きだけで26ページもある、それでも最後まで読んだ。
注が巻末など別ページでなく文中に書かれているのも読みやすい。
太平洋戦争は真珠湾奇襲から語ると日本だけが悪者になる。忠臣蔵を討ち入りから眺めると、押し入り殺人としか見られぬ。この結果に至る原因がわからねばと言うくだり、特に気に入る。じゃ太平洋戦争はいつまで遡れば良いのだろう。著者の西尾さんは、東インド会社の時代だと述べている。

☆「廃墟の零年1945」 (株)白水社 イアン・ブルマ
 GHQ焚書図書開封は日本人が書いたな‥とアリアリとわかる。外人が読むと違和感を覚えるだろう。
イアン・ブルマはオランダ人であり、舞台はヨーロッパが主で有るが、日本も登場する。日本人以外が書いている点が参考になる。

☆「向かいあう日本と韓国・朝鮮 近代編」 (株)大月書店 歴史教育者協議会
 日韓の共同執筆であり公平さに気を使っている。

☆「日本降伏 ― 迷走する戦争指導の果てに」 日本評論社 纐纈 厚

 戦争を知らない世代が主力となるこれからの時代、この機に少しは考えてみるには良い本だと思う。
戦争自体の体験が有る訳ではないが、本などにより埋め合わせる事が出来ると思い読んだ次第です。
かく言う私も(73才)、戦後に満州の奉天(現在の中国 瀋陽)より引上げ、その後も含めた大変さは親から聞き知った部分が殆どである。
引上げ当時の悲惨さや、職探しに半年程関西を中心に移動し、苦労の末、最終的には呉市に落着きました。しかし苦労や、悲惨さの記憶が殆どありません。幼かった事もあるが、親の努力が有っての事と感謝、感謝です。

久し振りの呉散策

 尾道でのOB会は多数の女性の参加もあり大盛況。
現役の仲間が開いてくれた2次会も盛り上がり、いささか飲み過ぎた。

 翌日は朝食抜きで呉に向かう。
友人が大和ミュージアムを見たいと言う事で、呉育ちの私が案内。
メインは1/10の戦艦ヤマト。
それでもデカイ。横から見たり、下から見上げたり、3階から見下ろしたりと堪能。
人間魚雷「回天」、零式艦上戦闘機、すぐそばにある「鉄の鯨館」では2004年まで現役だった潜水艦「あきしお」が展示され内部を無料開放。
感想としては感動と、戦に対する複雑な気持ちが入り混じる。
感動は、現在にも生きる技術(特にトヨタの看板方式)
複雑な気持ちは、残念、無茶、悲しみ、等々。

 じっくり見学後、昼食も軽く済ませ(勿論アルコール抜き)入船山記念館に向かう。
海軍の根拠地として鎮守府が置かれた場所である。
鎮守府は横須賀、佐世保、舞鶴と呉の4か所に置かれ、横鎮、佐鎮、舞鎮、呉鎮(よこちん・さちん・まいちん・くれちん)と呼ばれた。
小学生の頃に近所に住んでいたので、よくセミ取りに行った思い出がある。
当時は進駐軍(占領軍のことで当地は豪州系が多かったかな)に接収され、外から眺めるだけであった。1967年より博物館として開放されたとの事。
元々は八幡様が祭られた亀山神社が在った、1300年以上昔の話だ。
それが鎮守府を開設することとなり、追い出したそうだ。
初めて知り驚く。当時の海軍は神より偉かったのだろうか。

 ちなみに亀山神社は呉では最大のお祭りで「いが餅」が名物だ。
団子の表面に赤、黄色、(緑もあったかな)に色付けられた米粒をくっ付けたものである。
全面でなく、表の一部にである。米が貴重であった名残か…。
美味かったと記憶している。

 雨の予報が外れ、気温も上がらず、友人も満足気であった。
今日一日は禁酒、元気でこれからも過ごせるために。 
   
プロフィール

ひろあき
最後の70代、1年1年を楽しみ生きる
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