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落語とは人間の“何”を肯定するものか。立川談志の言葉の深い意味

教科書には載らない「人間の本音」
 落語には、熊さんや八っつぁん、与太郎など、憎めはしないが、どこかネジが1本欠けているような人物が登場する。彼らは、行き倒れの死体を自分の死体だといい張って自分で運ぼうとしたり(粗忽長屋)、番茶を薄めたものを酒、タクアンを玉子焼きに見立てて花見をしたり(長屋の花見)、その言動は、あまりにバカバカしかったり、無茶だったり、成り行きまかせだったりする。そんな非常識ぶりが笑いを生んでいるわけだ。

 この落語の構造を立川談志流にいうと、「落語とは人間の業の肯定を前提とする一人芸である」ということになる(『あなたも落語家になれる』三一書房)。

 人間の業とは、簡単にいえば、愚かさということだろう。「酒の飲みすぎは身体に悪い」とわかっていても、つい飲んでしまうのは人間の愚かさ=業だし、「どうせなら楽して儲けたい」という気持ちも、人間の業に違いない。べつな言い方をすれば、およそ道徳の教科書には載らない“人間の本音”とでもいえるだろうか。それを肯定してしまうのが落語だと立川談志はいうのである。

https://www.gentosha.jp/article/11366/?fbclid=IwAR0gAuk_ypLtbXiqkAAJ17xtx21fxIvcEXzUYkbmKq6BursBcI3yg409CZU

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