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「○○でなければならない」

「○○でなければならない」
私は、中学2年の2学期から不登校でした。学校に行かない代わりにカウンセリングを受けていた。その先生が、どうせ休むんなら好きなことをしなさいと言われた。
学校に行かないことが悪いことではない。と。
そのカウンセリングの先生の言葉は力強かった。
学校に何故行かないのか?行けないのか?を考えるのではなく、何がしたいのか?と。
そこを説いてくれた。
あの時期が私は自分と向き合う時間だったのであろう。
あの時の時間は無駄ではなかったと思わせてくれたカウンセリングの先生には感謝している。
学校に行かねばならない。ではない。
目的をはっきりさせたかったのだろう。
声にはならないモヤモヤ感を引き出してくれた。カウンセリングのその先生は本当に凄い方だと思う。
私もそんな人になりたい。

不登校だった娘

「不登校だった娘」
不登校だった娘を持つ母親からの経験談を話してくれました。
「家の娘は、中学は私立に行ったの。自由を重んじる学校で娘にあっていると思って。ところが、中学2年の時に校長先生が代わって進学校になっちゃって、勉強をやるようになって、でも勉強はついていけたんだけど嫌になっちゃって、行かなくなり公立の中学に編入しようとしたら、公立の中学からは、私立の中学を退学になる生徒は問題児に違いないと言って断られたの。それを娘に行ったら、娘がお母さん0,00001%の可能性はあるんだからそこに賭ないの?と言われて、この子は学校に行きたくない訳ではないと知ってもう一度奮起して掛け合ったわ。何とか公立の中学校に行くことが出来たの。不登校になって世間の目が凄く気になった。問題児扱い。でも物差しは人それぞれ。それを娘は教えてくれたわ。今では笑い話よ。」
そんな話をしてくれました。

不登校

「不登校」
中学の時に不登校になった。
不登校になると学校に行かないのは問題児扱いになる。
何故、学校に行かなければ行けないのか?それを先生に聞いても義務教育だらと。その意味が分からないと言うと、問題児になる。
その時に応援してくれた方が自分の意思を貫きなさいと教わった。
正解や不正解はなくて、自分の意思を貫いてでないと結果が出ないのだと。そこから得るものは大人になってから絶対に役立つからと。
その時の経験はすごく役に立っている。

学校に行きたくないあなたへ 樹木希林

新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わすとき、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。  私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。  それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。  ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。  ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。  私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。 だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。  私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。無理して、いま死ななくていいじゃない。 だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。 2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口/基調講演「私の中の当り前」より(編集:小熊広宣)

http://www.futoko.org/news/page1117-5566.html?fbclid=IwAR3fZNqUeg5pf1-GrSSR9mS926HoWtcLz7kxR68JnS9z9V3KQgxgazPaJ5I

義務教育は誰のため

「義務教育は誰のため」
私が自己決定や自己の意思にこだわるきっかけになったのは、中学生の時に登校拒否があったからである。
私が「中学校に行って何になるのか?」
その問いに親や教師は、義務教育だからと。
しかし、私には意味が分からなかった。
その時に出会ったのが、親が探してくれた登校拒否児を扱う方の所に行った。
その方は「悪いことをしている訳ではない。どうせ学校を休んでいるんだから好きなことをやりなさい。」そう言ってくれた。
家でケーキを焼いたり、好きな調理をした。
学校に行かないという選択はしてはいけないのか?
当たり前なことが出来ないと変人扱いされるのか?
しかし、大人になるとあなたの探求心があれば大学に行くべきだったのに。なんて言われることもあったが、勉強なんて私には出来ないと思っていた。
でも、勉強の意味が違っていたことに気が付く。
どんな形であれ、社会に少しでも貢献できているならそれで良い。
それから自己決定することを考えるようになった。
でもそれを行うリスクも知らないといけない。
どちらが正しいではなくて、多様性を受け入れることが、これからは大事なことのような気がしている。

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定時制の思い出

定時制の体育の時間で先生が何をやりたいか生徒に聞いてきた。
上は、56歳下は15歳までいる。
体力的にも考えて野球になった。
その時に打順も決めたが、打順は年の順(56歳から)になる。
生徒に決めさせる先生も面白いが、生徒が体力的に考えた結果が面白い。
打順も年の順に打つ。年上は生きている時間がないからだそうだ。
年下の同級生の言い方は乱暴だったが優しさを感じた。
定時制高校に行って色々と教わった気がする。

指導の仕方

私が中学生の頃は、学校が荒れていた。
校庭ではタバコを吸っていた生徒もいた。
先生も見て見ぬふり。だった。
同じ生徒を作ってはいけないと、先生は怖かった。
定規で叩かれたこともあった。
暴力ではなく、指導をする難しさ。
排除するのではなくて、どうしたら良いかを考えたい。

母親がどう対応するのか?

ある小学1年生の子が、朝顔の鉢に水やりをしても葉が出て来ない。
ある時に、母親が朝顔の種がカバンから出てくる。
母親が「あんた朝顔の種を鉢に埋めたの?」
子供が「忘れたかも?」
母親「それじゃ朝顔が出てくる訳ないじゃない。」
この時に、母親が怒るか?どう対応するのか?
子供がしたことよりも母親がどう対応するのかが気になる。

個別性よりも集団の統一感を大事にしているように思う

怒る・叱る=罰を与える。
誉める=ご褒美
罰を与えて、抑制する。
良いことをしたら、ご褒美を与える。
この2つの行為は似ている。
物事には良いことと悪いことがある。
それだけではないことの方が多いのだが。
日本の教育は、良いこと悪いことをはっきりさせる教育のような気がしてならない。
例えば、あるタレントさんが50メートル走で砂ぼこりが舞い上がると走るのを止める。
九九が出来ない。等があると変な目で見られた。
でも、人とは違うと開き直ってから自分らしく生きられた。と言っていた。
個性を伸ばす。日本の教育の中では難しいと感じる。
個別性よりも集団の統一感を大事にしているように思う。
ちょっと外れてしまうと生きにくくなる。
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のぶ1969
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