2015年01月17日
阪神淡路大震災に思う
数日前より巷では阪神淡路大震災で持ちきり、今日は被災20年目、
朝から各局が追悼関連の報道。
この雰囲気で喜びや気楽なブログ投稿に気が引けていました。
先ず追悼の気持ちを伝えるべきであると分かっているのです。
嬉しい事は伝え方を誤ったり、誤解を招いても気楽である。
しかし被災者を慰める、亡くなった方への追悼となると難しい。
私の母も震災当時は神戸市に一人住まいであった。
私は、転勤先の札幌で街の炎上や道路の決壊など悲惨な光景をテレビでみる。
電話をしても繋がらない、すぐに会社へ行き3本の電話を掛けっぱなしに心配は頂点。
幸い母は無事で「お父さんがビックリして転がったよ」と明るい言葉にホット。
父はその数年前に亡くなり、転がったのは仏壇の位牌です。
敗戦を中国で迎え、戦後引上げ激動を生き抜いた母は実に強い。
災難は太古の昔から繰返され、科学の進んだ現代もこれからも続く事でしょう。
そのたびに犠牲者が出ます、これも避けられない事実です。
避けえぬ事とすれば、その被害に遭遇した方々のお陰で我々は助かっていると思う。
努力により云々出来ない、誰かが犠牲になり、それを引き受けてくれるのだ。
引受けてもらったお陰で日々を安穏に暮してる、感謝、感謝です。
亡くなられた方々のご冥福と多くの被災者のこれからを思い、
一歩でも安寧へと歩まれん事を祈ります。
投稿者:ひろあき|18:53