2015年04月28日
「世紀の一戦」Zボーイズの思い出
今世紀最大の一戦と呼ばれる闘いのゴングがいよいよ5月2日(日本時間3日)に鳴る。
日本でもかなりの盛り上がりを見せている。
ただ私としてはこのビッグマッチに何故か胸のときめきを感じない。
数年前に実現してほしかったというのが本音だ。
メイウェザーのスタイルが自分の好みでないというのもあるが、パッキャオに一時期の勢いを感じられないこともその要因だ。
2009年に明らかに体格の差があるリッキー・ハットン戦の衝撃的なKO劇には鳥肌が立ったし、ミゲール・コットを破った試合も完膚なきまでに打ちのめした試合も印象的だった。
こんな選手は後にも先にもお目にかかったことがないくらいそのアグレッシブなボクシングスタイルは魅力的だった。
リング外での彼の行動にも好感が持てた。
パッキャオには買って欲しいが、メイウェザーに誤魔化されてしまうような気がする。
パッキャオ自身がどれだけ動けるかがカギとなるだろう。
ところでこれまで数々の世紀の一戦が行われてきた訳だが、私がリアルタイムで見た対戦で印象的なのは次の6試合だ。
モハメッド・アリvsジョー・フレージャー(第1戦)
モハメッド・アリvsジョージ・フォアマン
カルロス・サラテvsアルフォンソ・サモラ
ロベルト・デュランvsエステバン・デ・ヘスス(第3戦)
アレクシス・アルゲリョvsアルフレッド・エスカレラ(第2戦)
トーマス・ハーンズvsシュガー・レイ・レナード(第1戦)
どの試合も試合が決まったときからワクワクドキドキしていた。
当時は今のように録画機器が家庭に普及してなかった時代で一瞬を見逃すまいと本当に息をのんでみていた。
そのなかでも最も鮮烈だったのはカルロス・サラテvsアルフォンソ・サモラのZボーイズ対決だ。
両選手とも敏腕クーヨ・エルナンデス門下でZarate・Zamoraのその頭文字をとってZboysとして売り出す。
そして二人とも期待にこたえ、サモラはWBA、サラテはWBCバンタム級の王座に就く。
そんな二人はサモラがクーヨの門下を離れ1977年4月23日、イングルウッドフォーラムにてついに相まみえることに。
試合はノンタイトル10回戦で行われた。
今はボクシングの殿堂と言えばラスベガスだが、当時は軽量級のメッカはロサンゼルスのイングルウッドフォーラムかオリンピックオーディトリアムだった。
その時、サラテは46勝45KO無敗、サモラが28勝28KO無敗。
無敗対決もすごいが何といってもそのKO率。
サラテ97.8%、サモラ100%、二人合わせると74戦73KOというとんでもない数字。
タイトルはかかっていなくても文字通りこのクラスの最強を決める一戦
高いKO率を誇る者同士の戦いはえてして凡戦になることもあるが、互いのチャンピオン同士の意地と意地のぶつかり合いの壮絶な試合となった。
ファンの盛り上がりも半端なく1R1分を過ぎようとしたとき、何と興奮した客がリングに上り中断するハプニングが。
また試合の途中に爆竹が鳴るなど異様な盛り上がりの中
そして激しい打ち合いの中、徐々にサラテのパンチが的確にヒットし始め、第3ラウンド終了ゴング間際ついにダウンを奪う。
ダメージが残るサモラに的確にパンチを打ち込み2度のダウンを奪い、サモラのコーナーからタオルが投げ込まれる。
試合後、マネージャーを務めるサモラの父親がクーヨ・エルナンデスとつかみ合いになる様子は因縁の深さを物語っていた。
このあたりのことはこのページ上ではとても紹介しきれないので省く。
そのスタイリッシュで理詰めで相手を追い詰めKOする様からカルロス・サラテに「あしたのジョー」のカルロス・メンドーサを重ね合わせる日本のファンも多かった。
日本でもかなりの盛り上がりを見せている。
ただ私としてはこのビッグマッチに何故か胸のときめきを感じない。
数年前に実現してほしかったというのが本音だ。
メイウェザーのスタイルが自分の好みでないというのもあるが、パッキャオに一時期の勢いを感じられないこともその要因だ。
2009年に明らかに体格の差があるリッキー・ハットン戦の衝撃的なKO劇には鳥肌が立ったし、ミゲール・コットを破った試合も完膚なきまでに打ちのめした試合も印象的だった。
こんな選手は後にも先にもお目にかかったことがないくらいそのアグレッシブなボクシングスタイルは魅力的だった。
リング外での彼の行動にも好感が持てた。
パッキャオには買って欲しいが、メイウェザーに誤魔化されてしまうような気がする。
パッキャオ自身がどれだけ動けるかがカギとなるだろう。
ところでこれまで数々の世紀の一戦が行われてきた訳だが、私がリアルタイムで見た対戦で印象的なのは次の6試合だ。
モハメッド・アリvsジョー・フレージャー(第1戦)
モハメッド・アリvsジョージ・フォアマン
カルロス・サラテvsアルフォンソ・サモラ
ロベルト・デュランvsエステバン・デ・ヘスス(第3戦)
アレクシス・アルゲリョvsアルフレッド・エスカレラ(第2戦)
トーマス・ハーンズvsシュガー・レイ・レナード(第1戦)
どの試合も試合が決まったときからワクワクドキドキしていた。
当時は今のように録画機器が家庭に普及してなかった時代で一瞬を見逃すまいと本当に息をのんでみていた。
そのなかでも最も鮮烈だったのはカルロス・サラテvsアルフォンソ・サモラのZボーイズ対決だ。
両選手とも敏腕クーヨ・エルナンデス門下でZarate・Zamoraのその頭文字をとってZboysとして売り出す。
そして二人とも期待にこたえ、サモラはWBA、サラテはWBCバンタム級の王座に就く。
そんな二人はサモラがクーヨの門下を離れ1977年4月23日、イングルウッドフォーラムにてついに相まみえることに。
試合はノンタイトル10回戦で行われた。
今はボクシングの殿堂と言えばラスベガスだが、当時は軽量級のメッカはロサンゼルスのイングルウッドフォーラムかオリンピックオーディトリアムだった。
その時、サラテは46勝45KO無敗、サモラが28勝28KO無敗。
無敗対決もすごいが何といってもそのKO率。
サラテ97.8%、サモラ100%、二人合わせると74戦73KOというとんでもない数字。
タイトルはかかっていなくても文字通りこのクラスの最強を決める一戦
高いKO率を誇る者同士の戦いはえてして凡戦になることもあるが、互いのチャンピオン同士の意地と意地のぶつかり合いの壮絶な試合となった。
ファンの盛り上がりも半端なく1R1分を過ぎようとしたとき、何と興奮した客がリングに上り中断するハプニングが。
また試合の途中に爆竹が鳴るなど異様な盛り上がりの中
そして激しい打ち合いの中、徐々にサラテのパンチが的確にヒットし始め、第3ラウンド終了ゴング間際ついにダウンを奪う。
ダメージが残るサモラに的確にパンチを打ち込み2度のダウンを奪い、サモラのコーナーからタオルが投げ込まれる。
試合後、マネージャーを務めるサモラの父親がクーヨ・エルナンデスとつかみ合いになる様子は因縁の深さを物語っていた。
このあたりのことはこのページ上ではとても紹介しきれないので省く。
そのスタイリッシュで理詰めで相手を追い詰めKOする様からカルロス・サラテに「あしたのジョー」のカルロス・メンドーサを重ね合わせる日本のファンも多かった。
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