アフィリエイト広告を利用しています

奈良の椿2

DSC_2470.JPGDSC_2467.JPG
DSC_2464.JPG奈良の椿2

 伝香寺に続き護国神社に向かう。
何度も奈良には来ているがここも初めて。

参道入口に椿が咲いている。
その中に初めて見る花がある。
濃い赤の中心が結構大きな白い花弁が目立つ。

80段程の階段を上がると広々とした広場、そこに立派な忠魂碑が。
傍に添えられるように桜が満開、戦没者を静かに祈っている感じだ。

伝香寺と同様、人影は見られぬ、無神論者の私も思わずしんみりと頭を下げる。

奈良の椿1

DSC_2454.JPG 先週コロナ渦の中、恐る恐る女房のお供で椿見学に出掛けた。
奈良の散り椿で知られる伝香寺。
ご住職と思われる方がまず案内してくれたのは、お堂。閉じていた扉を開くと、お地蔵さんが現れた。
重要文化財と聞く割にはそんなに古くはない。むしろ立派な衣を着ている。
毎年7月の地蔵会に御更衣(おころもがえ)法要が行われるとの説明で納得。
案内終わり、ご住職が立ち去ったあと、ゆっくりと目的の椿を見学。
鮮やかに咲く様は見事だが、併設されている幼稚園の園児の元気さに感動。
半ズボンで走り廻り、甲高い声、つい孫の姿と重なる、爺バカである。
DSC_2463.JPGDSC_2457.JPG

我が家に春が

DSC_2449.JPG

 ボケの花に遊ぶ目白を楽しんで帰宅すると、我が家に春が。
桜好きの女房が「安く手に入れた」と喜んでいる。
翌日には満開となって大喜び。
さすが早咲きのハツミヨザクラ(初御代桜)だ。
コロナで籠る生活に明るさをもたらした。

 やっとワクチンも一般に接種できそうだし、コロナの扱いも解って来た様だ。
夏頃にはひと段落と願うばかりだ。

ビルの窓から犬

DSC_2443.JPG

 ビルの窓から犬3匹が見下ろしている。
孫が喜ぶだろうと思わずパチリ。
爺バカチャンリンで無意識の内に起こす行動。
最近ますます増えた様だ




犬は人形ですよ、女房がこれ本物と聞いたので念のため。

梅田に目白

DSC_2444.JPG


 大阪駅北西に空中庭園のあるスカイビルがそびえる。

そのすぐ側にレトロな飲食店が並ぶ地下街がある。昭和時代の私としては懐かしい町並みだ。
地上から流れ落ちる滝を観ながら一杯やれる一角があり、滝見小路と呼ばれている。

その地上庭園に真っ赤なボケの花。
その中に、盛んに動く目白が見られた。
大阪一の繁華街の梅田近辺で、春の訪れを見られ思わず撮影、


目白は上の写真中央やや左上に見られます。拡大してご覧ください。
DSC_2447.JPG

偉人と共にした喜び

 昨年末、偉人と三日間を共にした。
彼は数々の仕事を経験し、夫婦で小さな店を持った。
努力の甲斐あり店を大きくした。
彼の人柄により、順調に繁盛していた矢先、地震で店は壊滅。
生活保護を受けるまで落ちぶれたが、持ち前の明るさで社会に復帰。
復帰時には生活保護でもらった残りを返却したそうだ。
こんな事は初めてだと係の人に言われたそうだ。そうだろう、私もそう思った。

 その彼はコロナで全国民に給付された10万円を受けとらなかった。
私もあの金は、公務員と年金生活者には支給すべきでないと妻に言った。
しかし、結局もらってしまった。この話を聞き恥ずかしくなるとともに彼の偉大さを羨ましく思った。
安倍の桜、菅の息子の官僚接待の話しを聞くなか、嬉しい話です。

 役人や政治家が腐敗の気配を漂わすこの頃ですが、もう一つ思い出話を一つ。
私が現役の頃、ダイエーの若い社員と昼食をともにした事があった。
当然、支払いは我が社でと言ったが、その社員は会社で禁じられているのでと、譲らず結局割り勘となった。
40年程前の話しだが未だに思い出される。

青年確認とお墓参り

DSC_2434.JPG

 両親が眠る墓は神戸市の北西の丘にある。
神戸・三宮より地下鉄で半時間の最終駅より5Km足らずの位置にある。
駅には百貨店や飲食店があり結構にぎわっている。
半時間も歩くと明石川を越える。この辺りは田園地帯で散歩に最適。
天高く鋭い囀りが聞こえるが、姿を見つける事が出来ない。早くもヒバリかと考えながら歩く。一瞬であるが鶯の声も聞こえた気がする。
丘に登る最後の上り坂、汗ばむ中、心持ちペースを落とし歩く。
二月と言うに気温は20度近い。
墓園入り口に到着し、すぐに時計を見る。1時間を6分越えていた。
10年程で100回近くお参りに来ているが、1時間を超えたのは初めてだ。
しかも6分も。時間を誤ったのかと疑い、帰りにはきっちりと確認しよう。
当墓園は1万を超えるお墓があり、両親の墓は入口よりさらに10分程かかる。
コロナが治まらぬ中、墓参りを控えていた割には綺麗に保たれていた、清掃し昼食を摂る。墓で食事は何時もの事。況報告後、食事する息子を眺めて喜ぶ両親を思う。
30分程で墓園入り口にゆっくりと歩く。時々振り返り、明石大橋を眺める。
春の様な暖かさ、遠方に春霞に霞む大橋がぼんやりと見える。
海の好きな母はこの地を喜んでいるだろう。
墓園入り口にて、しっかり時計を確認後、駅に向かう。
到着してガッカリ、やはり1時間を3分ほど超えていた。
まぁ〜いいや、時間を見誤ったのではなかった。すなわちボケてはいないのだまだまだ万年青年を名乗れそう。
帰宅し、歩数を見ると2万6千歩、酒の旨い事。
三宮での仕事が早く終わったお陰と元気である事に感謝、感謝。

御堂筋散歩のつづき

DSC_2407.JPG
DSC_2406.JPG 御堂筋の終わり、梅田に近づいた。
最後の歩道橋を元気に上ると、ビルの空間から鳥居が。地元ではお初天神と言うが、正式には露の天神社である。
近松門左衛門による人形浄瑠璃で有名な曽根崎心中の現場だ。遊女と手代による実話らしい。
現在は吞兵衛には嬉しい店が周りに軒を連ねる。まだ時間的には暖簾が掛かっていないだろう。
ここから地下にもぐり大阪駅に向かう。
途中、大丸百貨店で阿闍梨餅を買う。
京都の名産、手ごろな値段で結構いける。関西人ならほとんどの者が知っていると思う。
無事1万5000歩を歩けた。

御堂筋を散歩

DSC_2404.JPG

 先月末、心斎橋から地下鉄で西へ二駅目で仕事。
ラッキーな事に昼頃に終わった。少し寒いが御堂筋を歩こうと、東へ心斎橋を目指す。
御堂筋に近づくと、飲食店が増えて来る。難波〜心斎橋界隈は大阪の南の繁華街である。昼間と言う事もあるが、以前よりは活気が無いように感じた。
コロナのせいかも知れないと思いながら歩く。
背中が汗ばんで来たと感じ、脇道で上着を脱ぎカバンに収める。
 
 見ると前を布袋、ポリ袋を持てるだけぶら下げて歩く男。
見るからに野宿でもしたのだろうと言った気配。職を失い落ちぶれたのだろうか、
同情するも、私には何も出来ぬ無力感を感じながら御堂筋を北上する。

 土佐堀川に掛かる淀屋橋を渡ると中之島、その先にある堂島川には大江橋が、
どちらもアーチ型の貫禄ある橋だ。中之島には左手に緑のドーム屋根を備えた日本銀行大阪支店は明治の面影。右には中之島公会堂が見える。株で大儲けをした岩本栄之助が100万円を寄付により創られた。大正時代の1円は今の4000円、明治時代の1円は2万円と聞く。丁度、明治と対象の境目なので1円が1万円として幾らになる…。
昔の面影を楽しみながら、色々想像し脳の活動と体力維持が出来たと感謝、感謝。

春が来た

DSC_2425.JPG
 まだ2月と言うのに気温は20度近い。
散歩コースの安威川は春に覆われている様だ。青空を舞うハトの群れ、川面でゆったりとくつろぐカモ、その下を泳ぐ鯉。
コロナでうっとうしい気分を吹き飛ばしてくれる。
さっそうと走る若者、足を引きずるように走る老人、そぞろ歩きのカップルあり。
何れも喜びにあふれている様に見える。
幼子を連れた中には、鳥たちにやるエサ持参だ。野鳥にエサやりは禁じられているが大目に見よう。私も孫とやった事を思い出す。その為か、立ちどまると寄ってくる鳥もいる。
一番に来るのがハト、それからカモやカラス、一番慎重なのがスズメかな。
ハトの群れにひときわ目立つのが一羽、思わずカシャリ、なかなか見事な姿だ。
久し振りに良き散歩と感謝し一献。
DSC_2426.JPG

<< 前へ     >>次へ
プロフィール

ひろあき
最後の70代、1年1年を楽しみ生きる
リンク集
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新記事