今回は中山道の宿場町として栄えた
桶川宿の話です。いまも昔の名残を留める宿場跡を訪ねました。
<中山道桶川宿>
おけがわじゅく中山道桶川宿は、日本橋から数えて
6番目の宿場です(板橋→蕨→浦和→大宮→上尾→
桶川)。日本橋からの距離は10里14町(約40.8 km)。マラソンとほぼ同じくらいですね。日本橋を出た旅人が街道を1日かけて歩き通し、夕方になるのが桶川付近と言われています。よって、宿場町として絶妙の位置にあったことになります。
江戸初期の桶川宿は、宿内の家数が58軒程度でしたが、天保14年(1843年)頃には347軒に達していたそうです。背景には、桶川が紅花などの染料や農作物の集散地となり、経済的に潤っていたことがあります。加賀百万石の前田家を筆頭に、多くの大名が参勤交代の際の宿として桶川宿を利用しました。
■現地訪問■<桶川宿案内図>
下車したJR桶川駅の東口で撮影しました。桶川の史跡を全て訪ねるのは大変なので、この日は桶川宿のメインストリートを端から端(南側から北側)まで歩くことにしました。
<旧中山道>
少しだけ欲張って宿場の入り口より手前からスタート
<川跡>
観光スポットではないですが街道沿いの暗渠に足が止まる。中山道から桶川宿に入る手前には川、または水路があったなごりですね
<旧中山道>
何となく宿場跡のような雰囲気が漂い始める
<地蔵堂>
何となく足が止まる
そして
<木戸跡>
きど宿場の警備のために出入り口に設置されていた
木戸の跡です。つまり、厳密に言うとここからが桶川宿です。
<旅籠>
はたご宿場の旅籠の姿を今にとどめる
武村旅館です。当時の間取りが今もほぼ引き継がれているとのこと。
<武村旅館説明板>
嘉永5年(1852)の建築。国登録有形文化財に登録されています。
ここ武村旅館に限らず、街道沿いの歴史的建造物には、桶川市教育委員会さんによる丁寧な説明がなされています。ですから、あまり予習しないで訪問しても充分に楽しめます。
<懐かしいような景色>
古民家のような魚屋さん「鮮魚稲葉屋本店」を通過。更に北へ向かいます。
<島村老茶舗>
しまむらろうちゃほ嘉永7年(1854)創業という
島村老茶舗の店舗兼主屋です。こちらも宿場の雰囲気を今に伝える建物です。見た目も良いですが、内部も建設当初の姿をとどめているとのこと。
<土蔵造り>
どぞう遠くからでも目立つ重厚な土蔵造り。木半の屋号で知られた穀物問屋・
矢部家住宅です。いかにも歴史的建造物という佇まいです(現在の建物は明治37年から)。
<元旅籠>
こちらの
小林家住宅主屋は、江戸時代末期頃に建てられた旅籠を材木商が店舗として利用してきたととのこと。改修されてはいますが、外観は建築当時の姿をとどめているそうです。
続いて
<桶川宿本陣遺構>
[桶川市寿]2丁目宿場の中央に位置する
本陣跡です。先述の通り、名だたる殿様が宿泊・休憩した場所です。15代将軍徳川慶害の父で水戸藩主の徳川斉昭が宿泊し、文久元年(1861)年には皇女和宮が宿泊した記録が残っています。この大変な役割は、代々甚右衛門を襲名した
府川家が勤め、宿場の全体の運営にもあたっていました。桶川宿には府川家本陣に加えて、これを補う脇本陣2軒が置かれていました。遺構はありませんが、1軒(武笠家)は本陣のお隣、もう1軒(内田家)は道を挟んだ向かい側です。
<現地説明板>
私の訪問時は中には入れなかったので、入口に設置されている説明板を確認させて頂きました。こんな感じの建物なんですね(画像の左下)。広大な本陣のうち、現存しているのは一部(右下画像の赤で囲んだところ)のようですが、残っているだから大変貴重な遺構です。
<中山道宿場館>
[桶川市寿]1-11-19こちらは桶川市観光協会が運営する観光案内所です。
<館内展示物>
桶川宿に関する展示物が多数。最初にここに寄れば良かったです。春先の訪問のためお雛様も飾られていました。
<宿場の浮世絵>
こちらは埼玉県内の中山道の宿場。右上から蕨・浦和・大宮、上尾・桶川・鴻巣、熊谷・本庄・深谷。
<休憩所>
ちょっと休憩です。宿場跡の案内板も設置されていてトイレも完備。助かりました。
<市神社跡>
いちがみしゃ現在の東和銀行に設置されている
市神社跡の標柱。桶川宿で五と十のつく日に開かれていた「市」の守護神がここに祀られていました。明治になると、交通の妨げとなることから、市神社は桶川稲荷神社へ移されました。合祀され今は八雲社として祀られています。
次は旧中山道から少しだけ南側に入った寺院です
<大雲寺本堂>
だいうんじ[桶川市西]1丁目1557年創建と伝わる寺院です。山号は龍谷山。宿場を取り仕切った府川家の場所でもあります。宿場の上方(京側)にありることから「上の寺」とも呼ばれていました。足立坂東三十三箇所霊場の第2番札所です。
<一里塚跡>
歩道橋に設置された桶川市教育委員会さんの説明文によれば、一里塚がこの付近の中山道の両側にあったそうです。杉が植えられ、根元には妙見菩薩が祀られていました。明治になって取り壊されたようです。
<北側の木戸跡>
木戸跡の石柱です。ここが宿場の北側の出入り口です。「北の木戸」または「上の木戸」などと呼ばれています。
これで宿場跡の通り抜けは終了です。かつてのメインストリートを歩いただけですが、充分に楽しめました。
探索の最後に、街道から東側へやや逸れますが、桶川宿の鎮守にお邪魔させて頂きました。
<桶川稲荷神社>
[桶川市寿]2丁目14-23創建は1134年又は嘉禄年間(1225-1227)という古い神社です。
<境内>
鳥居、稲荷神社拝殿
境内社は雷電社、そして琴平社・八雲社・阿芙利社
<大盤石>
だいばんせき約6百キロの力石!?ちょっと無理かと思いますが…
三ノ宮卯之助なる人物が実際に持ち上げたとされており、日本一重い力石と言われています。現地の説明板をみると、手で持ち上げたのではなく、足を使ったようにも思えましたが、それでも凄いことですよね。三ノ宮卯之助は岩槻出身で、江戸一番の力持ちと評判の力士でした。
そして
<紅花商人寄進の石燈籠>
かつての繁栄を物語る
紅花商人寄進の石燈籠です。桶川郷の紅花の生産量は、出羽国の最上紅花に次いで全国第2位を誇っていました。気候の違いから収穫が早いという有利さもあったようです。文化が花開く根底には、経済的な基盤があったわけですね。石燈籠は先ほどの力石とともに桶川市文化財に指定されています。
最後に
<欅稲荷神社>
けやきいなり境内の欅の木の中に稲荷神が祀られていました。私の知る限りでは一番小さな稲荷神社です。
以上です。
桶川宿のなごりのご紹介でした。
蛇足になりますが、日本橋から40qという距離は決して短くありませんよね。飛脚、つまりその道のプロならともかく、普通の人が1日で歩いたのですから、江戸時代の人達はみなさん健脚ですね。
■訪問:桶川宿跡[埼玉県桶川市寿]他
お城巡りランキング■参考
・現地説明板(桶川市教育委員会)
・中山道宿場館パネル他
・Wikipedia:2024/3/3