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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2021年11月28日

西棟午前六時半


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』四曲目、「西棟午前六時半」です。

このアルバムは、この曲から不吉な影が漂い始めます。それもそのはず、この曲は傷つき病んだ玉置さんが入院させられた精神病院の歌なのです(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。「アルマイトの食器」?「山盛りの錠剤」?最初は薬師丸ひろ子さんのきれいな声に騙されてよくわかりませんでしたが、これらは病院が舞台だったことを示しています。

意味が分かると、冒頭「グーテンモーガン」さえ、むかしは医者がドイツ語必須だったからか、なるほどー、と思わず納得してしまうくらいです。『ブラック・ジャック』とか読んでるとわかりますよね、看護婦さんのことをプレ(プフレーゲ)といったり、患者のことをクランケといったり腫瘍のことをイレウスといったりしています。ただ「ゲンさん」が何者か問題が残りますが(笑)。まあー、たんなるボンヤリしたイメージなんでしょうけども。昭和末期〜平成初期はまだ医学といえばドイツ語というイメージはあったのです。いまでもメスとかガーゼとかカルテって言いますもんね。

さて曲はかすかなウィンドチャイムから始まります。シンバルが響き、ベース、アコギ(おそらく二本)とともに薬師丸さんの声、それに合いの手を入れる玉置さん……なんて歌っているんでしょうね?「why」だと思うんですが……なんでぼくはこんなところ(精神病院)にいるんだろう?なんで六時半に起きてラジオ体操とかやってるんだろう?と、いまいち状況を飲み込めてない感覚を表しているのだと思います。思いますが、なにぶん歌詞カードに記載がありませんので、これも戯言にすぎません。「スズメたちの合唱」から「イチ、ニ、サン、シ」と掛け声が入り始め、その後最初のサビが終わるまで掛け声が続きます。「ロールパンふたつ」のところで一時掛け声がやみますから、ああ、朝食になってラジオ体操終わったのかなと思ったんですが、「山盛りの錠剤」以降また掛け声が入りますから、そういうわけでもなかったようです。薬飲んだらまたラジオ体操ってことはないでしょう。ただ、薬飲んだら長時間眠るということを繰り返していたそうですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、ロールパン食べて薬飲んで寝たら気がついたときにはまたラジオ体操の時間だったということはありえなくはないです。まあ、ふつうに、「六時半」に起こっていることをずっと歌っている、だからつねにラジオ体操がバックグラウンドミュージックだったんだという可能性が一番ありそうですが。

この掛け声、非常にカオスです。心の中はグチャグチャになっているという内容の歌詞なのに、それに反しひたすら規則正しく澄んだ声で聴こえてきます。自然の無秩序にムリヤリ折り目を入れるような……アメリカの州境やアフリカの国境のように不自然なのです。マモルは朝顔と話しているし、裸足の友達は思い出の中、丘で猫を追いかけているし、洗面器の水からは自由に舟を漕ぎ出す舟が連想されるし……思惟は乱れっぱなし、だからこそ自然なのですが、そこにムリヤリ折り目を入れる残酷さをこの掛け声は演出しているかのようです。

そして「ラジオ体操始まる」の直後に入る鍵盤らしき音とともに、曲はBメロからサビへと向かいます。それまでアクセント的に入っていたパーカッションのほかに、ここでスネアがズバアン!ズバアン!と異様にいい響きで入ります。上述したように、午前六時半にラジオ体操の掛け声が響く中、洗面器の水に映った太陽に海を連想し、自由に海原を進む想像を膨らませるという、悲愴すぎる歌です。これを、薬師丸さんの美しい歌に玉置さんが導かれるように、のびやかに歌うのです。体はどこも悪くないのに松葉杖ついた歩みのような、そんな不安定で頼りない歌を薬師丸さんが支えているかのようです。薬師丸さんは新人の頃から異様に音程なり拍なりが安定した歌い手でした。それにこの澄んだ美しい声で……こういっては何ですが機械のように正確で乱れないんです。それがなんとこの歌を導くのに適格であったか……偶然なんだとは思うんですが、こういう時期に伴侶であった人が薬師丸さんでなければこの歌は生まれなかったか、生まれていたとしてもその迫力は半減していたことと思われます。「いいね、きっと……」と、なにが「いいね」のか全く根拠のない希望を発出して一番は終わります。どこでも、ここでないどこかなら「いい」んだと、そこまで追い詰められた心情が痛いほど伝わります。

「シャシャシャシャシャ……」と爽快さのないシンバルが響くなか希望の一番が終わり、絶望の二番がはじまります。アルマイトの食器にロールパンという給食然とした食事、たくさんの毒々しい色した錠剤、それらを摂取してまた眠りに就くのです。駐車場ではおたまじゃくしが水たまりの中で泳ぐ……もちろん水たまりが乾けば死にます。どうやってそこで孵化までいったのかは問わないにしても、理不尽極まりない出自、生活環境です。このおたまじゃくしはかわいそうな生物でなくて音符のことか?病院という水たまりで生まれた、記録のすべのない音楽のことだろうかと思わなくもないのですが、それにしたって消えゆく運命です。

歌はBメロ、裸足で猫を追いかけるってサザエさんかよという野暮なツッコミはナシにしても、現代人が裸足で追いかけるってことは現実には起こらないでしょう。足痛いし(笑)。これは思い出の中で、「自由」のイメージが膨らんでいるということなのでしょう。立ちふさがる壁のない丘で、現代人の制約たる靴を抜ぎ、ランダムに逃げ回る猫を追いかけるという規則性のない行動、まさに自由なのです。それが自分でなくて「友達」であるということがまた悲しいのです。

曲はサビ、いろいろ自由のイメージを膨らませてもそれは自分でなく、自分は西棟で規則正しく六時半に起き出して規則正しい掛け声に合わせてラジオ体操をしている。「いつまで(いつまで)ここに(ここに)いるのだろうか」と、薬師丸さんのリードを外れてまで復唱せざるを得ないくらい「いつまで」「ここに」は、わからないという不自由極まりない思いを抱えて。「欠けた(欠けた)心のまま(心の)かけた体のまま(体の)」と、今度は薬師丸さんがあなた病人なのよと念を押すかのように復唱の側に回ります。これはたまりません。「楽しそうに笑う朝」は、そこにいた人々が笑っているのか、「朝」が笑っているという比喩表現なのか……いずれにしろ玉置さんは笑うどころではないでしょう。「それでも」玉置さんが笑うのかもしれません。悲愴な心情で、それでも朝のさわやかさに生き物として爽やかさを感じずにいられないという業のようなものを感じてしまっている……という「笑う」だったとしたら、なんとつらい笑いでしょう。

間奏、バスドラが「ドッ・ドドッ……ドッ・ドドッ……ドッ・ドドッ……」と規則的に打たれ、歓声と……「グーテンモーガン」……イチ、ニ、サン、シ……玉置さん自身の声で「背伸びの運動!腕を前から上げて!」……これはカオスです。少しも楽しそうではありません。一秒も早くここから出たいという気持ちにさせてくれることでしょう。しかし、これが一番肝心なことですが、カオスなのはおそらくは西棟ではなく、玉置さんの心だったのです。実際には三日で脱走して旭川に帰り静養していたそうですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、最高でも午前六時半は三回しか経験しなかったと思うんですけども、よほど組み合わせが悪かったのでしょう。玉置さんのストレスが最高潮に高まり、それなのに懸命に落ち着かせようとする周囲、それがまたストレッサーとなって悪循環となったように思われます。

歌は最後のサビに向かいます。また洗面器の水で漕ぎ出そうとします。もちろんそんなことムリですし、ご本人だってよくわかっています。でもそうイメージされて仕方ない「いつか だから もっと」と、「いつか」以外は直接的に修飾する語句がない、不明瞭な希望を感じさせる接続詞や副詞です。それを叫ぶように、多重録音で……感じられない希望を懸命にもとう、保とうとする叫びのように聴こえます。薬師丸さんの「頑張ろう……頑張ろう……」が、渦中にあるものにとっては救いの糸のように感じられることでしょう。人間、袋小路に追いつめられると、いつ、どうやったら、確実に、その窮地を逃れられるか以外の情報はどうでもいいこととして扱う習性がありますから、「確実なんてないよ、もしかしたら逃れられないかもしれないよ、でも頑張るしかないだろう?」というごく当たり前の忠告は雑音、悪くすると冷やかしにさえ聴こえるかもしれません。それでも、薬師丸さんにいわれたら頑張っちゃうかな(笑)、あ、いや、それはわたくしのことでありまして、玉置さんがどういう意図でここに薬師丸さんのセリフを入れたかは、もちろんわかりません。

そんなわけで、この時期の玉置さんの心の内部、非常に暗く重いテーマを歌った歌たち、その象徴のようなこの「西棟午前六時半」ですが、これですでにお腹いっぱいという方はもうこの先聴きとおせないかもわかりません。この先、ズンズンとさらに重くなっていくのですから……。当時のわたくしは感受性が鈍かったのか「変な感じだなあ」と思っていたので何ともなかったのですが、人によっては重力のきつさをモロに受信してちょっと具合悪くなってしまうなんてことがあるかもわかりません。それはもちろんわたくし本意ではありませんし、なにより玉置さんや須藤さんにとっても本意ではないでしょう。ですからどうかみなさまご自愛くださいますよう心よりお願い申し上げます。

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2021年11月21日

ダンボールと蜜柑箱


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』三曲目、「ダンボールと蜜柑箱」です。

「ウウン……」と謎の音、たぶんベースだと思うんですが、玉置さんの低い声に聴こえないこともありません。玉置さんはベースが一番得意と2001年におっしゃってましたが、それは玉置さんにとって歌うように弾ける、リズムを刻みたいときに刻める、その両方ができる楽器からじゃないかな、なんてインタビューを読んでいて思います。

いきなり余談ですが、いまはもうベースって初心者がジャンケンで負けて担当する時代じゃないんですよね。ベーシストに憧れてベーシストになりたくてベースを始める若者が多いとききます。もちろん昔もすごいベーシストってのはいたんですけども(古い時代だと、それこそ岸部一徳さんとか)、初心者の目に入る、耳に入るようになったんでしょうね。動画も多くなりましたし、家で聴く再生機器の音質も派手になりましたし(いい音だとは言っていない)。

さて曲は、アコギ・ベース・ドラム・パーカッションで始まり、すぐ星さんアレンジのストリングス、そしてエレキギターの旋律が入ります。右に左に振られたアコギ、なんと美しい音色でしょう。中央のエレキも見事な甘いトーンで、これはもちろん玉置さんが弾いたんですけど、最初は矢萩さんが弾いたんじゃなかと思ったほどです。ストリングスもシンプルなんですが……ほれぼれします。星さんいないとだめだよホントに!と玉置さんが頼りにしていたのはもちろん精神的支柱としてでもあるんでしょうけども、このアレンジの手腕は当然にアテにされていたと思うのです。

伴奏はアコギだけになり、歌が始まります。暗い物置から幼いころの思い出がつまったいろいろなものが出てくるシーンを、アコギに乗せて玉置さんが歌う……これは、文字通り弾き語り、ほんとうに語っているのです。本物のシンガーソングライターだけができる「弾き語り」です。フォークソング時代、歌の途中にとつぜんしゃべり始めるアレとは違い、歌うことで語っているのです。アレはシンガートーカーソングトークライターとでもいうべき別の種類の芸術家だとわたくしは思うのですが、基本好きではありません(笑)。

ここで玉置さんの歌によって語られるものは、「置き手紙」のような明確なストーリーの一片ではありませんでした。古いアルバム、顕微鏡、柱時計……と、次々に現れるものの名前、ただの名詞です。ただの名詞なのに、なぜ泣けるのか?「瞳の中の虹」でみられた「切妻屋根」「時計台」「髪飾り」「陽炎坂」……と同じ手法なんですが、それら名詞の一つひとつが惹起するイメージを組み合わせることで、これほどの世界を描けるとは……ふたたび思い知らされたにとどまらず、玉置さんの凄まじい歌唱力によってその世界がどれほど生き生きと眼前にというか脳裏に焼き付けられるのか……「カビの匂い」に至っては、ほんとうに嗅覚が起動してカビの匂いがするんじゃないかと思うくらいリアルです。そして「がらくた」はモノの名前でありながら、古くて役に立たぬものという価値判断を含んだ、思考回路を刺激するワードです。幼いころにはなんらか価値を持っていたものなのですが、長い時を経たいまとなっては無用のものであるという今現在の判断を示すワードによって、星さんの流麗なストリングスに乗って遠い思い出の日々に運ばれていったわたしたちの意識を現在にフッと呼び戻すのです。なんという鮮やかな技法でしょう。星さん、須藤さん、玉置さんでなければ決してたどり着かないだろうと思われるこの領域、わたくしの狭い音楽見聞では似たものを示すことすらできません。

曲はサビに入ります。須藤さんの書いたイメージ、かくれんぼをしていて寝てしまって、月のウサギと散歩するイメージに玉置さんが共感したところからこのアルバムの製作が始まった(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)という、そんな原点的なイメージを詞にした箇所です。おそらくはそのイメージをもった玉置さんが曲を作り、言葉を当てはめていったのがこの詞なのでしょう。須藤さんのイメージは「長持ち」だったそうなのですが、作詞の段階で、リズムや音数に合わせて「ダンボール」へと変わり、このアルバムの初回限定版ジャケットがダンボール製に、そして須藤さんは「ミスター・ダンボール」になるというアイデアの発展が起こりました。

ダンボールに隠れて、隠れているのに早く見つけてほしくて待ってるんです。なんという子供心!そうなんです、見つけられて、驚かれたい、笑われたいんです。見つかったら収容所送りで死を意味する逃亡とは違うのです。遊びなんです。100%遊び心しかない、そんな純粋な心がたったこれだけのイメージで描かれ、玉置さんの極上ボーカルによって語られ、そして星さんがストリングスをあてるのです……誰もが持っていたあの子供心へとこれほどわたしたちをトリップさせる歌があったでしょうか……。「きみがーは・や・く…「うさぎーた・ち・と……」と、鬼気迫る抑揚の付け方で、わたしたちの脳内からそれ以外のイメージを追い出してしまうかのようなどんでもないボーカルです。

歌は二番に入りまして、エレキギターとストリングスが最初から入り、「蜜柑箱」が登場します。はて?蜜柑箱ってダンボールじゃないの?とわたしくらいの年代は思うわけなのですが、これはもちろん須藤さんや玉置さんに訊かないとわかりません。昭和中期くらいまでは木箱で、子どもの机に使うこともできたくらいいい箱で蜜柑は輸送・販売されていたそうなのです。そうした蜜柑箱なのか、はてまたダンボール箱なのか……ダンボールなんじゃないかなーと思いますけども、あえて「蜜柑箱」といったからには、「蜜柑」という果実のもつ飾らないイメージと、それを箱で買うんですから家庭の臭いとを想起させるワードであるように思えるのです。ちなみに、蜜柑箱はダンボールでもかなり質のいい部類に入りますので、宝箱に転用することも十分考えられるのです。それこそビーズのような小さなものでも隙間から失われることがなく、プラモデルのような脆いものでも壊れることなく、ときにはお気に入りのアメリカの風景が写された写真の切り抜きのようなものを保管しておく、そんな信頼感ある丈夫なダンボール箱だったのを思い出させます。

ところで、昭和55年ころですが、「赤いきつね」「緑のたぬき」で、武田鉄矢がCMでトレーラーの運転手か誰かを相手に何かやるCMがあったように記憶しています。それでそのキャンペーンでトレーラーのおもちゃだったか下敷きだったかが当たるというイベントがあったと思うのです。なにぶん幼少の頃なのでちゃんとは思いだせないんですが、あのトレーラーの巨大さ、武骨さはわたしを魅了しました。そしておそらくは両親に教えてもらったのでしょう、アメリカという国名で一番最初に記憶に刻まれた風景は、そのキャンペーンチラシの銀色に輝くトレーラーが砂漠をゆくシーンなのでした。あのチラシがわたくしの「憧れてたアメリカ」です。これが「中国」や「イギリス」では少年の夢っぽくない……というのは偏見ですかね(笑)。

曲は再びサビに入ります。玉置さんのボーカルが大きくなり、望郷の念、郷愁の念、そして子ども時代への追憶……すべてを語るすばらしい歌・詞です。「今でも」隠れているんだと、意味深な告白を叫びます。もちろん隠れているわけないんですけど(笑)、あのころの遊び心を今でも忘れていない、あのころの「君」への思い・期待はそのままなんだよ、と強く強く歌い上げ、語ります。そして「月の庭」を散歩する夢を今でも見るんだと、「君」に打ち明けます。もし子どもの頃の友達にこんなこといわれたら、嬉しいなと思います。「君」は誰なのかわかりませんし実在する人物なのかもわかりませんが、幸せ者なんです。

曲はアウトロ、大音量でエレキギターの……いや、わたしがこの曲を弾くとしたらエレキギターを使う、それ以外でこの音が出せるとは思えないんですが、はっきり自信が持てません。こんなマイルドな音が出せるものなのか……フロントピックアップで弾くのはもちろんですが、ここまでマイルドでそれなのに何本も重ねられたアコギの中にあって存在感を示す音を作れるか、ちょっと自信がありません。ミックスの仕方で聴こえやすくなっていると考えるにしたって、この音は強烈です。玉置さんもギタリストとしてタダモノでないのはもちろんわかっているのですが、こんなの聴いたらアマチュアとはいえギタリストとしてちょっとへこんじゃいますね(笑)。そしてギターはだんだん同じフレーズを繰り返すように崩されてゆき、美しいストリングスがリードして曲は終わります。

わたしが「ダンボールの中に隠れていた」で強烈に少年時代を思い出すのは、須藤さん玉置さんのイメージがわたしだけにヒットしたからだということは考えにくいですので、おそらくは古今東西多くの子どもが似たようなことをやるんだと思います。とても個人的な思い出なのにみんなに似たような経験があるという、すばらしい一面を切り取った「語り」ソングであるといえるでしょう。

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2021年11月07日

カリント工場の煙突の上に


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』二曲目、タイトルナンバー「カリント工場の煙突の上に」です。

まず「カリント工場」はふつうに考えてカリントウを作る製菓工場でしょうね。「カリントウ」と「カリント」と呼ぶのはありそうなことです。旭川でカリントウを作る工場といえば、三葉製菓さんなんですが……あれは工業団地だしなあ、金丸富貴堂さんが神居に工場をもっていたか、ぜんぜん知らないべつの会社があったか、あるいは実はカリントウでないものを作っていた工場があって、何かの勘違いで子どもたちはそれをカリント工場と呼んでいたということじゃないかと思います。

のちの『CAFE JAPAN』にある「フラッグ」のような汗と油のイメージですが、古タイヤが積まれコールタールの塗られたゲートや壁、トタンで区切られた敷地が当時はたくさんありました。当時といったって、玉置さんの少年時代より私の少年時代は15年くらい後ですけども、そんなには違わないと思います。そういう敷地はもちろん立ち入り禁止なんですけど少年たちにそんなこと言ったって無駄です。駆け抜ける「近道」や「秘密の道」は大人たちの営み、つまり「汗と油」だらけです。製材所からは木の匂い、ドブ川には汚水の臭い、道路からはガソリンの臭い、住宅からはヌカミソの臭い、どれも令和時代の若者は耐えられないでしょう。ですが昭和とはそういう時代でした。令和の時代と違って、人の営みのニオイを隠さないんですね。喫煙所を設けてタバコのにおいを隠している現代、病人を施設に隔離している現代、トイレを水洗にしている現代、昭和を10年以上生きた世代の人ならば、これらはウソの世界であるということを知っています。人間の営みとは臭いものなのです。そんななかで、パン工場や製菓工場は甘くおいしそうなニオイを排出し続ける夢のような施設だったのです。

さてその「カリント工場」は玉置さんの少年時代に溶け込んだ景色の中にあって甘いニオイを一日中ふりまき、夕方には大勢の人たちが疲れた顔で家路へとつく、そんな日常を回想するシンボルとしてその存在感を示します。「空よ」と叫ぶ玉置さんの念頭にある「空」は、いつでも「カリント工場」の煙突の上にあったのです。

歌は深めのリバーブのかかった玉置さんの声から始まります。「雲」「太陽」と天上の大きなスケールから「家路」と地上のスケールへとその視点の変化に少しクラクラとしながら、意識はすうっと少年時代へとタイムトリップしていきます。ギター、ベース、パーカッションが少しずつ入りながら、その素朴な音たちが少年時代への旅を彩ります。

ズシーン!とベースが下支えするサウンドにのせて、「万国旗」というグローバルなイメージと「ばあちゃんの家のはなれ」という超ローカルなイメージ、それをすべて包む「星」というイメージ、すべてがスケールの大小を行き来し、視点を一点に絞らせない立体的なスクラップアート……それだけじゃ足りないですね、さらにズームレンズで焦点距離をグリングリンといじられるかのような感覚に襲われます。いや、これは偶然じゃないでしょう。須藤さんがこのように仕組んだんだと思います。

ギターがアルペジオを高らかに鳴らし、「僕は町を捨てた」と衝撃的な叫びが耳をうちます。そうです。町を捨てたんです。わたしたちは若いときにはそこまで考えていませんが、「帰ってくる場所」として旅立った時、人は故郷を捨てているんです。人の営みの臭いを嗅ぎながらその中で育ってきた少年は、その営みの中に入って臭いを嗅ぎながら臭いを発出する側になることを拒否する、つまりその町の産業に加わらないことを決心するのです。エンクロージャー政策によってロンドンやバーミンガムに若者が溢れかえった数百年前のイギリスと同じで、持たざる者は都会に吸い寄せられるに決まっています。ドイルやディケンズの描くロンドンやバーミンガムは昭和の札幌や東京など比較にならぬくっさい街だったと思われますが(笑)、令和の今日、極東の日本にあっても、ネオンの灯りや香水の匂いといったカモフラージュにより、人は都会に夢を求めて集まるのです。昭和四十年代の川崎市は市民の平均年齢が二十歳未満だったといわれるくらい、若者があふれるのが都会でした。ですから活気があります。もたざる者たちばっかりですから活気しかないんですけど。数少ない大人たちはその若者からどうやって搾り取ろうか考えます。ですから、若者が好みそうなものをこれでもかと取りそろえるんです。若者たちは安い給料で働かされて、その給料さえも若者向け産業に搾り取られます。

何か都会に恨みでもあるのかと言われそうですけど(笑)、ありますよわたくし!わたくしの氷河期世代ってのは、90年代にバブルの残り香で引き寄せられた都会で散々に搾り取られ、いまだに若者みたいなライフスタイルを余儀なくされている人たちが何十万人何百万人、へたすると一千万人ちかくいるんですよ!たまにはそれが好きで続けている人もいますけど、いくらなんでも50代に近づいてまでそんな暮らしをしたい人は少数派です。田舎に帰れる人は幸せで、気がついたときには田舎の産業にはそんな人たちを受け入れる体力がなくなっています。「カリント工場」は閉鎖しているんです(玉置さんの歌う「カリント工場」は不況で閉鎖したのでなく火事でなくなったわけですが)。しまった都会に行き過ぎたおれたち……という後悔はすっかり後のカーニバル、正直、リーマンショックあたりが最後のチャンスだったと思います。あのときまだ30代前半とかそれくらいでしたし、親世代がまだ頑張って地元の産業を支えていましたから……でもすべては、おそらくはもう遅いのです。田舎の経済は東京資本海外資本にケツの毛までむしり取られ、反撃の気力すら消耗してしまいました。いずれむしり取るものがなくなったときが都会も終わるときなんですが、毎日を必死に生きている身にとってはそんなこと考えてる余裕もなくなっているのです。

恨み節が長くなりました。さて、曲はAメロに戻り、二小節に一回ずつ打たれる「ズバアン!……シャン!」というスネアとシンバル、「デゥデゥンデゥデゥー・デゥデゥンデゥデゥー」というギター、それに絡む「……シャアン!……シャアン!」というアコギのストローク、見事なアンサンブルです。視点は家の中、白い紙にクレヨンで……参った、これも少年時代を強烈に思いださせます。白い紙は貴重でしたから、チラシの裏とかでなくて、これぞというときの画用紙に描いたんでしょう、ゼロ戦、そして潜水艦……軍用機じゃんと思いますけども、旧軍のメカは当時の少年にも一定の人気があったのです。かつて南太平洋の覇者として海と空を駆け巡ったそれらのメカは、ノスタルジーにも似た一種独特のロマンを感じさせました。そして葡萄色の着物を着ていた母親……これはアルバムジャケットになっている、ネックレスをした短髪の女性でしょう。髪も黒々とした、若き日のお母さんです。きっと授業参観日か何かでおしゃれしたんでしょう、口紅が真っ赤に塗られています。玉置さんの描いたこれらの絵をみながら、玉置さんと須藤さんとで歌詞のコンセプトを話し合い、須藤さんが詞に直していったのでしょう……。平成五年に詞という形で残されたこれら昭和中期の風景は、わたしたち世代がギリギリわかる生活の軌跡であり、それでいて共感性のとびきり高い情景です。わたしは目の覚める思いでした。どれだけの人が当時この歌に救われたのかはわかりませんが、平成初期は、まさにわたしたち氷河期世代が夢をエサに都会に吸い寄せられ、元祖「ウェーイ」世代として明るく呑気に搾取されていたギラギラの時代でした。玉置さんと須藤さんが示してくれたこれら風景の描写がなかったら、わたしは今頃どうなってしまっていたのかと冷や汗が出ます。

さてサビにて、玉置さんちょっとゲイン高いです、音割れてますよ、とエンジニアに言われてそうですが、玉置さんはそんなことお構いなしにとんでもない声量で叫びます。「空よ」「大空よ」「忘れないでくれ」「連れていってくれ」と。「演出上一部ひずませている」そうですが、いやいやこれは録音時からひずんでいたでしょ(笑)。でもこのひずみが、玉置さんの心の叫びを絶妙に表現しているように思えるのです。想定していたゲイン幅をはるかに超える声が、メーターを振り切って絞り出されたのだと思うのです。「カリント工場の煙突」を震わせるんじゃないかってくらいに空に、昭和中期のあの空に向かって叫んだのです。

さて曲は、演奏がすっかり静かになり、玉置さんの声が、ディレイがかかり、きもちリバーブ強くなったでしょうか、ドライ音にリバーブかけすぎです玉置さん、とかエンジニアに言われてそうですけど、そんなのお構いなしにものすごいシリアスさで「あの出来事」を歌います。エンジニアが何といおうとこの場面はこのディレイ、このリバーブでなければならないと玉置さんは判断したのでしょう。幼少のころ、川で溺れた隣家の子どもを救えなかったことを強く後悔し、その後その子の家庭が崩壊してしまったことに心を激しく痛め、誰にも話せないまま少年期、青年期を送ってきた玉置さんが、その出来事を「いまでも泳げない」「堤防から〜花束が〜」と歌います。たったワンシーンですが……どれだけ痛かったんだろうと想像するだに胸が苦しくなります。志田歩さんは『ジョンの魂』におけるジョンのように玉置さんが「トラウマを音楽に昇華させた」とおっしゃっています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。「昇華」というのはジークムント・フロイトの防衛機制理論に、娘さんのアンナ・フロイトが付け加えたものです。心理学や精神医学にはまるでわたくし不案内ですが、トラウマって「昇華」させるものと違うような気がします。音楽人間である玉置さんがいわゆる「自己開示self disclosure」を行う手段が音楽だった、それに対するわたしたちリスナーの感想や感覚が「返報」であると考えるほうがしっくりきます。玉置さんは何十万人ものリスナーに「自己開示」を行い、それによりわたしたちリスナーが共感し、自分の少年少女時代を思いだせられなんらかの思考を働かせた、人によってはそれを他者に話したり、文章・詩・歌に表現したりしたかもしれません……こういう壮大な心理作用ドラマがあったと思うのです。

「消えた……」と深いリバーブの残響音が消えるまで、曲は伴奏が止まり、一瞬無音になります。そして曲はまたアップテンポになり、少年期の終り〜青年期初期らしき情景が歌われます。深い喪失感と後悔が幸せだった少年時代に影を落とすことになった原因となったあの出来事は、「あの娘」が紅を引きタバコを吸うような年齢になっても、ライブを終えて打ち上げを行った街で破れた金網越しにネオンを見るような活動のライフステージにあっても、ずっと心の一角を占めていたのでしょう。

ところでさびれた商店街ってどこだろう?とは思いました。神居は旭川中心街から川を二つ渡ったところにありますが、商店街ってほどの商店街はなかったような……旭川に限らず北海道の都市は土地をぜいたくに使っていますので、本州の人が想像するようなごちゃっとした商店街や繁華街はそんなにないんです。中心街平和通り三六街が一番イメージピッタリなんですが、ここを「さびれた」って言ってしまうと北海道のほとんどの街はさびれてることになってしまいますので(笑)、ここは玉置さんと須藤さんのイメージによってつくられたイメージ上の商店街なんだと思いたいところです。中心街もわたしの少年時代よりはだいぶさびれてきてるように思いますけど、わたしの少年時代には人がいっぱいでしたし、ましてや玉置さんの少年時代はそれはそれは賑やかなところだったはずですから。

そしてまたアルペジオ、町に「変わらないままでいて」と強く強く叫び、願います。続けてサビ「空よ」「大空よ」と、叫び願った「あの場所」はすでにありません。空間的には存在しますが、そこにあった営みはすでになく、人たちも入れ替わりながら、町は大きくその姿を変えてゆきました。「再開発」という名のもとに変わってゆく町は、開発のたびに寂しくなっていったのです。どこが開発なんだよまったくもう!と怒りたくなるくらいです。

そしてこの曲随一のアップテンポで、「市営住宅」の広場でリレーしたという思い出が語られます。ここの箇所、アコギが分厚くて、聴き惚れてしまいます。いったい何本重ねたんだろう?右からも左からも「ジャッ!ジャッ!ジャッ!ジャッ!」と鋭い音が聴こえてきて、ピンポンディレイでも使ったかと一瞬思いますが、たぶんその手の小細工は一切せずに、納得いくまで重ねたんだと思います。

市営住宅に子どもが溢れていた時代には、家に帰ってきても周りじゅう友達だらけ、ランドセル置いたらすぐに再出発、広場でボール投げにかくれんぼ、缶蹴り、とうとう飽きてリレー、わたしもやりました。なんだかわかんないけど「帰りの会」で集合がかかって、校区内にある公園や、大きな団地にいつも集まるんです。毎日飽きもせずリレーやったりポコペン(北海道式缶蹴りみたいなもの)やったりと、日暮れまで遊んだものです。だから、今どきの子どもたちが習い事で忙しくしているのをみると、気の毒にさえ思えてくるんです。きっとこの子たちは「元気な町」や「メロディー」の世界を理解できないんだろうな、この曲の「みんなでーええーええー」の叫びが届かないんだろうなと。ですから、「あの場所」はもうないんです。

そして曲は最後のサビへ進みます。「空よ」「大空よ」と、令和初期の現代となってはその願いはとても虚しいものだったとわかってしまう強い強い願いを、玉置さんは渾身の声で歌います。胸が詰まります。「あの場所」は、すでになくなってしまった「カリント工場」の煙突の上、空からみれば、いまでもあるんじゃないか、あってほしいと思ってしまいます。ですからわたしは、たまに帰省してもそういう思い出の場所には立ち入らないことにしています。「あの場所」はまだあの公園にあるんだと思っていたいからです。

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2021年10月23日

花咲く土手に


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』一曲目、「花咲く土手に」です。

歌詞カードにまず圧倒されます。「たまきこうじ」のクレジットがありますが、ほんとに玉置さん描いたんですかってくらいキレイに保存されていたようで、美しいクレヨン&水彩絵の具の、教室の絵です。わたくし、これ大人が子どものフリして描いたんじゃないかと思いました。何年生で描いたのかわかりませんが、ちょっとビックリです。そして、歌詞に使われることばの素朴さといったら!麦わら、赤とんぼ、土手、じいちゃん……これまでに安全地帯や玉置さんに抱いていたイメージが完全に吹っ飛び、一体何が始まったんだと驚いてしまいました。その一方で、わたくしこういう世界が結構好きですので、歓喜に踊る気持ちもうっすらないではなかったのです。思えばライブアルバム『ENDLESS』で歌われた「小さい秋みつけた」のときから、こういう時代のいずれ来ることを!わたくしひそかに!予見したいた!のです!もちろんウソです!

さて曲は、ガットギターのスライドから始まるソロ、普段びきのアルペジオ、大きめのベース、手で叩いたんじゃないかっていうドラム、そしてなにやらドラムにない打楽器……なんでしょうね、コツコツとギターを指先で叩いた音に似てます。たぶんボンゴですが、いい音がリズムに入っています。ドラムのほうはやけに控えめなバスドラ、スネア、そしてかなり直径の小さいであろうシンバルだけで、シンプルに徹しています。

クレジットをみても他の人が演奏したという記載は何もありませんので、おそらくは玉置さんがすべて演奏なさったのでしょう。そして『幸せになるために生まれてきたんだから』にあったように、あちこちリズムがあやしいです。自分だから合わせられるってだけで、これは複数人のミュージシャンではかなり合わせづらい曲です。その意味で、ザ・玉置一番搾りって感じの、マジで玉置さんの魂がそのまま音になったんじゃないのという凄みあるサウンドになっています。

歌はもう、寂し気で牧歌的な歌詞を、鬼気迫る声で歌い上げています。最初に歌とギターを録って、あとからベースもドラムも重ねていったそうですけど、この歌がないと逆に重ねられないでしょうね。自分がどういうノリで歌ったかを聴きながら脳内で再現しつつそれに合わせて演奏しないととても合わせられたものではありません。たぶんですが、ベース先でドラムが後でしょう。通常のやり方とまるで逆ですが、わたしだったらベースのほうが歌に合わせやすいですし、ベースがないとドラム入れられないように思います。

歌が始まりまして、ボンゴ(らしき音)とベース、ガットギターのアルペジオを伴奏に、玉置さんのしみじみとしたABメロが流れます。「麦わら」「赤とんぼ」「土手」と、かなり慣れ親しんだ場所であることが示唆されます。こういうワードでは誰もが心の中のふるさとを思い出すのでしょう。そして「野辺送りの長い列」と、今日はふるさとの葬式であるという強烈な寂しさをいやがうえにも私たちに引き起こさせます。力技ですが、うっかり正面からくらうと涙モノです。最初はまさか葬式の歌だなんて思ってませんから、わたくし直撃を食ってしまいました(笑)。「長い列」の「つうー」が寂しすぎて卑怯です。

ここでいつもの北海道人話なんですが、北海道では野辺送りなんて見たことがありません。子どものころですでにバスで火葬場でした。霊柩車すらほとんど見たことがありません。霊柩車あったのかな?なんか、スキーバスみたいなでかいバスで、スキーバスならスキー入れるところに棺を入れて、みんなそのバスに乗って行ってたような気がしますが……。わたしより玉置さんのほうが上の世代ですから、もうちょっと前はやってたのかな?それとも須藤さんが入れた言葉なんじゃないのかな?なんて思います。でも、この歌で「黒い服着た人たちのスキーバスがゆく」なんて歌ったら、とくに他地方の人にはなんだかわからない歌になりますから、その様子を「野辺送り」と言い換えたほうがよろしいかとは思います。

歌はサビに入ります。バシッとシンバルが入ってドラムが加わりますが、基本的にはアレンジの調子は変わりません。というか、これでフル構成です。とことん、シンプルです。

「花咲くふるさと」ですから、春なのでしょう。「春風の中を歩く」ですし。「星が落ち」たのは、「じいちゃん」が亡くなったということで、「真白き百合を抱いて」というのは……文字通りだと思うんですが、イメージなんでしょうね、百合は抱かないと思います。百合の花粉が喪服に付いたら大惨事ですんで(笑)。慌てず騒がずガムテープ、それでだめならもうクリーニングですね。位牌とか遺影とかをもって、棺を担いだ数人を中心に行列でウロウロしながら火葬場に行くのです。悲しき行列ですが、大切な儀式なのです。ウロウロするのは、魂が舞い戻ってこないようにするためにわざと道を複雑にするという意味があるそうです。もっと昔は土葬でしたから、いわゆる「魂魄」の「魄」が作動して(つまりゾンビ状態になって)戻ってこないようにする、という意味もあったことでしょう。ですから、親族にとってはゆっくりと名残を惜しみつつ、これから完全にお別れなんだという事実を噛みしめるために、その道のりを踏みしめるという意味があるのです。ここでのベース、効いてますね……みんなでゆっくりゆっくり、しかし着実にお別れに向かって進んでいるという情景をいやがうえにもわからせてくれます。ズーン、ズ・ズーン、ズーン、ズ・ズーンと進むのです。

曲は二番に入りまして、ひきつづき野辺送りの様子です。「むずかる幼子の手」を「姉さん」が引いている……これはまた徹底的なわびしさを感じさせます。たぶん末の孫というレベル、じいちゃん死んじゃったの?と訊く前の発達段階、つまり、わけがわからず参列し歩いているんです。親は棺担いだり遺影もったりと役割がありますから、上のほうの孫娘、つまり従姉なんだと思いますが、そうした「姉さん」が子どもをあやしながら連れてゆくという役目をおいます。そんな「姉さん」が弔意を示す「真珠」の胸飾り、それに映るロウソクと夕焼け、それがなんと悲しいことか。当時は余裕で明治生まれのじいちゃんばあちゃんがいましたから、親族が集まるとたいてい大人数になります。ですからこんな役割分担をしたうえでの儀式も行うことができたのでしょうけどもが、現代ではおおよそ難しいでしょう。だんだん、忘れられてゆく、失われてゆく光景がこの歌には描かれています。

曲はまたサビに入りまして、ここから野辺送りをちょっと離れ、東京から帰ってきた「ぼく」がこのふるさとのことを懐かしんでいたことが歌われます。「澄んだ空を」「思いだした」と叫び気味に歌う玉置さんの声がなんと切実に聴こえることか。トシをとると葬式しか集まりませんし、帰らないんですよ。コロナ騒ぎのせいでもありますけど、ほかにもいろいろありまして、わたくしもう何年も故郷に帰っていません。「ビルのすき間から見上げて」ふるさとを思いだすという気持ちはよくわかります。わたくしの場合ふるさともビルのすき間だらけですが(笑)。親族からはすこし薄情気味に思われていても、それでもふるさとに寄せる思いはあるのです。まして玉置さんはそりゃもう忙しい身でしょうから、ツアーの初期に旭川に寄るくらいしか帰省のチャンスはなかったものと思われます。そして、昭和末期・平成初期の安全地帯に不満を抱き、音楽的にも「ふるさと」である旭川を思う気持ちはとてつもなく大きく膨らんでいたものと思われるのです。

二回目のサビを終え曲は唐突に調子を変え、いわゆる「大サビ」に入ります。「冬の寒さ」を「みんな隠している」とはまたなんと意味深な……北海道ですからもちろん冬は寒いんですが(笑)、それでは「それぞれの」にはなりません。これは、各家庭や、個人の抱えた苦境のことを指すのでしょう。そりゃ葬式の時にというか、親族が集まったときにわざわざ「じつは生活が苦しくて……」と話すようになったらかなりヤバい段階に至っているということを意味しますから、そこまで寒くなってないとは思います。毎年冬は来るのですから、いつもの寒さ、誰もが抱える苦境のことなのでしょう。

曲は間奏、ガットギターでのソロに入ります。ごく短い間奏です。柔らかいガットギターの音なんですが、悲鳴のように聴こえます。葬式の時にやっと戻ったふるさと、じいちゃんとの別れがなければ戻らなかったふるさと、それでも忘れていない、ここがぼくの原点なんだ、愛しいふるさとなんだという、しみじみとしてるのに叫びたい気持ちの表現であるかのごとく、悲しい音色です。

曲はサビを二回繰り返して、正確には最後のサビは頭の二小節ばかり短縮して途中から、……正確には前のサビに二小節食い込んだというべきですかね、になっていますが、これも「覚えてるよ」というメッセージを前に出す効果抜群ですね。覚えてるんだ!と前のめりに言いたいとよくわかる、どうしてこんなこと思いつくんだろうと思わせる技法です。

このラスト二回のサビで、じいちゃんへの思い、ふるさとへの思いが、両方かけがえのないものであって、混ざり合い、ほとんど同一のものとして意識の奥にあったのだということに気づいたということが、聴き手にもよくよく伝わってきます。

「青い空」は日本全国どこでも青い空です。東京でさえ空は青いです。ですが、「ぼく」が覚えているのはふるさとの青い空で、ほかの空はちょっと違う青空なんでしょう。そりゃ気温とか湿度とか光化学スモッグとかで空の色合いは微妙に違うわけなんですが、決定的に違うのは見た回数とか年数なんだと思います。「つかの間の」といえるほど北海道の夏といえる期間は短いわけなんですが、それにしても見た回数年数はまだふるさとのほうが多いでしょう。それもいつか東京の空のほうが回数年数ともに上回り、ふるさとの青を上書きしてゆくのだと思われますが、それでもきっと覚えているんです。どんな青?と訊かれても答えられないけど、「こんな青」と指はさせるくらいに覚えているんです。葬式などで訪れたときに、そう、この青だよと思いだしたことに気がつく……ダメだ、気力がなくなってきました(笑)。たまには帰らないとなあ。

そして後奏、スローになったガットギターのアルペジオが低音のメロディーをまじえつつ、曲を閉じます。シンバル、ベース、そしてボンゴ(らしき音)、必要最低限の装飾で曲は静かに終わります。ホントに最後の瞬間に「キラキラキラ……」とウィンドチャイムらしき音が聴こえますけども、シンセを使ったとは記されていませんので、「パーカッション」の一部として玉置さんが指でなぞったのだと思います。なんというこだわり!私だったらまずウインドチャイムを探してくるのが億劫でシンセでいれるか、思いつかなかったことにしてしまいます(笑)。一人で黙々と、しかし妥協せずに自分のサウンドをこつこつと録っていったこのアルバムを象徴するような曲だといえるでしょう。

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2021年10月09日

『カリント工場の煙突の上に』


玉置浩二ソロアルバム第三弾『カリント工場の煙突の上に』です。1993年九月、わたしにとっては予想していなかった時期のアルバムリリースでした。何気なく店にて「た」のコーナーを見てたら、ありゃ?あるよ?って感じです。

そして手に取って驚きました。段ボール製のジャケットに、黒のゴシック体で男女のロマンス的な要素が少しも感じられない曲名がズラッと並んでいたからです。キティからソニーに変わっていたことなんてどうでもいいくらいの衝撃です(笑)。

ただ、予兆が全くなかったわけではないのです。「パレードがやってくる」「海と少年」「あのMusicから」等、子ども時代や故郷を歌ったと思われる望郷ソングは『安全地帯V』のころからありましたし、『All I Do』にも「このゆびとまれ」、『安全地帯VI 月に濡れたふたり』にも「夢のポケット」、『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』にも「あの頃へ」と、望郷ソングの系譜は脈々と継がれてきていたからです。でも、ここでこの路線に大転換するとは思ってませんでした。せいぜいアルバムに二〜三曲でしょう、それがもう全振りです。しかも「土手」とか「工場」とか「西棟」「納屋」「畑」という土臭い言葉たちがズラリと!驚きますよそれは。

そのときはまだ、安全地帯が崩壊したとは思っておりませんでしたので、玉置さんがこのような音楽の志向をもって安全地帯の音楽を脱却しようとしていたなんて夢にも思いません。インターネットなんてものは存在すらほとんど知られていなかったこのころのことです、ファンクラブに入って会報を読むとか、雑誌を買いまくってどんな小さい記事でも逃さないとかそういう情報収集態度を持っていればある程度分かったんだと思いますけども、わたくしそうではありませんでした。その意味では先入観なく入手して、先入観なく聴いて、先入観なく驚いたわけです。現代ではかなり難しい、有難い経験で、幸せだったのです。

このときに玉置さんに起こったことは、『幸せになるために生まれてきたんだから』で知ったことが大半でした。精神的に病んでしまって旭川で静養していたこと、キティ時代からひとりでもくもくとギター弾いて歌い、自分で楽器を演奏して重ねていったこと、その後須藤さんと二人でイメージを語り合いながら歌詞を作っていったこと……志田歩さんはこのときの玉置さんの精神状態を『ジョンの魂』、制作過程を『マッカートニー』になぞらえて説明しています。いや、どっちもさみしいじゃないですか(笑)。

「東京という大都会のシステムにやられたのかな」

玉置さんの才能と能力、メンバーたちの信じられないくらいの技能と結束、こうしたものを当時の日本は渇望し、その生産性をもっとも高めることを求めるようにマーケットが反応しました。その商業的な生産性をもっとも高める環境はもちろん東京でした。音楽を作ること以外は基本何もしなくていいんです。なんなら、音楽さえ分業で、自分で作りだす箇所はごくわずかでもいいという環境です。玉置さんでいえば、究極的にはメロディーつくってハイってスタッフに渡せば後日オケと歌詞が出来上がっているから歌入れすればいいんです。実際にはアレンジにかなり大きな役割を果たしてらっしゃるんですけども、その気になれば弾き語りのデモを渡してあとは寝ててもいいんです。ですが、人だからいろいろしますよね、恋愛とか(笑)。ところが玉置さんは恋愛どころか睡眠もろくろく時間取れずに、次々にメロディーを作り、歌入れし、コンサートに出かけ回らないといけなくなりました。マーケットが明らかにそれを求めたからです。

それが売れるということなんですけど、わたしだったらたぶん途中で暴れると思います。あ、いや、音楽売れたことないですからホントはわからないんですが(笑)、わたしだったらそんなのゴメンです。音楽はみんなとああしたいこうしたいってワイワイ言いながらデモを重ねて作りたいですし、そうでなかったらすべての音符を自分で書いて自分ですべての音を録音したいです。それをやるとアルバム一枚作るのに年単位でかかりますし、コンサートなどできて年に数回です。リハだってみんなでスケジュールあわせていつならいける?って話したいですよ。それが私の知るバンドですし、自分で作る音楽だからです。ですが「売れる」、しかも「爆発的に売れる」ミュージシャンはそうでない世界に入らざるを得なくなるのです。玉置さんの苦悩もこのようなことに端を発していたらしく、すべてを自分でやりたい!という意向を最優先にして、須藤さんの歌詞、星さんのストリングスアレンジと金子飛鳥グループの演奏以外はほぼ自分で音を出していらっしゃいます。あ、お兄さんがドラム、お父さんお母さんがコーラスもされてますね。でもみんな「玉置さん」じゃないですか(笑)。このように、おおよそ東京のシステムとは縁遠い音楽の作り方だったわけです。

「奇跡的なアルバム」と玉置さんはおっしゃいます。ほんとうにそうです。これ、『あこがれ』から半年ちょっとしか経ってないんです。この変わりようと、その製作スピードだけでも奇跡的ですが、それを自分でほとんど作り上げたこと、そしてこれをそもそもリリースしていいと判断したソニーレコーズの存在(須藤さんが所属する会社)、何もかもが信じがたい奇跡です。

では、一曲ずつの短いご紹介を。ほとんどバラードで、ほとんどアコギですから、ここではそれらは書かないことにしたいと思います。

1.花咲く土手に
 葬式でしのばれる北国での少年時代を歌っています。

2.カリント工場の煙突の上に
 少年時代を過ごしたふるさとの思い出、その中にはとてもつらいことがあるのですが、それも含めてのふるさとを歌います。

3.ダンボールと蜜柑箱
 わたしは祖父母の家を思いだしますが……きっとご実家のことなのでしょう。少年時代にはこんなメルヘン世界があったことを思い出させられます。

4.西棟午前六時半
 「西棟」は最初は団地のことかと思っていましたが、のちにそうではないことがわかります。奥様とのデュエットになっています。

5.大きな”いちょう”の木の下に
 コツコツ頑張るありさんを応援する歌なんですが、我が身を思って泣かされる歌です。

6.キラキラ ニコニコ
 「元気ですか」「おはよう」と爽やかな歌詞なんですが、曲がとんでもない哀愁ソングで、ぜんぜんおはようじゃないよ!朝から泣かせるんじゃない!とツッコみたくなります。

7.家族
 聴いているとわけが分からなくなるカオスな曲なんですが、家族に対する思いってこういうものかもしれないな、とオトナになってちょっと思わされる重い歌です。

8.納屋の空
 このアルバムで、いちばん頭にとつぜんメロディーが降ってくる曲です(超個人的感想)、あまり言及されませんが、これほど魂のど真ん中に迫り、そして居続ける曲はそうはないと思います。

9.元気な町
 爽やかポップスの皮をかぶった、鬼気迫る望郷ソングだと思います。中高生や若者時代でなくて、明確に小学生時代のワンシーンを思い出させる曲って他に知りません。

10.青い”なす”畑
 若いときはわかりませんでした。青いなすって僕のことじゃんと。そして「花咲く土手」のリプライズと組み合わされ、わたしたちは生者と死者とが共に・連続的に暮らしている「ふるさと」というステージへと想いを馳せるという、それを忘れよう、見ないようにしようとしている東京という大都会のシステム・それを支える他地方という構図の現代日本そのものへの疑いを抱かせる種を心のうちに蒔く歌です。

このアルバムは、玉置さんが子どものころにお書きになった絵がたくさんブックレットに掲載されていて、まるで画集のようになっています(当時のものですから、いまお買いになっても同様かはちょっとわかりません)。その中に、こんなメッセージが載せられた絵があります。

「ぼくのだいじなおかあさん うんとながいきしてね」

2018年にお母さんはお亡くなりになっています。このアルバムでコーラスにクレジットのある玉置房子さんです。この人がいらっしゃらなければ、わたしたちは今日玉置さんの音楽を楽しむことができていたかどうかわからないということが、『幸せになるために生まれてきたんだから』を読むとよくわかります。ぜひ、このブックレットと『幸せになるために生まれてきたんだから』とをあわせてこのアルバムをお聴きになることをおススメしたいです。

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2021年10月02日

ひとりぼっちのエール


安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』十五曲目「ひとりぼっちのエール」です。ベスト2のタイトルナンバーになります。立ち位置としては初代ベストのタイトルナンバー「I Love Youからはじめよう」と同じといえば同じなのですが、「I Love Youからはじめよう」がすでにアルバム『月に濡れたふたり』に収録されていてシングルカットもされていたのに対し、この「ひとりぼっちのエール」はこれがアルバム初収録です。シングルのジャケットにはTVドラマ「お茶の間」の主題歌だったとの記載がありますが……全然知りませんでした。「I Love Youからはじめよう」に比べて、ずいぶんと露出が少ない曲だったように思われます。

カップリングは「あの頃へ 〜'92日本武道館〜命〜「涙の祈り」」、「あの頃へ」のライブバージョンです。日本武道館ですから『unplugged』に収録されているラストライブバージョンではありませんが、非常にナイスな出来になっていまして、のちに『アナザー・コレクション』に収録されます。

その「あの頃へ」を最後に安全地帯チームを離れた松井さんにかわり、この「ひとりぼっちのエール」では『あこがれ』の歌詞をお書きになった須藤さんが作詞を担当しています。もちろんマーベラスな歌詞なんですが、松井さんぬきでまでやらなくてもいいのに……しかもこんな、下手すると安全地帯ラスト曲になったかもしれない曲を……須藤さんがみても「(玉置さんは)ぜんぜん積極的ではなかった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)ような状況で……と傍からは思うんですが、契約関係で出さざるを得なかったんじゃないかしらねえと愚考いたします。

ともあれ、とんでもない精神状態で収録・リリースにこぎつけたこの曲ですが、これがまた「エール」という言葉とは裏腹に、いやあんた人にエール送ってる場合じゃないでしょあんたがエールを送られるほうだよ、と思いたくなる悲愴な曲です。なんですかね、むかし「あぶない刑事」で大下刑事役の柴田恭兵が「いつもおまわりさんに追いかけられてイヤだったから、自分が追いかける側に回ることにした」と言っていたような記憶があるんですが、人間は自分がしてほしくないこと、それとは逆の自分がしてほしいこととを他人にすることとして選択して行動する傾向があるのかもしれません。それ以外のどうでもいいことはしないか、しても無意識だし覚えていません。どうでもいいから。そんなわけで、もしかしてなんですが、これは須藤さんから玉置さんへのエール、そして自分へのエールでもあるんじゃないかと思う次第です。須藤さんは松井さんのような玉置さんとシンクロ率400パーセントな歌詞をお作りになるスタイルではありませんでしたので、須藤さんに玉置さんの思いを代弁するような意図があったわけでなく玉置さんに対する須藤さん個人からの思いがこの歌詞には込められているのではないかとわたくし思うわけです。尾崎豊を失って失意の中にいた須藤さんが、『あこがれ』を経て玉置さんと出逢い、エールを送りたい、そして送られたいという思いをこめて作られたものだと。あ、いや、もちろんいつもの妄想ですとも!(笑)

さて曲はシンセのフェードインから始まります。田中さんがシンバルに続けて、カツカツカツとリズム、六土さんが何ともいえない柔らかい音でズシーン・ズシーンと曲の基調を支えます。おそらく武沢さんがカッティング、おそらく矢萩さんのメインテーマ弾きがメロウな音で響き、玉置さんが「ア〜アア〜」と歌います。

Aメロ、スキマの多いとても寂しいアレンジで、うすーいシンセのほかにはリズム隊のお二人だけの音が目立ちます。ギターのお二人は、合いの手を入れるように時折「キュイーン!」とか「ピョッピョー」とか入れるだけです。玉置さんの歌が「ひとりぼっち」で響き、また歌詞が思わせぶりで(笑)、夢や幸せが壊れてしまったことを示唆してきます。須藤さん、よりによってこんな時期に!いやこんな時期だからなのでしょう、旭川のアマチュア時代、売れなかったデビュー当時、「ワインレッドの心」でドカンと一変し公私ともに限界まで突っ走った日々、そして活動休止と活動再開以来のエネルギッシュな日々……それらすべてを表現する見事な歌詞です。あまり積極的ではなかったのかもしれませんが玉置さんもさすがのボーカル、というかそういう日々の当事者ですから(笑)、ものすごい説得力です。

Aメロ最後ころからおそらく武沢さんのアルペジオが薄く入ってきて、Bメロへの導入的な役割を果たします。「ギューン!」と歪んだギターがスライド音を響かせ、ギターとベースで強めのリズムを入れつつ「寒い夜はいつか終わる」と玉置さんが力強く歌います。アルペジオが大きくなり、ドラムのシンバルが響き、そして田中さんがドカンとスネアを打ち、ドラムとベースが八分を刻み始めて曲はサビに入ります。Bメロの時点でドラムを打たないのが凄いです。わたしだったら絶対我慢できないで入れちゃいますね。

さてサビです。ズンズンズンズンとルート弾きを行う六土さんが牽引するかのように、安全地帯はいつもの安全地帯で前へ前へと進んでいきます。ギターのお二人がストローク、アルペジオ、カッティングを組み合わせた華麗なコンビプレイを聴かせてくれます。「熱さが僕を支えてきたんだ」と歌う玉置さんに寄り添うようなギターフレーズ、悲しいくらいの定番安全地帯アレンジです。でも安全地帯はこの曲で(いったん)終わるのです。

間奏を経て曲は二番に入り、ベースが大きく響きます。ギターの合いの手も一番に比べて多めです。一番は無用の用というか、対比を効かせ徐々に盛り上げてゆくためにスキマを多くしていたのでしょう。ここもスキマ多めではあるのですが、一番に比べると違いがよくわかるくらいには埋められています。

曲はすぐにBメロ、サビへと向かいます。ここはサビを二回繰り返し、なんと歌詞がある部分はここで終わってしまいます。ただ、曲が始まってすでに三分四十秒、一曲としてはけっして短すぎる時間ではありません。20-30秒程度のアウトロで四分強となりますから、ここで終わってもよかったのだと思います。

ところが曲は終わりません。皆さんご存知かと思いますが、ここからなんと三分間の「ラーラララー」が入るのです。最初はたまげました。なんだそりゃ、曲の半分近くラララかよ!しかもそんだけラララしておいてちゃんと終わらずにフェードアウト……どんだけ終わりたくないんだよ……そう、終わりたくなかったんだと思います。

「積極的ではなかった」玉置さんと、おそらく気分良くは収録できなかったであろうメンバー、それでも崩壊の気配濃厚、もはや終焉は決定的ですらあったであろうこのとき、でも安全地帯が終わるということを惜しむ気持ち、どこかで信じられない気持ち、おそらくライブで披露する機会はかなり限られるか全くないかのこの曲を、みんなで歌って収録するんだ……という気持ちがあったのでしょう、そんな気持ちを込めたか込めなかったか、ともあれみんなで歌います。最初はメンバーだけの声のように聴こえます。玉置さんだけが多重録音したのでない、矢萩さんや六土さんの声が聴こえるように思えます。それから徐々に人が増えていって……増えていった声は多重録音なのかもわかりませんけど、大合唱っぽい声に変わっていきます。ギターのお二人が惜しげもなく、おそらくはアドリブ一発に近い状態で弾きまくっている音が入っています。リズム隊のお二人はひたすら堅実にサビのバックを繰り返します。低めのストリングスが時折大きく響く中、合唱は続いていきます。惜別の念ここに極まれりといった感が濃厚に漂います。

たぶんですが、平素から明確な終わりのない曲はこうやってかなり長めに繰り返して録音しているのだと思います。そして、あとから適当なところでフェードアウトをするんでしょう。でもこの曲は途中で切れなかった、惜しくて、切りどころが見つからなくて、というのが真相じゃないかなと思います。演奏する側もですが、編集する側も、安全地帯ラスト曲となるであろう(あやうくそうなりかけた)この曲を、なかなか終わらせられなかったのではないでしょうか。聴く側はそんなこと思ってませんから、多くの場合なんだこりゃ長いぞと思うだけなんですけども。この当時、この長い「ラララ」から安全地帯が崩壊したことをリアルタイムで感じられた方はどれくらいいらっしゃったのでしょうか。わたくし無念ながら気がつきませんでした。夢にも思いませんでした。後から気づくんですね、この「ラララ」の意味を。10年近くもかけてゆっくりと……。

壊れていった夢を拾い集めようとしてしまう悲しい日々、それでも雨はいつか止む、夜はいつか明ける、だからもう一度頑張れ、生きていくんだ命は美しい、これまでの日々は無駄じゃない、涙の熱さが僕を支えてきた、叫んだ時間の長さが僕を強くした……

僕も君も、またひとつ夜をこえて「新しい朝」を迎える。太陽がまた昇り僕たちの命をつむぐ。君はひとりじゃない、僕もまた、同じように朝を迎え、太陽に祈るんだ。そうしていままでやってきたのだから、新しい朝が来るたびに何かが少しずつ変わってゆき、いつか新しい喜び、夢がつくられていくんだ、時を刻みながら……

まったくの偶然でそうなっただけといえばそうなんですが、氷河期世代のわたくし、この曲の意味が心身に沁み込んでゆく90年代後半以降、たいへんつらい日々を送りました。もちろん若かったですから、傍から思うほど悲愴な感じじゃなかったんですけども、それでもいま思えば冷や汗が出るような日々でした。どんなブラック企業に勤めていても正社員を辞めさえしなければ食ってはいける現代の若者と、どっこいどっこいですかね……わたくしもたいがい職がなくてショック(笑うところ)な不安定さと不安をかなり味わいましたけども、現代の若い人だって、会社と自分のどっちが先にダウンするかわからないという不安はきわめて大きいと思います。ともあれ辛い日々でした。バイトに行くためのガソリン代もろくに捻出できない日々に、食費節約のためまとめ買いしてきた60円のハンバーガーとかを食いながらこの「ひとりぼっちのエール」をうっかり聴くと、泣けてくるんです。リリース直後はまだバブルの余韻がありましたし、わたくし自身も余裕こいてましたからわからなかったんですよ、この「ひとりぼっち」と「エール」の凄みを。

いまでもアンコール前のラスト曲としてしばしば演奏されるこの曲、わたくし生で聴いたときにはああこの曲ライブで聴ける日が来てよかったな……あのまま安全地帯が終わっていたらライブもヘチマもなかったものな、そしてわたくし自身もあの時期にあのまま不安につぶされていたらこんなコンサートを聴きにくるどころじゃなかったものなと、とても感慨深かったです。そして、Bメロ前のギターが大音量ともの凄い音圧で身体に届いたとき、安全地帯の復活を、そして自分自身の再生を、本当の意味で感じることができたのだと思います。

さてこのアルバムも終わりました。次は玉置さんソロ『カリント工場の煙突の上に』になります。翌年には安全地帯の『アナザー・コレクション』がリリースされますから、まだまだ安全地帯の作品レビューは続きますけども、実質的にここから10年程度の活動休止となりました。その間、玉置さんソロのアルバムが……七枚?きゃあー!いったい弊ブログはあと何年たったら『安全地帯IX』の「スタートライン」までたどり着けるのかしらってくらいまだまだ続きます。引き続きご愛顧いただければと思います!

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2021年09月26日

あの頃へ


安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』十四曲目、「あの頃へ」です。

「雪が降る遠いふるさと」はわたしのふるさとも同様でして、本州(のとある地域)に住んでいるとたまにしか降りませんけども、冬の北海道はいつでも降っているのです。降っていないときでも降り積もった雪の塊が常に身の周りを埋めていますから、雪の存在をいつでも感じながら暮らしているのです。

もちろん雪は日常の風景に溶け込んでいますから、いちいち意識するわけではありません。学校の行き帰り、ギター担いでスタジオに歩くとき、街をぶらつきに行くとき、いつでも雪はそこら中にありました。だけれども、夏にはすっかりなくなっているわけですから、全く何もないのと同じというわけではないのです。夏が緑の季節であるのと同じ感覚で、冬は白い季節なんだという感覚です。そういう感覚がまだ生々しい頃には、本州、つまり温帯気候の冬は何もなくてちょっと違和感がありました。無色の季節とでもいいましょうか。

本州の冬に慣れてきますと、ああいまごろ北海道は雪が降っているなと思うことがあります。無色の季節の中で、真っ白に染まった街をなつかしく思い出すのです。

さて曲はカツカツと響くパーカッション、ボキボキしたベースにバスドラをズシズシと合わせ、それをバックにシンセのメインテーマとキラキラ音が流れます。ずいぶんスキマの多いシンプルな作りですが、それが白く染まった街を思わせます。

Aメロもチラチラと降る雪を思わせるキラキラ音とギターのアルペジオが流れ、根雪に響く足音のようなドラムとベースが足元を支えるなか玉置さんが歌います。そうこの感覚……雪に閉じ込められた冬を幾年も過ごした経験がないと出せない感覚……のように思えます。北海道人のわたくしが勝手にシンクロしているだけの気がしなくもありませんが(笑)、スパイクのついた雪靴でガシガシと家路を歩いた感触がよみがえります。わたくしの家路はつねに南向きでしたので、かつて冬季オリンピックを行った山に陽が沈み、青紫に染まってゆく雪景色の上に一番星が見えてくるあの夕暮れを歩いた日々を、いつでも思いだすことができるのです。

そしてオリオン座ともそろそろお別れだな、と思う頃に春はやってきます。肌で感じる気温はだいぶ上がってきています。気がつくと頬が痛くなくなっているんです。「春を待つ想い」は比較的気候が温暖な札幌にいるとやや感じにくいですが、旭川のような苛烈な冬を送る地域では格別のものがあるのでしょう。特急列車が旭川駅のホームについて扉が開くと、一気に客室内の温度が下がり、そしてディーセルの音と臭いが飛び込んできます。うわーなんだこれ寒いぞ!と道内の人間が思うくらい旭川の冬は寒いのです。もちろん、その中に住んでいるとあんまりわからないんだと思うんですけどね。でも、ほんの少しだけ、「春を待つ想い」は誰かを幸せにする力がよその地域に比べて強いんじゃないかと思います。

ドラムのフィルインが響き曲はサビに入ります。ズッタズズッタ・ズッタズズッタ……とリズム隊のお二人が重いリズムを刻みます。ギターのお二人は「いつも君のそばに」で聴かせた細かいアルペジオや刻み、ストロークを組み合わせた渋い仕事をなさいます。武沢トーン「シャリーン」も響き、もう安全地帯色満点です。そしてストリングスとキラキラ音をわずかに流し、「パンパンラーン」的ななにやら鍵盤の音がオブリガートに入ります。

そしてコーラスもなくただ、玉置さんの独唱が響きます。そうですね……コーラスないほうがいいとは思うんですけども、それはこの出来上がりを聴いたからであって、コーラスアリバージョンを聴いたらそっちがいいやと思うかもわかりません。歌詞的には「みんなで歌おう」的な歌詞でなく、ただ一人の「ぼく」がただ一人の「君」をあの頃へつれていけたらいいなあって内容ですので、コーラスなしのほうがハマるとは思います。

「あの空」はまだ冠雪の旭岳を臨む広い広い上川盆地の空、「あの風」は、「あたたかい」といっても頬が痛くなくなったという程度ですが、そういう季節の季節を感じる風、私たち北海道人は冠雪の山と冷たい風の中で三月四月を迎えますから、別れも出会いもすべて「あの頃」なのです。

松井さんはきっと、「もう故郷に帰りたくなっちゃった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)玉置さんの心情を最大限に汲みとり、このような歌詞をお書きになられたんだと思います。「もう一回北海道でいちからやり直して本当のオリジナルを作ろうぜ」(同上)と毎日のようにメンバーに言っていた玉置さんですが、松井さんは帰るも何も北海道のときからのメンバーでないですから、松井さんのことは、言いかたは悪いですが視界に入っていなかった、もっと悪くすれば離れたかったんじゃないかと思います。デビュー直後からつねに安全地帯の作詞をメインで担い、チームの重要な一員であり続け、うれしいときも辛い時も玉置さんと安全地帯を支え続け絶頂期をともに作り上げた松井さん、一度解散の危機を乗り越え『夢の都』『太陽』の力作を作りあげたそのタイミングでバブルが崩壊しバンドもまた崩壊してゆくその過程をもっとも間近でみつめてきたのが松井さんなのです。ですから、玉置さんの松井さんぬきで帰りたいという思いを想像しこの歌詞をお書きになったときの心境はいかばかりのものであったか、考えるだに胸がつぶれそうになるのです。なにしろ「あたたかいあの頃」に松井さんはいないのです……。

うん、五郎ちゃんの思い、受け取ったよ、とでもいわんばかりに玉置さんは熱唱します。美しく激しく、たった一人で。カップリングの「地平線を見て育ちました」がどこか開き直り気味にさえ聴こえる合唱ふうだったのに対比して、なんと悲しい歌でしょう。

歌は二番に入りまして、ストリングスがすこし存在感を増しますが、基本的には一番とアレンジは変わりません。しいて言えばここからきもちリズム隊が大きくミックスされているようにも感じます。

「街の灯」は、雪が降っているとボワッとその周りが反射光で包まれてみえる街路灯のことなのか、はてまた夜景のような遠景のことなのか……どちらもありそうな感じではありますが、わたくしの生活感覚では前者です。だって寒い季節に藻岩山ロープウェイとかにわざわざ乗って夜景観に行かないですから。ナイタースキー場からみえる夜景……スキーやって楽しんでいるのに夜景に「神様の願い」とかいちいち見ません。ここは、雪に包まれる街路灯だと思いたいです。その灯りに、雪が次々と一瞬だけ照らされながら落ちて消えてゆくその流れが見えているのだと。「神様の願い」は、無為に無限に思えるほど降りゆく雪の一つひとつにこそ現れています。人間のつくった灯りで照らされなければその存在はわかりません。見えている箇所は街路灯の周辺だけで、同じことはとんでもない範囲で起こっているのです。その美しさ儚さは圧倒的で、人間の思惑などあっさり超えている力の存在を思わずにはいられない……まあたかが雪なんですが(笑)。大袈裟に書くとそういうことなのです。そんな神の存在を感じますと、自分の人生であといくつのことに取り組めるのだろうか……などと来し方行く末を知っている神様に尋ねたい気持ちにも少しだけなるのですね。

安全地帯という「夢」が実現したチームのみなさんにとって、同じレベルの「夢」を叶える機会はどれだけあるのでしょうか。キャロルが終わってプリーズを結成したジョニーとウッチャンは、キャロルと同じくらいの夢を実現することができたのでしょうか。バンドというのは多くの人にとってメインは一つであり、二つ以上のバンドで商業的に成功した人があまりいないということを私たちは知っています。バンドに限らず、他業種まで考慮に入れたとしても、二つ以上の夢を叶える人というのは稀です。鳥山明はメガトン級の作品を二発も飛ばしていますが、それだって二発なのです。多い人でも、高橋留美子が四発五発くらいで奇跡的ですが、それ以上は基本ムリでしょう。

さて曲は再びサビに入ります。今度はあの「星」「雲」ですね。うーん、これは当時の東京にいると見えにくかったことでしょう。なにしろビルが多いし空気も汚かったのです。「傷だらけの天使」に出てくるようなビルがウジャウジャと空をふさいでいるような感覚で、「おれをここから出してくれ!」という気分になるんです。もちろん札幌にも旭川にもそういう地域はありますが、しばらく歩けば視界は開けます。ところが東京はどこまで行っても閉塞感なのです。勘弁しろよずっと創成川の向こう側みたいじゃん!って感じです。星や雲がワッと広がる空に見える場所は、雪がやんだ「遠いふるさと」、天地が広い北海道なのです。

「君」とは北海道でないどこか、それこそ東京などで出会います。「君」はあの広い北海道の空を知りません。いやど田舎の出身ですから知ってますよって思うかもわかりませんけど、それは北海道を知らないからそう思うのです。北海道人にとって本州の田舎など田舎ではありません。だってどこまで行っても田んぼはあるし、人の手が入っているのがわかるじゃないですか。北海道は人の手が入っていない箇所が結構あるのです。両側が田んぼの道路など自然ではなく人工的です。自然とは、利用されていない荒れ地のことなのです。石狩平野や上川盆地、十勝平野といった広大な平地では、その荒涼たる雰囲気が全天下の八割くらいを占めている感覚を味わうことができます。本州の田舎など、どこまで行っても人の気配だらけでぜんぜんそんな感覚はありませんとも。ですから、自然というか野生というかの美しさあふれる「美しいあの頃」へ「君をいつかつれて行けたら」、あの開放的な感覚を味わわせてあげたい、これが「ぼく」が育ったところの開放感、解放されている、自由だって感覚なんだよ!と教えたくなるのです。「君」がそれを味わいたいかどうかはともかく(笑)。

曲は間奏に入ります。静謐な音色のメインテーマに続けて玉置さんが「あの頃へ」とだけ歌い、続けて矢萩さんが弾いたと思われるメロウな短いギターソロが流れます。ひどくあっさりした間奏ですが……長々とやる意味もそんなにないのでしょう。早々に最後のサビへと向かいます。

「あの」ではなく、「やさしさ」「さみしさ」であることには、何か意味がありそうです。「あの」ではないのですから、これは東京のやさしさやさみしさだったのかもしれません。東京のさみしさは尋常ではありません。何しろ隣人の顔もろくに知らないのです。電車に乗る顔ぶれはいつも違っていて覚えきれません。だから無関心にならざるを得ないわけですが、無関心だからってわざとイヤなことをする人もまたいません。だから最低限に「やさしい」し、交流の多い人とは田舎と変わらぬ「やさしさ」で交流します。人間の性質なんて都会にいようと田舎にいようとそんなに変わるものでもありませんから、「いつも愛を知っていた」と知るのです。星さんも金子さんも、そして松井さんも、そうした「さみしさ」や「やさしさ」を安全地帯のメンバーよりも少し早く知っていたのです。まあ、旭川はよそだと県庁所在地クラスの道北随一といえる都市ですから、出身地でいえば東京にいる人々の中でも都会人に属するほうだとは思うんですが、人は東京に何年か住み慣れたら自分を都会人だと思い込むフシがあるようで、北海道人の「キャラメル」とか「コーヒー」の発音を鼻で笑うような人や、電車のことを「汽車」といったら「汽車ってなんだよ電車だろどこから来たのお前」とか言ってくるような人もいまして、そんなときに「さみしさ」を感じることがないわけではありません(笑)。北海道は雪の重みで架線が切れるとメンテできないくらい広いところを走るからディーゼルがけっこうまだ走ってるんだよ!(怒)

そんなさみしさを感じつつ、何度目かの春を迎えてもう「汽車」とか言わなくなったころ、無色の冬が終わりああだいぶ暖かくなってきたな、北海道だと雪が解けてくる季節だな、真っ白な山がだんだんと緑に染まってゆく季節だな……ディーゼルの「汽車」に乗って「キャラメル」食って「コーヒー」飲んで……「あの頃」へ「君」をいつかつれて行きたいなと、本州の春はそんなことをふっと思わせる季節なのです。

曲はアウトロ、メインテーマが鳴り響き、六土さんのベースが「ボキボキッ!ボキボキッ!」と音を短く切ってアクセントを入れてきます。もしかしたら「あの頃へ」の思いを一番わかっていたのはこの人かもしれません。なにしろ六土さんは稚内の人ですから、冬の寒さも春の喜びも旭川とは一味違うでしょうし、旭川という「都会」で活動したのちさらに東京という「都会」に移っていった人ですから、「やさしさ」も「さみしさ」も二段構えで他の安全地帯メンバーよりも経験豊富なのです。

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2021年09月20日

萠黄色のスナップ


安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』一曲目、「萠黄色のスナップ」です。安全地帯デビューシングルになります。カップリングは「一度だけ」でした。

いまでこそ『ONE NIGHT THEATER』のライブCDがありますから、アルバムのみのコレクターでも聴くことのできる曲といえなくもないんですけども、当時はまだ『ONE NIGHT THEATER』はVHSかLDしかなかったんですよ。ですから、一部の人にとっては伝説上の曲だったわけです。

がんばればYouTUBEで観ることができますが、クリスタル・キングが初の北海道コンサートを札幌の厚生年金会館で終えた次の日、稚内に向かって車を走らせるというドキュメンタリー的な映像が放送されたことがあります。その旅の途中、まだアマチュアだった安全地帯の合宿所に立ち寄るというとんでもない貴重映像が収められています。そこで演奏されクリスタルキングが感想を述べていたのがこの「萠黄色のスナップ」だったのです。

札幌の厚生年金会館は当時札幌で一番大きいホールで、ほぼすべてのメジャーアーティストが使っていました。せいぜい二千席で、音もたいしてよくなかった記憶があります。でも当時はそこしかないからそこでやるんですよ。東西線西11丁目の駅で降りて、北一条通をワクワクしながら歩くんです……この映像はクリスタルキングが出発する前の入口しか映ってませんでしたが、当時の地元民としてはちょっと涙モノです。ここから、安全地帯がいたところまで、車で行けたんだ……。なんだか、いますぐ地元に戻って北一条から旭川まで車を飛ばしたくなります。ちなみに、このホールは昨年(2020年)解体されちゃってます(涙)。さらばだ、思い出のホールよ。

映像では、クリスタルキングのメンバーが、おれたち九州の人間だと絶対思いつかないよね、萠黄色とか雪解けの水とかって話していました。そりゃそうでしょう。そして、べつに東京に行く気はない、ここを拠点にしてやっていくんだ的なことを玉置さんが話していました。北海道的な曲を北海道でやっていくんだという決意で活動をしていたことがうかがえます。のちに金子さんや星さん、陽水さんがそんな彼らを東京に呼んでくれなかったら、たぶん私たちは安全地帯も玉置さんも知らないままだったことでしょう。だって、当時旭川に出入りしていたわたしだって知りませんでしたよ、安全地帯なんて。ローカルバンドはいくらローカルで有名でも一部のシーン内のことなんです。旭川という比較的大きな都市にあってさえ、ごくごく一部のムーブメントにすぎません。同じ道内の札幌に住み、旭川に年に数回出入りしていたわたくしが知らなかったんですから。

さてさて、わたしたちよりも先にクリスタル・キングが聴いた「萠黄色のスナップ」ですが、レコーディング当時大平さんがドラムを担当されてまして、田中さんは車の整備工場で働いてらっしゃったそうです。曲はそんな大平さんのドラムで「ズッ!パン!ズッ!パン!」と始まります。そして玉置さんが「どこか〜」と歌い始め、ギター、ベース、キーボードが重なっていきます。

Aメロというかサビの伴奏はこの「ズッ!パン!ズッ!パン!」なドラムにすこしオカズを混ぜたフレーズのベース、ひたすらカッティングのギターの上にキーボードが大きな音で「ジャージャジャージャ・ジャッジャージャー」を繰り返すという、ごくシンプルな作りになっています。玉置さんのボーカルと多声コーラスが伸びやかに広がって聴こえる、アマチュアらしからぬアレンジです。

Bメロ、単音弾きのなにやら不穏なシンセ(オルガン?)に続けて、歪みを効かせたギターがこれまた単音で重なりそのあとリフ弾き、繰り返しでシンセ(オルガン)、ギターとかけあいまして、「それがこの今さ」でジャーン!と全音弾き、ドラムがダダダダと響いて二番へ行く、という構成になっています。

二番に入りまして、Aメロ(サビ)が二声・三声ボーカルによって歌われていきます。ひそかにシンセにもアオリが入って(もしかして武沢さんのギターシンセじゃないかと思います。映像で見る限り『ONE NIGHT THEATER』ではそうだったのですが、デビュー当時がそうだったかはちょっとわかりません)、曲を盛り上げます。それなのにBメロは一番とだいたい同じですから、一気に静かになった感触を受けますね。

曲は間奏に入ります。武沢さんのギターシンセ説が正しいとすれば、武沢さんがホワホワした音でソロを弾いています。途中で「ペッペレレ!ペッペレレ!ペッペ!」とキメを入れるところが印象的ですね。これは安全地帯のノリだと思います。正確にいうと、矢萩さん武沢さんツインギタリストのノリなんだと思います。『ONE NIGHT THEATER』で聴くことのできるインスト(のちに『ツインギター2』で「ヴァリアント」と命名されていたことがわかります)での武沢さんソロのノリと一致するようにわたくしには思えます。

さて曲は終盤です。ドラムのパターンがやや複雑で忙しくなり、歌はAメロ(サビ)を繰り返すんですが、歌詞カードに書かれている範囲を超えて玉置さんは歌います。「きらめく歌が聴こえてくる」とはまったく歌詞カードには書かれていませんね。もしかしてものすごい小さい字で書かれているのかとか、実はロウで書かれていて炙ったら出てくるのかとかいろいろ考えましたが、これは玉置さんが付け加えた、もしくは安全地帯で最初に作ったときにあった歌詞だけど崎南海子さんから帰ってきた原稿ではカットされていた、でもいざレコーディングになったら歌うことにした、等と考えるほうが自然でしょう。

そして最後にシンセの音でなくギターの音でソロが弾かれ、曲はフェイドアウトしていきます。これは矢萩さんだろうな、と思います。当てずっぽうではなく、『ONE NIGHT THEATER』での映像もちゃんとチェックしておりますのでご安心ください(笑)。いやこれ、レスポールの音なんですよ。例によってわたくしの耳はポンコツなのであてにはならないんですが、先ほど書いたクリスタル・キングの映像で、矢萩さんがレスポール弾いているのをわたくし見逃しておりませんので、ああこりゃ矢萩さんがあのギターで弾いたな、と思ったわけです。

で、五分を超える大曲であるこの曲は終わったわけですが……

うん、こりゃ売れないですね……。

すみません、売れないです。ムリです。玉置さんの歌は当時から最高に巧いですし、メンバーの演奏も文句なしです。ですが、これが売れるためには、聴衆がこの手のロックに慣れているか、もしくは安全地帯というバンドの知名度かが必要なのですが、当時はどちらもありませんでした、絶望的に。武沢さんの親戚伝いに当時のテープを聴いた金子さんは、当時の安全地帯の音を「天地が高い」星さんは「広い感じ」、そして金子さんはさらに「純粋な美しさ」「原石の輝き」等々と安全地帯の素質を評価しています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。すてきな評価ばかりなんですが、二人ともすごいとか売れるとかは言ってません。志田さんは当時の安全地帯がドゥービー・ブラザーズの影響を受けていたということをさまざまな証言を用いて述べていますが、もちろんそれは日本でメンバーが食べていけるほど当時の若者に売れる音楽じゃないと言っているに等しいわけです。星さんが「ドゥービーよりも土臭い」ってハッキリ言っていることからもわかるように、軽薄短小ブームの80年代日本でこれが売れると思うほうが間違っています。ようするに、金子さん星さんは、安全地帯はこのままでは売れない、思い切った変革が必要だ、変革さえ成功すれば化ける、それだけの素質を持っている、と判断したわけです。ともかく陽水さんのバックバンドをしながら、アマチュア時代の総決算ともいえるこの曲をレコーディングしデビューだけは果たしますが、もちろん売れません。それならばと思い切りハードロック寄りにした「オン・マイ・ウェイ」と『リメンバー・トゥ・リメンバー』で勝負に出ますが、これもうまくいかない、玉置さんは自殺まで考えるほど追い詰められます。当然といや当然でしょう、自信を持っていた自分たちの音楽では売れないという現実を突きつけられたわけですから。

ですが、安全地帯はその後売れて、知名度を得ます。そして『ONE NIGHT THEATER』でぽつりと「しばらくやってなかったんですけど、ぼくらのデビュー曲を」というMCにつづけてこの曲は演奏されました。横浜スタジアムいっぱいのお客さんの前でこの曲はのびやかに広がって、クリスタル・キングが訪れたあの合宿所につづく空へと響いていったのでした。

いつかやさしさや心をわけあう人に逢える……いまあった君が、あなたが、その人なんだとお互いに祈りながら信じながら、川が雪解け水でキラキラしながら流れてゆく五月の北海道で、いっぱいの新緑の中で、たがいの命が愛しいと感じるこの日を迎えたんだと、玉置さんは歌うのです。玉置さん!北海道人のわたくしにはわかります、その情景!この歌を、どんな気持ちで夜の横浜スタジアムでお歌いになったのかも、もしかしたらわかるんじゃないかって気さえするのです。

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2021年09月17日

『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』

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『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』です。1993年8月25日発売ですから、前回ベストから五年くらい経過していることになりますね。その間隔だけをみればまあそろそろもうひとつベストを出してもいい頃合いだといえるかもしれません。しかし、ですよ。前回ベストを出してからスタジオアルバムはまだ二枚しか出ていないのです。前回ベストはスタジオアルバムが六枚(『オリジナルサウンドトラック プルシアンブルーの肖像』を入れれば七枚)も存在しているなかでのベストというかシングル集でしたから、選りすぐり感が非常に高かったのです。どうするんだよ今回は!シングルだけだと何枚あるんですかね?前回ベストに入っていなかったものをあわせてシングルだけを書き出してみますと、

「萠黄色のスナップ」「オン・マイ・ウェイ」「ラスベガス・タイフーン」「真夜中すぎの恋」「マスカレード」「Juliet」「月に濡れたふたり」「情熱」「いつも君のそばに」「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」全十一曲!なんだ、これでいいじゃないか、曲数的には(笑)。でもこれだといまいちウリがないと判断したんでしょうかね、上の十一曲から「オン・マイ・ウェイ」「ラスベガス・タイフーン」の二曲を除き、「あなたに」や「銀色のピストル」、「あの夏を追いかけて」といったアルバム曲を入れるという戦略でこのベストアルバムは編集されたようです。

そしてそして、こうした編集方針にそぐわない曲が一曲!そう、「悲しみにさよなら」です。なぜこれを入れる!いまひとつ分かりません。あと一曲ぶん容量に余裕があるんですけど「ワインレッドの心」か「悲しみにさよなら」入れませんか、このアルバム大ヒット曲が少なすぎてこのままじゃそんなに売れないですよ、とかなんとか、そういうセールス的な意味合いで収録したのか、もしくは、時期的に空白となる期間を短くするために収録したか……『安全地帯II』からは三曲も入っているし、このうえ「ワインレッドの心」まで入れたら『安全地帯II』買ってくれた人に申し訳ないよね的な配慮だったか……それを言うなら『安全地帯III〜抱きしめたい〜』からは一曲も入ってないんですけど!なんだか、よくわかりません。「風」とか「ブルーに泣いてる」入れるよりは「悲しみにさよなら」入れたほうがセールス的には期待できるのはわからなくもないんですけども、昔からのファンを納得させるためには「風」とかのほうがよかったと思います。昔からのファンを納得させる必要なんてぜんぜんないといえばないんですけども。だって、安全地帯のアルバムを初めて買う人が「悲しみにさよなら」入っているからこれ買おうって思うかもしれないじゃないですか。そして、アルバム曲のよさに目覚めて『安全地帯II』とかも買うかもしれないじゃないですか。ファーストアルバムは完全になかったことになっているっぽいのがとても気になりますが(笑)、まあ、セールス的には仕方ないのかもしれません。なにせバブルはとっくに弾けていて、活動再開以来シングルが一曲もベストテン入りませんでしたし、『太陽』のセールスもコケて……それに、もしかしたらまだ残っていたのかもしれません、安全地帯として出さなければならないアルバム枚数の契約が。あるいは、安全地帯の音源である程度のセールスが見込めるうちに出さなければならないとレコード会社が判断したのかもしれません。いずれにせよ意思決定が必要なんですが、バンドはすっかり機能不全に陥っていました。ですから、おそらくはレコード会社主導で出さざるを得なかったのだとは思います。

そんなわけでして、当時のわたくし的には、あまり大きな意味を見いだすことのできないベストアルバムでした。アルバムだけ買っていますがシングルまでは手を出していません的なリスナーには、初収録の「萠黄色のスナップ」「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」三曲が初お目見えです。三曲で3000円か……買っちゃうかもな、それでも。わたくしのようにシングルもあるけどなぜかアルバムも買っちゃう人もいるわけですし。

さて、一曲ずつ短くご紹介していきます。例によって、すでにご紹介した曲はここでリンクを貼ることにしまして、一曲ずつのご紹介は重ねて行いません。ですから、次回以降一曲ずつのご紹介は「萠黄色のスナップ」「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」のみとなります。

1.萠黄色のスナップ:安全地帯デビューシングル、ギターポップです。
2.真夜中すぎの恋:『安全地帯II』収録のシングル曲、スピードあるロック曲です。
3.あなたに:『安全地帯II』収録、至高のバラード曲です。
4.マスカレード:『安全地帯II』収録のシングル曲、テクニカルギターポップです。
5.悲しみにさよなら:『安全地帯IV』収録のシングル曲、安全地帯第二の大ヒット曲です。
6.銀色のピストル:『安全地帯V』収録、ビッグバンド編成時代を代表するロック曲です。
7.Juliet:『安全地帯VI 月に濡れたふたり』収録のシングル曲、転調の多いこれまたテクニカル曲です。
8.月に濡れたふたり:『安全地帯VI 月に濡れたふたり』収録のシングル曲、ボサノバ調ポップです。
9.Too Late Too Late:『安全地帯VI 月に濡れたふたり』収録のシングルカップリング曲、バラードです。
10.あの夏を追いかけて:『安全地帯VII 夢の都』収録の爽快なギターロックです。
11.情熱:『安全地帯VII 夢の都』収録のシングル曲、重厚なギターロックです。
12.いつも君のそばに:『安全地帯VIII 太陽』収録のシングル曲、バラード的ギターポップです。
13.朝の陽ざしに君がいて:『安全地帯VIII 太陽』収録のアコギバラードです。
14.あの頃へ:シングル曲、胸が詰まりそうな望郷・回想バラード曲です。
15.ひとりぼっちのエール:活動休止前ラストシングル曲、これも胸の詰まるバラード的ギターポップです。

……全15曲、こうしてみると、セールスが優先された企画盤に近いものとばかりも言えないように思えます。もし完全にセールスを優先するなら「ワインレッドの心」は多少文句が出ても入れるべきだったでしょう。「銀色のピストル」や「あの夏を追いかけて」は入れずに、「Friend」や「好きさ」を入れるほうが得策だったでしょう。「あなたに」が入っているのも見過ごせません。この曲はいまでこそ有名曲ですが、当時はいちアルバム曲にすぎず、アルバムを買い集めるようなファンしか知らなかったような曲なのです。これが、はじめて安全地帯のアルバムを買うようなリスナーさんに与える衝撃は大きかったことと思います。いつか来るかもしれない安全地帯の復活を願ってその活動の下地となるファン層を拡大しておく(結果的にセールスもついてくるわけですが)にはうってつけの曲といえるでしょう。そのためにこそ、『I Love Youからはじめよう―安全地帯BEST』と併せて安全地帯の核となる要素を後世に残しておくという意味があったように思えてきました。

だからこそ、安全地帯がここでいったん終わるという事実を知っていた人たちが、安全地帯を愛すれば愛するほどに、涙ながらにその足跡を残しておこうとしたものであったのかもしれません。いつまでたっても安全地帯が再開する気配のなかった90年代中盤、わたしはこのアルバムのそうした意味をじわじわと理解していきます。それはつらい受容と理解の日々でした。

次回以降、未紹介の曲をご紹介してまいります。

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2021年09月11日

大切な時間


玉置浩二『あこがれ』十曲目、すなわちラストチューン、「大切な時間」(「時間」と書いて「とき」と読みます)です。

お気づきの方も多いかと思いますが、この曲は売られている曲の中で初めて玉置さんが詞をお書きになった曲です。なぜ!ここまで須藤ワールド全開で来て、なぜここで玉置さんの詞を出す?作詞の手練れである須藤さんがありとあらゆる天才的なワザをここまで繰り広げてきたのに、ここで初作詞の玉置さんが、かなりの素朴な歌詞を付け加えたのはなぜだ?ちょっと混乱します。

まったくの推測なのですが、これは玉置さんが「付け加えた」のではなく、最初からあったのではないかと思うのです。というのは、この曲(弾き語り部分)が最初にあって、それを星さんがインスト化・オーケストレーションにしたのが後半部分、その過程で三拍子になり、それをあっさりめのピアノ曲にリアレンジしたのが一曲目の「あこがれ」、ああ、じゃあこの二曲で最初と最後にして、この間に色々な曲を入れていこう、さいわいバラードたくさんできてるし……作詞はこの調子で書いていたら間に合わないよな……誰に頼もうか……須藤さんって人がいるんだけどどうかな?じゃあお願いしてみようか、わあ須藤さんの歌詞最高だ!もう残り全部お願いしちゃおう!という順番でできたのがこのアルバムなんじゃないかと思えるのです。まるっきりの推測なんですが。須藤さんの歌詞を先にみて、じゃあおれも一曲アマチュア以来ひさしぶりに書いてみようかな、という気持ちにはなりにくいんじゃないかなと思います、さすがに。つまり、この「大切な時間」プラスアルファを作った時点で、アルバムの設計思想はほぼ完成していた、そこに後から加わった須藤さんが残りの曲に最高の歌詞を書いたという推測です。

玉置さんの歌詞が拙いというわけではありません。むしろ、素朴で心に響くことばたちであり、そして当然といや当然ですが曲にピタリと合っています。私の推測が正しければですが、もしかして須藤さんもこの詞をみて玉置さんの曲にドンピシャに合うことばを探していったのではないかと思うくらいです。

安全地帯には決してない、つまり松井さんにはなかった、玉置さんの素朴な素朴な心そのままの歌詞であるように思えるのです。松井さんだとどうしても美しすぎるのです。いや、松井さんは玉置さんのこころをより鋭くより繊細にとらえていたというべきでしょうか。玉置さんの、心の中にあるワンシーンをより的確に表現していたのは松井さんだったのかもしれません。その集大成となる『太陽』では信じがたいまでにそのシンクロ度は高まっていて、玉置さんも「参ったな……五郎ちゃんには見事に見破られちゃってるよ……そうそう、こうなんだよな……」という気持ちだったのかもしれません。ですが、玉置さんはこの時期、そういう心的シーン的意味でのリアルなことばではなく、別な方面、瞬間瞬間の精神状態的なリアルさ、つまり一つひとつはとても素朴な心情の表現、それらを紡いでいくとシーンになるけれども、そうなる前の心情を歌うための歌詞を求めて、自分でこの「大切な時間」をお書きになったのではないかと思うのです。

「痒いところに手が届いていながら、かえって癪に触ったりするみたいな、ちょっと近親憎悪的な関係」と松井さんが表現なさったように(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、松井さんの歌詞がパーフェクトであったからこそ、玉置さんはそれに耐えられなくなってきた、だから自分で歌詞を書いてみた、その意図をくみ取った星さんによって須藤さんが呼ばれ、玉置さんの詞を見た須藤さんがその詞に現れた傾向を読み取り残りの曲に詞を書いていった……なんてこった、自分で書いておきながらけっこうそれらしい推測に自分でビックリです(笑)。例によってなんの確証もありませんので、どうかこれを真相だなどとお思いにならないようにご注意ください!

さて曲は、オルゴールのようなベル音で始まり、すぐに玉置さんのガットギターによる弾き語りへと続いていきます。曲と歌詞が一体化した、素晴らしい弾き語りです。「うれしくて」の裏でギターがそのメロディーをなぞるところなんて背筋がゾクゾクします。時折混ざる弦をはじく音、これは場合によってはノイズとして処理されてしまう音だと思うんですが、それすら玉置さんの歌とのあわせ技によって必然性ある音であるように聴こえてくるのです。

「うれしくて泣いてた」きみに出会えたあの時は、今ではぼくにとっても大切な時間なんだ……なんで「きみ」が泣くほどうれしかったのかはまったくわかりませんが、ひとには、欠けていたピースが奇跡的に見つかったと思える出会いというものがあるものです。いままで息継ぎしないで泳いでいたような感覚を覚えていた「きみ」は、やっとみつけたセーブポイントのような「ぼく」に、わたしを見つけてくれてありがとう!と、最高の笑顔と泣き顔を見せるのです。

曲は金子飛鳥Groupのストリングスをまじえて二番に入ります。そんなふうに出会いを喜んでくれた「きみ」に、「ぼく」はできることを何でもしてあげたいと願います。ひとは、自分が誰かの役に立っていると思うと、心の底から奮い立ち、力を尽くそうと思う生き物であるのかもしれません。そんな出会いは「ぼく」にとっても喜びであって、楽しくて、やさしい気持ちになって、その出会いの日の気持ちをいつまでも持続させたいと願うのです。

もちろん、そんな気持ちが長続きするわけはありません(笑)、いや笑いごとでないですね、でも長続きはしません。「ぼく」も「きみ」も人ですから、出会いの瞬間だけに生きているわけではありません。腹は減るし金は必要だし仕事の締め切りはあるしで、さまざまな制約の只中にあってはじめてその出会いがあったのに、今度はそれらの制約がふたりの時間を変質させてゆくのです。仕方ありません。これはどうしたってそうなのです。よほど強靭な精神力をもって努力すればある程度のテンションを維持できるかもしれませんが、それだっていつかは疲れてしまいます。せいぜい一年か二年でしょう。

ですが、この歌詞は、そんな人の悲しさを感じさせません。いや、示唆はしているのです。なぜなら、「泣いてた」「楽しかった」「やさしかった」「抱きしめたかった」と、すべてが過去形だからです。これらはすべて過ぎ去ったことであり、もう泣いてもいないし、楽しくもないしやさしくもない、そして抱きしめたくもない……のかもしれません。現在はそうでなないんだ、とは一切書いていませんから、すべてがポジティブのまま保たれているのです。過ぎ去った出会いの喜びと、それを保てなかった寂しさ・悲しさはもちろん表裏一体のものですが、この歌はあえて喜びのみを歌うのです。

だんだん大きくなるストリングスをバックに、「抱きしめたかった もう少しだけ」と、いまはすでに叶わない願いをつぶやいて、歌は口笛にバトンタッチ、美麗なストリングスとガットギターの伴奏で、曲はいったん終わります。

そして、「Bye Byeマーチからエンディング」のように、曲は「あこがれ」のオーケストレーションバージョンとでもいうべきストリングスによる後半インスト部に入ります。この美しさといったら……息をのみます。とりわけ最低音部の動きには、わたくし腰を抜かすんじゃないかと思うくらい胸を揺さぶられました。例によって自分の曲でいつも真似しようとして失敗しています(笑)。最近作った曲でちょっとだけうまくいきましたけど、この記事を書くにあたって凄まじいこの曲を聴き直し、あーまだまだだったと頭を抱えています。

歌詞カードには、この曲からページをめくったところに、玉置さんの「勇気」という詩が掲載されています。わたくしには、この「勇気」が「大切な時間」後半インスト部の歌詞にあたる……いや、歌でないから歌詞というのは変なのですが、歌詞のように曲の精神性を表す言葉であるように思えるのです。

出会いがあって、とびきりの笑顔を見せてくれた「きみ」の夢を叶えたいと思った、うれしくて楽しかったあの日をいつまでも続けたいと願った、だけど人の制約は容赦なくそんな願いを削ってゆく、だけどそんな悲しき変化の中にあっても、悲しませたくない、だから変わらない強さがほしい、変わらずに「きみ」をいつでもあたたかい気持ちにさせる「ぼく」でいられるよう、強い気持ちをもちつづける決心をしつづけたい、それはきっと「勇気」と呼ぶべきものなのだと思うからなのです。

さて、このアルバムもとうとう終わりました。この年、1993年はコメは大凶作でしたがアルバム的には豊作の年でして、八月に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』、そのわずか一か月後に『カリント工場の煙突の上に』がリリースされます。ですから、当ブログでは先に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』の未レビュー曲を三曲扱ってから、『カリント工場の煙突の上に』に入りたいと思います。どうかひきつづきご愛顧ください。

あこがれ [ 玉置浩二 ]

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