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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年04月16日

ナンセンスだらけ


安全地帯アナザー・コレクション』十五曲目、「ナンセンスだらけ」です。「微笑みに乾杯」カップリングでした。

「微笑みに乾杯」は安全地帯活動休止(一回目)直前にリリースされたシングルでしたから、そのカップリングたるこの「ナンセンスだらけ」は、下手すると安全地帯が発表する最後の曲になりかねないものでした。ですから、さぞかし哀愁と愛惜とが詰めに詰め込まれた超絶バラードなのだろう……と期待したわたくし、もちろんオーディオの前でひっくり返りました(笑)。当時はレンタルCDをカセットテープに録音し、当日返却100円で済ませるために、まだ店が少なくてソコソコ遠かったレンタルショップまでチャリを漕ぐのですが、行きと帰りとでテンションがだいぶ違ったことはいうまでもありません(笑)。

あれですね、この手の曲は『All I Do』で経験済みだったわけですが、慣れていなかったのです。安全地帯休止の情報とともにリリースされたこのシングル、カップリングがまさか安全地帯のアルバムに収められそうもないソロ活動路線だとは思いもよりませんでした。案の定編曲にBAnaNAがクレジットされています。なぜかBAn[Λ]NAとかいうよくわからない表記(ラムダ?)になっていますが……これはもう当事者しか事情がわからないですね。ところで川島さんはツイッターやってらっしゃるんですが、それで川島さんが軍艦島出身だと初めて知りました(超絶無関係)。

そんなわけでシンセバリバリ、曲は玉置ソロっぽく、安全地帯でレコーディングしたのかもあやしいのですが、さしあたりギターは安全地帯っぽいです。ドラムも音色だけ聴けば生ドラムっぽい音に聴こえなくもありませんが……どうも一本調子すぎるような気がしないでもありません。ベースにいたってはアウトロまで入っていませんでしたので、これは六土さん呆れてこなかったんじゃないのと思うくらいベースの気配がありませんでした。で、やっと入ったそのベースもあんまり六土さんの音に聴こえてこないわで……もはや疑心暗鬼です。玉置さんは打ち込み嫌いなのにこのころは当たり前だと思ってやっていたと証言なさっていますので(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、おそらくはこの曲もその過程で生まれてきたのでしょう。

以前にも書いたことがあるのですが、デジタル系の音と生楽器の音ってわたくしの経験上あんまり相性よくないんです。ミックスのときに馴染ませるというある意味余計な手間がかかるのは仕方ないとしても、馴染ませたところでどうしても違和感が残ります。演奏している本人以外はあんまり気にならないようなので余計なこだわりなのかもわかりませんが、可能ならば全員非デジタル楽器で、同じスタジオで、さらに可能ならば一発録りがベストだと思います。AI搭載プラグインなんてクソくらえ!あ、いやこのご時世ではとりわけすごい助かってるんですけども(笑)、安全地帯が二年の休止期間を経てサポートメンバーも打ち込みも極力排し五人が必ず一緒にスタジオに入って作った『夢の都』にたどり着くのが極めて自然なことに思われるほど、デジタルの呪いは強力なのです。

さて曲はなにやら管楽器のような音色による導入部、人手の感じられない音色によるドラム・パーカッションが無機質に流れるなか、美しいクリーントーンのアルペジオが不穏に響きます。玉置さんの歌が入りまして、クリーントーンのリックが混ぜられるくらいでAメロは編成そのまま突っ切ります。

Bメロ、ギターに変わって風切り音のようなシンセがバックに流れます。当時のシンセで高いやつを使ったことがないものでなんともいえないのですが、現代のシンセだとウィンドなんとかというプリセットがたまにあります。おそらくFMシンセでは定番だったのでしょう。ヘビーレインとか、そういう環境音的なやつがあるとついつい使ってみたくなりますが、われらがBAnaNAはさすが、そういう誘惑にかられて不要な演出をするようなマネはしません。

歌は二番に入りまして、オクターブ下を混ぜる玉置さんの背景に、ガタゴトガタゴト!テケテケテケテケ!カラカラカラ!という『オリジナルサウンドトラック プルシアンブルーの肖像』あたりから使っていたと思しき打楽器の音を織り交ぜてきます。これはほんとに嫌味でも何もなく真に天才的なセンスだと思います。『オリジナルサウンドトラック プルシアンブルーの肖像』ももちろんそうなのですが、とりわけMIASSツアーでBAnaNAの演奏シーンがみられる「パレードがやってくる」では、当時の安全地帯がBAnaNAなしでは曲がどれほど骨抜きになるのか痛感させられました。こういうスリリングな曲でもそのセンスがいかんなく発揮されています。

ですから、玉置さんも、メンバーも違和感を抱えていたことでしょう。BAnaNAがいかに曲に必要なメンバーであるかはみんな分かっていたと思うのです。ですが、BAnaNAの比重が重くなりすぎることを歓迎していたわけでもないと思うのです。昔ながらのロックバンドマンですから、ギター、ベース、ドラム、そしてボーカルが中心であるべき、それが安全地帯なんだ、BAnaNAはそれに彩りを付加する人であって、よくいって五人のうち一人以上の重さを担うべきでない、と……いや、これはわたくし勝手に思っているだけですが。それにしてもBAnaNAは玉置さんと競い合い高め合うレベルで天才すぎたのでしょう。そんなBAnaNAを玉置さんは必要とします。結果として楽曲に、演奏に、BAnaNAの存在感が増してゆく様子は、傍からみていて明らかです。

わたくしもヘタながら曲を作りますから、そういう相棒がいることの有難みは心の底からよくわかります。打てば響きそれ以上の反応を返してくれる、うおっやるな、じゃあこんどはこれでどうだ!と高め合う存在、うーん困ったなうまく音色がハマらない、音程がうまくキマらない、え?ああそうか!ありがとう!と助け合う存在、そういう相棒がいた時期にはどんどん曲を作れるし、その出来もいいのです。もちろん安全地帯はそういう人が五人そろったスーパーバンドですから相棒には困らないんですが、何しろ忙しすぎました。とても全部の曲を五人でアイデアを出し合いながら固めていくという過程を経ることはできなくなっていったわけですから、BAnaNAがいれば大丈夫的なコンビで曲が増えていったのは悲しくも自然なことだったのだと思われます。

さて曲は流麗なサックスで間奏が吹かれます。ドラムの音が大きくなりますね。フェーダーのオートメーションでただ大きくしただけなんじゃないかと思われるくらいテンションが変わりません(笑)。

その後曲はサビを繰り返し、ギターの鋭いカッティング(武沢さんだと思います、そう信じたい!)だけをバックに玉置さんが「フンフンフンフーン!」と『CAFE JAPAN』を彷彿とする超低温ハミングを聴かせてくれます。そしてホーンを合図にギターの単音リフが入り、ベースも大きく加わります。エレキベースの音色には聴こえますけども、これまた一本調子な音だなあ、でも六土さんならこのくらい超安定して弾けるのかもなー、とメンバーによる人力であることをギリギリ思わせる音になっています。「ナンセンスだらけ」と連呼する以外はほとんどいわゆる玉語でノリノリのボーカル、鳴り響くホーンで、にぎやかに繰り返される演奏がフェードアウトしていきます。この箇所、言ってみればフル構成なわけですが、やっぱり『All I Do』に近いノリのアンサンブルに聴こえます。もしかして安全地帯で演奏したのでないのかも……逆にいえば安全地帯でこれができるなら、玉置さんわざわざロンドンとか行かなくてよかったじゃないですかと思うのです。

さて歌詞なのですが、これはもう、なんにも「終わり」感のない歌詞です。拍子抜けです(笑)。冗談抜きに、これでわたくしがオーディオの前でひっくり返った要因の80%を占めます。「Love ”セッカン” Do It」のときなみの動揺です。

「堅いドレス」はいきなりすごい言葉ですね。ドレスは動かなければ、触れさせなければ柔らかかろうが堅かろうが一緒です。「恋の順序」を几帳面に守ろうとするのも非人間的です。「見張られてる」「その後のこと」も相まって総じて壁の花的に人形と化しているお堅い女性を思わせます。心のままに動け!そのガチガチに縛られた手足を伸ばすんだ!「肌をばらせ」なんてちょっときわどい場面を思わせる言葉を織り交ぜ、心身ともにその鎖を解き放って連れ去るジゴロを思わせます。ああなんだか懐かしいな、このノリ。『ローマの休日』的なロマンスをモチーフとした物語や歌は80年代後半にはしばしば見られたものです。いまの若い人にもあるんですかね?こういうロマンは。こればっかりは若くないとわかりませんので、グレゴリー・ペックのマネでもして反応を確かめてみるしかありません。このギター渡したら殴るかな?とか(笑)。

人間の生理的な現象であるところの恋愛に、律儀に順序を守り筋を通そうとすることを「ナンセンスだらけ」と吐き捨て(だからこそ、吐き捨てるように連呼して歌うのでしょう)、そんなことゴチャゴチャ考えてないでこっちにおいで!飛び込んできなよ!と、玉置さんが強力な色気と包容力をプンプンさせながら誘うのです(だからこそ、ダンスナンバーのようなリズムでノリノリなのです)。これはたまりません。きゃー清水の舞台からレッツダイビングよー!……となってしまいそうな魅力と勢いが、たしかにこのころの玉置さんにはありました。ですが……そんな時代はまもなく終わります。玉置さんはこの後一年間ほどの間に「キ・ツ・イ」「I'm Dandy」といったノリの似た曲をリリースしていきますから、この路線は安全地帯でなく玉置ソロで少しの間引き継がれますが、そこでこの系譜は途切れます。それは玉置さん自身の変化、そして安全地帯の変化、それによって起こったBAnaNAとの距離の変化など、さまざまな要因によって起こっています。もっとも大きい変化は、いつだって人間の成長・成熟なのだと思います。玉置さんの場合はそこにバブル崩壊と安全地帯の崩壊が立て続けに起こってしまったのですから、音楽性がドカンと変化するのも当然といや当然でしょう。だからいま思えば「ナンセンスだらけ」はたしかに「終わり」感の少ない曲でしたが、そのことがかえって逆に、80年代安全地帯の快進撃が大空に放った数多くの花火が、まもなく一つ二つとその輝きを消してゆくことを予感させる曲だったのです。
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2022年04月10日

時計


安全地帯アナザー・コレクション』十四曲目「時計」です。「月に濡れたふたり」カップリングでした。

玉置さんとBAnaNAだけで録ったんじゃないですかね、シンセとギターだけで作ったように聴こえます。ああ、女性コーラスも入ってますね。あれ?この声薬師丸さんじゃないですかねえ?玉置さんが作曲した「胸の振子」(1987年10月)と似た時期(1988年3月)にリリースされていますし……玉置さんとBAnaNAだけで作って最後に薬師丸さん呼んで歌ってもらったんじゃないかと思われます。この声がぜんぜん違う別の女性でしたら失礼しました!でも、できすぎですねえ、「振子」ということばもアレンジも振り子時計をイメージさせますし。玉置さん(と松井さん)、わざとやってるに一票。【追記:カラオケバージョンの収録されたシングルカセットをお持ちのせぼねさんによると、薬師丸さんの声ではないそうです。もしかして大山潤子さんなんじゃないかとは現時点では考えております

さて秒針が進む音にしちゃあんまりチクタクしてませんが、Voice系の音で曲ははじまります。そして玉置さんと女性ボーカルで歌が入り、一番を歌い上げて二番までの間奏から美しいアコギの音が入ります。二番が終わり、短いサビがあるんですが、そこからベースが入ります。これも六土さんが弾いたんだか弾いていないんだか……ああ、ギターは矢萩さん武沢さん弾いてないと思います。玉置さんが弾いたんでしょう。音がどうとかでなくて、状況証拠です。『TWIN GUITAR』のライナーノーツやWEB記事からは、自分でこれを弾いてレコーディングしたという口ぶりは一切なく、玉置の曲にいいのがあって昔から好きだったからやってみたらやっぱよかった的なことをおっしゃっているからです。

そしてまた間奏、なにやらNHK「きょうの料理」テーマ曲(冨田勲)で使われているような音色(木琴の類だと思います)でAメロのメロディーが奏でられます。そしてBメロをすこし改変した大サビを歌い、アウトロへと向かう。大まかにいうとこんな感じの構成になっています。

うん、ふつうにいい曲ですよね。矢萩さんみたいに琴線に触れまくるかどうかはともかく、美しい旋律と構成、工夫された音色による伴奏、そしてやさしくも力強い歌、これ以上何を望む!いやー安全地帯のみなさんでアレンジして演奏してほしかったなあ、と思わなくもないんですが、おそらく『安全地帯V』の頃から始まった完全分業制による曲の大量生産によって、こういう曲も生まれる土壌ができていたのでしょう。メンバーも、あっそう、じゃ任せるわ、くらいの感覚だったのではないでしょうか。あるいは、日常的にそういう活動があったため、ああこんな曲できてたの?これをカップリングに?いいじゃん、くらいの軽いノリで採用されたんじゃないかと思います。普通のバンドだったらそんな曲知らないよおれ関係ないもんねという態度をとるかもわかりませんが、あの壮絶な『安全地帯V』を乗り越えた安全地帯はそうじゃなく、もっと鷹揚な音楽集団であったのだと思われるのです。

さて松井さんによる薬師丸さんオマージュの疑いのある歌詞ですが(笑)、そう思って聴くとなんと思わせぶりなことか。「胸の時計が動いた」とは、石原さんとの破局後に止まったままだった玉置さんの恋愛装置が薬師丸さんによって再起動されたことを意味するように聴こえてくるのです。いまみてる「夢」は……音楽で出会ったふたりなのですが、その後の薬師丸さんをご覧になればわかるように、薬師丸さんはそもそもあんまり音楽活動する気はないんだと思います。女優として生きたい、アイドル歌手じゃなくて、という夢なのではないか……そのわりには堂に入った歌いっぷりなのが薬師丸さんなわけですが。そんなわけで、音楽という共通の場で結ばれた縁なのですが、薬師丸さんは「どこか」へ行きたい。だから「はなれていても」、つまり活動は違うことをやっているんだけれども、「おんなじ夜に」、つまり夜をともに過ごして互いを労わりあいたい、とまあ、熱烈なラブソングになっているわけです。

「夢の雫」とは……そんな、いわば異業種共稼ぎ生活を夢見るふたりが、これからその生活を構築していくにあたって夢をはぐくんでゆく道のりに、時計の振り子からひとしずくずつ滴ってその跡を残しては消えてゆく、そんな雨のように降り注いでは少しずつ漏れいずる、ふたりによって語られた「夢」なのだと思います。

その夢はほんの数年だけ、いやもしかしたらそのうちの僅かな期間にすぎなかったのかもしれませんが……実現したのでしょう。ですが、人間の悲しさ、夢の実現は人生の終りではありません。状況は刻一刻と変わりゆきますし、人も変わっていきます。ふたりの結婚した年にこそバブルは崩壊し、『太陽』がリリースされたのです……。

なお上述のとおり、この曲、矢萩さんがお好きで、ワタユタケでカバーなさっています。ライナーノーツによると、バッキングのギターをぜんぶオープンチューニングでお弾きになるという工夫をなさっているようです。そのチューニングもお書きになり「やってみてね(笑)」とメッセージまで書いてくださるというサービス精神を発揮!いやーこれはありがたいです(そのうちやってみようかなと思いつつやらない。矢萩さん武沢さんのマネは若いころからさんざんしているんですが、このニュアンスは再現できないと確信)。



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2022年03月27日

きっかけのWink


安全地帯アナザー・コレクション』十二曲目、「きっかけのWink」です。「Juliet」のカップリングでした。

「Friend」の絶望感をスカッと帳消しにする「恋はDANCEではじめよう」、「じれったい」の焦燥感はどこへやらの「ひとりぼっちの虹」に続くこの曲「きっかけのWink」は、「Juliet」の一途さを見事に吹っ飛ばすアップビートな曲です。これをもちまして、背徳のカップリング三連弾がここに完成するわけです(笑)。

なにやらエフェクトをかけてスネアの音色ふたつを打ち分けるドラム、チャカポコのパーカッション、玉置さんのウィスパー(これも一種のパーカッション?)でゴキゲンに曲ははじまります。クリーンのギターによるアクセント、そしてボキボキのベース、キーボードに続けてホーンセクション、おおこれは15人体制の安全地帯で演奏すると非常に映えそうです。「じれったい」「No Problem」あたりに近いですね。こういうかなり作り込んだ曲はもったいないしアルバムに入れようよと思うのですが、『月に濡れたふたり』の過度なシリアスさがこういう軽薄路線の曲との共存を拒んだのかもしれません。わたくしどっちも好きですので二枚組にすればいいのにとか無責任なことを考えてしまいます。実際、前作は三枚組だったわけですし、カップリングの曲も「ひとりぼっちの虹」「きっかけのWink」「時計」とあったわけですから、できなくはなかったのだと思います。ですが、この当時の安全地帯はシリアス路線で一枚だけ出す、という選択をしました。毎回二枚三枚出していられないですしそれが正解だとは思うのですが……そういや当時はCDは64分だか74分が限界だとか言われていましたね。その意味ではじゅうぶん一枚で出せるのですが、こんどは当時まだ存在していたアナログ盤が出せなくなるおそれがあります。どこかで線を引けないといけなかったのでしょう。そんな、路線にはずれたもったいない曲です。だからこそ、『安全地帯アナザー・コレクション』のプロモーションにこの「きっかけのWink」が用いられたのかもしれません(わたくし、ローソンで当時聴いたとすでに書きました)。

歌が入りまして、意味深だけれども事実は単純、という松井さんの詞物語を色気たっぷりの玉置さんが歌いあげるという十八番が炸裂します。そうそう、安全地帯ってこうだよな!と思わされるんですが、この曲に似てる曲がほかにあるかといわれるとそうでもありません。従来の安全地帯がもっていたどこか深刻な雰囲気が感じられず、曲調がじつに軽くてオシャレなのです。

することがなくても、若者は街に出たのです。だってLINEないし(いい加減飽きてきたな)。コンビニコーヒーもありませんから、住宅街はヒマそのものでした。逆に何か特別感を出すためには一緒に街をぶらつくだけで十分だったのです。ですが、繰り返すとそれも飽きます。毎回映画観るほどの金はないしそんなに観たい映画があるわけでもありません。Netflixないし(笑)。ですから、飽きてきたな、退屈だなという表情がついついウインドーには映ってしまっているのです。それをみた主人公、なんともいえないさみしさに襲われます。「ひとりよりうまくふたりでいられない」的な辛さです。

この沈滞ムードを一気に振り払いたい!何かきっかけが欲しい!たとえばいきなりWinkするとか……甘えるな!自分できっかけを作れ!と思わなくもないのですが(笑)、そんな些細なことでも気分が晴れやかに変わるんだ、だって愛しいきみがWinkするんだろ?とまあ、きわめて大したことのないちょっとした不幸をライトに嘆く歌です。平和だなあ。そんなに退屈だったら帰ればいいのにと思うのは、家にも娯楽があふれる現代人の感覚です。演奏は鋭いシンセの音で短くアオリを入れる以外はそんなに変化ないんですが、コーラスが効いていますね。これはAmazonsのみなさんなんじゃないかと思うんですが、手元にクレジットがなくわかりません。サビ前に入った鋭いブレイクと、サビに入れられたこのコーラスによって、Winkのおかげで何かが変わって気分的に仕切り直したぞ!さあ楽しく街をぶらぶらするぞ!二人で歩けばそれだけでハッピー!さすがきみのWink!的な、かなりムリヤリ感のある盛り上がりなんですが、曲を聴いているとそんなムリヤリ感が感じられません。さすがの玉置松井コンビです。

歌は二番に入りまして、「ハイヒール」という色気ある言葉を持ってきます。その色気に誰もが(誰もが〜とコーラス)ふりむくほどのパワーある足元です。ハイヒールなんてみんな履いてるだろ自意識過剰なんだよと思わなくもありませんが、その視野と想像の狭さこそが若者のキラキラ感を支えているのであって、そのキラキラ感以外は問題じゃないのです。

試される気がかりなことというのは何なのか、これがさっぱりわかりません。きみの魅力ならほかの男をあっさり落とせるかどうか?いやダメだそんなの試さなくていい、やめてくれ(笑)。そこまでいかなくても、自分の恋人がどのくらい魅力的かというのは多少気がかりなことかもしれません。人によっては大いに気がかり、それどころか、それが全てかもしれません(笑)。べつにいいじゃんほかの人がどう思おうが!とはすっぱり割り切れない気持ちを抱えつつ、それがなくなってゆく過程をともに生きて成長してゆけばいいんじゃないですかね(謎の上から目線)。

曲はサビ、大サビ、サビと繰り返してほぼ間奏なく盛り上げます。「はっきりとMelody」の意味がマジでわかりません(笑)。「Melody」として形をとるようなちゃんとそれとわかるトキメキがほしいという、ないものねだりな心境なんじゃないかと思いますが……おそらくは距離を詰め切れていない感覚があってもどかしい状態なんじゃないでしょうか。だからこそ、この印象的な大サビが、曲の構成のうえだけでなく歌詞の物語としてもイキイキとしているのだと思います。夢中になる瞳をぼくはまだみていない、だから夢中になるきみが見たい、そんなきみと一緒にいたいんだ、それこそ一片のやましさを感じてしまうくらい近くで!という、オシャレな曲の中に隠されたドロドロの情念に似たものが垣間見えて、わたしたちはそのギャップをそれとわからないまま味わうことになるのです。

ドロドロでおおらかに歌われるこの大サビに挟まれた軽快なサビのリズムがまたニクいくらいギャップあります。つまり「きみの輝きをみせて」「思いがけないまま」と畳みかけるように歌うこのリズムの良さと、「きっかけのWinkで」「はっ…じけたWinkで」と促音撥音の組み合わせによるリズム、実に見事です。これは玉置さん松井さんにより生み出された至高のキャッチーさです。だって一発で覚えますよこんなの。印象的すぎます。それなのにローソンを拠点にこの曲がバカ売れしたという話はついぞ聞きません。誰もコンビニで音楽など聴いていなかった?(笑)。翌年ロッド・スチュアートの「さよならバージニア」もローソンで流れていたんですが、これもたいして話題になりませんでしたねえ。当時イートインがあればあるいは!

さて、曲は長めのアウトロがフェードアウトしていきます。玉置さんと誰か女性コーラスがいわゆる玉語で掛け合いをして消えてゆきます。これはあと一分くらい聴いていてもいいなと思わされます。うーん惜しい……実に惜しい……繰り返しになりますが、この曲の入ったアルバムをリリースしていれば……と思わされます。ただ、このような路線の曲は、言ってみれば『安全地帯V』の延長上にあり、『安全地帯VI月に濡れたふたり』との狭間にあったのであって、新しい表現を求めるニューアルバムからは弾かれてゆく運命だったのだと思います。そんな隠れた名曲であるといえるでしょう。
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2022年03月17日

ひとりぼっちの虹


安全地帯アナザー・コレクション』十二曲目、「ひとりぼっちの虹」です。「じれったい」のカップリングでした。

「じれったい」の焦燥感はどこへやら、すでに穏やかなのかいまだ穏やかならずなのか、ちょっと不明瞭な心境で失われた恋人を思う歌です。演奏は基本シンセサイザーだけ、アコギも入ってますけど、これ玉置さん弾いたんじゃないですかね、たぶん玉置さんとBAnaNAだけでやってます。そんなわけでA面の「じれったい」でのフルバンドからは一転、とてもシンプルな演奏になっています。

ポポポポポッポ……と可愛らしい音で短い前奏があったあと、すぐに歌が始まります。何やらうすーく鍵盤が入っていますが、ポポポの存在感が強くてよく聴こえません。「古い住所へ〜」とAメロ二回目から美しいストリングスが入り、曲を盛り上げて一気にサビに行きます。サビからは何やらシンセがアオリに入ってストリングスときれいな絡みを聴かせてくれます。ここに、おそらくは玉置さんのアコギが一瞬打楽器かと思えるほど澄んだ音色でストロークを続け、演奏は最高潮に達します。最高潮ったってシンプルな美しさを保ったままですから、すこしもうるさく感じません。このアレンジセンスはほんとにどのJ-POPアーティストにも見習ってほしいと願ってやみません。せっかくの昆布出汁に固形ブイヨン入れやがって!みたいなのが多すぎましたし、今なんて昆布出汁の取り方すら知らないんじゃないかと思わされるものだらけです。

曲はもう一度Aメロを繰り返し、間奏へと続いてゆきます。この曲も安全地帯や玉置さんの曲によくある、AとかBとかサビとかそういうありきたりな構成思想で語るのが無粋に思われるような、説得力ある構成です。「Aメロとサビしかないじゃん」とか、控えめに言って追放刑です(笑)。

曲はトイピアノのような音色でAメロをなぞる間奏があって、大きくストリングスで最後のサビへとリードされてゆきます。「ポンワー・ポンワー」と跳ね上がるシンセをバックに、玉置さんが空にかかる虹を歌い上げます。低音を多めに含んだストリングスが一瞬だけ挿入され、いくぶん落ち着いていた気分を一気にスーパーブルーに急降下させます。その後、何事もなかったかのように落ち着いた気分の伴奏に戻るのがまた、癒しきれていない猛烈な悲しさを抱えたままの、かりそめの落ち着きであることを演出します。これは切ない……。

何事もなかったようで実はあったことがプンプンと臭う伴奏であることがわかります。これはBAnaNAのバラエティーあふれる音色を組み合わせたシンセと、それにズシーンと絡んでゆく星さんのストリングスの組み合わせによるものでしょう。『All I Do』で堪能できるパターンでもありますが、玉置さんソロだけでなく、安全地帯にとっても『安全地帯V』を経て生み出された重要なオプションとなっていたことが推察されます。

さて歌詞ですが……これは辛すぎます。どういう事情かは分かりませんが(安全地帯のことだから死別とかでなくて失恋だろうと思うのが自然といや自然ですが)、もう手紙を出しても宛先不明で帰ってくるであろうことが容易に予想される関係に陥っています。

彼女のいた街で朝を迎え、みるものきくものすべてが彼女を思い出させます。とりわけ「頬にかかる涙」が思いだされて、ひとりのときの心が千々に乱れます。それを思いだして胸が痛むうちはまだ彼女を忘れていないわけですから、いますぐに逢いたい、逢って涙の記憶を上書き保存したい、でもできない。まあ、できませんよね。大人たるもの、それはやっちゃいけないとわかっています。だってそれは自分の都合じゃないですか。たまたまうっかり向こうも同じ気持であった場合にだけ逢ってもいいとは思うんですが、そこは昭和末期、LINEで腹の探り合いなどできない時代なのです。なんとか連絡先を人づてに入手してイエデンにかける以外ありません。だから、あて先不明になることが濃厚な「手紙」でさえも、まだまだ重要な連絡手段候補となりえたのです。いまだったらそもそも検討すらしませんよね。

そんなことを考えているうちに眠り込んでしまいます。うん、寝たほうがいいですね。こういうときにはスマートフォンなどいじらずに頭をリセットしないといけません。当時はそんなものありませんから、悶々と眠るしかありませんでした。そんなとき、わたくし夜中に突然コンビニに散歩してカップ焼きそばを食べるという暴挙がマイブームになったことがありまして、すっかり体の具合が悪くなったことがあります。若い皆さんはくれぐれもマネをなさらぬよう。そんなことするならスマートフォンいじってるほうがいいかもしれません(笑)。

そして夢のような夢を見ます。夢のようにステキでうれしい夢です。なんと!「ほほえむ君」が「空にかかる虹」のたもとにいるんです。つまり、いないんです(笑)。君のいる虹のたもとに行こうとしたら当然辿りつきません。虹というのはみなさんご存じのとおり近くでは見ることができません。庭に水蒔いてるときにうまく角度を調節して虹ができているときにバシャバシャ手を触れて「虹にさわった」と思えるような気がするだけです。ああ夢か……夢の中に君がいたのに、夢の中でも君に追いつかないのか……と一層気分が暗くなります。さみしいからみてしまった夢なのに、いっそうさみしい気分にさせられるんですから、たまったものではありません。

そんなわけでこの曲は、一見かわいらしい、美しい曲の装いをもってはいるのですが、実は凶悪なくらいダウナー系の失恋ソングであるわけです。心の弱ったときにはあまり聴き入りたくない、けどいい曲だから聴きたくなっちゃう、そんな失恋モードの安全地帯ファンを虜にするいつものパターンといやいつものパターンではあります。ただ、これが「いつもの」である時代は間もなく終わりを告げようとしていたと、当時のわたしたちは知らずにいたのでした……と、こういう振り返りがピッタリはまる曲だなあ、と思います。

「安全地帯のシングルB面だと何が一番好き?」
「ひとりぼっちの虹」
「そうなんだ、よくわかるよ。じゃあ置き手紙も好きなんじゃないかな」
「ぜんぶ好き」
「そりゃそうだね」

安全地帯のことを話せる相手を求めて今はなきICQで、こんな会話をしたことが思いだされます。この『安全地帯アナザー・コレクション』がリリースされてからまだわずか数年のことでした。逢うひとなんかとっくにみんな街を去っていて、孤独な冬の寒さを一緒に耐えてくれる相手をネット回線の向こうに探すことのできる時代の、ごくごく初期のことでした。
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2022年03月12日

恋はDANCEではじめよう


安全地帯アナザー・コレクション』十曲目「恋はDANCEではじめよう」です。「Friend」カップリングでした。

わたくし、とりわけリズムに関しては非常に弱く、すこしも説得力のない話を最初にしてしまって恐縮なのですが、こういう跳ねるリズムのことをシャッフルというんだと思います。ズッタ・ズッタ・ッタツ・ツッタ……ともの凄い速さで曲が跳び跳ねていきます。A面のどんよりしんみり感が見事に吹き飛ぶカップリングになっています。林家ペーの相方が&ロ愛子だったなみのビックリな組み合わせといえるでしょう。

いきなり歌で「Come on......」と入り、ズッタンズッタン!とスピード感満点なリズムが炸裂、「Danceがいいな」などと、通常の趣味嗜好をしていたら決して言わないであろうセリフをサラッと吐きます。ふう夜か、星がきれいだな、こんな夜は……DANCEがいいな……なにいってやがんだ頭が壊れる!(笑)恋はDANCEではじめようって、中国時代劇か!くるくる回って恋が芽生えるやつ(すぐ同じネタを使う)。とかなんとか思っているうちにレモンとかたぶんKissしてそうとかわけのわからないスウィートなセリフを一気に歌い、ギターのアオリで一番を終えます。ダンスの途中でうまく波長が合って、あっこいつら絶対Kissとかしてるぜ感のある雰囲気でビシッと抱きかかえる感じのポーズが決まったときにみんなが手を叩く……うーむ、わけわかんなくなかったすみません松井さん!でもわかんないです!気持ちが!

さていきなりサビっぽかった箇所を越えて、Aメロらしき箇所に入ります。ドラム、ベースの調子はそのまま、短音フレーズによるギターの掛け合いをバックに、韻を踏んだ(それゆえに意味はややイマイチ)玉置さんのボーカルが冴えます。クールとフール、嵐とジェラシー、といったところですね。「心はフール」ってもしかして悪口いってるのかと一瞬思いますが、たぶんそんな噂をしている人を内心バカにしているくらいの意味でしょう。玉置さんとDANCEなんかしてたらそりゃー噂とジェラシーで潰されそうになりますから、そういう腹の座った女性でなければならないわけです。

歌は短いBメロ(めちゃめちゃな可愛さ)のあとすぐサビに戻ります。「気分しだい」「疑問だらけ」とリズムの似通った言葉を用いてスピード感を落とさず突っ走ります。ここはリズムのためだけでなく、意味深さも抜群です。そう、疑問だらけなことがあるんですよ、気になる策を弄してくる女性というのがいたとして。慣れてるとかじゃないんでしょうね、たぶん自分を守るためにナチュラルにそうなんだと思います。

次のAメロも、思わせぶりワードの連発です。これはキレキレです。松井さんだいぶ調子が上がってきています!(笑)。「腰に」と「意固地に」なんて思いつくほうがどうかしています。そこに誘惑がはみ出してきて手がやけるなんて、すごく久しぶりな気のするスケコマシダンディー感満載です。わたくし、「ふたりで踊ろう」とかの頃に戻ったのかと一瞬思いました。実際その頃の曲なんで当たり前なんですけど、わたくしからすると五年くらい前のことのように思えます。

そして、何やら不思議な音色のメロディーがリードする間奏に入ります。間に入る玉置さんの「あれ?」は、レコーディング中に歌詞が見つからなかったから「あれ?歌詞がないよ?」と思った時の「あれ?」だと読んだ記憶があります(ソースはN.NOGUCHIさん、安全地帯レビューの大先輩というか、わたしがネットに接続したときにはもうあったと思いますこのサイト、一体いつから……と思ったらなんと開設は96年!ははー(平伏))。まだGoogleなかったんで、Lycos とかInfoseekとかで探したんだと思います。そのころから「安全地帯」で検索すると上位に表示されてた老舗中の老舗です。

そしてこの前後から歪んだギターの単音がキュイーン!とアオリを入れてきます。すっごい目立ちますよね、こんだけいろいろな音や声が入っているのに。安全地帯の音作りがいかに優れたものであるのか、こういう小技にいちいち唸らされます。

曲は最後のサビを駆け抜けて終わります。もともと二分くらいしかない曲なんであっという間なんですけど、それにしてもあっという間感が高いスピーディーさです。歌詞カードには自分勝手だって「なんたって」と書いてあるんですが、わたくし自分勝手だって「なんてったって」だと思います。私の耳が悪いか玉置さんの活舌が悪いか(それはない)、誤植か、もしくは、歌ってみたら「なんてったって」のほうがよいことが分かったからそう歌った、ということでしょう。うん、最後のケースが一番納得できます。歌い始めてから途中で「歌詞がないよ?」とか言ってるような慌てぶりのスケジュールでレコーディングしてますから、その場のノリで決まっていく、変わっていくようなスピード感が求められるというのが一番ありそうな話です。

アルバムに収録されないままだった二分程度の小曲ですし、おそらくシングルのカップリングとして急いで作ったんだとは思いますけど、急いだなりに新しいこと(シャッフルとか)をやってみよう!と楽しんでお作りになったのではと思います。この時期でなければこんなに急がされることはなく、こんなに急がされなければこのような試みをすることはなく、このような試みをしなければ生まれなかったような曲なのです。皮肉なことではあるのですが、だからこそ、わたしたちは安全地帯の様々な一面をみることができるわけです。
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2022年03月06日

俺はシャウト!


安全地帯アナザー・コレクション』九曲目「俺はシャウト!」です。「夏の終りのハーモニー」カップリングでした。陽水さんも参加してのハチャメチャロックンロールです。「夏の終りのハーモニー」が荘厳なバラードで感動的に終わった後、B面にひっくり返すとレコードと一緒に自分もひっくり返るという粋な組み合わせでした。

陽水さんのゆっくりしたカウント「ワン……ツー……スリー……パッ!」から始まります。パッ!ってなんだよパッ!って!とまず頭が追い付きません。そして田中さんの非常に生ドラムっぽい音でドドドドダッタン!ドドドドダッタン!が始まりまして、単純なギターのリフが繰り返され、おそらくBANANAによるシンセが高音を響かせつつ玉置さんによる謎の「デュデュデュデュデュ」、とすでにかなりカオスです。そしてベースが入って流麗なサックスでサビのメロディー……これがカッコいいですね。

歌に入りまして、「夏の終りのハーモニー」とは異なり陽水さんと玉置さんが短く交代しながら歌います。出てくることばがいきなりフィードバック、えーとたぶんですがディレイのヤマビコ回数じゃないですかね。あ、いや、わたくしもディレイ使うんですが、いつも必要な時だけツマミさわって、ああそうかと思いながら調整するもので、ちゃんと覚えてないんですよ。基本ディレイとかリバーブには興味がないんですね。興味がないで済ませちゃいけないんですけど。マイクにノルまでフェダーあげるというのは、ちょっと遠めのマイクで拾っているけどそのボリュームをメチャクチャに上がるとその音がモニターから聴こえるようになるくらい大きくなるってことなんですが、これをやると高確率でハウリングが起こります。ミキサーの前にいる音響さんがハイを下げたりとなりのマイクを小さくしてみたりして何とか対処するんですけど、基本顔は真っ青です (笑)。ですから指が腰抜け、なんでしょう。そんなこと気にしないぜ!というくらいノリノリであることを示しているわけです。なんて迷惑なバンドだ、音響やりたくねえ〜。フェードインもアウトもなく、同じことを延々と繰り返すデジタルドラムに合わせて気の向くままセッション、気の向くままシャウトするんだ!ガラス窓のむこうのディレクターも耳がグシャグシャ、ヘッドホンを外して眺めているしかありません。

とまあ、ハチャメチャなセッションであることを示唆する歌詞なんですが、これがまた音がいいんですね。ちゃんとミキシングできてます。当たり前といや当たり前なんですが。

俺はシャウト……シャウ!シャウ!シャウ!っと二人が叫んでいる間に、何やらガサガサガサ……と耳障りと心地よいの中間みたいな音が流れてきますね。ギターで高速ピッキングした可能性もありますが、おそらくはBANANAの仕業だと思います。キーボードに多くの打楽器をアサインしておいて、打ちまくっているんだと思います。さすがBANANA、もともと陽水さんのバックバンドやってただけのことはあって、下手すると陽水さんや安全地帯よりもノリノリです(笑)。

そしてサビ、目立つサックス、それに負けない声質の陽水さん、玉置さんはやや押され気味に聴こえますが、これは陽水さんに遠慮してるんじゃないかなと思えてきます。だって陽水さんとBANANAがノリノリなんですから(笑)。

「声までシャウト」って当たり前じゃんと思うんですが、本当にシャウトなのは「俺」なのです。だって「俺はシャウトする!」とか言ってませんから。「俺(という存在)はシャウト(である)!」なんです。ですから、俺はシャウト、いやむしろシャウトが俺なんだけど、そんな俺が声を出したらどんな声だと思う?フフフ……シャウトに決まってるだろ?的な、腹の立つ表現が成立するわけです。いやー、陽水さんの詞ですから、これもわたくしの妄想とばかりは言えない気がしますよ。あの娘とももちろん……シャウトだぜ、つまりこわれたままひどく愛することなんだぜ!いや、まったくもって壊れていますが、もう陽水さんだから何でも許せちゃうっていうか、ちゃんとわかりますよね。初聴時は「なんじゃあこりゃあ」でしたが、今になって見事な歌詞に思えてきました。

ブレイクを入れて、ダダダダ……とBANANAが大活躍の小節を経て間奏に入りますが、基本は繰り返しです。そして歌は二番に入ります。

はて、「トークバック」ってなんだろう?と思いました。ディレイもよくわかってないわたくし、こんなことではいけないので調べてみますと、はーなるほど、レコーディング中にガラスの向こうのミキサーとやり取りする連絡回路ですね。中学校の放送室でみました(笑)。わたくしレコーディングのときもスタジオ入ったことあんまりなくて、ミキサーの横にアンプ置いてやっちゃうことが多かったですし、いまはもう自宅とかで自分でやりますからあんまりお目にかからない回路です。これでいろいろしゃべりすぎるとサイドギターの気が散る……わたくしサイドギターってのがそもそもいないバンドばかりでしたからそれはわかりません。だいたい、それだとボーカリストと、最低サイドギターが同時にスタジオ入ってますよね。たぶん一発録音で全員一緒にやっているんでしょう。さすがハチャメチャセッション!中島みゆきさんはレコーディングのとき、リズム録音のときに一緒に歌っちゃう、そのあと一切歌い直さないという話をラジオで聴いたことがあって仰天しましたが、それはもうバンドのやり方それぞれだとは思います。

そして、ピアノもシンセも(中西さんとBANANAですね)ハンマーのようにあの娘のハートをガッツンガッツン叩き、もうメロメロにしちゃうんだぜ!そしてとどめに俺たちがシャウトだ!これはたまらないぜ〜。いや、大丈夫ですか、ちょっとノリノリすぎて思考がヤバくなってませんか(笑)。陽水さん、安全地帯、中西さんにBANANAくらいの凄腕が揃うとそこまでノレるような気がしなくもないんですが……ロックンロールの麻薬的な表現を、このアダルティーなメンツで行うとはちょっと意外にもほどがあります。でも、きっとうれしかった、楽しかったんでしょうね、玉置さんも、メンバーも……。普通に考えたらもう実現するはずがない組み合わせであるくらいに安全地帯はビッグになり、忙しくなりすぎていますから。金子さんの粋な計らいに感謝しつつ、最高にノリノリになろうぜ!「ロックンロールは恋狂い」にも負けないぜ!という気分だったのではないかと愚考する次第です。

曲はサビを繰り返し、そして陽水さん玉置さんが(おもに陽水さん)獣のように吠えるアウトロを長めに演奏して、唐突に終わります。おお、フェードアウトはないぜ!(笑)。

こんな楽し気な音源を製作すること、そして発表してしまうことが許されるくらいにビッグになった安全地帯の、下積み時代を思いだしてそれを吹き飛ばすような軽快ロックンロールであったということができるでしょう。また、このアルバムそんなのばっかりですが、この曲も安全地帯のイメージからかけ離れていて、わたしたちに面白い一面を提供してくれているということもできるでしょう。
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2022年02月26日

チャイナ・ドレスでおいで


安全地帯 アナザー・コレクション』八曲目、「チャイナ・ドレスでおいで」です。「プルシアンブルーの肖像」カップリングでした。

80年代、中国はとても縁の遠い国でした。メイドインチャイナの品物もほとんどありませんでした。NIESとかいって、韓国香港台湾シンガポールの製品が激安ショップ(いまでいう100円ショップ)に並んでおり、ネタで50円の電卓買ったら次の日はもう壊れていたなんて話をしているくらいでした。当時小学生〜中学生だったわたしの感覚からすれば、中国ってラーメンマンの国だろ、ついでにいうとインドはレインボーマンの国って認識でした。時代は変わるものです。

ところがそういう古い認識というのは昭和後期特有のもので、日本と中国の交流というのはおそらく有史以前から連綿と続いており、第二次世界大戦を機にほぼ断絶状態となった時期のほうが歴史のごく一部、ほんの一瞬にすぎないのです。わたしの祖父のように中国に出征した日本人もいれば、戦前から続く中華街で飲食店を営む中国人もいました。二国間の往来は有史以来活発であって祖父の世代のほうがよほどグローバル感覚を備えており、田中角栄による友好条約で日中間の行き来が再開したばかりのわたしの少年時代のほうが国際性に乏しい、それが当時の状況だったわけです。

そんな国際性乏しい昭和ヤングのわたしたちにとって、ヨコハマは身近に外国を感じることのできる異国情緒あふれる街でした。あ、いや、わたくし北海道ですから、横浜と函館や長崎の区別があんまりついてないんですけども。「あぶない刑事」を観ていても函館の街をいつでも思いだす、中華街のおいしいもの中継番組を観ていると家族で旅行した長崎の中華街のことを思いだす、そんな横浜素人のわたくしですが、思い切ってこの曲を語ってみようと思います。

いかにも「中国でござい、中華街でござい、今日は香港のお正月」って感じのリフがシンセサイザーで流れてきます。そうそう、春麗ちゃんが「スピン・ターン・キック!」とかいってくるくる回ってそうな音楽、これが当時の中国のイメージです。リズム隊は……「ドゴゴゴゴ!ドゴゴゴゴ!」と、シンセベースですかね?なんか六土さんのベースはたまにこういう音を出しそうで油断ならないんですが、まあふつうにシンセベースでしょう。このシンセベースの低音とシンセサイザーの高音がチャイナ的な演出の根幹を成していますね。ドラムはふつうに田中さんが叩いていると思います。二番に入る間奏で半径の短い……エフェクトシンバルですかね?ブシュ!って高い音を交えて叩いているんですが、これがこの曲におけるチャイナ感をいや増しています。

玉置さんの歌は、松井さんが「彼の好きなことばの遊び」をふんだんに入れて、「男女関係を茶化した」ものです(『Friend』より)。横浜の夜にチャイナドレスを着て赤い靴を履いた令嬢、うん、この時点でもうありえないんですが(笑)、この「ことばの遊び」が全てを浮つかせ、異国情緒と非日常感が絶妙にブレンドし、玉置さんなら、まあ、あるのかもな……?くらいにはリアリティが感じられるわけです。でもまあ、実際には起こりませんよ。驚いちゃうじゃないですか、横浜のホテルで玉置さんとチャイナドレスの女性が「潮風がしみるわね」とか言ってダンスしてたら。中国時代劇で殺し合いの関係として出逢った男女が梅満開の谷間で殺陣やってる間にくるくる回りながらスローモーションになって目が合い、いつのまにか惹かれ合い抱き合っていたなみのバカっぽさです。このあとパーティー組んで荒野を彷徨ってたら洞窟に迷い込んで、洞窟の中で三十年くらい修行している白髪の爺さんに出会いすべての謎、すべての因業を教えられ、すんごい必殺技を伝授してもらってふたりは真の敵を倒しに行く……うん、やっぱりバカだ(笑)。つまり、これはファンタジーなんでしょう。玉置さんならこんなことがあっても不思議じゃない、しかもバカっぽくなくてロマンチックだという、そんなファンタジーの光景を垣間見せる曲になっています。

「いいでしょう」「いるでしょう」「薄化粧」はもちろん、「とまらない(nai)しかたない(nai)愛(ai)」(類似パターンこのほか三例あり)、さらに「さむすぎる」「かみしめる」、どれも韻とリズムがバッチリハマってますね。とりわけファルセットと低音のボーカルが組み合わされたスピードあるサビの急転直下ぶりはスリル満点です。さらに、曲が違うことも無視していいとするなら、A面の「プルシアンブルーの肖像」で「はなせない」「はなさない」ってやってましたから、また「〜ない」かよ!と一枚で二度おいしいシングルとなっています。

それまで余裕こいて「カタカナ気分」とか糸井重里「じぶん、新発見。」なみのわけのわからないことを言っていたのに「もうとまらない!」と一気にヒートアップします。サビのギターがカッティングと小節終りの「チュクチュン!」で切迫感を演出しますね。これ、ワウ使っているんじゃないかな、と思います。クライベイビーでクワ〜!って感じでなく、軽ーくチャカポコやってる感じですね。

ギターの見せ場はソロです。シンセで四小節ばかり不穏な間をとってから最初のオクターバーとオーバードライブでチャイナ的なフレーズを弾くのが矢萩さん、それを受けてクリーンな音、これまたオクターバーかけた感じの音で返すのが武沢さんで、『安全地帯IV』の「デリカシー」に似たツインギターの掛け合いになっています。

そしてまたファルセットのチャカポコサビ「すぐさわらない」です。焦らすなって(笑)。なにせ「あなたひとりをかみしめる」ですから、チャイナドレスの女性はかなーり慎重にゆっくり迫られることと思います。「異人」がその薄化粧にざわめくという描写があるのですが、これは難しいですね。ナチュラルメイクすぎて外国人の方が驚くとか、そんなベタな話ではないと思うんですけども、というかそんなの驚く要素がないです。これは「薄化粧」の女性が美しすぎるとか妖艶すぎるとか、そんな意味でしょう。だから彼女はチャイナタウンのヒロイン、注目の的なのです。チャイナドレスからこぼれる脚線美が揺れるたびいちいち周囲の空気が動きます。そんな彼女が、玉置さんの前でだけ生まれたままの姿をさらけ出します。そして「いイィ〜よお〜」とささやくように歌う玉置さんの腕の中で、「想い出の抱きかた」に泣く……なんてこった、もはや国際性関係ない!わたくし落語でいうところの枕を間違ったようです(笑)。横浜だろうが中華街だろうが、日本だろうが中国だろうが、昭和だろうが令和だろうが男女ってのはあんまり変わらないねってオチにしようかと思ったんですが、書いてみるとバランス悪いことこの上ないです。

「Hong Kong」の記事で書いたのですが、安全地帯は中国、とりわけ香港では大人気でして、札幌のホームセンターで安全地帯BESTのカセットテープ香港版が逆輸入で売られていたくらいです(日本のとは違って「夢のつづき」が収録されていたのを覚えています)。なにも音楽にチャイナ感を出さずとも安全地帯の音楽はチャイナで大人気だったのですが、この「チャイナ・ドレスでおいで」は中国のファンにはどんなふうに聴こえていたんだろう?とちょっと興味ありますね。2000年ころだったでしょうか、香港のファンとメール交換していたこともあったんですが、もうメールもアドレスも失われてしまいましたから訊きようがないんですけども……。私の予想では、BON JOVIの「TOKYO ROAD」みたいに聴こえていたんじゃないかと思います。あのさあジョン、「さくらさくら」は確かに日本っぽいけどさあ!これじゃ小学生の音楽教科書だよとツッコミ入れたくなりますよね、あれ。アメリカ人にとっての日本の「ゲイシャ、ハラキリ」みたいなもので、日本人にとっての中国ってのはよくわからない国でした。知っている特徴を挙げてみたらラーメンとギョーザと清服といったように、興味があんまりないせいで認識がズレていたのです。それが悪いことであるわけでないんですが、平成後期以降の中国という工業大国を見る目、一種独特の威力を体感している目とはまるで違う、なんだか呑気な目で見ていられた平和な時代だったなあ、とこの曲を聴くと懐かしく思えてくるのです。
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2022年02月12日

ノーコメント


安全地帯 アナザー・コレクション』七曲目、「ノーコメント」です。「悲しみにさよなら」カップリングですから、安全地帯カップリング界の王者「We're alive」に次ぐ有名度を誇る曲……のはず……なんですが、これがぜんぜん有名でないですね(笑)。

玉置さんが石原さんとの正念場を迎えていたころ、週刊誌やワイドショーは現代における報道態度と同じく、過度に煽情的で無責任極まりない態度で二人の関係をはやし立てていました。松井さんは、「ふたりはついていなかった」と書き残していらっしゃいます(『Friend』より)。どんな恋人たちにだって、ふたりだけで静かに愛を育む時間と空間が必要なのに、それが全く与えられなかったわけですから。そんなのそこらの高校生だってある程度はわきまえているものなんですが、わきまえていない人の小銭を広く浅くねらった商売が成り立つ時代だったわけです。そのうすーい悪意と興味本位の関心が日本中から集中し、ふたりは疲弊していきます。

そんなふたりの関係を詮索する目に対抗してるんだ!という玉置さんの態度すら歌にしてしまう玉置・松井コンビおそるべしといわなくてはなりません。曲はダン!ツツダンダンダン!ダン!ツツダンダンダン!というリズムにあわせ、ギターのカッティング、トーンチェンジしまくりのキメの応酬、ベース主導のショートブレイクの連続、と、音を追うだけでも非常に疲れます。これは「一度だけ」「FIEST LOVE TWICE」などでみられる、おそらくは安全地帯ビッグバンド時代からの伝統であるギターアンサンブル路線と軌道を一にしています。それなのに玉置さんのボーカルとコーラスだけが「悲しみにさよなら」時代の安全地帯ですので、一種独特の緊張感で張り詰めています。

思えば『安全地帯IV』に収録されている「デリカシー」「合言葉」「こしゃくなTEL」「彼女は何かを知っている」といったようなギターバンド完成!といった曲たちとテンションは酷似しているんですが、この曲がアルバム入りしなかったのはまあ仕方ないですね。歌詞の趣が違いすぎて、アルバムのストーリー性が歪んでしまいます。ですから、マスコミがうるさいから特別に作った曲的な孤高のポジションを持っている曲です。

そんなマスコミ対策曲、というか、逆にマスコミを茶化していて遊んでるんじゃないのかという余裕すら見せるかのようなこの曲なんですが、その後の顛末を知っていればふたりはもうギリギリ、崩壊の瀬戸際に立たされていたことは明らかでした。ですから、松井さんとしては、マスコミってしょうがねえよな、ノーコメントだ!で押し通しちゃいなよ!という励ましの気持ちで書かれた歌詞なのではないのかと思われます。

曲はリズムで緊張感たっぷりのイントロから、歌に入ります。好奇心は「金と銀」、ふたりは「白と黒」、モノクロームの恋人たちには金銀の視線は痛すぎます。ギターの「ベペレッペー!」というフレーズに切り取られた鮮やかな対比だけを印象に残し、Aメロはすぐに終わり、ものすごい展開の速さでBメロ、サビに突入します。

噂なんてどうでもいい、本当のことは風にでも聞いてみればいい。俺には訊くな、という突き放しにも思えますが必ずしもそうではないでしょう。じつは本当のことを知っているのは風だけなのかもしれない、本人たちにだってちゃんとした言葉でわかるように説明できるとは限らないし、そういう義理もないんだから、という、松井さん一流のアイロニーとロマンティシズムあふれる表現であるように思えるのです。「風」は落語の世界では芸「風」という意味でもあるのですから、玉置さんと石原さんのパフォーマンスをよく見ていれば、本人たちの口からきくより(そんなの「みんなノーコメント」にきまってるわけです)正確に分かるかもしれないよ、という「風」流なアイロニーを利かせてすらいるのかもしれません。

曲は二番に入りまして、「罪と罰」「光と影」という対比をギターで切り取る手法は一番と同じ、Bメロに聞き捨てならない「ことばでうなずければ泣いたりはしない」というセリフが登場します。ことばはあまりに不完全で、ことばがふたりの傷をいやすことはなさそうなのに、ステージを降りたふたりはことばでお互いを励ましあうしかなかったのです。

サビはまたノーコメント、つまり自分たちにもわからないよ、わかっていたって答えるとは限らないよ、という、はやしたてられるふたりの心境をファルセットで絞り出すように吐露します。曲は一瞬止まり、田中さんのフィルインに、矢萩さんがギターのアーミングで出したのかなにやら突風のような音とともに間奏が始まります。ギターの掛け合いなんですが、あんまりちゃんとしたメロディーを奏でる気が感じられず、冒頭のトリル以外は基本バッキングプラスアルファの咆哮だけです。「ノーコメント」ですから、ギターで雄弁に「みなさんこんにちは〜ぼくたちラブラブですよ〜」とか語るのも変ですので(笑)、これで正しいように思います。

間奏のあと、Bメロからサビを二回繰り返し、曲はまた一瞬止まってアウトロ、真相を知らせないまま去ってゆくかのようにフェイドアウトしていきます。愛しているのか愛されているのか、何をしたのか何処へ行くのか、そんなことどうでもいいじゃないですか。だけども人は知りたがるのです。わたくしも多少は知りたいけども訊きません。週刊誌も買いません、床屋や定食屋でみるだけです(笑)。ネットで検索もしませんって、当時はそんなものなかったですから、知りたいことはみんな文字ベース紙ベース音声ベースです。だからラジオをかけっぱなしにしているし、コンビニやキヨスクにはスポーツ新聞や週刊誌がこれでもかと並んでいたのです。全部立ち読みすれば何かは引っ掛かります。

なお『ONE NIGHT THEATER』には、サングラスの男たちに追いかけられマイクを向けられる玉置さんが「ノーコメント!」というそぶりをするというマンガみたいな映像が収められています。きみたちそんな仕事していて虚しくならないの?と思わされる映像なんですが、彼らにも生活があり、その生活を成り立たせるだけの需要もあったのです。ですから、ふたりを追い詰めたのは彼らでもあったのですが、彼らを支えていたのは「みんな」なのだということは、わたしたちはよくよく心得ていなくてはならないでしょう。
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2022年02月04日

一秒一夜


安全地帯 アナザー・コレクション』六曲目、「一秒一夜」です。「熱視線」カップリングですね。

矢萩さんの作曲・ボーカルという、レア度が高いにもほどがある曲です。矢萩さんのボーカルは『冒険者』や『喜びの歌』で堪能することができますが、聴いてるとなんかクセになるんですよね。そんなわけで、安全地帯もう一人のボーカリストといってもいいでしょう。シャドウボーカリスト、ふだんは二列目で司令塔としてパスを供給しているけど、いざというときは自分がゴール前に突進していって自らゴールを決める、そんなファンタジスタであるといえます。

さて、能力的にはボーカリストがつとまるとはいえ、なんでまた玉置さんを差し置いてまで歌ったのか?これはバンド内の事情ってやつなんだと思います。アマチュアでも、オリジナルをやるバンドなら、曲作った人が歌ったほうがいいよねって感覚があるのです。おそらくですが、アマチュア時期の安全地帯にも似たような感覚があって、矢萩さん、俊也さん、玉置さんがそれぞれ歌うってことがあったんじゃないかと思います。たんに玉置さんの曲がとにかく多くて玉置さんばっかり歌っていたから傍からは不動のボーカリストに見えていただけで、本人たちは別の思惑、活動方針で動いているということがあるものです。俺の曲なんだからこれは俺のものだ、俺が歌うんだからおまえら手を出すな!みたいな縄張り意識とはちょっと違ってですね、作った人がいちばんこの曲をどういうふうに歌として形にしたいかわかっているから、作った人が歌ったほうがしっくりくるってことなんです。バンドとして、曲として、完成度が高いほうを選択するわけですから、結果としてそうなるんですね。

玉置さんは、曲を陽水さんに作ってもらうという会社からの案を断って、自分で歌う曲は自分で作る、そうでなければ北海道に帰るといって「ワインレッドの心」を生み出したわけですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、自分の曲でないものは歌わない、くらいのこだわりがあったのだと思います。ですから、この曲も自分では歌わない、矢萩さんの作った曲は矢萩さんが歌う、という、おそらくはアマチュア時代から持ちつづけてきた方針に従ってそうしたものと思われます。

イングウェイさんみたいに、曲は自分で作るけれども自分では歌わず、自分の思った通りに歌えるボーカリストに出会うべく次々とボーカリストをクビにしては新しい人を試すという人もいれば、YOSHIKIさんみたいに、ボーカリストは決まっているんだけどそのボーカリストが自分の思った通りに歌えるまで年単位で歌い直しさせる人もいます。いずれの場合もボーカリストは「そこまでいうなら自分で歌えよ!」と思うことでしょう。ですから、歌は曲を作った人が歌うという方針はバンドとしてごく合理的なのです。まあー、逆にいえば、自分で曲を作らないボーカリストってのはものすごく立場が弱いんですよ。傍からはバンドの看板に見えると思いますけど、携帯ショップのカウンター店員みたいなもので、接客ぜんぶやるんだけど使われてる感がハンパないわけです。

さて曲は、手で叩く系のパーカッションのリズムに乗せてアコギともエレキともつかぬ鮮やかなクリーントーンのアルペジオで始まり、矢萩さんのボーカルがワンフレーズあってからすぐにズシイーンとベース、ボワボワ系のシンセが重ねられてBメロ、そしてドラムが入ってサビへと行きます。サビでは、印象的な加工アルペジオのギターが響きます。総じて、陰鬱なイメージです。

二番でもドラムとベースがアタマから入っていますが陰鬱さは当たり前に変わらず、ズシ……ズシ……と重ーい歩みの黒い影を霧の向こうで眺めるような、矢萩さん独特の雰囲気全開に曲は進みます。

そう、矢萩さんの曲ってこんなイメージなんですよ。ですからのちに「冒険者」聴いたときに、大丈夫ですか暗さがちょっと隠しきれてませんがムリしてませんか矢萩さん!とちょっと心配になったほどです(笑)。

間奏では武沢さんかなと思われるカッティングに乗せてギターとシンセをユニゾンさせたような前フリメロディーがあってから矢萩さんの十八番メロウでヘビーなギターソロに突入します。この様子はまるっきりいつもの安全地帯ですから、この雰囲気は矢萩さんが作り出していたのだとハッキリわかりますね。そしてサビを繰り返し、ドコドコドコドコ!と左右に振ったドラムで曲は終わり、イントロのアルペジオでフェイドアウトです。いやーこれはコアな安全地帯ファンが楽しめる曲であることは間違いないのですが、およそA面の「熱視線」目当てに買った人を喜ばせるようなコマーシャルなところのない曲であるといえるでしょう。渋すぎます。

歌詞ですが、松井さんはのちの矢萩さんソロにも歌詞を提供していますから、そんなに違和感ある組み合わせでもなくなっています、後から考えれば。このときも、矢萩さんの声と曲調にうまーく合わせた遠い霞の向こうでうごめく影のような世界を描いていますね。「ふたりは砂になる」って、溶け合っているのに乾いてるじゃん!「12色の絵具箱」って最小セットじゃん、どれも極彩色に近いよ、それが「あなたに似あえば」って、ぜんぜん打ち解けてないよもう!と、かなり肩ひじ張ってギクシャクした関係を表現しているんですが、矢萩さんの曲調と歌でおそろしく淡々としているのです。影のようだからこそ、アクションがハッキリしていないと何をしているのかわからない(笑)。

「消えてゆくいとしさ」ですから、冷めてゆく関係なのです。それだからこそ、よその「誘惑にもうこわれた」わけです。ああダメじゃんもう。それでも、「永遠にふるえている一秒が不思議」……これが難しい……というかわからない……いまはすっかりダメになったけど、心を通わせ震わせたかつての一瞬一秒は、永遠にぼくの胸に刻み付けられているんだ的なことなのかしらと、平凡な感想しか浮かんできません。うーむもっと深い情念的なものを描いているような気がしないでもないんですが……。まあ、仮にそのとらえ方でよかったとしてですが、そういう一瞬って結構マジで刻み付けられているんだと思います。それはそうなる前には決してなかった思考・行動へと人を駆り立てるようになります。心理学の用語でいえば「学習」したわけです。80年代歌謡曲の世界でいえば一歩だけ「大人に染められた」のでしょう。だからこそ「絵具箱」というイメージが生きてきます。最初は極彩色みたいなはっきりした色しかなかった12色ですが、だんだん混じり合い、水で薄められ、画用紙のうえで乾き、どんどんなんとも言いようのない色に染まってゆきます。ですから、もうあなたに似あう色は12色の中にはなくなってしまっていた……ああいかん、なんだか泣けてきましたよ(笑)。そんな絵具のパレットに筆の先から水が滴る一瞬一瞬が、実は始まりから終わりまで続けられていた「学習」「染めあげ」の過程そのものであって、それを積み重ねた結果として一本に見えていたふたりの人生の道は二つに分かれていくことが決定的になってしまったのでしょう。絵具セットをいろいろこねくり回して取り返しがつかなくなる前にこりゃダメだと気づくことができないのが若さなのでしょう。苦い苦い、でも美しい一瞬として人の記憶に残り続けるのです。わたくし?もちろん、霞の中に見えていた影絵として拝見していただけですとも!
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2022年01月30日

置き手紙


安全地帯 アナザー・コレクション』五曲目、「置き手紙」です。「マスカレード」カップリングです。ライブ『WE'RE ALIVE』で演奏されていましたが、前の記事でご紹介した「We're alive」に比べて露出度が少なく、隠れた名曲感の高い曲でした。

オルガン的なキーボードでゆったりと始まるこの曲は、イントロだけですでに不穏な空気、これは幸福でない何かが起こったに違いないという空気がビンビンと漂ってきます(笑)。この時代の安全地帯に似ず、キーボードのみで押し通す異常にあっさりしたイントロですから、そう予感せざるを得ません。

玉置さんの歌が始まり、アルペジオとストロークのアコギが入ります。Aメロはあっさり終わって、ベース、ストリングス、ドラムのフル体制になります。ライブ映像ですとアコギはなし、ベースの音は聴こえるんですがこれは六土さんが左手を使ってもうひとつの鍵盤で何とかしているんじゃないかと思いますが、右手でストリングスの箇所とオルガンの箇所をかわるがわる弾いているように思えます。ちなみにこの『WE'RE ALIVE』、全体的に音が凄くいいように聴こえるんですが、田中さんのドラムがわたくしのすっごい好みの音で録られています。田中さんのドラミングがいいのはもちろんなんですが、このときは大きくないホールでしたので、ハコの響きもいいんじゃないかと思います。安全地帯のコンサートを見るなら地方、せいぜい2000人くらいのホールがおススメです。そのくらいのホールで安全地帯がこのさきコンサートやるかどうかはわかりませんが。そして武沢さん、恐ろしくシャープなクリーントーン、これは映像を観る限り12弦ギターによるもので泣かせに来ます。矢萩さんは矢萩さんで必殺メロ―トーンで間奏に大写しになるお嬢さんの胸を搔きむしるようなソロを奏でます。全員卑怯なくらい音のいいライブ映像ですが、何より六土さんと武沢さんの一人二役三役こなしてこの世界をライブで再現なさる様子が感動的です。

曲はAメロ→サビ→間奏1→Aメロ→サビ→間奏2→サビ→後奏です。間奏1では矢萩さんのメロウなクランチギター、間奏2では矢萩さんのオーバードライブメローギターに後半武沢さんがハモリに入り、そのあと武沢さんのクリーントーンによるソロ、とツインギターバンドらしい構成で、「一度だけ」もビックリの「あっちだ、あっこんどはそっちだ」感を演出し楽しませてくれます。映像を観る限りお客さんは歌への感情移入で半べそ、それどころじゃなかったようですが(笑)。

さてお客さんが聴き入ってべそをかくほどの慟哭ソングなわけですが、じつは初期安全地帯にはごく少なかったのです。のちの「Friend」とかのイメージが強すぎるだけで、このころの安全地帯は失恋ソングは多くなかったのです。いやマジで少ないですよ、「エイジ」くらいじゃないですか?「Big Joke」を入れるなら入れてもいいですけど。そんなわけで、「ワインレッドの心」とか「あなたに」みたいなスケコマシ系の曲たちにふいに紛れ込んだ明確な失恋ソングであるこの曲に当時のお客さんが過度に感情移入したのも無理はないのです。歌詞は安全地帯と、「一度だけ」でもお目にかかった崎南海子さんです。いわば初期の体制で作られたこの曲、実際アマチュアの頃からあった曲ですけども(頑張れば聴けると思います)、この曲が当時の主力曲たちの中で異彩を放つのは当然だといえるでしょう。

最初の二行だけが男の視点で、朝起きたら彼女がもういなかった情景を語ります。寝たふりしてる間に出て行ってくれア〜ア〜とかでなく、ほんとに起きたらいなかったんです。そしてここからは女性視点の、置き手紙の内容になります。

「あなた」があんまり夢に向かって一直線、それなのにわたしのことを気遣って私を応援しようとして苦しんでいるのがつらい、「夢をしばりあう」のが辛いから、わたしは出ていきます、もう二度と会いませんさようなら、という内容なんですが……まてまてまて、いったいどんな夢をお持ちになってたんですかあなた。どうして夢をしばりあうようなことになってしまうんですか、男のほうが玉置さんみたいにミュージシャンとして成功する夢だとしたら、女性のほうはミュージシャンを食い物にして低賃金で使いつぶすプロダクションを立ち上げて芸能界の闇の帝王として君臨するのが夢とかなんでしょうか。それだと感情移入する意味がよくわかりませんから(笑)、きっと違うんだと思います。

まあー、ぜんぜん違う業界にいるふたりが、たぶん生活時間帯が違うとか繁忙期が重なってふたりがイライラする時期が重なって一年のうち超険悪になる期間があって気分はスーパーブルーとか、そういったことなんだと思います。えーとですね、それたぶん大丈夫なんですよ、若いから焦るんだと思うんですけど、時間さえかければなんとかなると思います。時間をかけるのが惜しい、それまでの気まずさを避けたい、ポーカーでいうとカード全とっかえしたいと、ふと思っちゃうくらい若い人にいっても仕方ないんですけども。

80年代中盤、バブル前夜、若者たちは都会で夢を追いました。90年代以降もそのこと自体は変わりないんですが、あの頃はなにより未来への希望がありました。90年代以降のような落ち穂拾いでなく、70年代以前の「イメージの詩」的な夢でなく、豊かさと享楽の未来がすぐそこに見えていたのです。60−70年代の若者たちが夢中になった政治はロン・ヤス体制で完全に勝負あり、若者たちはフランシス・フクヤマのいう「歴史の終り」に達した社会で快と不快だけを関心事として生きる「最後の人間」(ニーチェ)のように、快楽あふれる「夢」を追い求めることができました。こう書くと自堕落で淫らなことのように思われるかもしれませんが、そうではありません。衣食住のために生きるのではない生き方ができるってことです。音楽でもいい、小説でもマンガでもいい、野球でもいい、そういう人間がもつ感性をフルに発揮させて得られる精神的喜びを追い求めることができる段階に、当時の米国と日本は達しようとしていたのです。まあ、不思議なことに、衣食住に多少困ってた時代のほうが王長嶋とか手塚治虫とかすんごい人が出てくるのは皮肉なところですが。でもまあ、野球の世界に落合が登場したように、音楽の世界にも安全地帯が登場した、そのくらいの余力が80年代にもあったわけなんでしょう。

そんなとき、若い男女が都会で出会い、惹かれ合い、棲み処を共にした、でもその生活は80年代という時代によって引き裂かれていった……ふたりがみる「夢」は、その時代が豊かで自由であったからこそ決定的に異なるものであったのです。そんな男女がこの時代には街にあふれていたんでしょうね。わたくしよりはひと回りちかく上のお兄さんお姉さんたちの時代ですから、わたくしは身をもって体験していないんですけども。わたしがその年代に達した90年代中盤以降は地獄でしたから、どんなに失恋が悲しくても「置き手紙」の時代のほうがよっぽどマシに思えます。ですから、この「置き手紙」はわたしにとって、おとぎ話のような美しい世界を描いた歌なのです。

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