『安全地帯アナザー・コレクション』十五曲目、「ナンセンスだらけ」です。「微笑みに乾杯」カップリングでした。
「微笑みに乾杯」は安全地帯活動休止(一回目)直前にリリースされたシングルでしたから、そのカップリングたるこの「ナンセンスだらけ」は、下手すると安全地帯が発表する最後の曲になりかねないものでした。ですから、さぞかし哀愁と愛惜とが詰めに詰め込まれた超絶バラードなのだろう……と期待したわたくし、もちろんオーディオの前でひっくり返りました(笑)。当時はレンタルCDをカセットテープに録音し、当日返却100円で済ませるために、まだ店が少なくてソコソコ遠かったレンタルショップまでチャリを漕ぐのですが、行きと帰りとでテンションがだいぶ違ったことはいうまでもありません(笑)。
あれですね、この手の曲は『All I Do』で経験済みだったわけですが、慣れていなかったのです。安全地帯休止の情報とともにリリースされたこのシングル、カップリングがまさか安全地帯のアルバムに収められそうもないソロ活動路線だとは思いもよりませんでした。案の定編曲にBAnaNAがクレジットされています。なぜかBAn[Λ]NAとかいうよくわからない表記(ラムダ?)になっていますが……これはもう当事者しか事情がわからないですね。ところで川島さんはツイッターやってらっしゃるんですが、それで川島さんが軍艦島出身だと初めて知りました(超絶無関係)。
そんなわけでシンセバリバリ、曲は玉置ソロっぽく、安全地帯でレコーディングしたのかもあやしいのですが、さしあたりギターは安全地帯っぽいです。ドラムも音色だけ聴けば生ドラムっぽい音に聴こえなくもありませんが……どうも一本調子すぎるような気がしないでもありません。ベースにいたってはアウトロまで入っていませんでしたので、これは六土さん呆れてこなかったんじゃないのと思うくらいベースの気配がありませんでした。で、やっと入ったそのベースもあんまり六土さんの音に聴こえてこないわで……もはや疑心暗鬼です。玉置さんは打ち込み嫌いなのにこのころは当たり前だと思ってやっていたと証言なさっていますので(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、おそらくはこの曲もその過程で生まれてきたのでしょう。
以前にも書いたことがあるのですが、デジタル系の音と生楽器の音ってわたくしの経験上あんまり相性よくないんです。ミックスのときに馴染ませるというある意味余計な手間がかかるのは仕方ないとしても、馴染ませたところでどうしても違和感が残ります。演奏している本人以外はあんまり気にならないようなので余計なこだわりなのかもわかりませんが、可能ならば全員非デジタル楽器で、同じスタジオで、さらに可能ならば一発録りがベストだと思います。AI搭載プラグインなんてクソくらえ!あ、いやこのご時世ではとりわけすごい助かってるんですけども(笑)、安全地帯が二年の休止期間を経てサポートメンバーも打ち込みも極力排し五人が必ず一緒にスタジオに入って作った『夢の都』にたどり着くのが極めて自然なことに思われるほど、デジタルの呪いは強力なのです。
さて曲はなにやら管楽器のような音色による導入部、人手の感じられない音色によるドラム・パーカッションが無機質に流れるなか、美しいクリーントーンのアルペジオが不穏に響きます。玉置さんの歌が入りまして、クリーントーンのリックが混ぜられるくらいでAメロは編成そのまま突っ切ります。
Bメロ、ギターに変わって風切り音のようなシンセがバックに流れます。当時のシンセで高いやつを使ったことがないものでなんともいえないのですが、現代のシンセだとウィンドなんとかというプリセットがたまにあります。おそらくFMシンセでは定番だったのでしょう。ヘビーレインとか、そういう環境音的なやつがあるとついつい使ってみたくなりますが、われらがBAnaNAはさすが、そういう誘惑にかられて不要な演出をするようなマネはしません。
歌は二番に入りまして、オクターブ下を混ぜる玉置さんの背景に、ガタゴトガタゴト!テケテケテケテケ!カラカラカラ!という『オリジナルサウンドトラック プルシアンブルーの肖像』あたりから使っていたと思しき打楽器の音を織り交ぜてきます。これはほんとに嫌味でも何もなく真に天才的なセンスだと思います。『オリジナルサウンドトラック プルシアンブルーの肖像』ももちろんそうなのですが、とりわけMIASSツアーでBAnaNAの演奏シーンがみられる「パレードがやってくる」では、当時の安全地帯がBAnaNAなしでは曲がどれほど骨抜きになるのか痛感させられました。こういうスリリングな曲でもそのセンスがいかんなく発揮されています。
ですから、玉置さんも、メンバーも違和感を抱えていたことでしょう。BAnaNAがいかに曲に必要なメンバーであるかはみんな分かっていたと思うのです。ですが、BAnaNAの比重が重くなりすぎることを歓迎していたわけでもないと思うのです。昔ながらのロックバンドマンですから、ギター、ベース、ドラム、そしてボーカルが中心であるべき、それが安全地帯なんだ、BAnaNAはそれに彩りを付加する人であって、よくいって五人のうち一人以上の重さを担うべきでない、と……いや、これはわたくし勝手に思っているだけですが。それにしてもBAnaNAは玉置さんと競い合い高め合うレベルで天才すぎたのでしょう。そんなBAnaNAを玉置さんは必要とします。結果として楽曲に、演奏に、BAnaNAの存在感が増してゆく様子は、傍からみていて明らかです。
わたくしもヘタながら曲を作りますから、そういう相棒がいることの有難みは心の底からよくわかります。打てば響きそれ以上の反応を返してくれる、うおっやるな、じゃあこんどはこれでどうだ!と高め合う存在、うーん困ったなうまく音色がハマらない、音程がうまくキマらない、え?ああそうか!ありがとう!と助け合う存在、そういう相棒がいた時期にはどんどん曲を作れるし、その出来もいいのです。もちろん安全地帯はそういう人が五人そろったスーパーバンドですから相棒には困らないんですが、何しろ忙しすぎました。とても全部の曲を五人でアイデアを出し合いながら固めていくという過程を経ることはできなくなっていったわけですから、BAnaNAがいれば大丈夫的なコンビで曲が増えていったのは悲しくも自然なことだったのだと思われます。
さて曲は流麗なサックスで間奏が吹かれます。ドラムの音が大きくなりますね。フェーダーのオートメーションでただ大きくしただけなんじゃないかと思われるくらいテンションが変わりません(笑)。
その後曲はサビを繰り返し、ギターの鋭いカッティング(武沢さんだと思います、そう信じたい!)だけをバックに玉置さんが「フンフンフンフーン!」と『CAFE JAPAN』を彷彿とする超低温ハミングを聴かせてくれます。そしてホーンを合図にギターの単音リフが入り、ベースも大きく加わります。エレキベースの音色には聴こえますけども、これまた一本調子な音だなあ、でも六土さんならこのくらい超安定して弾けるのかもなー、とメンバーによる人力であることをギリギリ思わせる音になっています。「ナンセンスだらけ」と連呼する以外はほとんどいわゆる玉語でノリノリのボーカル、鳴り響くホーンで、にぎやかに繰り返される演奏がフェードアウトしていきます。この箇所、言ってみればフル構成なわけですが、やっぱり『All I Do』に近いノリのアンサンブルに聴こえます。もしかして安全地帯で演奏したのでないのかも……逆にいえば安全地帯でこれができるなら、玉置さんわざわざロンドンとか行かなくてよかったじゃないですかと思うのです。
さて歌詞なのですが、これはもう、なんにも「終わり」感のない歌詞です。拍子抜けです(笑)。冗談抜きに、これでわたくしがオーディオの前でひっくり返った要因の80%を占めます。「Love ”セッカン” Do It」のときなみの動揺です。
「堅いドレス」はいきなりすごい言葉ですね。ドレスは動かなければ、触れさせなければ柔らかかろうが堅かろうが一緒です。「恋の順序」を几帳面に守ろうとするのも非人間的です。「見張られてる」「その後のこと」も相まって総じて壁の花的に人形と化しているお堅い女性を思わせます。心のままに動け!そのガチガチに縛られた手足を伸ばすんだ!「肌をばらせ」なんてちょっときわどい場面を思わせる言葉を織り交ぜ、心身ともにその鎖を解き放って連れ去るジゴロを思わせます。ああなんだか懐かしいな、このノリ。『ローマの休日』的なロマンスをモチーフとした物語や歌は80年代後半にはしばしば見られたものです。いまの若い人にもあるんですかね?こういうロマンは。こればっかりは若くないとわかりませんので、グレゴリー・ペックのマネでもして反応を確かめてみるしかありません。このギター渡したら殴るかな?とか(笑)。
人間の生理的な現象であるところの恋愛に、律儀に順序を守り筋を通そうとすることを「ナンセンスだらけ」と吐き捨て(だからこそ、吐き捨てるように連呼して歌うのでしょう)、そんなことゴチャゴチャ考えてないでこっちにおいで!飛び込んできなよ!と、玉置さんが強力な色気と包容力をプンプンさせながら誘うのです(だからこそ、ダンスナンバーのようなリズムでノリノリなのです)。これはたまりません。きゃー清水の舞台からレッツダイビングよー!……となってしまいそうな魅力と勢いが、たしかにこのころの玉置さんにはありました。ですが……そんな時代はまもなく終わります。玉置さんはこの後一年間ほどの間に「キ・ツ・イ」「I'm Dandy」といったノリの似た曲をリリースしていきますから、この路線は安全地帯でなく玉置ソロで少しの間引き継がれますが、そこでこの系譜は途切れます。それは玉置さん自身の変化、そして安全地帯の変化、それによって起こったBAnaNAとの距離の変化など、さまざまな要因によって起こっています。もっとも大きい変化は、いつだって人間の成長・成熟なのだと思います。玉置さんの場合はそこにバブル崩壊と安全地帯の崩壊が立て続けに起こってしまったのですから、音楽性がドカンと変化するのも当然といや当然でしょう。だからいま思えば「ナンセンスだらけ」はたしかに「終わり」感の少ない曲でしたが、そのことがかえって逆に、80年代安全地帯の快進撃が大空に放った数多くの花火が、まもなく一つ二つとその輝きを消してゆくことを予感させる曲だったのです。
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