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2021年04月07日
【四面神社】 佐賀県佐賀市の神社
四面神社
諌早神・温泉神・支々岐神・千々岩神の四柱の神を主神とし、
天照皇大神他三十社の分霊が合祀されている。
創始の年代は不詳だが平胤貞(たねさだ)が
建久3年(1192)に再建したとの記録がある。
佐田神社は、熱病の神様として知られ、
豆腐を供えて祈願すれば効験著しいというので
古くから参詣者が多かった。
その創始は詳らかでないが、
口碑によれば俊寛僧都が嘉瀬に隠棲中に建立したとも言われている。
昔からこの神様は疱瘡の神様として崇敬されていたが、
その由来するところは判明しない。
旧社格:村社
主祭神
諌早神・温泉神・支々岐神・千々岩神
合祀
大己貴命、天照皇大神、猿田彦命、埴安神、海童神、菅原道真
仁徳天皇、応神天皇、宇賀魂神、天之忍穂耳命、伊弉諾尊、伊弉冉尊
素戔嗚尊、櫛稲田姫尊、市杵島姫命、湍津姫命、田霧姫命
鎮座地
佐賀県佐賀市嘉瀬町大字中原2044
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山鹿燈籠起源の神社 【大宮神社】(熊本県山鹿市) 景行天皇の仮御所跡地
大宮神社(おおみやじんじゃ)
第12代景行天皇が筑紫(九州)巡幸の際、
現社地に行宮(あんぐう、仮の御所)を営んだと伝える。
その後、行宮の跡地に天皇を祀ったのが起こりといわれている。
1072年(延久4年)、
菊池則隆が阿蘇十二神を勧請して併せ祀り、
田地36町歩を寄進した。
山鹿の鎮守として、
代々の領主・藩主らをはじめ篤い崇敬を受けてきた。
1871年(明治4年)、山鹿神宮と改称。
1940年(昭和15年)、大宮神社と改称し、
1943年(昭和18年)県社となった。
毎年8月に執り行われる例祭「山鹿燈籠祭」
その起源は、深い霧に行く手を阻まれた第12代景行天皇のご巡幸を、
山鹿の里人たちが松明を掲げ無事にお迎えしたことに由来します。
室町時代より約600年続く「上がり燈籠」をはじめ、
たいまつ行列、千人燈籠踊り、花火大会など様々な神事、
行事が行われ、安寧への祈り、景行天皇御巡行の伝説、
地域に伝わる伝統文化を連綿と継承しています。
御祭神:景行天皇
合 殿:阿蘇十二神
ご利益
厄災除け、諸願成就、無病息災・病気平癒など
鎮座地
熊本県山鹿市山鹿196
2021年04月06日
五龍神社【海童神(龍神)】佐賀県佐賀市
五龍神社
五龍神社の縁起によれば、
当地方の豪族(一族36家)田中という長者が、
広く商業を営み巨万の財を蓄え、常に大船を浮かべて各地と通商、
大陸とも交易していたので、海上の平安を祈り龍神を信仰していました。
欽明天皇26年(564年)
ある夜、霊夢によって村の西方の海中から不思議な光を伴い
黄金色の霊石を得たので危難除去の守護神として国家の鎮護と
一族の繁栄を祈念し、村の西隅に一祠を建て、五龍社と称した。
このことを知った里人も鎮守の神として崇敬し
霊験あらたかなるものを感ずるにつれ信仰の度は益々深まり、
鎮守の神として崇敬するようになった。
のちに與賀神社の摂社となり二の宮と称せられた。
元和年間(1615〜1624)
藩祖鍋島直茂公は家臣多久長門に命じて七社明神を配祀し、
初代藩主勝茂公は親しく参拝の上、社殿を造営し
併せて八戸村の田地四丁八反を祭祀田として奉納すると共に
松・樟1000本を境内を中心に植栽奉納した。
このようにして藩政時代は神事も盛大に行われたが
藩政奉還による変革で明治六年に村社に列せられ、
同二十九年には管内数社を併祀し本日に至っている。
主祭神
海童神(龍神)
合祀神
香語山命・彦火々出見尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊・仁徳天皇・大物主命
天照皇大神・菅原道真公・宇賀魂神
御神徳
五穀豊穣、商売繁盛、交通・航海安全、安産、諸災除去
家内安全、安産、合格祈願・学業成就など
鎮座地
佐賀県佐賀市鍋島町大字八戸1053