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2021年04月29日

高千穂八十八社の総社 【高千穂神社】 宮崎県西臼杵郡高千穂町



高千穂神社(たかちほじんじゃ)の創建は不詳ですが、
神武天皇の兄、三毛入野命が東征の途次、
高千穂に帰られて日向三代をお祀りされたのが初めとされています。

以降、その子孫と称する三田井氏が長く奉仕され、
後には三毛入野命夫婦と八柱の御子とを合祀し、
垂仁天皇の時代に社殿が建立されたとされています。

飛鳥時代から平安時代前期にかけて編纂された
六国史に「高智保皇神」の神名で記載され、
仁明・清和両朝(833〜876)に日向国最高の御神階が授けられた
国史見在社です。

天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮として、
今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして
広く信仰されています。

古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきたことから、
社名は古来「十社大明神」や「十社宮」など称されてきました。

明治4年(1895)に三田井神社と改称、
明治28年(1895)に現在の高千穂神社に改称されました。
旧社格は村社。現在は神社本庁の別表神社となっている。

御祭神
高千穂皇神(たかちほすめがみ)は、
日向三代と称される皇祖神とその配偶神である。

天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、
彦火火出見尊と豊玉姫命、
彦波瀲武鸕草葺不合尊と玉依姫命
の総称です。

十社大明神(じっしゃだいみょうじん)は
神武天皇の兄、三毛入野命とその妻子神九柱、
三毛入野命、鵜目姫命、御子太郎命、二郎命、三郎命
畝見命、照野命、大戸命、霊社命、浅良部命の総称です。

御利益
縁結び・夫婦円満・諸願成就・農産業・厄祓等

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037



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2021年04月28日

【龍神】 八大龍王水神




天孫降臨の地、高千穂にある龍神をお祀りする
【八大龍王水神】

一説には、古事記が編纂された八世紀頃には、
すでにこの地に水神様が祀られていたとの伝承も有り、
少なくとも一千三百年以上の歴史があると云われています。

古くは「イゴ様」として崇敬されていました。

八大龍王神は観世音菩薩の守り神、水神、
天龍八部衆(仏法を守護する8神)に属する龍族の八王

元来、水に関わる自然を司る神として、
雨乞いや河川氾濫の防止などの願いを捧げられてきた八大龍王ですが、
近年では商売繁盛や勝負事の祈願にスポーツ界、会社経営者など、
勝利・成功を願う方々が全国から参拝に訪れています。

御祭神
八大龍王神
(難陀、跋難陀、娑伽羅、和修吉、徳叉迦、阿那婆達多、摩那斯、優鉢羅)

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸6521



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2021年04月27日

【天岩戸神社 西本宮】 宮崎県高千穂町




天岩戸神社 西本宮
【高千穂パワースポット】神社・御朱印巡り

天岩戸神社西本宮は創祀の時代を詳かにしないものの、
岩窟(天岩戸)を神体とするのは、
古くからの信仰形態を示すものであるとされる。

社伝によれば、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、そ
の古跡に鎮祭したのが起源であり、
弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興されたが、
戦国時代にたびたび焼失したという。

元禄4年(1691年)にまとめられた寺社明細記録『高千穂旧記』には
「天ノ岩戸」についての記述の中に
「拝殿有、四方見通に建たり、前ニ鳥居有」とあるのみで神社としては
記載されておらず、簡素な遥拝所としての造りであったと考えられる。

その後棟札によると、宝永4年(1707年)に荒廃した社地を整地し、
文政4年(1821年)には延岡藩主の援助で社殿を再建したという。

天保8年(1837年)にこの地を訪れた松浦武四郎が
紀行文(『西海雑志』)に記した「道の傍に二間に四間の遥拝所あり」が
それを指していると考えられる。

天保12年(1841年)にこの地を訪れた豊後の医師賀来飛霞は
その紀行文(『南遊日記』)に、
「殿アリ扁シテ(扁額に)天磐戸ト書ス」と記している。

『日向地誌』でも、
明治4年(1871年)に「天磐戸神社」と改称されるまでの旧称は
「天磐戸」(神社とは書かれていない)としている。

明治6年(1873年)村社に列し、同30年に社殿の造営が行われた。

御祭神
大日霎尊(おおひるめのみこと 天照皇大神) 

御利益
諸願成就、開運除厄など

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073番地1


posted by kohchan at 21:40 | TrackBack(0) | 宮崎県の神社

天孫降臨の山を御神体とする【二上神社】宮崎県西臼杵郡高千穂町



二上神社(ふたがみじんじゃ)は二上山を御神体として
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を
御祭神として祀る神社です。
 
高千穂の神奈備山(かんなびさん)、
神宿る山として信仰されている二上山は
高千穂町と五ヶ瀬町の境界に位置し、
南西の男嶽、北東の女嶽からなり、
二上神社は女嶽北東に鎮座する。

二上山は「日本書紀」に記された天孫降臨の山とも言われ
「日向風土記」逸文に出てくる高千穂の二上嶽であると伝えられる。

古来より霊山として信仰があり
山中に二上大明神の祭祀場があったが山が深く冬は雪が多いため
北東の二上神社、
南西の中登神社(ちゅうのぼりじんじゃ)に分かれ祀り、
醍醐天皇の御代昌泰元年(八九八年)に
現在の地に創立されたと伝えられる。

その後中登神社の御霊は、
五ヶ瀬町内の数社を統合合併して新たに造られた
三ケ所神社へ遷された。

明治4年に山附神社、
更に明治34年1月29日に二神神社と改称、
昭和9年には二上神社に復した。

旧社格:村社

また、高千穂町大字押方に嶽宮神社、
五ヶ瀬町大字桑野内に桑野内神社が創建され現在に至っているが、
現在はそれぞれ独立した神社となっている。


御祭神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)

相殿
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
天満大自在天神(菅原道真公)

御利益
縁結び、夫婦円満、子孫繁栄、健康長寿、ほか

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字押方2375-1


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道開きの神・芸能の神 【荒立神社】 宮崎県西臼杵郡高千穂町



荒立神社(あらたてじんじゃ)

猿田彦命(さるたひこのみこと)と
天鈿女命(あめのうずめのみこと) の2柱を主祭神とし、
大年神、迫天満、当地一帯に住む興呂木(こおろぎ)家の先祖を祀る。

猿田彦命は記紀に天孫降臨の際、
瓊々杵尊(ににぎのみこと)の道案内をした神であると記され、
道開きの神として知られ、
また、天鈿女命は同じく記紀に天照大神が天の岩戸に隠れた際に、
楽しげに舞い踊った芸能の神として知られている。

猿田彦命と天鈿女命が結婚し荒木を利用して急いで宮居を造ったため、
荒立宮と称しました。

御祭神
猿田彦命、天鈿女命
大年神、迫天満、当地一帯に住む興呂木(こおろぎ)家の先祖

御利益
縁結び、夫婦和合、安産、交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、厄除、
長寿祈願、芸事の上達、厄除け、子宝、長寿など

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井667


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2021年04月21日

恋愛成就のパワースポット 【小一領神社(恋一路神社)】 熊本県上益城郡山都町




小一領神社(こいちりょうじんじゃ)
實仁二年(1018)、
阿蘇友仲公により、宮原(浜町)に阿蘇神社の末社として、
「柳本大明神」(やなぎもとだいみょうじん)の名で
創建されたと伝わる。

名前の由来は神社の横に大きな柳の木があったためだと云われている。

天文五年(1536)
大宮司阿蘇惟豊公は嫡男の千寿丸(のちの惟将)を
十七歳で初陣総大将に奉じ、御船城主、御船房行の謀反に対して、
数千の軍勢を率いて出陣する折(十一月十日)、
「柳本大明神」で戦勝を祈願して、「小型の鎧一領」を奉納し、
出陣式を境内で行った。

千寿丸の介添え役だった甲斐親直(のちの宗運)が、
みごと房行を打ち滅ぼし凱旋すると、
惟豊公は今度の戦勝は「柳本大明神」のご加護の賜物として、
社殿を造営し八十町を社領として寄付した上、
社号を「小一領大明神」と改称された。

天正十三年(1585)阿蘇家が島津氏の侵略を受け、
その後、豊臣秀吉の九州征伐で島津家は追い払われたが、
阿蘇家の所領が復帰することなく、
天正十六年(1588)、佐々成政に続いて、
小西行長が肥後半国の国主となるとキリシタン家臣だった
結城弥平次(やへいじ)が矢部城(愛藤寺城)の城代となり、
小一領神社もほかの神社仏閣と同様に焼き払われたと伝わる。

慶長五年(1600)加藤清正が国主となり、
慶長十八年(1613)初代矢部郷の大庄屋に任命された、
井手玄畜充政次(げんばのじょうまさつぐ)により
元和七年(1621)に現在の地に再建された。

御祭神は、
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたものみこと)

御利益
縁結び、勝負運、良縁、縁切り、家内安全、厄災除けなど

"こいちりょう"という神社の名前が、
次第に"恋一路"という呼び方に変わり、
恋の成就神社として親しまれるようになりました。
本殿の周りには"ハート"のマークがちりばめられています。

鎮座地
熊本県上益城郡山都町浜町251


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清和文楽発祥の地【大川阿蘇神社】熊本県上益城郡山都町



大川阿蘇神社は、『国郡一統誌』には、
「姫宮大明神」として「阿蘇二宮或云大河大明神」と記されている。

また、『肥後国誌』でも「姫大明神」として記され
阿蘇都比当ス(あそつひめのみこと)を祀っていました。

神社にある『由緒記』によると、
この地は健磐龍命が阿蘇に下向する折、
しばらく行宮とし、
鏡と剣を納めて万民を撫育された地とされる。

以来、寛平二年(890)大神を勧請し、
更に寛仁四年(1020)神託により神祠を改築し、
阿蘇十二神を合わせ祀るようになった。

しかし、天正年間(1573-1591)島津勢のために
信者の財産、宝器が略奪され、
更に小西行長の神社仏閣破却の兵火により建物や古文書など
ことごとく焼失したが、
幸い十二宮の神鏡と嘉吉三年(1443)再建の棟札は焼け残りました。

一度神社は荒廃しましたが、寛文二年(1662)に遷宮式を行い、
元禄十一年(1698)社殿を造営して再興され、
以来、近隣六ヵ村の産土神として栄ていると記している。

御祭神
健磐龍命、阿蘇都媛命、国龍神、比東芬q神、彦御子神、若比盗_、
新彦神、新比盗_、若彦神、彌比盗_、国造 速瓶玉命、金凝神(綏靖天皇)
の阿蘇十二神

ご利益:厄除・健康・学業成就・縁結び他

「文楽の里」とも呼ばれている清和。
地域の伝統文化として大切に守られているのが「清和文楽」。
その発祥の地が「大川阿蘇神社」です。

清和文楽は、江戸末期の嘉永年間(1850年ごろ)に、
この地を訪れた淡路の人形芝居の一座から村人が人形を買い求め、
技術を学んだのが始まりだと伝わっています。

農家の人々で一座を作り、畑仕事の合間に練習を重ねながら、
「大川阿蘇神社」の農村舞台で奉納芝居を上演していました。
それは今も続く伝統です。

明治時代に建てられ、昭和28年に現在の地に移築された「農村舞台」は、平成17年に国の登録有形文化財に指定されました。平成25年には梁や柱の骨組みを残して、当時の材料と同じものを調達して補修され、今も現役の舞台として使用されています。

奉納文楽は一時途絶えましたが、平成5年に復活。
現在は、9月に例大祭、10月には「薪文楽」で、
人形浄瑠璃を農村舞台で上演しています。

鎮座地
熊本県上益城郡山都町大平120


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2021年04月20日

古事記・日本書紀・万葉集などに記された鎮懐石を祀る【鎮懐石八幡宮】福岡県糸島市




鎮懐石八幡宮(ちんかいせきはちまんぐう)は、
古事記・日本書紀・万葉集などに記された
鎮懐石(ちんかいせき)をお祀りする神社です。

鎮懐石とは、神功皇后が安産を祈り身に付けられた石。
出産と御心を鎮懐(しずめ)られたことから鎮懐石と
呼ばれるようになりました。

旧社格:村社

【鎮懐石の伝承】
仲哀天皇9年、
神功皇后(息長足日女命)は応神天皇を懐妊しながら
この地を通って戦地に兵を出された時に、
卵型の美しい二個の石を肌身に抱き、
出産の延期を祈って御心を鎮懐(しずめ)られた。

願いは叶って帰国後、宇美の里で応神帝をご安産された。

帰路、神功皇后が経尺の璧石を、
子負ヶ原の丘上にお手ずから拝納されてより、
世の人は鎮懐石と称してその奇魂(くしみたま)を崇拝するようになった。

鎮懐石は皇子産石(みこうぶいし)や子産石(こうぶいし)と呼ばれ、
長い歴史の中で子宝・安産の信仰が受け継がれてきました。

御祭神
神功皇后、応神天皇、武内宿祢

御利益
子宝、安産、勝運、出世、開運、長寿、など

1859年(安政6年)に建てられた九州最古の万葉歌碑
筑前国守であった山上憶良がこの地を訪れて詠んだ歌が
『万葉集』に収められている。
「口にするのも恐れ多いが、帯比売(神功皇后)が
韓国を平定なされてお心を鎮めようと取って祭られた
美しい玉のような二つの石を世の人に示され、
末永く後世に語り伝えるようにと深江の海に面した子負の原に
みずから置かれた神々しい御魂は、
 今に明らかな事実として尊いことだ」
というような歌である。
境内にはこの歌を記した九州最古の万葉歌碑が建てられている。

鎮座地
福岡県糸島市二丈深江2143-1


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縁結びのパワースポット【箱島神社】 福岡県糸島市



箱島神社は江戸時代には龍宮城と称えられた景勝地。
最近では縁結び・恋愛のパワースポットとして参拝者が増えているそうです。

御祭神

●塞坐三柱大神(さやりますみはしらのおおかみ)
八衢毘古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)
久那斗神(くなとのかみ)
村境や交差点で禍事(わざわいごと)の侵入を防ぐ村の守護神

●西宮大明神(西宮恵比須)
恵比須様として知られる商売繁盛の神様

●愛染明王(あいぜんみょうおう)
恋愛、縁結び、夫婦円満を司る愛の神様。
近世では、恋愛を助け、遊女を守る神としても信仰されていました。
「この愛染明王を信仰すると美貌になる」と信じられていたそうです。

また、箱島様は耳の神様としても信仰されており、
箱島神社に奉納されている火吹き竹で耳を吹けば
耳の病が治癒すると言い伝えられています。

鎮座地
福岡県糸島市二丈浜窪86


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【幣立神宮】 熊本県上益城郡山都町の神社



幣立神宮(幣立神社)は、
熊本県上益城郡山都町にある神社です。

幣立神宮(へいたてじんぐう)
神社内で配布されていた「幣立神宮の由緒」によれば
『高天原神話の発祥の神宮である。
悠久の太古、地球上で人類が生物の王者に着いたとき、
この人類が仲良くならないと宇宙にヒビが入る。

これを天の神様が心配になって、幣立神宮へ火の玉に移って
ご降臨になり、その所に芽生えた万世一系の
ヒノキ(日の木霊の木)に神霊がお留まりになった。

これがカムロギ・カムロミの命とゆう神様で、
この二柱を祀ったのが日の宮 幣立神宮である。』

由緒
社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、
阿蘇に下向した際この地で休憩し、
眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て
天神地祇を祀ったという。

その後、延喜年間(901年 - 923年)、
阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り
幣立社と号した。

天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が
阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守とした。

御祭神
神漏岐命、神漏美命、大宇宙大和神、天御中主神
天照大神、阿蘇十二神

昭和56年発行の『熊本縣神社誌』には、
延喜元年(901年)阿蘇友成は本社を造替して健磐龍命を配祀奉り、
天養元年(1144年)には阿蘇友隆が本社を造営して
阿蘇両宮を配祀した。旧社格:郷社

御祭神
天照大神、外二神

昭和56年以降に
神漏岐命、神漏美命、大宇宙大和神、天御中主神
の四柱が追祀されたようです。

鎮座地
熊本県上益城郡山都町大野712


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2021年04月19日

【深江神社】福岡県糸島市



深江神社(ふかえじんじゃ)
由緒
建久八年(1197年)
高祖城主原田種直公は、原田家再興の守護神として、
竃門宝満宮及び太宰府天満宮を上深江片峯に勧請されたが、
境内の面積などが狭く、
建仁三年(1203年)深江現在地に御奉遷鎮座された。

これが深江神社の起源です。 

降って豊臣秀吉公が名護屋城在陣の折り
天正二十年八月(1592年)深江神社に参拝された時に、
奇しくも秀頼公誕生の報を受け、秀吉公恭悦斜ならず、
深江神社は秀頼公の産神なりと思召された。 

早速、時の領主小早川隆景公に命じ、御社殿を再興させられ、
なお、秀頼公誕生を祈念して深江神社の宮司の坊を
誕生山神護寺秀覚院と改号された。

隆景公も石の鳥居を奉納されたのであるが
現在の第二の鳥居がそれである。 

慶長十八年(1613年)唐津領主寺沢志摩守は深江神社に
百間四方の社地を寄進され、なお大久保加賀守の代に至るまで、
年々米二石の献納が行われた。 

享保二年(1717年)中津領となってからは
怡土郡西十四ヶ村の総宗廟として、近郷近在の尊崇厚く、
秋の神幸祭は殷賑を極め、大正初期までは流鏑馬行事も行われ、
盛大な神事であった。

旧社格:村社。

御祭神
玉依姫命(宝満宮 竈門神社)
菅原道真(太宰府天満宮)

御利益
子宝、安産守護、豊作豊漁、殖産興業、商売繁盛、開運・方位除け
悪病・災難除け、受験合格、芸能、学問上達、病気平癒など

鎮座地
福岡県糸島市二丈深江853


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【櫻井神社・櫻井大神宮・筑前二見ヶ浦】福岡県糸島市




ダイヤ櫻井神社 由緒
櫻井神社の創建の基は、
慶長十五年(1610)六月朔より二日の暁にかけて、
大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、
ご神霊が顕現されました。

それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、
それを聞き及ばれた福岡藩二代目藩主黒田忠之公は
家臣を二回に渡り遣わして問われるに、
その答え寸分も違わず御験(みしるし)があったので、
益々ご神威に感謝され、
寛永9年(1632)に現在の豪華絢爛なご社殿をご創建されました。
旧社格:懸社
櫻井神社本殿奥にある「岩戸宮」はかつて古墳の石室でした。
1610年の大豪雨の日に神宿が宿ったと言われています。

御祭神
與止姫大明神:八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
       神直日神(かむなおひのかみ)
       大直日神(おおなおひのかみ)
主祭神である八十枉津日神は災厄を司る神様で、
「瀬織津比売神」と同神とされています。
神直日神・大直日神は災厄を祓い清める神様です。

島岡大明神
(櫻井神社をご創建されました福岡藩二代目藩主黒田忠之公のご神霊)

合祀
八所産土大神(やところうぶすなおおかみ)
久保宮・西宮神社・熊野宮・伊牟田八幡宮・谷熊野神社・木浦神社・梅宮・末松神社の桜井各地に祀られていた神々で明治に入り合祀されました。

御利益
諸願成就、大漁満足、除災厄除、良縁成就、夫婦円満など、
あらゆる縁を結ぶご利益があります。


ダイヤ櫻井大神宮 由緒
櫻井神社ご祭神のご神託を受けられた黒田忠之公が
櫻井神社創建前の寛永二年(1625)に岩戸神窟の西南の地、
光寿山(こうじゅさん)へ神明造り茅葺の社殿を造営し、
伊勢神宮の祀官橋本氏により、
伊勢神宮の内宮・外宮の両宮の分霊を奉じさせ、
鎮座頂いたことがご創祀です。

内宮・外宮を一宇に合祀された本殿の千木は
向かって右が内削ぎで内宮(天照大御神)を現し、
向かって左が外削ぎで外宮(豊受大御神)を現している
櫻井大神宮独自の建築様式です。

伊勢神宮と同じく本殿・中殿・拝殿が
一直線に建ち並ぶ様式になっています。

当宮も伊勢神宮のご遷宮に倣い、宮地を2か所に定め、
20年ごとに式年遷宮を執り行っておりましたが、
第13回目にして止まり、
現在の社殿は慶応二年(1866)のものです。

御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)

鎮座地
福岡県糸島市志摩桜井4227


ダイヤ筑前二見ヶ浦
二見ヶ浦は櫻井神社の宇良宮(うらのみや)として、
伊弉諾命(いざなぎのみこと)と、伊弉冉命(いざなみのみこと)
をお祀りしています。

伊勢の二見ヶ浦の朝日に対して
夕陽の筑前二見ヶ浦といわれています。

縁結びや夫婦円満、厄除けのご利益があると言われ、
パワースポットとしても知られています。


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2021年04月14日

柳川総鎮守 【日吉神社】 福岡県柳川市




社伝によると、
鎌倉時代の正応3年(1290年)に
近江の日吉大社を勧請したのに始まる。
御祭神は、大山咋神。
明治以前は山王宮、山王大権現と称した。

もとは社村の農長が勧進し、社村の産土神となったが、
その後蒲池氏が柳川城を社村に築いた際、柳川城の鎮守となった。

蒲池氏滅亡の後は立花宗茂や田中吉政によって神領が保護され、
特に元禄9年(1696年)には社殿の再興が図られるなど、
代々の藩主の尊崇を集めた。

『柳河明証図会』によれば、神宮寺として最勝院があった。
明治の廃仏毀釈により最勝院は廃寺となった。

『筑後地鑑』によれば、「柳川市朝之鎮守」とあり、
今でも柳川総鎮守として崇敬されている。

旧社格:縣社

御祭神
大山咋神

御利益
五穀豊穣、地域振興、地域安全、家内安全
交通安全、厄除け、開運

鎮座地
福岡県柳川市坂本町7


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2021年04月09日

【高木八幡宮】 佐賀県佐賀市



由緒
社記によれば、
平安時代・近衛天皇の久安年中(1145〜1150年)
大織冠鎌足の正統の後裔高木越前守藤原貞永という者、
高木の庄に下向して高木城を構えていたが、
霊験に任せて旭日の形を描いた旗を押したて居城の守護神として
八幡大神を奉祀したとあり、これが八幡神社のおこりである。

この旭日の形を描いた旗じるしが、高木家の家紋の十二日足である。

なおこの十二日足の家紋は、
後に龍造寺家が踏襲し鍋島家の家中でこの紋を用いる者もあった。

旧社格:村社。

御祭神
大鷦鷯天皇(仁徳天皇)
誉田天皇(応神天皇)
気長足姫天皇(神功皇后)
仲哀天皇

御利益
国家鎮護、商売繁盛、縁結び、家内安全、子孫繁栄、安産、子育て、
開運招福、家運隆昌、成功勝利、交通安全、悪病災難除け、厄除け、他

鎮座地
佐賀県佐賀市高木瀬東二丁目12−11


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2021年04月07日

景行天皇の行宮 【彦嶽宮 下宮】 熊本県山鹿市



由緒
第十二代景行天皇の時代に、
日向の国(宮崎県)の熊津彦(くまつひこ)がそむいたので、
天皇は景行十八年四月に御軍を率いて九州に上陸され、
高天山(震嶽)に行宮を営まれました。

熊津彦は土蜘蛛の津頬(つちぐものつつら)と共に兵を進めて
夜中に天皇を襲いました。

天皇が行宮において諸神をお祈りされると、
彦嶽の頂上より高天山に霊感があって、高天山は大いに振動し、
賊徒はたちまち敗走して天皇の大勝となりました。

天皇は進んで日向の国に攻めて、熊津彦及び津頬を誅し給い、
お帰りの途中に神恩に感謝して、彦嶽に上宮・中宮・下宮を
造立されました。

これが、彦嶽三所宮の創建です。

第18代履中天皇の御宇、都邑の県主の後胤 都邑の武彦君の
神記奏上により日籠の峰(彦嶽)に畫日別陰龍王伊弆諾神を
奉祀し神田75町を付け給いました。

第27代継体天皇の22年(西暦529年)に、
筑紫の国造磐井が反乱をおこした時、
大連物部の麁鹿火は征討の命を蒙り筑紫の国に下向し、
彦嶽宮を祈り御井郡の戦に磐井を討平げることができました。

御祭神
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)

合殿
素戔鳴神(すさのおのかみ)
健磐龍神(たけいわたつのかみ)
彦御子神(ひこみこのかみ)

御利益
国土安泰、開運招福、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、芸能上達など

鎮座地
熊本県山鹿市津留2248



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鎮西鎮護の神【堀江神社】佐賀県佐賀市【景行天皇・神功皇后】



景行天皇の時、熊襲討伐の命を受け、
肥前国小津の入江に着いた小碓尊(おうすのみこと 後に日本武尊)は、
新たに小江を掘り、そこに竜造船をつないで軍議を開き
その地に神を祭って「神野の掘江大明神」と称した。

弘安四年(1281)の元寇の時は、
勅命によって一州一宮一社の神を全国からここに勧請して
元軍の退散が祈願された。

幸い台風が吹いて元軍は敗退し、
以来この神社は鎮西鎮護の神として崇敬された。

旧郷社。

主祭神
景行天皇・神功皇后

他に後宇多帝が蒙古退治を祈願されたとき勧請された
風浪権現(住吉三神)もあわせ祀っています。

合祀神
祭神天照皇大神外八柱は無格社合祀により追加
天照皇大神・応神天皇・大山祗命・倉稲魂命・菅原道真・若比留女命
建御方命・大己貴命・木花咲邪姫命

御利益
国家安寧、厄災除け、諸願成就、無病息災、病気平癒、安産、
子育て守護、学業祈願、厄除け、病魔退散、家内安全、開運招福など

鎮座地
佐賀県佐賀市神野西二丁目2−10


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【四面神社】 佐賀県佐賀市の神社



四面神社
諌早神・温泉神・支々岐神・千々岩神の四柱の神を主神とし、
天照皇大神他三十社の分霊が合祀されている。
創始の年代は不詳だが平胤貞(たねさだ)が
建久3年(1192)に再建したとの記録がある。

佐田神社は、熱病の神様として知られ、
豆腐を供えて祈願すれば効験著しいというので
古くから参詣者が多かった。

その創始は詳らかでないが、
口碑によれば俊寛僧都が嘉瀬に隠棲中に建立したとも言われている。
昔からこの神様は疱瘡の神様として崇敬されていたが、
その由来するところは判明しない。
旧社格:村社

主祭神
諌早神・温泉神・支々岐神・千々岩神

合祀
大己貴命、天照皇大神、猿田彦命、埴安神、海童神、菅原道真
仁徳天皇、応神天皇、宇賀魂神、天之忍穂耳命、伊弉諾尊、伊弉冉尊
素戔嗚尊、櫛稲田姫尊、市杵島姫命、湍津姫命、田霧姫命

鎮座地
佐賀県佐賀市嘉瀬町大字中原2044


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山鹿燈籠起源の神社 【大宮神社】(熊本県山鹿市) 景行天皇の仮御所跡地




大宮神社(おおみやじんじゃ)

第12代景行天皇が筑紫(九州)巡幸の際、
現社地に行宮(あんぐう、仮の御所)を営んだと伝える。
その後、行宮の跡地に天皇を祀ったのが起こりといわれている。

1072年(延久4年)、
菊池則隆が阿蘇十二神を勧請して併せ祀り、
田地36町歩を寄進した。

山鹿の鎮守として、
代々の領主・藩主らをはじめ篤い崇敬を受けてきた。
1871年(明治4年)、山鹿神宮と改称。
1940年(昭和15年)、大宮神社と改称し、
1943年(昭和18年)県社となった。

毎年8月に執り行われる例祭「山鹿燈籠祭」
その起源は、深い霧に行く手を阻まれた第12代景行天皇のご巡幸を、
山鹿の里人たちが松明を掲げ無事にお迎えしたことに由来します。

室町時代より約600年続く「上がり燈籠」をはじめ、
たいまつ行列、千人燈籠踊り、花火大会など様々な神事、
行事が行われ、安寧への祈り、景行天皇御巡行の伝説、
地域に伝わる伝統文化を連綿と継承しています。

御祭神:景行天皇 
合 殿:阿蘇十二神

ご利益
厄災除け、諸願成就、無病息災・病気平癒など

鎮座地
熊本県山鹿市山鹿196


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2021年04月06日

五龍神社【海童神(龍神)】佐賀県佐賀市



五龍神社
五龍神社の縁起によれば、
当地方の豪族(一族36家)田中という長者が、
広く商業を営み巨万の財を蓄え、常に大船を浮かべて各地と通商、
大陸とも交易していたので、海上の平安を祈り龍神を信仰していました。

欽明天皇26年(564年)
ある夜、霊夢によって村の西方の海中から不思議な光を伴い
黄金色の霊石を得たので危難除去の守護神として国家の鎮護と
一族の繁栄を祈念し、村の西隅に一祠を建て、五龍社と称した。

このことを知った里人も鎮守の神として崇敬し
霊験あらたかなるものを感ずるにつれ信仰の度は益々深まり、
鎮守の神として崇敬するようになった。

のちに與賀神社の摂社となり二の宮と称せられた。

元和年間(1615〜1624)
藩祖鍋島直茂公は家臣多久長門に命じて七社明神を配祀し、
初代藩主勝茂公は親しく参拝の上、社殿を造営し
併せて八戸村の田地四丁八反を祭祀田として奉納すると共に
松・樟1000本を境内を中心に植栽奉納した。

このようにして藩政時代は神事も盛大に行われたが
藩政奉還による変革で明治六年に村社に列せられ、
同二十九年には管内数社を併祀し本日に至っている。

主祭神
海童神(龍神)

合祀神
香語山命・彦火々出見尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊・仁徳天皇・大物主命
天照皇大神・菅原道真公・宇賀魂神

御神徳
五穀豊穣、商売繁盛、交通・航海安全、安産、諸災除去
家内安全、安産、合格祈願・学業成就など

鎮座地
佐賀県佐賀市鍋島町大字八戸1053


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2021年04月01日

医薬健康の祖神 【粟嶋神社】 熊本県宇土市【日本一のミニ鳥居】



粟嶋神社由緒略記
寛永10年(西暦1633年)この地に信心深い、
老夫婦の次衛門とその妻がすんでいました。

この年の2月3日夕方のことです。
大層粗末な身なりの旅の僧が訪れ、一夜の宿を乞われました。

信心深く正直者の老夫婦は快く招き入れ、
素朴ながら心からのおもてなしをいたしました。

その夜、寝ている老妻の夢枕に一人の神様がお立ち遊ばれ、
「我は粟嶋の神なるぞ、信心深き汝等に幸を授けん。」
とお告げになりました。

翌朝
「私はこのように貧しい旅の者、にもかかわらず、
昨夜からの心のこもったおもてなし、まことに有り難く存じます。」
と言い残されて旅立たれました。

気がつくと、僧侶の布団の枕元に一体の御神像がおかれていました。
驚いた老夫婦が急いで僧侶の後を追いかけましたが、
僧侶の姿は見当たりませんでした。

そのうちに老妻は、はっと昨夜の夢のお告げを思い出し、
二人はこれこそ御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと:粟嶋大明神)
に相違ないと想い、小さな祠を建てて御神像を安置し、
朝夕熱心に信仰しました。

御祭神 少彦名命は、出雲大社の大国主命とともに
豊かな国造りに活躍され、
国土の開発・医薬健康の祖神・諸業繁栄などに
霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳を聞きつけ、
多くの方々が参詣されるようになりました。

日本一小さい鳥居の由来
文化11年(1814年)当時、重い病に苦しまれた方が、
医薬の祖神として霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳にすがり
粟嶋神社で御祈祷を受け、熱心に信仰されたところ、
奇跡的に病が完治しました。

そこで病気平癒のお礼に感謝をこめて
他に比類なく永久に残るものをと奉納されたものです。

鎮座地
熊本県宇土市新開町557


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