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2019年12月24日

久留米宗社 【日吉神社】 福岡県久留米市の神社




久留米宗社日吉神社は、平安時代の治承年中(1177年〜1181年)
に久留米の土豪 松田庄左衛門が笹山という場所を開き、
その館の守護神として祀られていたと伝えられます。

山王宮(日吉神社)は地主神として
有馬家二代藩主の正保4年(1647年)まで
笹山の地に御鎮座されていました。

第4代久留米藩主からは久留米の宗廟・城下町随一の社として
久留米宗社という称号が奉られました。

篠山神社の文書には、
「豊臣秀吉より久留米領地をあたえられた小早川秀包(毛利秀包)が、
久留米城修築のときに現在の二ノ丸(秀包時代の本丸)に
坂本山王宮(日吉神社)を移され、有馬氏が新城郭普請のときに
現在地の日吉町に御遷座される」とあります。

久留米城地の古い鎮守社では
貞観17年(875年)のものもあり、
久留米城地の地主神である日吉神社の創建は
それをさかのぼることも考えられます。

日吉神社
御祭神:大山咋命 
相殿:菅原道真公 
奉安神:豊宇気比賣神・瓊瓊杵尊・天児屋根命・太玉命 

産霊宮
御祭神:日吉大神・宇美大神・淡島大神 
御利益:良縁・子授・安産・女性の病気平癒・女性の厄年

月読宮(常若の社)
御祭神:月読命 
月は満ち欠けを繰り返すことから再生や若返りを司ると信じられ、
古くから若返りの御神徳・眼病平癒の信仰があるといわれています。

大乗院稲荷神社
御祭神:倉稲魂神・大宮女神・猿田彦神・春日大神・秋葉大神 
御利益:農業豊作・商売発展・開運・火難除け・芸能守護

鎮座地
福岡県久留米市日吉町106



posted by kohchan at 23:29 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

水天宮総本宮 【久留米水天宮】福岡県久留米市



全国総本宮 久留米水天宮
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。

社伝によれば、寿永4年(1185年)、
高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた
按察使の局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの
鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に
安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。

伊勢は剃髪して名を千代と改め、
里々に請われて加持祈祷を行ったことから、
当初は尼御前神社と呼ばれた。

そのころ、中納言平知盛の孫の
平右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。

これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。

幕末の志士・真木保臣は第22代宮司であり、
境内社・真木神社に祀られている。

慶長年間(1311年 - 1312年)に久留米市新町に遷り、
慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって
現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本宮である
久留米水天宮である。

その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、
文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、
その後明治4年に現在の東京水天宮にご遷座された。

明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。

御祭神
天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)
二位の尼(平時子)

鎮座地
福岡県久留米市瀬下町265-1


posted by kohchan at 23:25 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

2019年12月20日

【金刀比羅神社】佐賀県佐賀市の神社



金刀比羅神社は、
称徳天皇の御宇 天平神護元年(764)、
肥前国 国司が金刀比羅神社(香川県)御分神を勧請され、
肥前国 金刀比羅の宮 総座・金刀比羅大将大権現と尊称されました。

奉祀以来、豪族・武将・庶民の崇敬を集めていましたが、
天正3年(1575年)戦火によって堂宇は灰燼と化し、
天正5年(1577年)龍造寺隆信が社殿を再建して以来、
龍造寺家、鍋島家の直願神社として、
海上守護神、農業殖産神、医薬祖神、福徳円満結縁の神として、
崇敬され、享保十七年(1732) 鍋島藩五代目藩主 宗茂公の
嫡男である宗教公(六代目藩主)の大病平癒祈願奉賛の為、
西南の地 権現原より現山(通称:こんぴら山)へ社殿を建立され、
併せて、佐嘉城本丸へ奉祀中の東照宮も遷座されました。

金刀比羅神社 御祭神
神産巣日大神、大物大神、多紀理津毘売神、少名彦大神、
事代主大神、建御名方大神、金山彦大神

宮地嶽神社 御祭神
息長足毘売命、勝村大神、勝頼大神

境内社:松盛稲荷神社、東照宮、床浦大明神

鎮座地
佐賀県佐賀市金立町金立3349
posted by kohchan at 20:03 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

2019年12月18日

久保泉丸山遺跡【縄文時代晩期〜古墳時代の複合遺跡】佐賀市金立町



久保泉丸山遺跡は、
金立山南麓より平野部に突出した丘陵上にあり
調査前は雑木林だった。

調査は昭和52年1月から昭和57年10月まで断続的に実施され、
縄文時代晩期〜弥生時代前期(約2200〜2400年前)の墓と
5・6世紀の古墳群などが発見された。 

縄文時代のものには
甕棺(3基)、支石墓(130余基)、石棺(3基)があり、
遺構の内部及びその周辺から、
水稲耕作を裏付ける籾痕のある土器や石器等多数出土した。 

古墳は10基あり、そのすべてが径4〜14mの円墳であるが、
内部主体には竪穴式石室、横穴式石室、舟形石棺などがあり
変化に富む。

古墳からの出土遺物としては土器をはじめとして、
鉄製品(剣・刀子・鏇・鉾・釧・斧・鏃等)や
石製品(小玉・管玉・勾玉・琴柱形石製品)がある。

このように丸山遺跡では
墳墓形式や出土品に多種多様なものがあり、
極めて学問的に高い価値をもつ複合遺跡ということができる。

丸山遺跡は九州横断自動車道の建設予定地内に存在していたので、
遺跡の西方約500mに移転され、野外博物館的施設として
活用されることになった。

縄文時代の支石墓に供えられた多くの土器から、
稲作を行なっていたことを裏付ける籾跡が発見されています。

佐賀県佐賀市金立町大字金立


2019年12月17日

縄文時代から中世にかけての複合遺跡【船石遺跡】佐賀県上峰町



船石遺跡
船石天神社周辺では、以前から船石・鼻血石・亀石と呼ばれる
花崗岩の巨石や古墳の存在が知られていた。

昭和57年上峰町教育委員会により調査が行われ、その結果、
船石と亀石は、弥生時代中期の支石墓であることが
明らかになった。

調査は南区と北区に分けて行われ、
南区では弥生時代の竪穴住居跡が6軒、
北区では弥生時代の支石墓2基、甕棺など墳墓93基以上、
竪穴住居跡3軒、古墳3基が確認された。

縄文時代から中世にかけての複合遺跡で県史跡。

佐賀県三養基郡上峰町大字堤



2019年12月16日

徐福伝説 【金立神社 中宮・上宮・磐座・奥之院】 佐賀佐賀市



佐賀市金立山(標高501m)には、
徐福を祀る金立神社の中宮、上宮、奥之院があります。

秦の始皇帝の命を受けた徐福が
不老不死の仙薬を求めて辿り着いた霊山との伝承があります。

金立神社 中宮は、もと金立参道、七曲入口の東側の山腹にあり、
猿田彦大神・白鬚大明神を祀っていました。

現在の祭神は、保食神・罔象売女命・秦の徐福なので、
祭神が替えられたようです。
明治元年廃社となり、昭和28年現在の地に築造されました。

金立神社 上宮
石造りの拝殿・本殿。

神社の起源は孝霊天皇の代と伝えられ、
「日本三代実録」に、金立神は
「清和天皇の貞観2年(861)3月、正六位上から従五位下に昇叙、
 光孝天皇の元慶8年(884)12月従五位下から従五位上に昇叙」
の記録があります。

御祭神は秦の徐福、保食神(穀物の神)、罔象売女命(水の神)
の三柱です。

上宮本殿裏の磐座は、
「湧出御宝石(わきでのおたからいし)」と呼ばれ頂部には
水が溜まっていると伝わります。盃状穴があるかもしれません。
神仙思想に基づく「陽石」と思われ
男性のシンボルを表していると云われています。
上宮から山道を下ったところには「陰石」もあります。

金立神社 奥の院
金立神社由緒記には、
神武天皇の代の創設とあるそうです。

鎮座地
佐賀県佐賀市金立町大字金立


2019年12月13日

『古事記』『日本書紀』に記載がない【応神天皇の曾孫】都紀女加王の墓/目達原古墳群 佐賀県上峰町



都紀女加王の墓 目達原古墳群
佐賀県上峰町坊所一帯の丘陵地には
目達原古墳群(めたばるこふんぐん)として、
大塚古墳・古稲荷塚古墳・稲荷塚古墳・塚山古墳
瓢箪塚古墳・無名塚古墳・横田南古墳等が存在していた。

しかし昭和17年-18年(1942年-1943年)の
目達原飛行場(目達原駐屯地)建設に伴って破壊され、
古墳群のうち主な5基が、7分の1の大きさの墳丘模型で
ここに改葬されている。

都紀女加王墓(つきめかのみこのはか)。
遺跡名は、上のびゅう塚古墳(かみのびゅうづかこふん)という。

昭和18年(1943年)に宮内省(現・宮内庁)によって
都紀女加王の墓に治定された。

都紀女加王は、『先代旧事本紀』に伝わる古代日本の皇族。

第15代応神天皇の曾孫(三世孫)で、
筑志米多国造の始祖とされる。

『日本書紀』『古事記』に記載はない。

『先代旧事本紀』「国造本紀」では、
次の国造が後裔として記載されている。

【竺志米多国造(筑志米多国造)】
志賀高穴穂朝(第13代成務天皇)の御世に息長公同祖の
稚沼毛二俣命孫の都紀女加を国造に定める、という。

のちの肥前国三根郡米多郷(佐賀県上峰町一帯)
または筑前国夜須郡馬田郷・下坐郡馬田郷周辺
(福岡県朝倉市一帯)に推定される。

都紀女加は安康天皇(第20代)・雄略天皇(第21代)の
従兄弟にあたるため、「志賀高穴穂朝」とは
安康天皇(和風諡号は穴穂天皇)を指すとも推測される。

古墳は前方後円墳で、前方部を西に向ける。

墳丘長は49メートルで5世紀の築造と推定されるが、
埋葬施設は明らかでない。

墳丘表面からは埴輪・葺石が見つかっているほか、
墳丘周囲に周溝が巡らされたことが明らかとなっている。

佐賀県三養基郡上峰町坊所



2019年12月11日

徐福伝説地 【金立神社 下宮】 佐賀県佐賀市の神社



金立神社 下宮
昔、勅使並びに一般参詣者の便宜をはかって建てられた社。

御祭神:保食神(穀物の神)
    罔象売女命(水の神)
    秦の徐福

神社所有の絹本淡彩 金立神社縁起図には、
金立神社上宮の景観、下宮、徐福が
浮盃江(諸富町)に上陸の様子が彩色鮮やかに描かれ
金立神社の祭神にまつわる絵画としてその価値は
高く評価されている。

境内には、秦の始皇帝の命令で
不老不死の薬を求めてやって来た徐福に、
フロフキを授けたとされる甲羅弁財天が祀られています。

祭礼日:3月15日・春季大祭、11月3日・秋季大祭
境内社:甲羅弁財天、猿田彦大神

鎮座地
佐賀県佐賀市金立町大字金立2467


posted by kohchan at 22:46 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

2019年12月10日

徐福上陸地 【金立権現社跡地】 佐賀市諸富町



約2200年前、秦の始皇帝の命を受け
不老不死の仙薬を求めて日本に渡来したと伝えられる徐福。

徐福一行がまず着いたのは、
杵島の竜王ア(佐賀県白石町)でしたが、
上陸に適さなかったので、海に大盃を浮かべ、
これが流れ着いた筑後川下流の搦(からみ)に上陸しました。

この古事に由来する浮盃(佐賀市諸富町)という地名が
今も町内に残っています。

上陸地といわれる金立権現社跡地は、
筑後川(旧千歳川)の河口にあって、
地名は諸富町大字寺井津東搦、旧名を浮盃新津といった。

徐福たちはしばらくこの地に滞在した後、
北方にそびえる金立山に仙薬を入手するために
旅立ったとされている。

鎮座地
佐賀県佐賀市諸富町大字寺井津15



posted by kohchan at 21:32 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

三所明神【高志神社 (高志宮)】佐賀県神埼市の神社



創建年代不詳。景行天皇十二年筑紫御巡狩の際、
この地に鳳輦(ほうれん)を駐めさせ、主神を鎮祭されたと伝える。

永仁6年(1298)の文書にすでに記載のある古社で、
「櫛田宮略記」には
「平安時代。今の神埼市から三養基郡みやき町あたりまでは
皇室領の三千町歩もある荘園で「神埼御荘」と尊称されていた。

その荘園の総鎮守が櫛田宮であり、
南北各一里の地に鎮座する高志神社・白角折神社とは
三所一体の神社で「三宮一徳、三所明神」と称した。」とあります。

御祭神は、素盞鳴尊。
後に稲田姫命・日本武尊の二柱を相殿として配祀した。
明治四年郷社に列せられる。菅原道真を合祀により追加。

高志神社遺跡
平成9・10年度に調査が行われ、弥生時代の集落、墓地、貝塚、
弥生時代前期末〜中期中頃の甕棺墓38基などが確認され、
甕棺墓の内の1基から完全な形の細形銅剣と人骨に刺さった状態の
銅剣の切先、石剣や石鏃、サメの歯で作ったやじりなどが出土した。

高志狂言
神社がある高志地区には、全国でも唯一、
鷺流の狂言の「半銭」伝える
佐賀県重要無形文化財「高志狂言」が伝承されており、
毎年10月12日の、高志神社秋祭りに奉納されています。

鎮座地
佐賀県神埼市千代田町下板1229

posted by kohchan at 12:27 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

2019年12月04日

九州二大天満宮 【水田天満宮・恋木神社】 福岡県筑後市



太宰府天満宮とともに、“九州二大天満宮”と称されている。

御祭神:菅原道真公

1226年(嘉禄2年)、後堀河天皇の勅命により
菅原道真の後裔で菅原氏長者(当主)菅原為長によって
創建されました。

当地に太宰府天満宮の荘園で
菅原氏一族の大鳥居氏が支配する「水田荘」があって、
その鎮守でした。

旧名は安楽寺所司神人所、老松宮など。
太宰府に次ぐ九州第二の天満宮と称する。

恋木神社
水田天満宮の末社として建立当初(鎌倉時代)より鎮座し、
御祭神は「 恋命 」を祀り、全国でも珍しく恋木神社は一社のみです。

【 境 内 末 社 】
恋木神社・靖国神社・日吉神社・玉垂命神社
稲荷神社・今宮社・今尾社・若宮社・藤太夫社
菅公御子社・坂本社・天子社・八十御霊社
広門社・荒人社・八幡神社・素盞鳴神社
月読神社・屋須田神社・下宮御旅所

鎮座地
福岡県筑後市水田62-1



posted by kohchan at 15:15 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

2019年12月03日

徐福伝説地【新北神社】佐賀県佐賀市の神社



新北神社は、約二千二百年前 中国の秦の始皇帝の命で、
不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福一行が、浮盃より上陸し、
疲れを癒す為に住まいをもうけた跡地に、
第三十一代 用明天皇御代五八六年、北方出雲の国、
素戔嗚尊を祀り新北神社が創建されました。

第五十二代 嵯峨天皇の御宇 御勅使三条大納言郷が再建。

主祭神 素盞鳴尊

配祀祭神 倉稲魂命、大山昨命、天照大神、市杵島神、
武甕槌命、仁徳天皇、三女神、十城別命、岡象女神、綿津見命、
鍋島勝茂(無格社合祀による)

社格 郷社

徐福が上陸の証として植樹したとの伝説が残る「ビャクシン」。

ビャクシンは元来暖かい地方の樹木で、
徐福の古里の江南では自生した物が多く見られるそうです。

国内に自生する例はほとんどなく、
樹齢2200年と推定される古木はさらに全国でも珍しく、
不思議に徐福伝説と符号します。

ご利益
厄災除け、病魔退散、五穀豊穣・商売繁盛

境内社:八坂神社、稲荷神社、大神宮、宮地嶽三柱神社、淀姫社

例祭:春祭4月19日、秋祭10月18日・19日、祈念祭2月21日
佐賀県重要無形文化財「三重の獅子舞」は秋の祭典に奉納されている。

鎮座地
佐賀県佐賀市諸富町大字為重1073番地


posted by kohchan at 21:27 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

【八大龍王祠】 佐賀県佐賀市



八大龍王石祠は、寛文年間(1661〜1672)
龍光寺の中興日賢上人が勧請したものと推定される。

毎年7月16日には夏祭り(風祭りとも言う)が催される。
龍光寺の住職を招いて祭事を行っている。

境内に1基ある石灯籠は、
その昔は航海する舟の灯台の役目を果たしたとも言われている。

鎮座地
佐賀県佐賀市久保田町江戸



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