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2021年03月30日

六殿大明神【六殿神社】熊本県熊本市




由緒
元々、木原山と称されていた雁回山の本宮は、
後白河天皇の御代(1155-1158)、
保元の乱での強弓で名高い平安時代末期の武将
鎮西八郎為朝(源為朝)が木原城に居城の折、
阿蘇宮を崇敬し、西国安鎮祈願の遙拝殿を立てたのが
始まりと伝えられてます。

その後、治承2年(1178)
高倉天皇の勅願にて鎮西地方の鎮護の宮として
本宮創建の御綸旨を賜り、時の内大臣の平重盛が、
緑川沿いの菰江の地に着船。

阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、
氷川大明神、稲荷大明神を総称して六殿大明神と号し、
木原明熊に仮宮を建てたのが六殿神社の創建です。

寿永元年(1182)肥後守菊池隆直を社殿造宮の任にあたらせ給い、
直ちに木原山麓の現在地に御社殿を造営し、神領750町を寄進。

更に神護寺として円福寺(不動明王ほか5体安置)を建立し、
社僧20人をつかわしてその任に当たらせました。

建武元年(1334)肥後守菊池武重は社殿を改築。
八幡大菩薩、若宮大神、甲佐大神を合祀し、
延元4年(1339)には征西大将軍の懐良親王が勅使として参向され、
参拝を仰いだと記録されています。

天文18年(1549)宇土城主の名和伯蓍守顕忠は、
宝殿の建立をはじめ、飛騨国より名番匠の甚五左衛門を招いて
「釘無しの門」とも称される楼門を奉建しました。

明治40年(1907)に特別保護建造物として、
熊本県で最初に国指定重要文化財の指定を受けています。

天正16年(1589)には、
キリシタン大名の小西行長が宇土城城主となり、
領内の社寺を焼討します。

本宮は、勅願社の故を以って
その神域を懼れ火難はまぬかれたものの、神領や宝物は掠奪され、
社内は乱妨狼藉を極め、本地堂等を焼失し、
円福寺本尊は山中に隠され、木原不動奥の院として奉安されます。

慶長5年(1600)加藤清正は、
本宮に於て宇土城攻略の戦捷祈願をなし、その制札を立て、
乱妨を禁じ、神領を寄進し社殿を改修しました。

細川歴代藩主の尊崇も厚く、
今も尚、奉納の絵馬や安泰祈願大灯籠が現存し、
一般庶民の信仰は肥後国内はもとより、
鎭西(九州)一円に亘り、除災招福、心願成就を祈念する人々の、
心のよりどころとして、神威益々広大に崇敬を集め
今日に至っています。
旧社格は郷社。

御祭神

阿蘇大明神(あそだいみょうじん)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
埴安姫神(はにやすひめのかみ)
諏訪大明神(すわだいみょうじん)
氷川大明神(ひかわだいみょうじん)
稲荷大明神(いなりだいみょうじん)
を総称して六殿大明神と号す。

配祀神

八幡大神(はちまんのおおかみ)
若宮大神(わかみやのおおかみ)
甲佐大神(こうさのおおかみ)
山王権現(さんのうごんげん)
熊野権現(くまのごんげん)
妙見大神(みょうけんのおおかみ)

御利益
家内安全、開運招福、厄災除け、商売繁盛など

鎮座地
熊本市南区富合町木原2378


posted by kohchan at 20:21 | TrackBack(0) | 熊本県の神社

【河尻神宮】熊本県熊本市



河尻神宮(かわしりじんぐう)は、
河尻荘の領主であった醍醐天皇の第二皇子の
左大臣 源高明卿の子孫である河尻三郎実明卿が
鎌倉時代 建久8年(1197)に、
鶴岡八幡大神の御分霊を河尻荘小岩瀬(現在の熊本市南区富合町小岩瀬)にお祀りされたのが始まりです。

鶴岡八幡大神を主祭神とし、
天照皇大神、春日大神、住吉大神、阿蘇大神の4柱を配祀するので、
古くより若宮五社大明神と称し、
河尻荘1町87村の総氏神として社領33町を有していたといいます。

室町時代、河尻氏の没落により衰微したが、
加藤清正公の尊崇を受け、
1587年(天正15年)現在地に遷宮・再興し、
続く細川家代々の藩主も同様に篤く崇敬した。
旧社格:県社

御祭神
主祭神
鶴岡八幡大神(応神天皇・比売神・神功皇后)

配祀神
天照皇大神
春日大神(武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比売神)
住吉大神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)、神功皇后
阿蘇大神(健磐龍命・阿蘇都媛・国造速瓶玉命・他十神)

御利益
五穀豊穣、疫病退散・諸産業降昌・家内安全・開運
除災招福・夫婦和合・縁結び・厄除け

鎮座地
熊本県熊本市南区八幡5-1-50


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2021年03月24日

佐賀城の鬼門守護 【牛嶋天満宮 】 佐賀県佐賀市



牛嶋天満宮

社伝によれば菅原道真から16代目となる牛嶋(菅原)教正が
山浦郷古野城巨勢庄牛嶋村領主であった仁平元年(1151年)に社を創建。

さらに教正から9代あとの家泰が
永年五年(1508年)に再興し国司造営社となったとされる。

元は佐賀市蓮池町牛嶋にあったものを、
慶長年間(1596年〜1615年)の佐賀城下建設に際し
佐賀城の鬼門となる北東を守護するため
佐賀藩初代藩主の鍋島勝茂が現在の位置に
移したものとみられている。

御祭神:菅原道真公

御神徳
学業成就・挫折復権・開運厄除けなど

鎮座地
佐賀県佐賀市東佐賀町15-30


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2021年03月23日

【宇美八幡宮】福岡県糸島市



宇美八幡宮 由緒

上宮
長嶽山(ながたけやま)南方に鎮座、
丸型山陵(周囲45間)頂上に石祠として祀られています。

御祭神は、仲哀天皇とされ、
宇美八幡宮の縁起に依れば神功皇后摂政元年、武内宿禰に命じ、
香椎宮に安置していた先帝の御棺を長嶽山に収めて、
築陵したとあります。
皇后の三韓御渡航の折の御殯斂(ひんれん)の地か。

本宮
古称は、長野八幡宮と言う。
神功皇后が朝鮮へ出兵した折、
船上に気比大神(けひのおおかみ)が現れ、
「吾は新羅の神、清龍権現なりと皇后の国土を守護せん」
と旨を示します。

無事に帰国した神功皇后は、
長嶽山で奉斎の祭礼を行ったとされています。

その後、第十六代 仁徳天皇10年、
平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)の子、博公を神官として、
この霊蹟に神社を建し、気比大神 天日鉾尊(あめのひぼこのみこと)を
祀らせたのが起源とされています。

称徳天皇の神護景雲元年(767)には
社務の武内公実が八幡宮、聖母宮、宝満宮の三社を勧請し、
宇美八幡宮と称されるようになりました。

奈良・平安時代は大社で、7日間の祭礼が行われていました。

旧社格:県社

御祭神 
上宮:仲哀天皇
本宮:気比大神、応神天皇、神功皇后、清瀧権現、玉依姫、瓊々杵尊

御利益
開運招福・子宝安産・縁結び・育児・農漁業・海上安全・無病息災
延命長寿・武運長久・国土開発・厄除け・五穀豊穣・家内安全
方除けなど

鎮座地
福岡県糸島市川付785


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【與止姫大明神】あらゆる縁を結ぶ 【筑前二見ヶ浦・桜井神社・桜井大神宮】 福岡県糸島市




●筑前二見ヶ浦
二見ヶ浦は櫻井神社の宇良宮(うらのみや)として、
伊弉諾命(いざなぎのみこと)と、伊弉冉命(いざなみのみこと)を
お祀りしています。

縁結びや夫婦円満、厄除けのご利益があると言われ、
パワースポットとしても知られています。

●櫻井神社 由緒
櫻井神社の創建の基は、
慶長十五年(1610)六月一日より二日の暁にかけて、
大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、
霊験あらたかな神様が出現されました。

それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、
それを聞きいた福岡藩二代目藩主黒田忠之公は
家臣を二回に渡り遣わして問われるに、
その答え寸分も違わず御験(みしるし)があったので、
益々ご神威に感謝され、寛永9年(1632)に
現在の社殿を創建されました。

当初、桜井神社は與止姫大明神(よどひめだいみょうじん)
と称されていましたが、桜井八ヶ所の氏神を合わせ祀り、
明治になって桜井神社と改称されました。

旧社格:県社

御祭神
主祭神:與止姫大明神
    神直日神(かむなおひのかみ)
    大直日神(おおなおひのかみ)
    八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
主祭神である八十枉津日神(やそまがつひのかみ)は災厄を司る神様で、
神直日神・大直日神は災厄を祓い清める神様です。

島岡大明神(福岡藩二代目藩主黒田忠之公のご神霊)

八所産土大神(やところうぶすなおおかみ)
久保宮・西宮神社・熊野宮・伊牟田八幡宮・谷熊野神社・木浦神社
梅宮・末松神社の桜井各地に祀られていた神々で
明治に入り合祀されています。

●櫻井大神宮 由緒
櫻井神社ご祭神のご神託を受けられた黒田忠之公が
櫻井神社創建前の寛永二年(1625)に岩戸神窟の西南の地、
光寿山(こうじゅさん)へ神明造り茅葺の社殿を造営し、
伊勢神宮の祀官橋本氏により、伊勢神宮の内宮・外宮の両宮の
ご分霊を奉じさせ、ご鎮座頂いたことがご創祀です。

御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)

鎮座地
福岡県糸島市志摩桜井4227


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2021年03月22日

【鎮西出雲大社】 佐賀県佐賀市



由緒
亀山天皇の御世文永十年(1273)
出雲国造の弟、北島康孝が社を建立する。

当時は、大門、小門、神楽堂、御館があり、神田三十二町歩を持ち、
非常に広大な神社であったという。

元亀年間(1570〜1572)大友軍勢が来襲し社殿は兵災に罹り
宮司家直亡命する。

天正十五年(1587)豊臣秀吉島津氏征伐の時、鎮西出雲大社を再建。

御祭神
大己貴大神、綿津見大神、伊弉諾大神、伊弉冊大神
春日四柱大神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)

御利益
縁結び・子授・夫婦和合・五穀豊穣・病気平癒
航海安全・商売繁盛・出世開運・豊作、大漁など

鎮座地
佐賀県佐賀市蓮池町小松321−1



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【巨勢神社】 佐賀県佐賀市の神社



『巨勢神社由緒記』には
肥前州巨勢荘鎮守 巨勢大明神は37代孝徳天皇の御宇、
大化元年(645) 壱岐対馬を異国に侵略された時、
勅命を受けて直ちに撃退し、尚もその後の守護をする為、
当地に留まって荒野を開拓されたのちに神鎮り給ふ
土地の人々は護国開拓の神と仰ぎ奉り現在に至る。
旧社格:郷社

御祭神
主祭神:巨勢大連

合祀 
淀姫神、天照皇大神、大己貴神、老松大明神、伊弉那岐尊 
仁徳天皇、菅原道真、倉稲魂命、乙姫神、応仁天皇

鎮座地
佐賀県佐賀市巨勢町大字牛島41


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2021年03月17日

【辛国息長大姫大目命】 古代の豊前国一宮 【香春神社】 福岡県田川郡香春町



香春神社(かわらじんじゃ)
創祀年代は不詳。
延喜式神名帳に記載されている豊前国の神社は六座だが、
その半分にあたる三座が香春神社にある
(残りの三座はすべて宇佐神宮内)。

三座は、辛国息長大姫大目神社、忍骨神社、豊比盗_社で、
もともと香春三山(一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳)の山頂にあり、
香春三所大明神と称し崇め奉る。

和銅2年(709年)に一ノ岳南麓に社を建立し、
山頂の三社の神を新宮に合祀したのが現在の香春神社。

辛国息長大姫大目命は、神代に唐土(中国)に渡り、
崇神天皇の御代にが帰国し、河原に住み、一名を新羅神ともいい、
香春神、鹿春神ともいう。

古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社だった。

辛国息長大姫大目神社と忍骨神社に
正一位の神階が与えられたのは承和10年(843年)で、
これは奈良の大神神社(859年)、石上神宮(868年)、
大和神社(897年)が正一位になった年よりはるかに早い。

平安時代初期における香春神社の社格は非常に高く、
現在豊前国の一宮は、宇佐神宮とされているが、
古い資料の中には香春神社を一宮と記しているものもある。

式内小社、旧社格は県社。

御祭神
辛国息長大姫大目命(からくにおきながおおひめおおじのみこと)
忍骨命(おしほねのみこと)
豊比売命(とよひめのみこと)

神階
辛国息長大姫大目神社 - 正一位(承和10年) 
忍骨神社 - 正一位(承和10年) 
豊比盗_社 - 正二位(建仁元年) 

御神徳
海上・交通安全、鉱山開発、産業振興など

境内社
天福神社 御祭神:不詳
諏訪神社 御祭神:健南方神
蛭子神社 御祭神:蛭子神
山王神社 御祭神:大山咋神?
白八稲荷大明神 御祭神:倉稲魂命?

鎮座地
福岡県田川郡香春町大字香春733



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2021年03月16日

【岩屋神社】福岡県田川郡福智町



岩屋神社は、景行天皇十二年の創立といわれ、
大昔は上野山の南麓の岩屋の地に鎮座していたが、
岩屋の山中で、しかも谷深く不便だったので、
明暦四年五月(1658年)この貴船の地に移転した。

故老の言い伝えでは
『景行天皇当國の賊虜 (あだども) 討ちし時、
麻剥の残党この洞窟に屯集し、
皇命に従わず帝親ら此れを討伐し給ふ。
依って先ず
大己貴神(大國主命)、素盞鳴神、少彦名神を祭祀給ひ、
凱旋の砌岩洞の側に社を建て崇祭す。
養老年中(717年〜724年)福智山開基僧 教順なる者、
此の岩屋の地に移住し、
年を重ね此の地にて入定す。
当社御祭神の保食神は、実は教順が合祀せしもの』
と豊鐘善鳴録第五巻に詳しくある。

御祭神
大己貴神、素盞嗚尊、少彦名神、保食神

御利益
縁結び、子授、夫婦和合、商売繁昌、五穀豊穣、
開運厄除け、疫病退散、産業開発、漁業・航海守護など

鎮座地
福岡県田川郡福智町弁城1841


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【鶴岡八幡神社】 福岡県田川郡香春町



鶴岡八幡神社

仁平2年(1152)10月、
鎮西八郎為朝公が豊後国臼杵から勾金庄南大原の館に移り、
源氏の氏神である鎌倉の鶴岡八幡宮の御分霊を御勧請して奉斎するため、
家臣尾張権守家任を新造の八幡宮造営の奉行と定め、
阿蘇判官忠国に命じ先ず京都に上し近衛天皇の御許を受けて、
鎌倉由井の郷に下り鶴岡宮に参詣し幣帛、神楽を献じ神法に従い
御神霊を請けて、時の本宮の宮司の次男 津守源盛義が御神霊を捧持し、
仁平2年12月25日瀬戸の尾山に無事に到着する。

この時、新造の御社殿が完成せず、
やむなく尾山に留まり
仁平3年(1153)正月11日、
社殿を初め五寺一院48堂舎全て竣功し、
同月16日新宮に奉斎する。

旧社格は郷社。

御祭神:応神天皇・神功皇后・玉依姫命

御利益
国家鎮護・武勇長久・商売繁盛・勝運招来、厄難除け・出世開運・縁結び・子授け・安産・子育大願・海上安全・交通安全・家内安全・方除け・悪病災難除けなど

鎮座地
福岡県田川郡香春町中津原404


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2021年03月12日

【大村神社】 長崎県大村市



大村藩の居城であった玖島城の本丸跡に鎮座する。
旧社格は県社。
江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

藤原鎌足・藤原純友・大村歴代の領主・藩主を祭り、
大村公園内に鎮座する神社です。

もともと、文化2年(1805)、藩主大村純昌(すみよし)が、
大村氏の祖と崇める藤原純友とその親族を祭る御霊宮を、
池田山に建立したのが始まりといわれます。

その後、明治3年に大村家歴代の12柱を合祀して、
常盤神社と改称しました。

翌年、廃藩置県によって大村藩がなくなると、
旧大村城下の士族達が発起人となり、
旧領内に呼びかけて常盤神社を旧大村領民全体で祭ることにしました。

しかし、池田山では参拝に不便なため、明治17年解体され、
荒地となっていた大村城本丸跡に移されました。

このときに社名も「大村神社」と改められました。

また、この移転にあたり、
勤皇の功績が大きかった7名の領主は本殿へ、
それ以外の歴代の領主や藩主は本殿脇の別社に祭られました。

大正4年には歴代全領主や藩主が本殿へ祭られることになり、
別社は取り壊されました。

主祭神
大村直澄公、大村親澄公、大村澄宗公、
大村澄遠公、大村純興公、大村純弘公、大村純熈公

配祀神
大村家の祖とされる藤原鎌足公、藤原純友公を始め
その他の領主、藩主36柱

●玖島稲荷神社
伏見稲荷大社より第16代大村藩主純伊(すみこれ)公が
1480年に大村領の守護神として分霊を受けたことに始まります。

元三城城址に「稲荷神社」と称して鎮座していたが、
明治41年(1908年)に遷座された。

御利益
商売繁盛、五穀豊穣、家内安全、諸願成就など

鎮座地
長崎県大村市玖島1丁目34−1


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2021年03月11日

八大龍王【龍神社】長崎県大村市【八巻大辨戝天宮・法虎成徳大善神宮】



龍神社の御祭神は八大龍王で、
これを祀る龍神島は古代この一帯を支配した豪族の
古墳地域であったと言われている。

龍神社の創建は、
大村家二十三代藩主「大村 純尹(すみまさ)」の期、
宝永五年(1708)に社殿を建造し、
多羅山四世権大僧都法印を招いて開眼導師とした。
その後、毎年八月二十五日(旧暦)を例祭とした。

特に藩政時代は、
生業の繁栄と家内安全・開運の守護神とされ、参詣人で賑わった。

雨乞いには、彼杵、川棚、波佐見、江の串、宮村の浮立が演され、
月 輪 天人 鬼神 囃などで七日間踊られたという。

鎮座地
長崎県大村市玖島1丁目


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2021年03月10日

與止日女神 【與賀神社】 佐賀県佐賀市



與賀神社(よかじんじゃ)の由緒
欽明天皇二十五年(564年)に勅願造立され、
鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、
建暦二年(1212年)北条義時が社殿を再興、
寛元3年(1245年)執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたと
伝えられています。

ついで、建長三年(1251年)には与賀郷の地頭であった
大宰少弐資能安穏のため洪鐘一口が寄進され、
永正十年(1513年)には神階一位に進められました。

室町後期に、太宰府長官であった少弐政資公は
山口の大内氏に追われ佐嘉に落ち延びて来て、
文明十四年(1482年)に現在の赤松町龍泰寺一帯にあった
父教頼の旧館を開き与賀城を築き、
與賀神社を鬼門の鎮守として崇敬し社殿を再興、
楼門を造立し神事を修飾した。

その後、少弐氏時代から高木氏、竜造寺氏、鍋島氏にかけては、
与賀郷の宗廟として領主・藩主を始め一般士民の崇敬厚く、
特に鍋島氏は佐賀城の鎮守、各代の産土神社として深く尊崇され、
数々の寄進をなされた。
 
鎌倉時代から江戸時代までは、
現在の佐賀市西与賀町・東与賀町を含めた与賀荘一円、
即ち佐賀城の南部・西部・北西部の地域の総鎮守宮であった。

旧社格は大正14年に列せられた県社である。

鍋島藩政時代には、
神事として旧与賀郷の注連元(くめもと)行列をはじめ
流鏑馬、連歌、管弦等特殊なものがあった。

そのなごりとして、
佐賀神楽、獅子舞を現在伝承している。

主祭神  
與止日女神(よどひめのかみ)

配祀神 
八幡神 彦火々出見命(ひこほほでみのみこと) 
住吉神 綿津見命(わたつみのみこと)  
乙宮神 宗像三女神(むなかたさんじょしん) 
印鑰神 天児屋根命(あめのこやね)    
応神天皇(おうじんてんのう) 
菅原道真公(すがわらみちざねこう)

鎮座地
佐賀県佐賀市与賀町2-50


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2021年03月09日

徐福住居跡 【新北神社】 佐賀県佐賀市



約二千二百年前 中国の秦の始皇帝の命で、
不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福一行が、
浮盃より上陸し、疲れを癒す為に住まいをもうけた跡地に、
第三十一代 用明天皇御代五八六年、
北方出雲の国、素戔嗚尊を祀り新北神社が創建されました。

第五十二代 嵯峨天皇の御宇、御勅使三条大納言郷が再建。
旧社格 郷社

主祭神:素盞鳴尊

配祀祭神
倉稲魂命、大山昨命、天照大神、市杵島神、武甕槌命、
仁徳天皇、三女神、十城別命、岡象女神、綿津見命、
鍋島勝茂(無格社合祀による)

御利益
厄災除け、病魔退散、五穀豊穣・商売繁盛など

鎮座地
佐賀県佐賀市諸富町大字為重1073



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龍神三社 【龍王神社・八大龍王宮・海童神社】 佐賀県佐賀市の神社




●龍王神社
創立も由緒も不詳
祭神は大綿津見の神で五穀豊穣と海辺による潮害を防ぐための祈願に
この宮を建てた。

御祭神:大綿津見神

御利益
海上守護、災厄祓除、五穀豊穣など

鎮座地
佐賀県佐賀市東与賀町大字田中1050

●八大龍王宮(龍王宮、海童神社)
(はちだいりゅうおうぐう)
由緒:人皇百五代後奈良天皇の天文5年(1536)
佐賀城主・龍造寺隆信公が犬井道から嘉瀬川尻へかけて
有明海岸を巡視された時、丁度暴風雨の後で海岸堤防は、
ずたずたに破壊され家や田畑は海水に洗われて、
その被害のひどさに驚かれこの辺に守護の神はないかと尋ねられました。

家臣が近郷には、守り神のない事を申し上げたところ、
隆信公は、早速鹿ノ江遠江守に命じて当時の広江津(現在地)に
八大龍王宮を建立し海の守り神として祭られました。

以来450年近郷近在の村民の崇敬厚く
お地王さんといって親しまれて来ました。

犬井道の海童神社は、
後日当龍王宮より分祀されたものと伝えられています。
尚、大正2年(1912)12月社殿を新築し、
当時広江にあった三社大神、管原大神の二社を合祀し現在に至る。

御祭神:綿津見命

合祀神:三社大神、管原大神

御利益
航海安全、豊漁など

鎮座地
佐賀市川副町広江大字小々森718

●海童神社
天文20年(1551)龍造寺隆信が、一時、筑後に難をさけた後、
天文22年(1553)七月、佐賀城奪還のために海を渡り、
漁夫 園田次郎兵衛、犬井道新兵衛の水先案内で、鹿江崎に上陸、
旗揚げして大いに勢いを奮った。

このとき、この地の状況を視察した隆信は、
代官 成富甲斐守大蔵信種に命じて、潮水防堤を増築し、
鎮護の神として海童神社を創建し、
航海漁業、交通だけでなく農業、商工業、諸産業の守護神として
尊敬されている。

旧社格:郷社

主祭神
上津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神

相殿神:天照皇大神、菅原道真

御利益
海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒、
健康長寿、家内安全、子供守護など

鎮座地
佐賀市川副町大字犬井道624


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日本で唯一存在する 伊勢神宮から分霊を許された「九州のお伊勢さん」【伊勢神社】佐賀県佐賀市



伊勢神社は、天智天皇(668-671年)が
肥前の地 神埼郡田手に神社を建立され、
その後、杉野隼人が大神宮再興の為、伊勢に約50回参拝され
天照皇大神宮の勧請を願い、天文11年(1542年)3月、
伊勢皇大神宮より神璽、瑶鏡、宝剣の三種の神器と共に
御分霊を許され、田手太神宮としました。

その後、鍋島蛎久の地に移され、蛎久(かきひさ)大神宮とし、
藩祖鍋島直茂公ご夫妻のご信仰篤く、初代藩主鍋島勝茂公、
慶長年間(江戸時代)朝鮮出兵の戦勝祈願成就により、
慶長十年(西暦1605年)に遷座建立され、
その後、昭和15年紀元二千六百年を記念して
改築され現在に至ります。

伊勢神宮より分霊を許されたのは、全国唯一、この伊勢神社のみです。

子孫繁栄、商売繁盛、五穀豊穣の神様として、
また子授祈願には特にご利益があるということで、
肥前の国だけでなく九州一帯より、多くの参詣者があり、
九州のお伊勢様と称ある特別の神社になりました。

御祭神
天照皇大神

天智天皇あるいは斉明天皇が関わった
田手太神宮の祭神は、向津媛命(瀬織津姫)です。

天皇家の祖神 天照大神を祀るようになったのは、
天智天皇のあと天武・持統朝以降のことで、
この新たな神宮祭祀の創祀によって、
伊勢神宮の第一別宮・荒祭宮に「天照大神荒魂」の名で
瀬織津姫(向津媛命)は封印祭祀がなされることになったと
思われます。

御利益
子孫繁栄、商売繁盛、五穀豊穣、子授など

鎮座地
佐賀県佐賀市伊勢町9-8


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2021年03月03日

ニギハヤヒが降臨し奉祀したことに始まった【天照神社(天照宮)】福岡県宮若市



犬鳴川右岸の宮田町磯光に鎮守する
天照神社(てんしょうじんじゃ)は、
古代から中世に栄えた粥田荘の惣社として
古くから人々の信仰を集めた神社として知られています。

天照神社の由来は、
貝原益軒著の「鞍手郡磯光神社縁起」によれば、
饒速日尊が垂仁天皇十六年に宮田町の南に聳える
笠置山頂(四二五メートル)に降臨し、
同七十七年に笠置山頂に奉祀したことに始まります。

その後、千石穂掛谷、明野(脇野)と移り、延慶元年(一三〇八)年に、
白き鶴の住む里に廟を遷すべしとの神託があり、
西国探題惣政所玄朝の造営により、現在地に移されました。

旧社格:県社

御祭神 
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
八幡大神、春日大神、応神天皇、天児屋根命

御利益
五穀豊穣・疫病退散・諸願成就・病気平癒・交通安全・航空安全・
武勇長久・勝利祈願・出世開運・子孫繁栄・国家安泰・学業成就など

鹿島神社(鹿島神、菅原神)

諏訪神社(健御名方神、素盞嗚神)

西海九神社
(底筒男神、中筒男神、表筒男神、底筒少童神、中筒少童神、
表筒少童神、八十禍津日神(瀬織津姫)、大直日神、神直日神、
湍津姫神)

住吉神社(底筒男神、中筒男神、表筒男神)

天満神社(菅原道真公)

須賀神社(素盞嗚神)

恵比須神社(事代主神)

摂社
疫神社(八十禍津日神)

笠城神社(饒速日尊)、穂掛神社(饒速日尊)以上二神社は
上宮中宮として各遷御の古宮地に祭祀せられ古来より攝社として
奉斎されている

末社
生子神社、須賀神社、剣神社、日吉神社、男田神社、乙十神社、貴船神社

鎮座地
福岡県宮若市磯光266


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日ノ少宮・日若宮【多賀神社】福岡県直方市



多賀神社(たがじんじゃ)は、
壽命の神、鎮魂・厄除の神として
伊邪那岐大神・伊邪那美大神の二柱の神をお祀りしてます。

古くは日ノ少宮・日若宮・日の若宮と称し、
奈良時代の養老3年(719年)に再建、
天平8年(736年)には妙見大明神多賀大神と称えた。

南北朝時代の正平年間(1347-1370)、
征西将軍の懐良親王が願主となり、
菊地武光が資金を献じて社殿の改築が行われた。

江戸時代、黒田藩政となると、
黒田家が直方を支藩(東蓮寺藩、後に直方藩)とし、
初代高政から2代之勝、廃藩を経て、
二期目の初代・4代長清にわたり崇敬された。

長清は南の妙見山(現在の御館山)山上より現在地に遷座し、
元禄4年(1691)に藩主の命を奉じ、
宮司青山敏文が朝廷に願い出て社名を
多賀神社(多賀大明神社)に改めた。

旧社格:県社。

御祭神
伊邪那岐大神
伊邪那美大神

相殿神
仲哀天皇・応神天皇・神功皇后

御利益
健康長寿・開運厄除・縁結び・安産・家内安全・交通安全

鎮座地
福岡県直方市大字直方701


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2021年03月02日

【香椎宮】福岡県福岡市



由緒
香椎宮は『日本書紀』『古事記』によると、
仲哀天皇8年に天皇は熊襲征伐のための西征で
筑紫の行宮の橿日宮(かしひのみや、記:訶志比宮)に至ったが、
仲哀天皇9年に同地で崩御しました。

その後、
神功皇后(気長足姫尊)は神のお告げを受けて、
海を渡り新羅を平定され、
凱旋後、仲哀天皇九年、神功皇后みずから祠を建て、
仲哀天皇の神霊を祀ったのが起源です。

神功皇后の宮は
元正天皇の養老七年(723)に皇后御自身の御神託により、
朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め
聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、
此の両宮を併せて香椎廟と称しました。

明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称してます。

神功皇后は凱旋後、宇美にて皇子、
後の八幡大明神・応神天皇様(誉田別命)をお産みになられます。

八幡信仰は、後に源氏の氏神・戦神として全国広く信仰されます。
そのため香椎宮は八幡様の親神様といわれています。

御祭神

主神
  仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
  神功皇后(じんぐうこうごう)

御神徳
国家安寧、世界平和、家運隆昌、外交、
子授け、安産育児、芸能上達、土木治水

配祀
  応神天皇(おうじんてんのう)
  住吉大神(すみよしおおかみ)

御神徳
国家繁栄、厄除け開運、武運長久、成功勝利、
清祓、除災招福、海上安全、交通安全

本殿
重要文化財香椎造と称し我国唯一の建築様式で現在の御本殿は
享和元年(1801)筑前藩主黒田長順公の遵式縮小の再建です。

綾杉「あやすぎ」。
中門前の広場に立つ神木。
「綾杉」の木名は、杉の葉が交互に生える様を綾に例えたことによる。

神功皇后が三韓征伐から帰国した際、剣・鉾・杖の三種宝を埋め、
鎧の袖に挿していた杉枝を本朝鎮護祈願で植えたものという。

太宰府に任じられた者は、
香椎宮に参拝して神職からこの杉の葉を冠に挿してもらうのが
習わしだったそうです。

鎌倉時代に編集された「新古今和歌集」の中から
綾杉の歌がひとつ見えます。

ちはやふる 香椎の宮の あや杉は 神のみそきに たてる成けり

鶏石神社
江戸時代の書物『雲根志(うんこんし)』によると、
その死を憐れんだ僧侶によって、
石になった鶏が祠におまつりされたことが起源と伝えられます。

『韓詩外伝(かんしがいでん)』には
「冠を戴くは文なり、足に距(けづめ)を持つは武なり、
敵前に敢えて戦うは勇なり、食を見て相呼ぶは仁なり、
夜を守って時を失わぬは信なり。」とあり、
鶏は文武勇仁信の五徳に優れるとされ、
またその鳴き声は神様の出現を知らせる特別なものと云われます。

鶏石神社は、鶏がたまごを産みそのたまごが孵化するように、
形のないところから物事が成就する
修理固成(しゅりこせい)の御神徳があるとされます。

鶏をお祀りしている神社は全国に珍しく、
例祭日には鶏に関連する企業の方も数多く参詣され、
また、鶏は夜鳴かないことから子どもの夜泣きにも
御利益があると言われます。

御神徳 修理固成・五徳向上・養鶏・育児の夜泣き

稲荷神社
鶏石神社の隣に並ぶ稲荷神社の御祭神は、
保食大神(うけもちのおおかみ)という食べ物を司る神様です。

香椎宮創始より祀られ、かつては鶏石神社と同じように、
子どもたちがお餅をお供えしたり、
甘茶を入れて参拝者に振る舞う風習があり、
食べ物への感謝を忘れずにいました。

弁財天社
香椎宮八所のひとつとして香椎宮創始の昔よりお祀りしてありました。

弁財天は市杵嶋姫命
(宗像三女神の一柱 広島県の厳島神社 神奈川県の江島神社の御祭神)
と同一とされ、両部神道の教えでは妙音天女、功徳天女と申し、
後世は七福神の神様として、芸能上達・開運招福・財宝を授け給う
御利益があると昔から信仰されているお社です。

古宮「ふるみや」。
本殿から北東方に所在する。
仲哀天皇の営んだ仮宮「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地で、
仲哀天皇の廟跡と伝える。

大正4年(1915年)までは仲哀天皇を祀る祠が存在したが、
同年に本殿に合祀されている。
玉垣内には、仲哀天皇の棺を掛けたという御神木「香椎」
棺掛椎(かんかけのしい)が立つ。
付近には「仲哀天皇大本営御旧蹟」碑も建てられている。

不老水(ふろうすい)。
「不老水」は本殿の北300mほど山手にある
香椎宮の飛び地である「不老水大明神」の境内に湧く湧水であり、
「御飯の水」「老の水」とも言われていたが、
天平宝字2年(758年)に井戸が補修された際に
「不老水」と名付けられた。

仲哀天皇、神功皇后に随侍していた、時の大臣の武内宿禰が、
香椎の地でこの水を朝夕汲み取って天皇への炊飯用や、
酒を作るのにこの水を使ったとされる湧水で、
そのおかげで300歳とも360歳ともいわれるほど
長寿だったという由来がある。

一帯は武内宿禰が居住した地として「武内屋敷跡」と称される。
この不老水は、毎年正月に綾杉・椎茸とともに皇室に献上される。
昭和60年(1985年)には名水百選に選定された。

鎮座地
福岡県福岡市東区香椎4-16-1


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