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2021年01月26日

大正時代まで『瀬織津姫』を祀っていた【山田神社】佐賀県西松浦郡有田町



山田神社
松浦党の党祖、源太夫判官久公の第三子、
有田三郎源栄公が建保6年(1218)に唐船城を築城し、
ここに松浦市今福の「年の宮」を勧請した。

「年の宮」は嘉穂元年(1094)
近江国一の宮諾冉二尊を祀る多賀明神を勧請したもので、
松浦党が篤い崇敬を寄せた古社である。

永禄四年(1561)六月二十六日に
飯盛城主 松浦 親(まつうら ちかし)と
その養子で後の唐船城主 有田 盛(さこう)の支援により、
当時の圓満寺住職 阿泉(あせん)を勧請責任者とし、
本宮(年の宮)に熊野本宮から八坂社、
加賀白山から白山社の二社を加え、
山田野三所大権現の鎮祭を行い、
両城主および山谷地区の鎮守神としました。

神仏習合により圓満寺住職が歴代の宮司を兼任。

明治になり神社は国家管理となり、
山田神社と改称し、大正8年11月27日村社に昇格した。

唐船城跡
平安末期からこの地を領有していた松浦党有田氏の城址です。
正確な築造の年代はわかっていませんが
建保6年(1218年)が有力とされています。

松浦党の始祖とされる源久の曾孫栄が
有田郷を与えられたことに始まっており、
元和元年の徳川幕府による一国一城令により
唐船城は廃城となりました。

『佐賀県神社誌要』(大正十五年)には、
御祭神
伊奘諾尊・大山祗命・武甕槌命・大己貴命・瀬織津比当ス
少彦名命・宇賀魂命 菅原道真 天照皇大神 松浪森

現在の御祭神
伊弉諾尊・伊弉冉尊

八坂神社:素戔嗚尊
白山神社:白山比当ス

鎮座地
佐賀県西松浦郡有田町山谷牧甲2322-5



posted by kohchan at 22:44 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

珍しい磁器製の鳥居 【陶山神社】 佐賀県有田町の神社



陶山神社(すえやまじんじゃ)
俗称:とうざんじんじゃ
由緒・創建
今から400年前の寛永年中に、
肥前国松浦郡有田において陶器の原材料となる
磁礦が泉山にて発見された。

それよりこの地に町が起こり、
この地にて陶器製造が年々盛になり、
人々の流入も多く繁昌する者が増えた。

有田皿山代官の命により、
万治元年葉月十五日松浦郡有田郷有田皿山大樽山に社殿を建て、
松浦郡中宗廟大里村の蓮華石正八幡宮より
祭神「品蛇和気命(ほむだわけのみこと)」を勧請し
皿山中の宗廟として当社、「有田皿山宗廟八幡宮」を創建した。

明治四年有田皿山宗廟八幡宮より当地区の総称「陶山」に因み、
「陶山神社」と命名された
明治五年社格を村社に列せられた
明治四十年二月十五日神饌幣帛料供進の指定を受ける

御祭神:品蛇和気命(応神天皇)
相殿神:鍋島直茂命

御利益
陶磁器製造業・商売繁盛、厄災除け、平穏安寧など

鎮座地
佐賀県西松浦郡有田町大樽2-5-1


posted by kohchan at 16:38 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

2021年01月22日

"天に道が開け、運気が上昇する" 開運のパワースポット【天開稲荷社・奥の院】福岡県太宰府市



天開稲荷社(てんかいいなりじんじゃ)は、
鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷大社から
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)の御分霊を
御遷して祀るようになったのが始まりとされています。

「九州最古のお稲荷さん」として親しまれています。

御祭神の宇迦之御魂神は須佐之男命の御子神であり
人々の生命の根源である食物とくに稲の生長を守護する神様です。

社名に由来するように、
古来より"天"に"開"かれたお"社"とされ、
五穀豊穣、商工業の発展、
更には人々に開運と幸福をもたらす神として広く信仰されています。

天開稲荷社は、
「天に道が開け、運気がどんどん上昇する」
開運のパワースポットといわれています。

鎮座地
福岡県太宰府市宰府4丁目7-1


posted by kohchan at 22:39 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

2021年01月21日

全国に約12,000社ある天満宮の総本宮【太宰府天満宮】福岡県太宰府市



太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、
福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社です。

御祭神の
菅原道真(すがわらのみちざね)公は、
承和12年(845)に京都で生まれました。

幼少期より学問の才能を発揮し、努力を重ねることで、
一流の学者・政治家・文人として活躍されました。

右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に
左大臣 藤原時平らの陰謀によって
筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、
翌々年の延喜3年(903年)2月25日、
道真公は住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、
生涯を終えられました。

門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が
御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、
牛が伏して動かなくなり、
これは道真公の御心によるものであろうと、
その地に埋葬されることとなりました。

延喜5年(905)、
御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、
天原山庿院安楽寺と号した。

一方、都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、
さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳で死去した。

これらのできごとを
「道真の祟り」
と恐れてその御霊を鎮めるために、
醍醐天皇の勅を奉じた左大臣 藤原仲平が大宰府に下向、
道真の墓所の上に社殿を造営。

延喜19年(919)には勅命により社殿が建立され、
これが安楽寺天満宮の創祀です。

それでも「道真の祟り」は収まらず、
延喜23年(923)には皇太子保明親王が21歳で死去。

狼狽した朝廷は、延長と改元したうえで、
4月に道真の官位を生前の右大臣の官職に復し、
正二位の位階を追贈した。

しかしそれでも「祟り」が沈静化することはなく、
保明の遺児慶頼王が代わって皇太子となったものの、
延長3年(925)には慶頼もわずか5歳で死去した。

そしてついに延長8年(930)6月、
醍醐天皇臨席のもとで会議が開かれていた、
まさにその瞬間、貴族が居ならぶ清涼殿に落雷があり、
死傷者が出る事態となった(清涼殿落雷事件)。

天皇は助かったが、このときの精神的な衝撃がもとで床に伏せ、
9月には皇太子寛明親王(朱雀天皇)に譲位し、
直後に死去するに至った。

承平元年(931年)には
道真を側近中の側近として登用しながら、
醍醐と時平に機先を制せられその失脚を防げなかった
宇多法皇も死去している。

わずか30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた
天皇1人・皇太子2人・右大臣1名以下の高級貴族が
殺害されたことになる。

猛威を振るう「怨霊」は鎮まらず、
道真には太政大臣追贈などの慰撫の措置が行われ、
道真への御霊信仰は頂点に達した。

ついに正暦元年(990年)頃からは
本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である
「天満宮」も併用されるに至った。

寛和2年(986年)、
道真の曾孫菅原輔正によって
鬼すべ神事が始められるようになった。

寛弘元年(1004年)、
一条天皇が初めて北野天満宮へ行幸されて、
太宰府へも勅使をつかわせて以来、士庶の崇敬を広く集め、
とくに承徳元年(1097年)、
大江匡房が太宰権帥に任ぜられてからは神幸祭など、
祭祀が厳かになったという。

その後、「天神さま」と崇められるようになりました。

長い年月、道真公への崇敬は絶え間なく続き、
御墓所でもある太宰府天満宮は京都の北野天満宮とともに
全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の
総本宮と称えられ、
「学問・至誠(しせい)・厄除けの神様」
として、
年間に約1000万人の参拝者が訪れています。

旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

鎮座地
福岡県太宰府市宰府4丁目7-1



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2021年01月19日

【津古八龍神社】福岡県小郡市



津古八龍神社(つこはちりゅうじんじゃ)は、
福岡県小郡市津古にある神社です。

由緒
創建 嘉元二年十一月七日(1304)

八龍天神 御祭神
彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)(日子穂々出見尊)
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)

彦火々出見尊(日子穂々出見尊)は
天照大神三代天孫 邇々芸命(ニニギノミコト)の御子で
別名 山幸彦とも云い神武天皇の祖父に当る。
妻の豊玉姫は海神 大綿津見神の姫君である。

穂々出見尊の名の由来は,
稲穂が多く重なる様を表し、
山幸彦も五穀の豊穣を表している。

八龍神社の社名は、
祭神 豊玉姫が龍神であり龍神を八大龍王と云う事から
略して八龍神社となったものであり,
創建以来村人の厚い信仰を集め現在に至っている。

旧社格:村社。

御神体
男神像 彦火々出見尊の像と考えられる 
樟材、一木造、彩色、江戸時代 像高ニ四.八p、台座六p

女神像 豊玉姫命の像と考えられる 
樟材、一木造、彩色、江戸時代 像高ニ一p、台座六.五p

御利益
農業・漁業・畜産守護・商売繁昌・航海安全・心願成就
開運厄除・縁結び・恋愛成就・安産祈願・子育て・子授かり

鎮座地
福岡県小郡市津古1372−1



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2021年01月08日

【福母八幡宮】 佐賀県杵島郡大町町




由緒
景行天皇御巡狩の時、
杵島山に勢力を持っていた土蜘蛛八十女(つちぐもやそめ)討伐し、
大巌石の上に軍神 八千戈の神を祀られた。

その後、日本武尊杵島藤津征服の時、
熊襲の余賊が此の山に住む八方山老棍、四方山老棍という凶賊が
皇命に従わず、里人を困らせいる事が解かり、
日本武尊がこれを滅し同じく軍神を祀る。

仲哀天皇の御代になり余賊の大鷹老棍、小鷹老棍という強賊が、
里人に害を与え、困らせていたので、神功皇后がこれを滅し、
景行天皇がお祀りになった大巌石の側に御剣一口を煉石の椻に納め
天神地祗を祀る。後、里人はこれを神功石と称える。

大宝三年(701)行基僧正が土蜘蛛八十女の怨霊を鎮め
石崎明神を此処ここに祀り、
景雲元年(767)鎮護神の太刀並びに御腰掛石を祀り
石崎松原大明神(現在の下宮)と称しました。

貞観八年(866年)大村大安寺の住僧一如僧正が石崎に参った際、
国守上毛 野澤田の朝臣に願って神功皇后、応神天皇、仲哀天皇の
三柱の神を請願しはじめて八幡宮と称えるようになりました。

御祭神
神功皇后、仲哀天皇、応神天皇

八千戈神、景行天皇、日本武尊、 志久津彦命、 武内宿禰、 大山祇命、
天照大神、市杵島姫命、 海道神、 素佐之男尊、 菅原道真公、 橘諸兄公、
玉依姫命

御利益
安産、子育て守護、学業祈願、厄除け、病魔退散、家内安全、
開運招福、航海安全、必勝祈願・勝利成功、商売繁盛、技芸・武芸

鎮座地
佐賀県杵島郡大町町福母2227



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