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2021年06月29日

【豊玉姫神社】 佐賀県嬉野市




豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)

豊玉姫神社は、佐賀県嬉野市日本三大美肌の湯の一つとされる
嬉野温泉街に鎮座するナマズと美肌で有名な神社です。

創建年代は不詳ですが室町時代以前の創建とされています。

古伝承で神功皇后が豊玉姫神を奉斎した時(200年?)を
創建の年としています。

古伝によれば、老翁が、温泉湧出し、
心身の穢れを濯ぐ霊地である当地に、
村の惣廟の神を勧請しようとして、
日向国(宮崎県)に至り勧請したという。

天正年間(1573-1592)に
武雄後藤氏と嬉野直道公の戦いにより兵火に遭い、
社伝・宝物・旧記などことごとく焼失しましたが
元和年間(1615-1624)には社殿を再建し、
肥前蓮池藩初代藩主鍋島直澄の祈願所になりました。

旧社格:郷社

祭神の豊玉姫は、初代神武天皇の父、鵜草葺不合命の母です。
海の神・綿津見神の娘で、竜宮城の乙姫様にあたります。

御祭神
豊玉姫大神、住吉大神、春日大神

ご利益
美肌、縁結び、子宝、安産、五穀豊穣、安産養育、海上安全、
大漁祈願、郷土鎮護など

鎮座地
佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙2231-2


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罔象女神 【五の宮神社】 佐賀県鹿島市




五の宮神社は、
元明天皇の和銅二年(709)八月、
奈良県 丹生川上神社の分霊を奉移し建立と伝えられ、
塩田川上流の嬉野市塩田町宮元にある丹生神社と同じく
水象女命(罔象女神)が祭神です。

塩田川水系の治水鎮護のため奉祀して、丹生神社から5社目、
また伊弉冉命の5子にあたるので、五の宮神社の社名になりました。 

鹿島藩歴代藩主の信仰もあつく、
「鹿島誌」などの記録には、江戸時代は水害や干ばつの雨乞い、
疫病に霊験があるとして、近郷の農民達に崇敬されました。

現在でも北鹿島地区の氏神であり、
毎年10月の第3日曜日に獅子舞の奉納と神輿の行幸が行われます。
旧社格:村社

御祭神
罔象女神(水の神)
軻具土神(火の神)
句句廼馳神(木の神)
金山彦神(金の神、鉱山の神)
埴安媛神(土の神)

ご利益
祈雨、止雨、治水、子宝、安産、火難除け、金運、疫病退散
開運招福、商売繁盛、林業守護、田畑の開墾守護、金属加工業の守護

鎮座地
佐賀県鹿島市大字森1385


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2021年06月26日

高千穂のパワースポット 【中畑神社】 宮崎県西臼杵郡高千穂町



中畑神社は、阿蘇神社の外宮で、
建磐龍命(たていわたつのみこと)が阿蘇に向かわれた際、
この地区にある国見ケ丘で国見された、
その時に設けられた行在所の跡地に社殿が建立されました。

旧社格 村社

御祭神の建磐龍命は、開拓の神様とも言われ、
何か新しいことを始める際にお参りすると良いそうです。

御神徳
交通安全、商売繫盛、家内安全、病気平癒、企業繁栄、武運長久、
開運招福、厄除招福、競技力向上など

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町押方6417


posted by kohchan at 19:44 | TrackBack(0) | 宮崎県の神社

2021年06月25日

天孫降臨の山が御神体【三ヶ所神社】宮崎県五ヶ瀬町



三ヶ所神社(さんがしょじんじゃ)

三ヶ所神社は古くから二上山天孫降臨の聖地の
山岳信仰に関わる神社です。

男岳と女岳の二つの頂をもつ二上山(標高1060m)の
男嶽の9合目に奥宮があり二上山を御神体とする。

今は里から祀ることが出来る様に現在地に移転。

伝承によると、三ヶ所神社は、
平安時代昌泰三年(900)に創建されたと伝えられる

旧社格:郷社

御祭神
伊邪那岐命(いざなきのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)

合祀神
瓊瓊杵尊、猿田彦命、菅原道真公

ご利益
夫婦和合・縁結び、脳活性化、方除け・交通安全、学問成就など

本殿は、文政元年(1818年)に建立、
三間流れ造りで主要部が1本の大欅で作られた総欅造りで
74体の彫刻があり、特に脇障子の中国司馬遷の史記物語
「潁川に耳を洗う」、正面の海馬2体の彫刻は全国八万数十社ある神社で
三社しかないと云われている。
また龍の彫刻も4体あり、日光東照宮の龍にも匹敵すると云われる。

鎮座地
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町三ヶ所8736


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【ウガヤフキアエズノミコト吾平山陵伝説地】宮崎県高千穂



吾平山陵は天孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の孫、
鵜萱草不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の御陵墓と
伝えられています。

日本書紀に
「鵜萱草不合尊は玉依姫を妃となし、
 彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神日本磐余彦尊(後の神武天皇)
 をお生みになり、久しい後に西洲の宮におかくれになった。
 それで、日向の吾平山陵(あひらやまのうえのみささぎ)に葬った」
と記されています。

古い文献には前方後円墳とありますが、
現在では、2基の円墳(高千穂11・12号古墳)と
考えられています。

この附近一帯には、縄文時代後期の陣内遺跡をはじめ
円墳、横穴墓があります。

古くから神話の里 高千穂を代表する大切な御陵として祀られており、
毎年四月一日に祭典が行われています。

吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)の伝承の地は南九州各地にあり、
宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山に治定されていますが、
日向国の人々からの反論が強く、
国学者や宮内庁の調査によって、鵜戸神宮背後の速日峯山上が
「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。

また、ここ高千穂町の吾平山陵とする説もある。

宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井



2021年06月24日

【下野八幡大神社】宮崎県西臼杵郡高千穂町



下野八幡大神社(しものはちまんだいじんじゃ)

建久三年(1192)岩戸山裏村(現在の上岩戸)二ツ岳に
顕現の正八幡を大神朝臣大太郎惟元が御神託をうけて奉祀したのが
創祀とされている。

社殿の創建は宝治二年(1248)勅命をうけ
比叡山延暦寺鶏足院から使僧普安歓心大師が下向、
翌宝治三年(1249)六月十六日
別当寺八幡山無量寿院鶏足寺とともに成就、
大神高千穂太郎政信公自ら四百余騎を引きつれて
祭礼を奉仕したと伝えられている。

その後社殿が大友宗麟の兵火で焼失する等の星霜を経て
明治維新に別当寺が廃寺となり、明治四年村社に列し、
昭和三年郷社となる。

御祭神
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
品陀和気命(ほんだわけのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

合祀
素盞鳴命(すさのおのみこと)
櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)

ご利益
育児・安産・必勝など

境内には宮崎の巨樹百選に選ばれたケヤキ・イチョウ、
平家討伐のために椎葉へ向かう那須大八郎が必勝を祈願して
杉の穂を逆さに挿したといわれる「逆杉」、
延岡藩主・有馬左衛門佑直純公が島原出陣の際に必勝祈願で植栽した
「有馬杉」など、伝説の残る巨木が見られます。

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町下野559



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四億年の雫【妙見神水・妙見神社】宮崎県五ヶ瀬町



妙見神水
この湧き水は今から約4億年の昔、
九州島発祥の地、祇園山の石灰岩層洞窟から、
妙見神社の一角に湧き出している湧水は
「四億年の雫 妙見神水」と呼ばれ、
古くから「授乳の神水」と伝えられ、
平成の名水百選にも選ばれています。
1日の湧水量:14,400トン

「妊婦が飲むと丈夫な子供が授かり母乳の少ない人が飲むと乳が良く出る」
と伝えられています。

妙見神社
貞観11年(870年)清和天皇時代に建立され、
水神様として崇められていたと伝わります。

鎮座地
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡5640


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2021年06月23日

国龍大明神・罔象女命【白川吉見神社・白川水源】熊本県阿蘇郡南阿蘇村



白川吉見神社は阿蘇神社の末社として、
古代より水源の守護神として尊崇され、
境内の中央から涌水する大泉流は、
これより西方南郷谷及び菊池南部熊本飽託の肥後平野を潅流して
幾千ヘクタールの水田を養い湧水池は肥後名勝の一つに数えられた。

元禄14年(1701)6月、
第5代肥後藩主・細川綱利公が山狩の際参拝され
「当社は余が領地養田の源神で水恩広大である。速やかに社殿を修造せよ。」
と郡代に命じ造営されたと言う。

嘉永年間(1848〜1853)細川韶邦公(後に初代熊本藩知事)
又明治初年第14代護久公護美公が参拝され九曜紋章付きの社幕を
奉納された。

現在の社殿は明治41年火災により炎上したため
翌42年12月新たに造営竣工されたものである。
又当神社内の社木も昭和21年の台風により
樹齢数千年の老木数本が倒れ現在数となる。

明治初期熊本県が「白川県」と呼ばれたのも
又地名の「白川」村名の「白水村」もこの境内の湧泉より
名付けられたと言われています。

御祭神:国龍大明神、罔象女命

御利益
健康長寿、病魔退散、病気平癒など


白川水源(しらかわすいげん)
白川水源は、阿蘇カルデラ内の火山群(中央火口群)の
南の裾野である南阿蘇の代名詞とも言える水源で、
環境庁の名水百選に選ばれています。

常温14℃の水が毎分60トンも地底の砂と共に勢いよく湧き上がり、
熊本市内の中央を流れる一級河川白川しらかわの源となっています。

この湧水は「不老長寿」「所病退散」の御神水として
昔より語りつがれ尊ばれています。

鎮座地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字白川2040


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2021年06月22日

【嶽宮神社】 宮崎県高千穂の隠れパワースポット




嶽宮神社(たけみやじんじゃ)
御創建の年代は明らかではないが、
高千穂町押方二上嶽鎮座二神大明神(二上神社)の外宮として
昌泰3年(900年)に勧請され、嶽の宮岳大明神と称した。

天文八年(1539)領主三田井越前守親武が再建、
また同十八年(1549)二月十八日藤原朝臣甲斐若狭守鑑昌が
社殿の建立を終っている。

元禄四年(1691)藩主有馬氏から神領五斗が寄進され、
その後寛政元年(1789)十二月五日社殿再建された。

明治六年(1873)本組神社、
昭和四十四年に嶽宮神社と改称して今日にいたっています。

旧社格 村社

御祭神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)

御利益
縁結び 夫婦円満  絵画など

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町押方325


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【祇園神社】宮崎県五ヶ瀬町のパワースポット



第二十九代欽明天皇の十六年頃、
知穂郷に厄病流行し、疫病及び厄難消除の祈願守護神として
曾男神蘇民将来・巨旦将来を合祀して創始。

祇園社と称し
第五十五代文徳天皇の天安元年
曽男神(素盞鳴大神)並びに冠八面大明神(闇霎神)に
正五位下の神階奉授の古い神社であります。(文徳実録第九より)

第五十六代清和天皇の貞観十一年(869年)
山城国(京都)八坂神社より素盞鳴大神を勧請、
伊弉冉大神、大名牟知大神、奇稲田姫尊を合祀し、
五穀豊穣の守護神として、八坂神社と改称。

明治四年日陰神社と改め、
明治四十三年、折立神社(祭神:伊弉冉命、伊弉冉命、事解男命)、
清水神社(祭神:八岐大蛇)、長司神社(祭神:水波女命)の
三社を合祀し、昭和十年二月祇園神社と改称現在に至っています。
旧社格 村社

御祭神
素盞鳴大神(すさのおのみこと)
大己貴大神(おおなむちのみこと)
伊弉冉大神(いざなみのみこと)
奇稲田姫神・五ツ瀬ノ神・蘇民将来・巨丹将来・天満天神・足名椎神
手名椎神・稲荷大明神

御神徳  
厄難災難消除、五穀豊穣、交通安全など

特殊神事
当社の夏祭は延宝二年(1674)に始まったと伝える、
蘇民将来の伝承とかかわりがあるという、
荒谷地区の氏子による麦餅焼きがある。

また、この地区に疫病が流行したことがあり、
その平癒祈願をこめて麦餅を奉納したとも伝える。

さらに疫病除けの信仰と結びついた
茅の輪と意趣を同じくする森巻きの神事があり、
スサノオノミコトの大蛇退治の伝承につながりがあるという。

芸能では祇園神楽があり、
近郷にその形態の神楽は見られない特殊な神楽である。
又棒術がある。これは大車流棒術で神陰流である。
それに子供薙刀、また平家の流れを伝える臼太鼓踊りがある。

鎮座地
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡6066



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【白蛇が御神体】赤水蛇石神社『金運・宝くじ当選祈願』熊本県阿蘇市



赤水蛇石神社(あかみずへびいしじんじゃ)は、
熊本県阿蘇市にある神社です。

昔、阿蘇は外輪山に囲まれていた大きな湖水であった。
大噴火により湖水の水は流れて有明海へ流れ出た。

湖面の水位が下がるにつれて中島の五岳の裾野も大きく広がり、
各所には今も蛇の尾、船の尾、舟形、船繋石、蛇石、雷石、鯨石などの
地名が名残りをとどめている。

神話によれば、
「赤水村という村があり、隼風とともに黒雨天を覆い、
 雷鳴とともに1条の竜巻天に冲するも、
 やがて巨岩の切れたるところ1尺あまりの白蛇居て
 不思議な霊験を現すので、村人たちは蛇石さんと崇め、
 小祠を建て祭りをするようになりたと。」
記載されている。

赤水村の古老の語り継ぎによれば、
約500年前の応仁の乱時代より語り継がれ、
それ以前より更に1,000年以前から言い伝えられたとなっているので、
今日からすれば1,500年前よりこの地に
自然動物崇拝があったとみられます。

また、阿蘇神社の御祭神である健磐龍命が狩りの際、
この地に愛馬をつないだとされ、
健磐龍命の化身が白蛇となって住み着いたという言い伝えもある。

球磨郡水上村の白水阿蘇神社も蛇の神社として知られている。

蛇石という巨岩は、上下二つに分かれて重なり、
その裂け目に蛇が棲息し、現在も姿を見せることがあるそうです。

現在も生きた真っ白の蛇を数匹、御神体として崇めている。

御利益
無事故・無病息災・病気平癒・金運・宝くじ当選祈願など

鎮座地
熊本県阿蘇市赤水1815


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2021年06月21日

【上色見熊野座神社・穿戸岩】 熊本県阿蘇郡高森町




●上色見熊野座神社 由緒
『阿蘇大明神の荒人神、石君大将軍八葉の兜の中に出現のニ神は
熊野大明神なり』という伝説によって、
享保7年(1722年)阿蘇南郷地区の総鎮守として社殿を建立しました。
洞窟のある所に一社建立、熊野穿戸社と崇めました。

伝説では、そこに大鳥二羽が翔来し、
榊の枝をもって山の東麓を指して飛び、洞窟のある所に止まり、
そこに熊野穿戸社を建立し石君と同じく南郷の鎮守として
祀ったといわれています。

御祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
石君大将軍(健磐龍命《たけいわたつのみこと》の荒魂)

御利益
縁結び・商売繁盛など

●穿戸磐(うげといわ)
鬼八法師の伝説
弓の達人であった阿蘇大明神の健磐龍命は、弓を楽しみ、
阿蘇の山頂より矢を放ちます。

従者であった鬼八法師は、まるで飛んでいるかのように足が速く、
主人の矢を拾っていましたが、矢を拾うのに飽き飽きして、
百本目の弓矢を拾ったとき、矢を足の指に挟んで
健磐龍命に向けて投げ返します。
健磐龍命は、その失礼に怒って、鬼八に斬りかかります。

鬼八は逃げ回るものの、阿蘓は山に囲まれているため、
山にぶつかって逃げ切れません。

上色見の外輪山を越えて逃げようとしますが、
岩壁に逃げ道を失った鬼八は、岩壁を蹴破って逃げ去ります。
その時の穿った穴の跡が穿戸磐とされています。

鬼八は、山に突き当たるとそこを蹴ほいでひたすら逃げ回り、
その穴が各地に残っています。

穿戸磐は、巨大な岩山に大きな風穴が貫いていることから、
どんなに困難な目標でも必ず達成できる象徴として
『合格・必勝』のご利益があるといわれています。

鎮座地
熊本県阿蘇郡高森町上色見2619


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2021年06月16日

罔象女神【丹生神社】佐賀県嬉野市



丹生(たんじょう)神社
丹生神社は、奈良県吉野郡(大和国吉野郡丹生村長谷)鎮座の
丹生川上神社より分霊された。

元明天皇の御代和銅2年(709年)社頭造営の勅許を得て、
塩田郷馬場下村妙音山(現社殿裏)の山上に仮宮を創建されたことに
始まる。

仁明天皇承和2年(835年)、
奈良県吉野郡鎮座の丹生川上神社より分霊され、
肥前国塩田郷に御遷座し馬場主殿を神主とし、今日迄に至っている。

御祭神は、「罔象女大神」を奉斎し、
往昔は藤津の宗廟として、朝廷の尊崇深く、
広く塩田川流域住民の安寧と五穀豊穣の守護神として、
久しく崇敬されてきました。

塩田川沿いの丹生神社の総本社である。

旧社格:郷社

御祭神:罔象女神

御利益
祈雨、止雨、治水、農耕守護、商売繁昌、子宝、安産など

鎮座地
佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲3657-3


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2021年06月15日

日本三大稲荷 【祐徳稲荷神社】佐賀県鹿島市




伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに
日本三大稲荷の一つに数えられ、
衣食住、生活全般の守護神として、
商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。

別名『鎮西日光』と称される。

由緒
鹿島藩主鍋島直朝夫人で、
後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛(まんこひめ)が、
朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。

萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。
貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、
萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、
石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。

以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、
祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。

明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。
その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、
萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。

御祭神
倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)
大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ・天細女命)
猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)

御利益
商売繁盛、家運繁栄、縁結びなど、
さまざまなご利益が得られるそうです。

鎮座地
佐賀県鹿島市古枝乙1855


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2021年06月08日

阿蘇神社三社【平山阿蘇神社・大津山阿蘇神社・筑後乃国阿蘇神社】熊本県・福岡県



●平山阿蘇神社(阿蘇五宮神社)
開湯1300年前といわれる平山温泉の開湯伝説、肥後国史によれば、
桓武天皇の延暦九年(七九〇)頃、
里一帯に疥癬という皮膚病が大流行しました。
男は田畑を耕せず、女は綿布を織れなくなり、
飢えと寒さで生活は成り立たず、餓死者も出そうな有様でした。

困り果てた里人たちは、もはや神仏におすがりする他はないと、
斎戒沐浴し、「神よ、願わくは、我等のこの苦難を救わせ給え」と、
一心に阿蘇大明神に祈りを捧げました。
祈りが通じたのでしょう。
大明神は、高い山を切り開き、深い谷を埋め、
一晩で平らかな地をつくられました。

そこから湧き出た熱い湯を浴びれば、
病はたちどころに治り、平穏な日常が戻りました。

人々は、前川内に祠(平山阿蘇神社と思われる)を建て、
阿蘇大明神を祀り、永久に守護神として尊崇することにしました。
以来、この地は「平山」と呼ばれるようになりました。

建久八年(1197年)十一月八日、
同村の古城主、佐藤児次郎竹春之が阿蘇五宮を勧請したと伝わる。

旧社格:村社

御祭神: 彦御子神(阿蘇五宮)

合 殿
健磐龍神・比盗_・国龍神・比東芬q神・若比盗_・ 新彦神
新比盗_・若彦神・彌比盗_・國造神・金擬神

明治四十一年七月
白髭神社(祭神:野見宿禰)鹿本郡神社誌には祭神:塩土翁
八幡宮(祭神:譽田天皇)
この白髪神社の祭神が野見宿禰であることから、
毎年9月15日に豊作祈願の奉納相撲が行われます。

鎮座地
熊本県山鹿市平山5065

●大津山阿蘇神社(おおつやまあそじんじゃ)
大津山阿蘇神社は、阿蘇の神々様の御神徳を得る為に、
正治元年(1199)一の宮阿蘇神社より、
建磐龍神と阿蘇都媛神の二柱の神様を勧請し、
お祭りしたのが創建です。

当初は、現在の南関第一小学校の椋の木の所に鎮座したといわれ、、
現在は「下つ宮」と称されています。

その後、南北朝(1336-1392)時代に大津山氏が入国して領主となり、
大津山城主として阿蘇の神々を篤く崇敬します。

応永2年(1395)には、三代城主の大津山経稜が
「下つ宮」から現在の関町のに遷座。

さらに、五代城主の大津山資秋が、現在地の大津山、
別名つららが岳に社殿を移し、大津山大明神、大津山阿蘇神社
と称されるようになりました。

旧社格:郷社

阿蘇地方の古事に記されているのと同様に
「ナマズ」を食べない風習があり、
身体に通称「ナマズ(皮膚病)」ができれば、
境内の池に「ナマズ」を放ち、祈願すれば全快するとされています。
尚、雨乞の神としても崇敬を集めています。

御祭神
建磐龍神(たけいわたつのかみ)
阿蘇都媛神(あそつひめのかみ)

御利益
夫婦和合、家内安全、開運、事業発展、商売繁昌、五穀豊穣、子授けなど

大津山生目八幡宮
大津山生目八幡宮は、
天正九年(1581年)多津山城主 七代大津山資冬の時、
筑紫の高良台に於ける龍造寺との合戦で傷ついた
家臣の回復を願うため日向国の生目神社から当地に
勧請したと云われています。

御祭神:垂仁天皇、平景清

御利益:眼病平癒など

鎮座地
熊本県玉名郡南関町関東958

●筑後乃国阿蘇神社
由緒
延元二年(1337)多々良浜の合戦に敗れた阿蘇小二郎惟澄が、
ようやくたどりついた筑後大木の里で、
大木城主壱岐守貞守の手厚いもてなしを受け、
暫く滞在して休養をとった。惟澄は城主の誘いもあって、
海津古川の木の下郷に阿蘇神社の分霊を奉祀し、
子孫代々神社に奉仕して村民の振興を集めた。

下って元和八年(1622)海津北阿蘇田の現在地に移転し、
南北海津の氏神として今日に到っている。
旧社格:村社

御祭神
健磐龍命(阿蘇都彦命)、阿蘇都比当ス

御利益
開運、事業発展、商売繁昌、五穀豊穣、子授け、夫婦和合、家内安全など

鎮座地
福岡県みやま市高田町海津1642


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2021年06月02日

【石藤崎八幡宮・東山若宮神社・南島日吉神社】熊本県山鹿市の神社三社



●石藤崎八幡宮(石村八幡神社)
承平五年(935年)、六十一代朱雀天皇の時、
平 将門 逆心に就き、朝廷より追討を勅願、
山城の国男山 石清水八幡宮より、
橘 能貞(山城家の祖先)が別宮に勧請。

此の時、男山の藤を切り、神馬の鞭を作り神輿を守護し奉り、
承平五年十月十五日当地に御下着され、ここに仮鎮座されました。

国府(熊本)に本社殿が出来て、
神輿が遷座したあと持ってきた馬の鞭を二つに切って、
熊本と当地の神殿の前に突きさして藤が根付いて成長したので、
そこを藤崎と呼ぶようになったそうです。

戦国時代 源 頼朝 は出陣の際には、
石清水八幡宮で必勝の祈願を欠かさなかったと
言い伝えられる由来に基づき、石藤崎八幡宮も
戦の神様・勝負の神様として崇敬されています。

旧社格:村社

御祭神
応神天皇(譽田天皇)、神功皇后

御利益
武勇長久、出世開運、家運隆昌、成功勝利、悪病災難除け、
安産、子育て守護、学業祈願、厄除けなど

境内神社
菅原神社(菅原道真公・学問の神様)
若宮神社(仁徳天皇・家畜の神様)

鎮座地
熊本県山鹿市石1871

●東山若宮神社
天正十八年(1590年)の創立以外は由緒不詳。

御祭神:仁徳天皇外四柱

御利益
縁結び、縁切り、家内安全、商売繁盛など

旧社格:村社

鎮座地
熊本県山鹿市寺島312

●南島日吉神社
大同二年(807年)の創立以外は由緒不詳。
旧社格:村社

御祭神
大己貴命、伊弉冉尊、國常立命、瓊瓊杵尊、
神皇霊尊、正哉吾勝尊、國狹槌尊、惶根尊

御利益
縁結び、子授、夫婦和合、五穀豊穣、病気平癒、
商売繁昌、交通、航海守護など

合殿祭神:素戔嗚尊

鎮座地
熊本県山鹿市南島883


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2021年06月01日

【城ヶ鼻稲荷神社】熊本県山鹿市の神社



城ヶ鼻稲荷神社は、
1580年頃城ヶ鼻城の鎮護として勧請され、
以後改築を重ね現在の社殿となる。

城ヶ鼻城は象の鼻のように長く延びた舌状台地の先端に位置し、
眼下の岩原川を要害として守備に絶好の地である為、
龍造寺家家老鍋島信生に従い島津軍と戦い菊池川を超えて
此の地に城砦を構えた犬塚家久、久次親子が天正6年(1578)築城した
山城で、天正15年(1587年)、またはその翌年に廃城となったようです。

御祭神:倉稲魂命
正義大明神、玉崎大明神、三吉大明神、平田大明神、源策大明神
の五社が合祀されているようです。

ご利益
五穀豊穣、産業振興、商売繁盛、家内安全、芸能上達など


鎮座地
熊本県山鹿市鹿央町岩原


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装飾古墳 【チブサン古墳・オブサン古墳・弁慶ヶ穴古墳】 熊本県山鹿市



●御霊塚古墳(ごりょうづかこふん)
熊本県山鹿市熊入町
全長35.5m、後円部直径22m、前方部幅21mの
前方後円墳です。盾形の周溝をもっていた古墳です。

解説板がなく築造年代等詳細は不明です。

●弁慶ヶ穴古墳(べんけいがあなこふん)
熊本県山鹿市熊入町字竹の下
現在の規模は直径約15m、高さ約5.7mの円墳であるが、
もとは前方後円墳であったとする説もある。

石室の全長は約11.5m、後室の天井の高さは約3.6m。
築造年代:6世紀後半
国の史跡指定

古墳時代後期の装飾古墳。
巨大な凝灰岩を用いた前室・後室の複数の横穴式石室を設け、
西向きに開口している。

石室入口に人物の彫刻があるほか、
前室右壁には赤色でゴンドラ型の船を上下に二艘描き、
そのひとつには馬を、もうひとつには荷物と
その上に鳥が乗っている様子を描いている。

この荷物を柩と見ることにより、
舟葬思想(死後の世界を海の彼方にあると考え、
遺体を舟に乗せて葬るという考え)
を裏付けるものとして注目されている。

他にも大小5頭の馬と鞭らしき物を持った
人物像、同心円、三角文などを主に赤色の彩色を用いて描く。

現在はとくに彩色の褪色が著しいため
見学は厳しく制限されているが、
熊本県立装飾古墳館に実物大の模型が展示されている。
出土遺物は鍔、雲珠、鉄鏃、金環など。

●オブサン古墳
熊本県山鹿市城
墳丘は、復元前は直径12m、高さ4mの残丘となっていましたが、
調査の結果、築造時は、直径22m、高さ5mの周囲に
馬蹄形状の周溝を巡らす円墳であることがわかった。

石室開口部にはハの字にやや開く前庭部を設けているが、
墳丘内側だけでおさめるのでなく、
円形の墳丘から2つの矩形の突出部を張り出させることにより、
間口4.5メートルで羨門まで奥行8メートルの前庭部を
確保している。

南に開く横穴式石室は複室構造で、
奥室には石材は残っていないが石屋形があったことが判明した。

石室の全長は、羨門から奥壁までで約8.5メートル、
前庭部の8メートルを加えると16.5メートルとなる。

奥室屍床を画する仕切り石に赤彩の連続三角文が、
奥壁にもかろうじて赤彩の小型の靭もしくは盾が認められたが、
現在は、肉眼では判読できない。

本来は奥室には装飾豊かな壁画が描かれていた可能性が高い。
鉄地金銅張りの馬具等が出土している。
6世紀末から7世紀初めにかけて築造された

オブサン(産さん)古墳の名称も、
チブサン古墳(乳の神様)に関連づけて命名されたものらしく、
昔から安産の神様として信仰されてきた。

●チブサン古墳
熊本県山鹿市城
前方後円墳
全長約45メートル、後円部の直径23メートル、高さ7メートル、
石室は羨道から奥室まで約6メートル、前室は1.9メートルの方形、
後室は奥行き、幅とも3.6メートルの隅丸方形である。

後室の奥壁沿いに長さ2.3メートル、奥行き0.9メートル、
高さ1.4メートルの寄せ棟造りの家形石棺が置かれている。

築造年代:6世紀初頭

石室内の石屋形(いしやかた)内壁と屋根の軒部前面に
装飾文が描かれている。

内側石の上段に白の円文7個、
下段に冠をつけ両手、両足を広げた人物像と
その右に三角文を白色で、その他は赤色で塗っている。

正面の側石に三角文・菱形文を主体に正面中央に円文を描き、
赤・白・青の三色で塗り分けてある。

特に、中央に描かれている装飾の紋様が
女性の乳房に似ていることから、「乳の神様」(別称)
として現在に至るまで崇められている。


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