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2020年06月24日

【雪野八幡宮】熊本県菊池市の神社



雪野八幡宮は、1113年菊池氏第4代経宗公の勧請にて、
応神天皇、神功皇后を祭神に仰ぎ、特に軍神としての信仰が厚く、
五穀豊穣、政策繁栄の祈願所とされました。

7年毎の遷宮祭が有名で、保存会によって受け継がれています。 

御祭神:応神天皇、神功皇后

旧社格:村社。

鎮座地
熊本県菊池市雪野1120


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【神来貴船神社】熊本県菊池市の神社



神来貴船神社の「神来」は、
難読地名の中でも横綱格だそうです。

神来は「おとど」と読みます。

延久2年(1070年)菊池則隆公がこの地へ無事に着いたことへの
報賽のため京都から勧請したとされています。

御祭神は、水や雨を司る神(龍神)
高龗神(タカオカミノカミ)が祀られています。

旧社格:村社。

鎮座地
熊本県菊池市野間口神来307


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2020年06月23日

龍神が集まるパワースポット【志賀海神社】福岡県福岡市の神社



福岡市東区志賀島(しかのしま)に鎮座する志賀海神社は、
伊邪那岐命の禊祓によって出現した綿津見三神を奉斎している神社です。

式内社(名神大社)。旧社格は官幣小社
現在は神社本庁の別表神社。

神代より「海(わたつみ)神の総本社」「龍の都」と称えられ、
古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。

玄界灘に臨む海上交通の要地 博多湾の総鎮守として
篤く信仰されてきました。

ダイヤ御祭神
 左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
 左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)
 中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
 中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
 右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)

 綿津見三神は伊邪那岐命の禊祓の際にご出現された
 禊祓(みそぎはらい)の神様です。

 黄泉の国より戻られた伊邪那岐命は
 日向橘の小さな小門の阿波岐原で禊祓をしました。

 この時、海の底の方に潜った時に生まれたのが底津綿津見神、
 中ほどにいた時生まれたのが仲津綿津見神、
 水の表面で生まれたのが上津綿津見神です。

◆御神徳
 海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒
 健康長寿、家内安全、子供守護

ダイヤ歴史
 志賀海神社の創建は明らかではありませんが、
 古くは志賀島北部の勝馬に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」
 の三社が建てられ、それぞれ
 「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」
 が祀られていました。

 二世紀から四世紀の間に
 表津宮を勝山の麓である現在の場所に遷座し、
 併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀されたと
 伝えられています。

 綿津見三神を祖神とする阿曇族が代々奉斎してきました。

 大同元年(八〇六年)に阿曇神に神封八戸が寄進され、
 貞観元年(八五九年)に従五位上の神階が授けられました。  

 南北朝の頃には衰微しましたが、大内持世が再興し、
 さらに豊臣秀吉が50石を寄進しています。
 小早川隆景、黒田長政なども崇敬していました。

ダイヤ志賀島に残る数々の神功皇后伝説
 神功皇后は三韓出兵に際して、
 志賀島の阿曇磯良(あづみのいそら)を召されました。

 そして龍神より干珠満珠を授かり、
 無事に三韓を平定して帰還されました。

 志賀海神社にはその様子を描いた
 神功皇后出兵絵巻が残されています。

 志賀島には神功皇后伝説にちなんだ地名が多く残っています。

 阿曇磯良を海国から召し出そうと
 7日7晩神楽を奏したところが舞能ヶ浜、
 志賀島にお着きになり願いがかなったと仰せられたところが叶ヶ浜、
 皇后が馬から下りられたところが下馬ヶ浜、
 志賀大明神に奉賽した際に馬が喜びいなないたので
 勝馬となったといわれています。

 また志賀海神社裏手の山を勝山と称され、
 そこに櫂を奉られました。

鎮座地
福岡県福岡市東区志賀島877



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【北宮阿蘇神社】熊本県菊池市の神社



北宮阿蘇神社(きたみやあそじんじゃ)
由緒:天寿4年(1378)、
菊池氏16代武政が阿蘇大明神を勧請(17代武朝勧請の説有り)し、
菊池の郷社として創建された神社です。

天正7年(1579)、本殿と拝殿は
島津軍により大きな被害を受けましたが、
楼門は災禍を逃れています。

また社宝として納められている木造男女神坐像は県指定、
伝征西将軍宮軍配扇は市の指定文化財となっています。

御祭神:国造速瓶玉命

鎮座地
熊本県菊池市北宮64



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2020年06月22日

宇宙最高神を祀る【神龍八大龍王神社】熊本県菊池市【金運アップのパワースポット】




宇宙最高の神と云われる神龍八大龍王神は、
『天長三年(824)に高知県の竜王岬に上陸されたが、
御住居が定まらず、延久元年(1069)、四国徳島県の東竜王山、
西竜王山に御住居を構えられた。

正和元年(1312)に大阪生駒山の地に満一ヵ年居住され、
その後再び徳島県に帰着されました。

天正三年(1575)6月、菊池のこの地に天下られた。』とされています。

神龍八大龍王神社のご利益
金運、学業成就、合格祈願、恋愛、縁結び、
開運招福、商売繁盛、無病息災、病気平癒

縁結びの神「愛染明王神」と現世の苦悩・願望を叶えてくださる霊験
あらたかな菩薩といわれる「十一面観世音菩薩」が祀られています。

鎮座地
熊本県菊池市龍門
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2020年06月18日

【美奈宣神社(林田)】福岡県朝倉市の神社



●美奈宣神社(みなぎ) 由緒
今から1800年前、古処の山から見下したところに筑後川が流れ、
よく土地の肥えた豊かな村がありました。

神功皇后摂政2年、神功皇后が九州にお見えになった時、
古処の山に住む羽白熊鷲(はぐろくまわし)という悪者退治を、
村人は懇願しました。

皇后は、神様に祈り、
「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷に頼んで、
一晩のうちに城を作り、今度は潮満玉を使って、
一度に水を入れ水攻めにして滅ぼしなさい」
とお告げになった。

このあと、村は静かな平和な村となりました。

神功皇后は神様をお祭りするお社を建てようと思い、
1羽の白鷺を放った。

白鷺は空に舞い上がり、筑後川に沿ってしばらく飛んだ後、
こんこんと清水の湧きでる所に舞い下りました。

皇后は、その近くに神様を祭るお社を建て、
蜷城(になぎ)を美奈宜(みなぎ)とあて、美奈宜神社と命名。

また川蜷が守ってくれた村里をニナシロと呼び、
なまって、ヒナシロという地名なったといわれる。

この白鷺塚は今も片延字白鷺1番地に残されています。

●御祭神
今から1800年前、父君景行天皇の教えにそって、
仲哀天皇は皇后と熊襲を征伐されたが、
不幸病にかかり崩御されました。

皇后はこのことを泌し、その根幹新羅を討つべく、
出師の計画を立て、兵員を集め、兵船、軍器を整え、
神々を祭って本邦最初の外征に肥前名護屋から出征していきました。

皇后は航海中船中で素戔嗚尊、大己貴命、事代主命の3神に
戦勝を祈願されました。

海上恙なく船は新羅の港に到着し、戦端は開かれました。

戦いは連勝し3カ条をもって降伏し大勝利を収め、
高句麗、百済も来貢し、肥前、橋の津に凱旋されました。

そのあと戦争に勝利を祈られた3神を祀りました。
その神が美奈宜神社の3神でございます。

御利益:縁結び、商売繁盛、厄除、健康

●名神大社
奈良朝時代、天下に事ある時、
国内の著名な神社に勅使が参向して祈願する神社(名神大社)が
当時全国で204社(祭神数285座)ありました。

続日本紀によると、
天平2年(730年)9月渤海の王が奈良の朝廷に進物を献上したので、
翌月10月に名神祭が行われその進物の一部を各神社に献納された。

九州本土では以下の12の神社が進物の献納を受け
名神祭に預かっています。

筑前国(7社)
宗像神社、住吉神社、八幡神社、志賀海神社、
美奈宜神社、筑紫神社、竃戸神社 

筑後国(2社):良玉垂命神社 豊比賣神社 

肥前国(1社):田島坐神社 

肥後国(1社):健盤龍命神社(阿蘇神社) 

豊前国(1社):八幡比賣神社(宇佐神宮)

この12神社だけが名神祭が行われる度に
勅使や国司が勅命を奉じて参向した神社で、
豊後国・日向国・薩摩国4カ国(鹿児島県および宮崎県)には
名神祭に名を連ねた神社は1社もありません。

前記のように美奈宜神社は
奈良時代・平安時代に名神祭の栄誉を受けた神社です。

三代実録によると清和天皇貞観元年(859年)正月27日、
筑前国従五位の下 美奈宜神社 従五位上の授位が行われ、
延長5年(927年)に延喜式では美奈宜神社は
式内大社に列せられ明神帳に記載されています。

旧社格:縣社

鎮座地
福岡県朝倉市林田210



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2020年06月17日

【大己貴神社】 福岡県朝倉郡筑前町



福岡県筑前町(旧三輪町)弥永にある大己貴神社の歴史は古く、
日本書紀を始めとする歴史書他多数に記載され、
我が国で最も古い神社のひとつといわれています。

仲哀天皇九年、神功皇后が、
現在の朝倉市(秋月)野鳥のあたりで勢力を持っていた
豪族「羽白熊鷲(はじろくまわし)」を征伐後、
新羅征討を起こすにあたり兵を募ったが集まらず困っていたところ、
大三輪社(大神社)を建て、太刀や矛を奉納したところ、
兵が集まったと「日本書紀」に記載されています。

地元では「大神様(おんがさま)」と呼び親しまれています。

また延長5年(927)にまとめられた『延喜式神名帳』に記された
筑前国十一社のうちの一社に数えられ、
「於保奈牟智神社」と記載せられた古くより大変由緒のある神社です。

御祭神
正殿:大己貴命(おおなむちのみこと)
左殿:天照皇大神(あまてらすすめのおおかみ)
右殿:春日大明神(かすがだいみょうじん)

「福岡県筑前町弥永の大己貴神社付近」と
「奈良県桜井市三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)付近」の
地理や地名の配置と名称の多くが一致することから、
その関連も指摘されています。

御利益:交通安全・開運招福

鎮座地
福岡県朝倉郡筑前町弥永697-3


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2020年06月16日

【須賀神社(祇園社)】福岡県朝倉市の神社



須賀神社(すがじんじゃ)
往昔遠く創祀されていたが兵火の為焼失し
その後元応二年(1320年)
博多承天寺の直翁和尚の霊夢により
再興御創建され大雄山祇園禅寺と称し、
臨済宗東福寺派の承天寺(博多辻堂)の末派寺院であった。

その境内にあった牛頭天王を祀る社殿が、
甘木一円の信仰に支えられて、
古来より盛大な祭礼を行ってきた。

旧社格:村社

御祭神    
素戔嗚神、大己貴神、櫛稲田姫神、火産霊神、少彦名神

鎮座地
福岡県朝倉市甘木842


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2020年06月11日

【中津隈宝満神社】佐賀県三養基郡みやき町の神社・古墳




■中津隈宝満神社
宝満神社は、聖武天皇の天平4年(732年)に
筑前国竃門山宝満宮(現太宰府市)の神霊を勧請、
松本に神社を建立しました。

弘仁4年(810年)に現在の地に社殿を移し、
北茂安では千栗八幡宮に次いで古い創祀です。

その後山王社・太宰府天満宮を勧請したと
由緒年紀に記してあります。

戦国時代、この周辺は板部氏の所領でした。

その後いったんは西島領主・横岳氏に移りましたが、
元亀3年(1572)に龍造寺隆信が横岳氏を攻め、
神埼の崎村城にいた犬塚家広が
「西尾城攻め」の守りとして崎村城を支城にし、
ここを本城として築かれたと言われています。

しかし、龍造寺氏が衰退し、
鍋島氏が勢力を増すと犬塚氏も鍋島氏に
仕え、この地から小城に去ってしまい、
やがて城も廃れていきました。

今でも中津隈西地区には
「タチ」「タチボリ」「カマウチ」「クラヤシキ」等の
城址を示す地名が残っています。

現在の社殿は中津隈城址に建てられています。
旧社格:村社。

御祭神:玉依姫命、大山咋命、管原道真

■中津隈前方後円墳
前方部は中津隈宝満神社本殿により削平を受けており、
高さ約7m、直径約36mの後円部のみが現存しています。

表層から確認されている埴輪や須恵器などから、
5世紀中頃から後半に築かれたものと推察され、
この地方の豪族の墳墓と考えられています。

この場所から西の方角に2キロ行った上峰町には
応神天皇の皇曾孫、都紀女加王(つきめかおう)王墓があり、
関係があるのではないかと言われています。

拝殿の東南側、露出している横穴式古墳の石室があり、
5世紀後半から6世紀にかけてのものと推測されています。

鎮座地
佐賀県三養基郡みやき町中津隈3792
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2020年06月10日

世界文化遺産【新原・奴山古墳群】福岡県福津市の古墳



【世界文化遺産】新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つ
【九州の古墳・遺跡巡り】福岡県福津市の古墳

新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は、
福岡県福津市の対馬見山系にある、津屋崎古墳群(国指定史跡)の
一角を成す古墳群です。

5世紀前半〜6世紀後半の古墳時代中期後半に造営され、
被葬者は宗像氏関係者と推定されています。

東西800メートルの丘陵地上に
前方後円墳5基、方墳1基、円墳41基が現存し、
便宜的に通し番号が付されています。

この他、過去の記録や発掘調査・地形測量により、
周囲の田圃開削により失われた古墳が18基あったことが確認されており、
それらにも通し番号が付されています。

直径15m以下の円墳が中津宮のある大島に向かって
一列に並ぶように造られています。

2017年(平成29年)、
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、
世界文化遺産に登録されました。
古墳が世界遺産に登録された国内最初の例となりました。

1号墳:推定全長50メートルの前方後円墳ですが、
    方墳部分は失われている。
5世紀前半の造営で、葺石が葺かれている。

2〜6号墳:道路と民有地施設の削平により遺存せず。

7号墳:一辺20〜24メートル、宗像地方で唯一の方墳。
5世紀前半の造営。
沖ノ島の祭祀遺構と共通する鉄斧が出土しており、
祭祀場としても使われた可能性がある。

8〜11号墳:6世紀代の小円墳。

12号墳:全長43メートルの前方後円墳。5世紀後半の造営。

13〜19号墳:6世紀代の小円墳。

20号墳:中規模円墳、葺石が葺かれている。5世紀代の造営。

21号墳:直径17メートルの円墳。5世紀前半の造営。
   墳丘上に鎌倉時代の新原百塔板碑(県指定文化財)がある。

22号墳:推定全長80メートルの前方後円墳ですが、
     方墳部分は失われている。5世紀前半の造営。
新原・奴山古墳群の中で最大規模で、最古の部類に属す。
周溝と周堤も巡らされていた。
墳丘上には後世に祀られた縫殿宮の石祠がある。

23号墳:6世紀代の小円墳。

24号墳:全長53メートルの前方後円墳。
5世紀前半の造営で、22号墳と並ぶ最古の部類。

25号墳:中規模円墳、葺石が葺かれている。5世紀代の造営。

26〜29号墳:小円墳、丘陵地の斜面に造営されている。
   6世紀後半の造営。

30号墳:全長54メートルの前方後円墳。5世紀中頃〜後半の造営。

31〜43号墳:6世紀代の小円墳。

44・45号墳:削平され遺存せず。

46〜48号墳:6世紀代の小円墳。

49〜59号墳:田圃開削で削平され遺存せず。

福岡県福津市


【楯崎神社】福岡県福津市の神社



楯崎(たてざき)神社
その昔、この地に外敵がやってきた時に、
三神(大己貴神/綿津見神/少彦名神)が宗像の神とともに
楯を立て鼓(つづみ)を鳴らして戦い、
外敵の侵入を防がれました。

この時、楯を立てられた場所を「楯崎」というようになり、
この神様を祀るので楯崎神社と呼ばれています。

また楯崎神社には、神功皇后が朝鮮から帰国された際、
平和を祈願するために楯と「弦を切った弓」を納め置かれたという伝承があります。

「弦がない弓」は弦がないため引き付け(ヒキツケ)ないことから、
この神社は昔から幼児のヒキツケ病除けの神様として有名です。

御祭神
大己貴神(おおなむちのかみ)
綿津見神(わたつみのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)

相殿
飛龍権現

鎮座地
福岡県福津市渡946-1


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2020年06月09日

八大龍王【箱川八龍社】 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の神社



箱川八龍社(八龍神社)
勧請年月・縁起・沿革等は全て不明です。

御祭神:八大龍王

鎮座地
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町箱川810

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物部氏ゆかりの古社【物部神社】佐賀県三養基郡みやき町



聖徳太子の実弟・来目皇子(くめのみこ)は、
西暦600年撃新羅将軍として筑紫に赴き、
そのおり物部若宮部に当社の創祀を命じました。

その経緯は肥前風土記にも記載されており、
佐賀県内でも有数の古社です。

御祭神は物部氏の氏神・経津主神(ふつぬしのかみ)です。

鎮座地
佐賀県三養基郡みやき町中津隈板部2725-1


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2020年06月08日

【道主貴】あらゆる「道」の最高神【宗像大社 辺津宮】福岡県宗像市【世界文化遺産】



宗像大社(むなかたたいしゃ)は、
式内社(名神大社)、八神郡の一つ。

旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

日本各地に七千余ある
宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社です。

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして
2017年(平成29年)に世界文化遺産登録されています。

御祭神は、記紀に於いて
素盞鳴尊と天照大神の誓約で生まれた三女神で、
沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、
この三宮を総称して、宗像大社といいます。

宗像三女神は、宗像大神(むなかたのおおかみ)、
道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、
あらゆる「道」の最高神として
航海の安全や交通安全などを祈願する神様として
崇敬を集めています。

御祭神
沖津宮:田心姫神(たごりひめのかみ)
中津宮:湍津姫神(たぎつひめのかみ)
辺津宮:市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

鎮座地
福岡県宗像市田島 2331


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【大塚神社 (大都加神社)】 福岡県福津市



大塚神社 (大都加神社)の
ご祭神、由緒等不詳

大塚神社(大都加神社)は、
もともと古墳の被葬者をの産土神として祀っていましたが
明治時代以降に、農耕神としての、
「埴安神・少彦名命・保食神」が祭られるようになりました。
ところが、現在は、
大国主命・田心姫命・阿田賀多須命・宗像君阿鳥主命 
宗像君徳善 宗像朝臣秋足主神 難波安良女神・宗像君鳥丸主神
が祀られています。

鎮座地
福岡県福津市生家1912−1


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2020年06月07日

【天降天神社・須多田天降天神社古墳】福岡県福津市



天降天神社は、天降神社とも記されます。

慶長初期(1600年)までは、天守天神社と表記されていたようで、
明治以降に今の社名になったそうです。

また、「天」が入っても入らなくても
「あまふりじんじゃ」と読むそうです。

御祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと)

『筑前國續風土記拾遺』によれば、
この神社のご神体は現在の拝殿の裏にある
小高い宮山(古墳の後円部)にあり、
須多田地区の産土神として、
少彦名命(すくなひこなのみこと)をお祀りしています。

拝殿裏の古墳のまわりには壕が巡らされ、
その壕を取り囲むように土堤が築かれ、四方に門の跡もあり、
まるで城跡のようだとあります。

古墳からは、王墓のみから出土する円筒埴輪と
装飾器台等も発見されたそうです。

また、須多田の地名はこの古墳の被葬者のことを指すものと思われ、
被葬者はいずれも宗像族(簾長者)にして
大和政権と深いかかわりをもつ人物の墓である。
と天降天神社の由来板には記されています。

須多田天降神社古墳
津屋崎には前方後円墳が20基確認されています。
その中でも全長83mと最大級の大きさを誇るのが
この須多田天降天神社古墳です。

鎮座地
福岡県福津市須多田511



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2020年06月05日

全国でも珍しい日本最初の裁縫の神様を祀る【縫殿神社】福岡県福津市の神社



「縫殿(ぬいどの)神社」は、
日本最初の裁縫の神様として信仰されている全国でも珍しい神社です!

応神天皇の世に、呉の国(今の中国)から兄媛(えひめ)、
弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)の
4人の媛が、織物や縫物の技術を日本に伝えるために招かれました。

この中の兄媛は宗像神の求めでこの地に残り、
中国の高度な染色、機織り、裁縫の技術を広めたといわれています。
この地はデザイン、ファッションの発祥の地と言われています。

御祭神
4人の媛(兄媛・弟媛・呉織・穴織)
応神天皇、神功皇后、大歳神

神社には、永享12年(1440年)に
宗像大宮司氏俊(うじとし)が寄付した
梵鐘(ぼんしょう)
(県指定有形文化財、宗像大社神宝館に展示)や、
南北朝時代の大般若経(だいはんにゃきょう)600巻、
江戸時代中期ごろに奉納された三十六歌仙の絵馬など、
歴史的な価値を持つものが多く残されています。

鎮座地
福岡県福津市奴山813



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2020年06月04日

【金刀比羅神社】福岡県福津市の神社



金刀比羅神社は、
宝永年間(1704-1711)に修験僧元海が天蓋山頂に建立し、
その子 大澄が享保の初め、讃岐から金毘羅神社を勧請し、
後に孫の秀関が寛延年中(1748-1751)にこの地に移したと
伝えられています。

御祭神
大物主神、大己貴命、少彦名命、大海津美命
神功皇后、応神天皇、仁徳天皇

ご利益
海上安全、五穀豊穣、無病息災

鎮座地
福岡県福津市在自460


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2020年06月03日

瀬織津姫を祀る【波折神社】福岡県福津市



波折神社縁起によれば、
神功皇后が新羅を遠征されて凱旋なさった時に、
この三神がこの浦の渡村の鼓島に現れた事から、
皇后はこの浦の岡分河原崎の宮之本という地字に
神垣を造って斎祀された。

「波折」の由来

その昔、漁師3人が沖合で釣りをしていると、
急に海が荒れ始めました。

漁師たちが神様に祈ると、三柱の神様が現れ、
その擁護のもと荒波を折り、かろうじて孤島に漂着して、
波風が収まるのを待つことができました。

待っている間に食べ物がなくなると、
再び神様が現れて食べ物を与えてくださり、
飢えをしのぐことができたといいます。

波風が収まって神様が去った後、船に3つの石があったので、
漁師たちはそれを持ち帰って御神体とし、社を建てました。

御祭神 
瀬織津大神、住吉大神、志賀大神

鎮座地
福岡県福津市津屋崎4-33-1


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(12/10)熊本県玉名市の神社二社 【川床少彦名神社・迫間八幡宮】
(12/04)九州最大の前方後方墳 【焼ノ峠古墳】 福岡県朝倉郡筑前町
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(09/01)福岡県みやま市の聖母神社 二社 『本郷聖母神社・聖母宮(藤尾香椎神社)』
(08/30)瀬織津姫と七支刀を持つ神像を祀る神社 【太神太神宮・天道社・こうやの宮(磯上物部神社)】 福岡県みやま市
(08/29)あらゆる縁を結ぶ【白山神社】福岡県柳川市
(08/23)【龍王神社(八大龍王社)】佐賀県三養基郡みやき町
(07/27)勝運の神 【轟木日子神社】 佐賀県鳥栖市の神社
(06/09)【日本三大八幡宮】筑前国一宮 筥崎宮 福岡市の神社 【勝運のパワースポット】
(06/08)『商売繁盛と縁を結ぶ神』十日恵比須神社 福岡市の神社
(06/07)日本武尊を祀る 【白角折神社 (櫛田三所大明神)】 佐賀県神埼市
(05/26)【冠者神社】 佐賀県神埼市の神社
(05/25)【大己貴神社】 福岡県久留米市の神社
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