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2020年01月23日
【造化三神を祀る】四山神社(こくんぞさん)熊本県荒尾市【虚空蔵菩薩降臨の地】四山古墳
四山神社(よつやまじんじゃ)は、
「虚空蔵(こくんぞさん)」の愛称で親しまれ、
有明海に臨む四ツ山の山頂に鎮座しています。
神域にある四山古墳(よつやまこふん)は6世紀後半に造られ、
虚空蔵菩薩が降臨されたといわれています。
延久2年(1070)菊池氏初代の菊池則隆が
四山古墳にお堂を建立したのが創建です。
慶長10年(1605)11月に加藤清正が再建した後、
細川家の所領となり崇敬の念厚く、度々お参りされ、
九曜の定紋幕を奉納し、四山神社の社紋になりました。
なお虚空蔵さんは丑、寅年生れの守り本尊で、
13歳の守護神(13参り)とされています。
明治元年(1868)に神仏習合を分離され、
虚空蔵菩薩の徳に相当する造化の三神である
天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神
の三柱をお祀まつりし、四山神社として発足しました。
四山古墳は、虚空蔵菩薩降臨の地と云われ、
神殿玉垣内にある四山古墳は昭和25年5月に
初めて調査が行われました。
数々の副葬品と祭祀遺跡が発見され、
その歴史的意義と信仰の霊地であったことが
明らかになりました。
四山古墳は6世紀後半の頃、
海岸の巨石を運んで造営された横口式巨石墳です。
出土された金環、勾玉、丸玉、馬具、武器、壺などの
土器類を始め副葬品は社務所に保管されています。
毎年、春の2月13日と秋の9月13日には大祭が斎行され、
「こくんぞさん祭り」と呼ばれて親しまれています。
鎮座地
熊本県荒尾市大島818
2020年01月22日
二つの神社が同じ境内に並列した【熊野神社・三笠神社】福岡県大牟田市の神社
熊野神社・三笠神社は、
二社が同じ境内に並列した珍しい形で祀られています。
熊野神社は、安閑天皇三年(五三五年)
土地豪族が鎮守社として創建し、
後、天長二年(八二五年)和歌山県熊野より
御分霊を祭祀されました。旧社格・村社
御祭神
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
鎮座地
福岡県大牟田市鳥塚町87
三笠神社の創立は、天保六年(1835)七月五日。
旧社格:県社
御祭神:高橋主膳正鎮種(入道号 高橋紹運)
室 齋藤兵部太夫鎭實の妹
男 立花直次(立花宗茂の弟 三池藩藩祖)
もとは伊達郡下手渡村に創立された三笠神社ですが、
明治維新により三池復封を受け今山村東山に御遷座、
その後火事により、明治35年(1960)、
現在の大牟田市鳥塚町(三池郡稲荷(とうか)村)の
熊野神社の境内に割譲されたのだそうです。
鎮座地
福岡県大牟田市鳥塚町88
2020年01月21日
2020年01月16日
【ウガヤフキアエズノミコト吾平山陵】熊本県山鹿市
初代天皇 神武天皇の父である
鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の陵(墓)が、
熊本県山鹿市にあるそうなので行ってみました。
日本書紀(神代紀)に
「久しくして彦波瀲鵜鸂草葺不合尊
(ひこなぎさうがやふきあえずのみこと)西洲の宮に崩ず、
因りて日向の吾平(あいら)の山の上(ほとり)の陵に葬る。」
とあります。
御陵は菊鹿町相良(あいら)字日向(ひむき)という所にあり、
地元で「陵(みささぎ)さん」と尊崇されている所です。
昔は「吾平(あいら)」と表記したものを
内田相良氏が「相良(あいら)」表記としたそうです。
鸕鶿草葺不合尊御陵は、
宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にある
吾平山上陵に治定されていますが、
他に鵜戸神宮背後の速日峯山上が
「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされ、
宮崎県西臼杵郡高千穂町の「吾平山陵」説、
大分県豊後大野市傾山説などがあります。
『ウエツフミ』「竹内文献」『神伝上代天皇紀』などの
古史古伝に神武天皇以前の古代王朝、ウガヤフキアエズ王朝が
記載されています。
その中でも豊後国・守護の大友能直が編纂した「ウエツフミ」には、
ウガヤ第8代女帝の墓は日向の相良にあると書かれているそうです。
熊本県山鹿市菊鹿町相良字日向
2020年01月15日
【吾平阿蘇神社】熊本県山鹿市の神社
吾平阿蘇神社
創立年代は不詳。
御祭神
健磐龍命、阿蘇都媛神、外7神。
境内社
金比羅神社・若宮神社・日吉神社
鎮座地
熊本県山鹿市菊鹿町相良366
2020年01月14日
【内田八幡宮】 熊本県山鹿市の神社
内田八幡宮は、「肥後国誌」では『正一位八幡宮』と記述されている。
旧社格は村社。
創建年は「肥後国誌」では
平安時代の大治3年(1128年)また天承元年(1131年)とし、
寛永年間成立の内田八幡宮縁起では天承元年(1131年)としている。
「肥後国誌」によると菊池経直が豊前国の宇佐八幡宮より勧請し
神領15町5反寄付して創建したという。
御祭神:応神天皇、阿蘓一宮: 健磐龍命、高良神社: 竹内宿禰
ご利益:厄災除け、家内安全、金運、学業成就、健康長寿
境内社は稲荷神社、若宮神社、菅原神社、金刀比羅神社、
八坂神社などがあります。
鎮座地
熊本県山鹿市菊鹿町下内田472
2020年01月07日
【須賀神社】 佐賀県小城市の神社
須賀神社は、延歴202年(803)の勧請で
牛頭天王(須佐之男命)をまつり、「清祠」と称し佐賀、
小城、杵島の宗廟の神社であったと古書に記録されています。
後に地頭職にあった千葉胤貞が九州下向の際に、
当社のある城山に城を構え、また京都祇園社(現八坂神社)の
御分霊を勧請し神体の木像を納め、
千葉氏の守護神としたとされる。
戦国期には龍造寺隆信が社地・社領を寄進し、
1590年(天正18年)には鍋島直茂が神殿を修復、
翌19年にはさらに拝殿を再建したが、
1828年(文政11年)に火災により焼失している。
1876年(明治9年)廃仏毀釈により社号が
「祇園社」から「須賀社」に改称された。
大正13年(1924)には旧県社に列せられ、今日に及んでいる。
須賀神社の参道の石段は「男はつらいよ ぼくの伯父さん」(1989年)
「ソフトボーイ」(2010年)のロケ地として使用されました。
御祭神:健速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)
櫛稲田姫大神(くしなだひめのおおかみ)
千葉城
通称・別名:東千葉城、祇園城、牛頭城、牛頸城、小城城。
南北朝、室町、戦国時代に小城郡、佐賀郡、杵島郡の
三郡一帯に勢力をふるった千葉氏の山城跡です。
築城年代は定かではないが、
史書には肥前国の地頭職であった千葉大隅守胤貞が
正和五年(1316)はじめて下総国(千葉県)より下向し、
晴気に居住し、それとともに千葉城をつくったとしています。
祭神の須佐之男大神は尚武・愛情・病災消除・農商工業の神として
御神徳を有して居られ、古来より近郷近在の人々の深い信仰を集めている。
鎮座地
佐賀県小城市小城町松尾3594