新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2019年09月04日
【玉名大神宮】熊本県玉名市の神社
玉名大神宮周辺は「元玉名」と呼ばれ、
玉名の地名の由来である「玉杵名」の地とされています。
玉名大神宮の「家系録」に
景行天皇が熊襲征伐の途中
『玉杵名邑(たまなきむら)』に来た時、
土蜘蛛津頬が抵抗しました。
景行天皇は天照大神を祀って拝み、お祈りをすると、
玉のような小石が落下して土蜘蛛津頬を退治しました。
この小石を神の霊として尊び、祀りました。
このことから大神宮を遥拝宮(ようはいぐう)ともいいます。
社伝によると、
その時 地元勢力の中尾玉守が天皇軍に味方し、
その功績により玉名大神宮の宮司になったと
伝えられています。
御祭神:天照大神、景行天皇、健磐龍神などの阿蘇の四座、
玉依姫、菊池則隆夫妻
玉依姫は、菊池氏初代の則隆の娘で、
玉名の地を化粧田として与えられ、
大神宮の社地に住んだという説があります。
また、桓武天皇の右大臣の娘で、
天皇に見出されて玉名を賜り、
玉名地方を治めたという説もあります。
祭礼日:秋季大祭・10月第三土曜日
玉名大俵 まつり・11月7日
境内社:東末社、西末社、栗島神社、打越神社、鹿嶋神社、
猿田彦神社、生目神社、瘡締神社、祖霊社
鎮座地
熊本県玉名市玉名
2019年09月03日
延喜式内社【疋野神社】 熊本県玉名市の神社
疋野神社(ひきのじんじゃ)は、
延喜式内社で、旧社格は県社。
熊本県の式内社は
阿蘇神社、国造神社、疋野神社の三社のみです。
創立は景行天皇筑紫御巡幸の時より
古いと伝えられています。
御祭神は、波比岐神(はひきのかみ)
相殿には波比岐神の父「大年神」が祀られています。
波比岐神は『古事記』記載の神で、『延喜式』には、
天皇即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、
又祈年祭・月次祭の祝詞や、
神明帳の宮中三十六座の中にもその神号が見え、
特に朝廷の崇敬が深い神として記されています。
波比岐神は這入君(はしき)、
あるいは端引(はひ)きの意味で屋敷神と、
本居宣長は『古事記伝』で解釈している。
また、旅人の守護神・製鉄の神とする説もあります。
相殿の波比岐神の父、大年神は素盞鳴尊の御子神で、
大年神と饒速日命を、同一神と考える説があります。
古代、この地方の豪族であった郡司日置氏(へきし)の
氏神を祀った神社だっが、日置氏の没落とともに衰退。
近世になり再興され、
熊本藩主 細川氏は厚い崇敬をよせた。
この地は1300年前に玉名温泉を発見した
「疋野長者伝説」の長者の屋敷があったところと
伝えられている
「疋野長者伝説」
昔、京に住む美しい姫が夢を見た。
「肥後国疋野の里に住む、炭焼き小五郎という若者と
夫婦になるように」
姫は、夢のお告げの通り、疋野へやって来ました。
貧しい小五郎に、姫は金貨を与え、
お米を買って来るように頼みました。
出かけた小五郎は、
途中飛んできた白鷺に金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、
湯煙立ち上る谷間へ落ちて行き、
しばらくして、元気に回復し、飛び去って行きました。
米を買わずに引き返した小五郎に、
姫は
「あれは、大切なお金というもので、
何でも買えましたのに」
すると小五郎は
「あんなものなら、山に沢山ある」
見ると山のあちこちに多くの金塊が埋まっていた。
こうして、夫婦は疋野長者となり、
白鷺が元気になった湯が、今の玉名温泉となりました。
鎮座地
熊本県玉名市立願寺