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2021年10月19日

【菊宮神社・ひのみこ社】宮崎県西臼杵郡高千穂町



●菊宮神社(きくのみやじんじゃ)

三田井後河内に鎮座し、
永正元年(1504)の創建と伝えるが定かではない。

古老の伝説によれば、
鎌足公の末孫で肥後菊池氏の祖が、
戦乱に逃れ高千穂町三田井馬原栄宅に辿り着き、
宮を建て天児屋根命、大職冠鎌足公を祭神として奉祀したと伝える。

天正十九年(1591)三田井兵部大夫右武公が再興したと伝える。

祈願成就の神として高千穂神社・槵觸神社とともに、
今なお天孫降臨聖地三田井三社の一社として尊崇されている。

『日向地誌』によると、旧称菊大明神といい、
明治四年河内神社と改称し、村社となり、
後、菊宮神社とさらに改められた。

御祭神
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
大職冠鎌足公(だいしょくかんかまたりこう)

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1688-1

●ひのみこ社

ひのみこ社 は、神社庁にも属していません。
また、新興宗教団体にも属しておりません。
いわばどなたでも自由にお参りになられ
思うように願いを託すことのできる神社です。

この神社の前身は、
明治の初め(明治5年)に出雲大社がその教えを普及するために
創られた出雲大社(イヅモオオヤシロ)教の枝の一つとして
旧上野村村長も務められた田尻武雄氏によって設立された
高千穂教会を始まりとしています。

このため元々は大国主命と繋がりを持つ神々が祀られていました。

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町上野


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高千穂のパワースポット【槵触神社】 宮崎県西臼杵郡高千穂町



槵触神社(くしふるじんじゃ)は、
天孫降臨の地として伝えられる槵觸の峰に鎮座する神社です。
国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の論社で、旧社格は県社。

古事記の一文に
「筑紫日向高千穂之久士布流多気に天り坐しき」と書かれており、
古くは「槵觸の峰」を御神体としてお祀りしていましたが、
元禄7年(1694年)社殿を建立しました。

古くは「櫛ひ大明神」や「くしふる大明神」と称せられ、
また「二上(ふたかみ)神社」、「高智保皇神社」とも呼ばれており、
明治4年(1871年)に「二上神社」を正式社名としたが、
同43年に「槵触神社」に復した。

御祭神
主祭神:天津日子番能邇邇芸命
相殿神:天児屋根命・布都恕志命・布刀玉命・武甕槌命

御利益
所願成就・歌・武道など

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713


posted by kohchan at 16:54 | TrackBack(0) | 宮崎県の神社

【祇園神社】 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町のパワースポット



由緒
第二十九代欽明天皇の十六年頃、知穂郷に厄病流行し、
疫病及び厄難消除の祈願守護神として
曾男神蘇民将来・巨旦将来を合祀して創始。

祇園社と称し第五十五代文徳天皇の天安元年
曽男神(素盞鳴大神)並びに冠八面大明神(闇霎神)に
正五位下の神階奉授の古い神社です。

第五十六代清和天皇の貞観十一年(869年)
山城国(京都)八坂神社より素盞鳴大神を勧請、
伊弉冉大神、大名牟知大神、奇稲田姫尊を合祀し、
五穀豊穣の守護神として、八坂神社と改称。

明治四年日陰神社と改め、
明治四十三年、折立神社(祭神:伊弉冉命、伊弉冉命、事解男命)、
清水神社(祭神:八岐大蛇)、長司神社(祭神:水波女命)の
三社を合祀し、昭和十年二月祇園神社と改称現在に至っています。

御祭神
素盞嗚大神、大己貴大神、伊弉冉大神、
奇稲田姫神、五ツ瀬ノ神、蘇民将来、巨旦将来、
天満天神、足名椎神、手名椎神、稲荷大明神

御利益
厄難災難消除 五穀豊穣 交通安全など

境内社
大山祇神社 山ノ神 畠中天満天神
妙見社 水波能売神(水神)
古我武禮神社 冠八面大明神 闇霎神 八岐太蛇
権現神社 家都御子神、熊野速玉神、熊野天須美神
生目八幡大名神

鎮座地
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡6066


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2021年10月18日

あらゆる『道』の最高神『道主貴』 【宗像大社 辺津宮】 福岡県宗像市



宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。

御祭神は、素盞鳴尊と天照大神の誓約で生まれた三女神で、
沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、
宗像大社といいます。

宗像三女神は、宗像大神(むなかたのおおかみ)、
道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、
あらゆる「道」の最高神として航海の安全や交通安全などを
祈願する神様として崇敬を集めています。

式内社(名神大社)、八神郡の一つ。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、
および宗像三女神を祀る神社の総本社です。

御祭神
沖津宮:田心姫神(たごりひめのかみ)
中津宮:湍津姫神(たぎつひめのかみ)
辺津宮:市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

御利益
交通安全、海上安全、災厄祓除など

鎮座地
福岡県宗像市田島 2331


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名神大社・宗像大社の境外摂社【織幡神社】 福岡県宗像市



織幡神社(おりはたじんじゃ)

『宗像大菩薩御縁起』によれば、
神功皇后の三韓征伐に際し、宗像大社の神が捧げ持った
「御手長」と呼ばれる旗竿に武内宿禰が織った紅白2本の旗をつけ、
これを上げ下げして敵を翻弄し、
最後にその「御手長」を息御嶋(沖ノ島)に立てたと言われている。

そして武内大臣の垂迹の際、
その神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座し、
社名は武内大臣が旗を織ったことから「織旗(織幡)」とした。

壱岐の「天手長神社」は「御手長」に由来するとされる。

社伝によると、壹岐真根子臣の子孫がこれを祀り伝えているという。

宗像五社の1つ。
別称を「織幡宮(おりはたぐう)」
地元では「シキハン様」とも称される。

式内社(名神大社)
旧社格は県社。
現在は宗像大社の境外摂社。

主祭神
中座:武内大臣(武内宿禰)
西座:住吉大神(住吉三神)
東座:志賀大神(綿津見三神)

配祀
天照皇大神・宗像大神・香椎大神・八幡大神・壹岐真根子臣

ご利益
健康長寿、開運厄除、航海安全、水難守護、海上守護、
漁業繁栄、交通安全、所願成就、安産祈願、家内安全、
出世開運、武運長久など

鎮座地
福岡県宗像市鐘崎224



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【天安河原】 宮崎県西臼杵郡高千穂町




天安河原(仰慕ヶ窟)
【高千穂パワースポット】
天照大神が岩戸にお隠れになったさい、
天地暗黒となり八百万(やおよろず)の神がこの河原に集まり
神議されたと伝えられる大洞窟。
別名「仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)」とも呼ばれています。

御祭神
思兼神(おもいかねのかみ) 
八百萬神(やおよろずのかみ)

御利益
知恵向上、学業成就

鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸


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2021年10月06日

八幡総本宮 【宇佐神宮】 大分県宇佐市のパワースポット



宇佐神宮(うさじんぐう)は、
4万社あまりある八幡社の総本宮です。
石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに
日本三大八幡宮の一つ。

古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。
また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺と一体のものとして、
正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していました。

由緒神代に比売大神(ひめのおおかみ)が
馬城の峰(大元山)に御降臨になった宇佐の地に、
欽明天皇三十二年(571年)に応神天皇の御神霊が
初めて八幡大神としてあらわれ、宇佐の各地を巡行ののち、
神亀二年(725年)に亀山の一之殿に御鎮座になりました。

また、天平五年(733年) 比売大神を二之殿にお迎えし、
のち弘仁十四年(823年)神託により神功皇后が三之殿に
御鎮祭されました。

八幡大神の御神徳は強く顕現し、
三殿一徳のご神威は奈良東大寺大仏建立の協力や、
勅使・和気清麻呂(わけのきよまろ)公に国のあり方を正してゆく
神教を賜ったことで特に有名です。

皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟としてご崇敬になり、
勅祭社16社に列されています。

式内社(名神大社3社)、豊前国一宮、勅祭社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

御祭神
一之御殿:八幡大神(はちまんおおかみ)
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ)
三之御殿:神功皇后(じんぐうこうごう)

御利益
厄除開運、国家鎮護、家内安全、縁結び、安産、子育てなど

鎮座地
大分県宇佐市南宇佐2859


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【眼の神様】月讀神社【水神様と河童を祀る】馬場瀬神社 福岡県久留米市



●月讀神社
由緒
天文3年正月(1534年)
御原郡高橋城主 高橋三河守長種が城内の月讀神社を、
竹野郡二田村(現:久留米市田主丸町石垣)に創建す。

明治13年6月(1880年)篤志家により当地へ勧請す。
開運眼病平癒の神様として崇敬者多く三夜様と敬稱す。

伝承
昔、竹野郡二田村(旧福岡県浮羽郡田主丸町石垣)に住む
林次郎三郎の母親が目の病に罹り、
いろいろな事をしても回復しませんでした。

そこに村の長老から
月讀尊を祀る祠があることを林次郎三郎は教わります。

それから毎日欠かさずお詣りしていると、
ある日、大雨が降って祠が水没してしまいました。

林次郎三郎は
「また大水がきたら神さまも寒くて大変だろう」
と祠ごと家に運び込んでお祀りし母親ともども拝んでいると、
ある朝、突然母親の目が見えるようになったといいます。

天文3年(1534年)正月23日。
古賀又左衛門という両目を患った者がある夜のこと、
夢の中で月讀尊から
「両目の病を治したければ、月讀の神が鎮座する二田村を訪れよ」
とお告げがあり、林次郎三郎宅を毎日訪れ
「目の病が治りますように」と祈願すると、
わずか17日で目の病が治ったのだとか。

その後、眼病平癒で訪れる人々が絶えず
参拝に訪れるようになったといいます。

寛延2(1749)年。
娘が目を患っていることを気の毒に思っていた
柳川藩(現在の福岡県柳川市)藩主が
月讀神社が眼病平癒にご利益があることを知り、
代参者を林次郎兵衛喜んだ藩主は、
二田村の林次郎兵衛宅の祠を現在の地に移し、
社を建てたのが、現在の二田「月讀神社」といわれています。

御祭神:月讀尊

古来より眼病平癒にご利益があると言われ
目の神様として信仰されています。
開運、厄除け、安産、海上安全、五穀豊穣、大漁にも
御利益があるといわれています。

鎮座地
福岡県久留米市田主丸町田主丸546−2


●馬場瀬神社(ばばのせじんじゃ)
月讀神社の南側境内に「馬場瀬神社」があります。
寛永10年(1633年)田主丸町の開祖・菊池丹後入道(森田長芳)が
水神の罔象女命(みずはのめのみこと)を自宅・田主丸町馬場に
祀ったのがはじまりです。

寛永16年(1639年)田主丸大庄屋 森田大蔵が馬場瀬神社を建立。

明和3年(1766年)菊池嘉平により東町の開作がおこなわれ、
この東町の地に移され「馬場瀬神社」として遷座。
この後、二田村の月讀神社を、明治13年(1880年)6月に勧請して、
現在の月讀神社境内となる。
人々は親しみをこめて「ばばんせどん」と呼んでいる。

御祭神
罔象女神(みずはのめのかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)

町民の間では、罔象女命を主神として、
相殿に安徳天皇、平清盛、二位尼徳子、
平清盛の化身である河童であるという。

社殿の中には、五体の木像
(罔象女命・二位尼・九千坊・沙悟浄・平清盛)
が納められており、その内の二体の木像の
「九千坊」「沙悟浄」は田主丸の人々から
『川ん殿』と呼ばれている河童である。

鎮座地
福岡県久留米市田主丸町田主丸546−1



posted by kohchan at 14:03 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

【恵蘇八幡宮(木の丸殿)・斉明天皇藁葬地】福岡県朝倉市




由緒 
斉明天皇七年(西暦661年)建立
斉明天皇は百済救済のため朝倉橘広庭宮
(あさくらのたちばなのひろにわのみや)に
皇居と大本営を遷されました。

この時随行の中大兄皇子(後の天智天皇)は、
国家安泰と武運長久を御祈願のため、
宇佐神宮の祭神応神天皇の御霊を斉り、
朝倉山天降(あもり)八幡と崇められました。

その後、天武天皇の御代、白鳳元年(673年)
斉明、天智天皇の二神霊を勅命により合せ祭り
恵蘇八幡三柱大神と称しました。

昔は、上座郡中三十三村の総社でしたが、
現在朝倉町の総氏神です。
旧社格:郷社

斉明天皇藳葬地(御殯斂地)
山上には斉明天皇の御陵といわれる
前方後円墳(円墳二基ともいわれる)があります。

斉明天皇は661年5月9日(太陽暦6月14日)
橘広庭宮にお着きになり7月24日(太陽暦8月27日)
病のため御年68歳で崩御されました。

その後、中大兄皇子は御遺骸を、
一時この朝倉山上に御殯葬され百済救済の軍を進めました。
そして白村江の戦いで敗れたことを知り、
後に奈良県高市郡越知岡村へ移されると記されています。  
  
木の丸殿の遺蹟
天智天皇は、斉明天皇の御殯葬のあと、
直ちに御陵山下の山腹に木皮のついたままの丸木で忌み殿を建て、
12日間喪に服されました。

そのため、後世人々が
「木の丸殿」「黒木の御所」と呼ぶようになりました。

御祭神
応神天皇、斉明天皇、天智天皇

ご利益
出世開運、武運長久など

鎮座地
福岡県朝倉市山田166


posted by kohchan at 13:58 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

2021年10月05日

神武天皇が母 玉依姫命(比淘蜷_)の御霊をお祀りした【妻垣神社】大分県宇佐市



神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が日向を発し東征の途中で
宇佐の地に立ち寄られました。

その際、宇佐国造の祖である
宇沙都比古・宇沙都比売(ウサツヒコ・ウサツヒメ)の兄妹は
一行を迎え入れ、宮を造り盛大にもてなしました。

翌朝、天皇は朝霧の素晴らしいこの地をいたくお気に召され、
連なる山々よりひと際輝く共鑰山(別名-妻垣山)の大石に、
母、玉依姫命(比淘蜷_)の御霊をお祀りするため、
自ら祭主となって、玉依姫命の御霊を共鑰山にお迎えし、
社を「足一騰宮」と名付けられました。

このことより妻垣神社の歴史が始まりました。

その後、神武天皇は侍臣の天種子命に廟の守護を命じて、
東征の途についたと伝えられています。

天平神護元年(765)閏十月八日に宇佐大神より神託があり、
社殿が造営され、共鑰山の比淘蜷_と八幡大神が併せて祀られました。

天長年間(823〜834)には宇佐宮より神功皇后を勧請し、
比淘蜷_を主祭神として、八幡大神、神功皇后の三柱の神を祀り、
八幡社と号し、宇佐宮八ケ社の一社に位置付けされました。

旧社格:縣社

御祭神
足一騰宮(上宮)
比淘蜷_(ひめおおかみ 玉依姫命)

本殿(下宮)
一之殿:比淘蜷_
二之殿:八幡大神
三之殿:神功皇后

ご利益
子宝・安産・子育て・厄災除け、出世開運、武運長久など

鎮座地
大分県宇佐市安心院町妻垣203



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