2021年10月06日
【恵蘇八幡宮(木の丸殿)・斉明天皇藁葬地】福岡県朝倉市
由緒
斉明天皇七年(西暦661年)建立
斉明天皇は百済救済のため朝倉橘広庭宮
(あさくらのたちばなのひろにわのみや)に
皇居と大本営を遷されました。
この時随行の中大兄皇子(後の天智天皇)は、
国家安泰と武運長久を御祈願のため、
宇佐神宮の祭神応神天皇の御霊を斉り、
朝倉山天降(あもり)八幡と崇められました。
その後、天武天皇の御代、白鳳元年(673年)
斉明、天智天皇の二神霊を勅命により合せ祭り
恵蘇八幡三柱大神と称しました。
昔は、上座郡中三十三村の総社でしたが、
現在朝倉町の総氏神です。
旧社格:郷社
斉明天皇藳葬地(御殯斂地)
山上には斉明天皇の御陵といわれる
前方後円墳(円墳二基ともいわれる)があります。
斉明天皇は661年5月9日(太陽暦6月14日)
橘広庭宮にお着きになり7月24日(太陽暦8月27日)
病のため御年68歳で崩御されました。
その後、中大兄皇子は御遺骸を、
一時この朝倉山上に御殯葬され百済救済の軍を進めました。
そして白村江の戦いで敗れたことを知り、
後に奈良県高市郡越知岡村へ移されると記されています。
木の丸殿の遺蹟
天智天皇は、斉明天皇の御殯葬のあと、
直ちに御陵山下の山腹に木皮のついたままの丸木で忌み殿を建て、
12日間喪に服されました。
そのため、後世人々が
「木の丸殿」「黒木の御所」と呼ぶようになりました。
御祭神
応神天皇、斉明天皇、天智天皇
ご利益
出世開運、武運長久など
鎮座地
福岡県朝倉市山田166
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