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2019年10月30日

霧島六社権現【霧島東神社】 宮崎県高原町の神社



霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)
第十代崇神天皇の代に
霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと伝わる。

天暦年間(947〜957)に、
天台宗の僧、性空上人が4年間霧島山に入峰修行。

高千穂峰の周囲6ヶ所に鎮座する
其々の神社の傍らに寺院(別当寺)を建立し、
後に霧嶋六社権現、霧嶋修験と呼ばれる
神仏習合の霊場として開山する。

主祭神:伊弉諾尊・伊弉冉尊 
配祀: 天照大神・瓊瓊杵尊・天忍穂耳尊・彦火火出見尊
鵜葺草葺不合尊・神日本磐余彦尊(神武天皇)

当時は霧島山大権現東御在所之宮と呼ばれ、
霧島修験の興隆に伴い社寺ともに栄えていました。

度重なる霧島山の噴火により、復興造営を重ねており、
現在の社殿は享保12年(1722)の造営により、
幾度かの改修を経て今に至ります。

鎮座地
宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田6437


posted by kohchan at 19:07 | TrackBack(0) | 宮崎県の神社

2019年10月29日

【霧島神宮古宮址】 鹿児島県霧島市の神社



ここは古事記に書かれている
「天孫降臨の地」と云われている場所です。

霧島神宮は当初天孫降臨の地である
高千穂峰山頂に鎮座したと伝えられており、
『延喜式』神名帳には日向国諸県郡霧嶋神社の名が
記載される式内社です。

高千穂峰をご神体とする霧島神宮は、
古くは高千穂峰と御鉢の間の
背門丘(せとを)と呼ばれる場所にありました。

欽明天皇の命により僧・慶胤が
「瀬多尾権現宮」として社殿を造営しましが、
活火山の火口である御鉢のすぐ脇にあったことから
噴火により度々焼失したため、
平安時代・天暦年間に性空上人が
高千穂峰西麓の旧名・瀬多尾越の地に
霧島神宮を遷宮し再興しました。

この時の遷宮先が霧島神宮古宮址です。

ところが、この地でも噴火の影響で度々炎上し、
文暦元年(1234)の噴火で全焼した後は
250年間行在所に仮鎮座していました。

その後、戦国時代の文明16年(1484)に、
島津第11代当主の島津忠昌の命により僧・兼慶が、
霧島神宮を現在の地に遷宮・再興しました。

主祭神:瓊瓊杵尊

毎年11月10日には、「天孫降臨御神火祭」という
火祭りが高千穂峰と霧島神宮古宮址で行なわれます。

鎮座地
鹿児島県霧島市霧島田口2583-12


2019年10月28日

霧島六社権現【霧島岑神社】 宮崎県小林市の神社



創建年代は不明ですが、天孫降臨から日向三代に
関わりの深い神社とされています。

「続日本紀」 に「平安時代初期の仁明天皇承和4年、
日向国諸県郡霧島岑神社は官社に預かり、
のち従五位を授けられた」と記され、
社の名が記されているほど、古く由緒のある神社です。

村上天皇の時代(平安時代中期)に
霧島山などで修験道の修業を行った性空上人によって
整備された霧島六社権現のひとつ。

霧島六社権現とは、宮崎県と鹿児島県の県境にある
霧島山の周辺にある以下の6つの神社の総称です。

霧島神宮・霧島岑神社・霧島東神社・東霧島神社
狭野神社・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)

当初は高千穂峰と火常峰(ひのとこみね、御鉢の旧名)
の中間地点「背門丘(せとお)」にあったが、
度重なる噴火により、たびたび社殿などが焼失。

享保14年(1729年)夷守岳中腹に社殿を再建、
明治初頭まで鎮座した。

明治6年(1873年)霧島六社権現の一つであった
夷守神社を合祀した後、夷守神社跡地に遷座し現在に至る。

御祭神:
瓊々杵命(ににぎのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
鸕鷀草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)

本来この社は「霧島岑神宮」と呼ばれ、
本社となるところを、明治政府により
分社の霧島西神社が霧島神宮となり
本社のようになってますが、
今でも霧島岑神社では六社権現の中心権現として
本宮の御神体を奉斎しています。

鎮座地
宮崎県小林市細野4937



posted by kohchan at 19:04 | TrackBack(0) | 宮崎県の神社

2019年10月23日

【上色見熊野座神社・穿戸磐】 熊本県阿蘇郡高森町の神社



漫画作品の舞台になったことで人気に火が付きました。

御祭神
伊邪那岐命、伊邪那美命
石君大将軍(健磐龍命の荒魂)

創設は相当古く、紀州熊野より移したものと云う。

「阿蘇大神(健磐龍命)の荒人神、石君代将軍、八葉の兜の中に
 出現のニ神は熊野大神なり」という伝説により
社殿を建立するに当たり、大鳥二羽来たり、
神献すべき榊の枝を咥持ちて、山の東麓を指して飛びゆき
洞窟(穿戸)のある所に止まったので、
そこに一社建立、熊野穿戸社と崇め、
石君と同じく南郷の総鎮守として祭祀してきた。

里俗 穿戸権現

穿戸磐(うげといわ)
神話における穿戸
古い昔、阿蘇大明神が弓を楽しみ、
阿蘇山頂より矢を放たれた。

この際、大明神の従者、鬼八法師が、主人の矢をいちいち
拾い来る事を面倒くさく思い、足の指に挟み投げ返した。

これに大明神が激怒し猛追され、上色見の外輪山を越えて
逃げんとしたが、この岩壁に阻害された。

この時岩壁を蹴破って逃げ去った岩穴が穿戸である。

鎮座地
熊本県阿蘇郡高森町上色見2619



posted by kohchan at 18:53 | TrackBack(0) | 熊本県の神社

2019年10月22日

【高森阿蘇神社】熊本県阿蘇郡高森町の神社



由緒
元この神祠は、神社の裏山の中腹にあったと言う。
本来山の神の信仰に起るものであろう。

この社は、矢村社又は矢村大明神と称しており
現在名は明治以降のことである。

矢村社と称する由緒は
「健磐龍命 阿蘇国に降り国土開発の時住むべき
 宮居を定めんと阿蘇山上に登り南北に向って
 卜矢を放つ、その一矢は今の一の宮町(宮地)なる
 十二の宮の地に落ち、一矢は南なるこの所の大石に当たり、
 これ今の御矢村の石にして寸余にわたる矢じりの跡を
 残すという。

 ここに一社を建て神矢を納めて矢村社と称す。

 その矢朽ち果てたるにより、
 新たに神像を奉安してこれに替え鎭祭す」とある。

御祭神:健磐龍命(たけいわたつのみこと)
配祀:阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)、外十九座

祭礼日:7月30日・夏祭り、8月17 18日・風鎮祭

境内社:天照皇大神宮

鎮座地
熊本県阿蘇郡高森町高森409



posted by kohchan at 18:50 | TrackBack(0) | 熊本県の神社

2019年10月15日

綏靖天皇を祀る神社@【金凝神社】 熊本県山鹿市の神社



創立年代は不詳。

金凝神社(かなこりじんじゃ)の凝(コリ)は、
3〜5世紀ごろの称号の一つで、
専門的職業人(または集団)とくに「切る」ことに
精通しているものの名称として使われました。

カナコリは金属加工に精通しているもの
という意味だと思われます。

綏靖天皇は、初代 神武天皇の第三皇子。第二代の天皇です。

欠史八代(第二代〜第九代の天皇)の一人で
実在性に乏しいと言われています。

綏靖天皇を祀る神社は、九州地方が圧倒的に多く、
その中でも熊本県が最も多く祀られています。

鎮座地
熊本県山鹿市方保田758


posted by kohchan at 19:52 | TrackBack(0) | 熊本県の神社

鍛冶集団の神【一ツ目神社(薄野神社)】 熊本県山鹿市の神社



社伝によると、継体天皇四年(510)十一月、
高天山の神主 若山連の後裔吉田氏が祀ったという。

熊本県内屈指の古社です。旧村社

御祭神:天目一箇命(あめのまひとつのみこと)
鍛冶集団の神。筑紫・伊勢の忌部の祖。

伝承によると、
蒲生の不動岩と彦岳権現が首引きをした時、
わが子の首引を案じていた母神の目に
首引きの大綱の端が当たり、一目を失われたので、
その母神を祀って一ツ目神社と称するようになった
という。。

一ツ目神社を有名にしたのは、
寛政のころ(十八世紀)伊勢松坂の
本居宣長の門に学び、肥後の国に初めて
国学を導入した社司 帆足長秋です。

彼が書写した古事記伝は高く評価され
県重要文化財に指定されています。

境内社
八坂神社(素盞嗚命)熊野座神社(伊弉冊命)
木幡神社(天忍穂耳命)稲荷神社(倉稲魂命)
天満宮(菅原道真)猿田彦大神石碑三基

鎮座地
熊本県山鹿市久原字薄野


posted by kohchan at 18:22 | TrackBack(0) | 熊本県の神社

2019年10月14日

【志々岐阿蘇神社】熊本県山鹿市の神社



志々岐阿蘇神社は、
室町時代後期の天文12年(1543)に
合志 民部 大輔 源 鑑峯が阿蘇神社より勧請して
この地に建立したと言われています。

旧社格:村社

志々岐阿蘇神社
御祭神:阿蘇十二神
健磐龍神・比当セ神・国龍明神・比東芬q明神・彦御子明神
若比当セ神・新彦明神・新比当セ神・若彦明神・彌比当セ神
国造明神・金凝明神

境 内 社
八坂神社
御祭神:素戔嗚尊

諏訪神社
御祭神:建御名方命・八坂刀売命

鎮座地
熊本県山鹿市志志岐1730


posted by kohchan at 21:37 | TrackBack(0) | 熊本県の神社
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