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2020年08月25日

【浮島熊野坐神社】熊本県上益城郡嘉島町の神社



浮島神社(うきしまじんじゃ)は
熊本県上益城郡嘉島町にある神社です。

正式名称は浮島熊野坐神社(うきしまくまのますじんじゃ)。
地元では親しみを込めて「浮島さん」と呼ばれています。

由緒:平安時代の長保3年(1001)、
この地を治めていた井王家3代目 井王三郎直久は、
湿地帯のため五穀の収穫が思うようにいかないため、
屋敷神である、熊野坐神社に日夜祈っていた。

ある夜、枕元に熊野の神が現れ、
「屋敷の北側を掘れ!」との教えを授けられた。

そこで、掘ってみると、
みるみる周辺の水が集まり、大きな池になった。

おかげで湿地帯の水もはけ、五穀の収穫も安定した。

その晩、黄金色に輝く大きな石が池に現れ、人々を驚かす。
これを「兜石」と名付けた。
「兜石」は、現在も池のどこかに沈んでいる。

その日から、ひっきりなしに人々が見物に来て、にぎわった。

「兜石」をご神体とし、屋敷神を神社へと移行し、
井王三郎自身が神主となった。

以来、千年、井王家が神職を担っている。

旧社格:村社。

御祭神
伊邪那岐命、伊邪那美命

ご利益
縁結び、夫婦和合、子宝、安産、初宮詣、家内安全など

鎮座地
熊本県上益城郡嘉島町井寺2827


posted by kohchan at 20:16 | TrackBack(0) | 熊本県の神社

2020年08月20日

延喜式内社【国造神社】熊本県阿蘇市の神社



●国造神社の末社
手野金刀比羅神社

由緒
阿蘇大宮司(時代不詳)の夢に金刀比羅大神を手野の宮川の川上に
鎮斎の御告がありこの地に阿蘇大宮司家の守護神として祭祀されました。

御祭神:金刀比羅大神(大物主神・崇徳天皇)

鎮座地
熊本県阿蘇市一の宮町手野2318

●国造神社(くにのみやつこ じんじゃ、こくぞう じんじゃ)は、
熊本県阿蘇市一の宮町手野に鎮座する神社です。

旧官幣大社阿蘇神社の北方に鎮座するため、北宮と称されます。

延喜式内社で、旧社格は県社。

國造神社は、延喜式神名帳に肥後国は四座
(健磐竜命神社・阿蘇比盗_社(現阿蘇神社)、国造神社、疋野神社)が
記されていますが、その四座のうちの一座であり、熊本県内において、
最も古い神社の一社です。

肥後国誌によれば、
崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、
景行天皇十八年、御子・惟人命(彦御子神)に勅せられて、
阿蘇国造の神としてこの地にお祀りされました。

父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命と共に阿蘇の地を開拓し、
農耕・植林・畜産などを指導したとされる
速瓶玉命(はやみかたまのみこと、初代阿蘇国造)を主祭神とし、
御妃、御子息の合わせて4柱の神を祀る。

御祭神
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)
阿蘇神社主祭神、健磐龍命の子。阿蘇国造大神。
阿蘇神社では十一宮に奉斎。

雨宮媛命(あまみやひめのみこと)- 速瓶玉命の妃。
蒲智比当ス(かまちひめのみこと)、海神の女神。郡浦神社主祭神。

高橋神(たかはしのかみ) 速瓶玉命の第二子。

火宮神(ひのみやがみ) 速瓶玉命の第三子。

ご利益
開運全般・金運など

鎮座地
熊本県阿蘇市一の宮町手野2100


posted by kohchan at 21:34 | TrackBack(0) | 熊本県の神社

【御勢大霊石神社】福岡県小郡市の神社



御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)は、
神功皇后 摂政2年創立。

社記・伝説によれば第14代仲哀天皇は熊襲征伐に当り、
筑前国 橿日宮(かしいぐう)の本陣より此の地に軍を進められ
大保の里が白州で清浄であったので天神地祗を祀りこの地に行宮を設けた。

仲哀天皇が戦線を巡視した時に敵の毒矢に当たり、
この地で崩御されたと伝わっています。

神功皇后は兵士の士気の衰えることを恐れて喪を秘し、
熊襲征伐の後、橿日宮(香椎の宮)で発喪しました。

その後朝鮮出兵にあたって、
御魂代の石を軍船にのせ仲哀天皇の鎧と兜を着せて征途につき、
戦勝後凱旋すると、その石を天皇の御魂代として、甲冑と衣裳を納め、
三韓鎮撫の神として祀ったと伝えられています。

延喜式内社 筑後国四社の一つ
御勢大靈石神社(みせのおほたまいしのかみのやしろ)
に比定されている古社です。旧社格:懸社。

筑後国四社一小社

御祭神
主祭神:足仲彦大神(十四代仲哀天皇)
副祭神:天照皇大神 八幡大神 春日大神 吉富大神(七三八年の創建者)

社伝によると、欽明天皇の9年、天武天皇の9年、宇多天皇の寛平3年、
鳥羽天皇の天永3年、高倉天皇の安元2年の5期にわたって造営があり、
多くの神領が寄進された。

その後たびたび兵火にかかり社殿・神宝などを焼失した。

鎮座地
福岡県小郡市大保字龍頭1032


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2020年08月19日

【隼鷹神社】福岡県小郡市の神社



「隼鷹(はやたか)神社」は、創建1800年といわれる古社です。

仲哀天皇が熊襲(くまそ)征伐の折、
高御産巣日神が鷹の姿となって現れて北を指して飛び去り、
大松の梢にとまって姿が見えなくなったという伝説に由来しています。

その後、神功皇后の勅命でこの地に高御産巣日神を祀り、
神が鷹の姿をして現れたことから「隼鷹天神」と称して、
御神体の鷹を安置しました。

旧社格:村社。

御祭神
高御産巣日神・大己貴命・彦火々出見命・高皇産霊神

鎮座地
福岡県小郡市横隈164-1


posted by kohchan at 20:08 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

【筑紫神社】福岡県筑紫野市の神社





筑紫神社(ちくしじんじゃ/つくしじんじゃ)は、
福岡県筑紫野市原田にある神社です。

式内社(名神大社)で、旧社格は県社。

社伝によると、
祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。

奈良時代の「筑後国風土記」の神話によると、
『筑前と筑後の境となる
鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)に、
麁猛神(荒ぶる神)がおり、
峠を往きかう人を多く取り殺していた。

その神は人の命尽(いのちつくす)の神と呼ばれた。
筑紫の君と肥の君らが占いによって、
甕依姫を巫女としてその神を祀らせた。
それ以後、人々が殺されることはなくなった。
後にこの神を筑紫の神と呼ぶようになった』
とされ奈良時代以前から
筑紫神社は在ったと推測されています。

筑紫の語源は
筑紫神社の神号から起こったといわれています。

筑紫の神が白日別神・五十猛命という説もありますが
断定はできていません。

筑紫神社は延喜式神名帳(927)に名神大とあり、
朝廷より尊崇されていました。

日本三大実録によると
『貞観元年(859)に筑紫神社従四位下を奉授され、
元慶三年(879)に筑紫神社従四位上を授く』とあり、
類聚符宣抄に天元二年(979)の官符に
『住吉・香椎・筑紫・竈門・筥崎等の宮は大宮司を以て、
その貫首となす』とあります。

御祭神
筑紫大明神(白日別神・五十猛尊)
神徳:平和・交通安全の神、筑紫の国魂、筑紫の国号起源、氏神様

配祀
宝満大神(玉依姫命)
神徳:縁結び・子孫繁栄の神

田村大神(坂上田村麿)
神徳:武家の神・必勝、戦いの神

鎮座地
福岡県筑紫野市大字原田2550


posted by kohchan at 19:52 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

2020年08月17日

【乙姫神社】熊本県阿蘇市の神社



由緒
主祭神、若比盗_(わかひめのかみ)は
阿蘇五の宮惟人命(これひとのみこと)の妃で天の女、
容姿艶麗才色の誉れ高く、主神を助け九州の開発に尽くされ、
神功皇后の三韓へ渡海の際には
母神 蒲池比盗_(かまちひめのかみ)
並びに惟人命御出征の留守を預かり給いてよく使命を全うし、
後願の憂いなく守られた功績は特に大書すべきものであった。

この役の功により、母神 蒲池比盗_は宇土郡浦神社、
惟人命は益城郡甲佐神社祭神として祭祀せられ、
阿蘇4社として阿蘇大宮司直祭となる。

乙姫神社は之に準じて大祭は阿蘇大宮司が執り行っていた。

乙姫神社の創設は仁寿元年(851年)。

御祭神は惟人命(これひとのみこと・阿蘇五の宮)の妃で
若比盗_(わかひめのかみ・阿蘇六の宮)ですが、
新彦神(阿蘇七の宮)の末娘とも、
健磐龍命(阿蘇一の宮)の妃
阿蘇都比媛(阿蘇二の宮)とも言われています。

そのいずれからの娘・妃が「疱瘡(天然痘)」を患い、
狩尾の黒山に身を移し、治療され、乙姫の生家に帰宅されました。

現在の乙姫神社の赤松の中段にきらきら光るものが見え、
この光が神々しく御幣のようであったので、
妃の社として祀ったのが乙姫神社です。

そうした謂れからこの社の御神体は後ろ向きに祀られ、
お顔を正面から拝見できないそうです。

旧社格:村社。

ご利益
無病息災、子孫繁栄、五穀豊穣、家内安全、合格祈願等々

鎮座地
熊本県阿蘇市乙姫1317


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2020年08月10日

【永尾神社(永尾剱神社)】熊本県宇城市の神社



永尾神社(えいのおじんじゃ)は、
熊本県宇城市不知火町永尾にある神社です。

旧社格は村社。

713年(和銅6年)、
元明天皇の勅願により、
国郡鎮護のため創建されました。

また、かつて海童神(玉依姫命)が
「えい」の魚の背中に乗って
はるかかなたより鎮座したのがこの地であり、
周囲の地形を「えい」の魚の形に照らし合わせた場合、
神社の場所がちょうどエイの尾にあたる場所であったことから
永尾(えいのお)神社と名付けられたと伝えられています。

剱神社とも、永尾剱神社(えいのおつるぎじんじゃ)とも
呼ばれています。

御祭神
主祭神:海童神(玉依姫命)

菅原道真公・大山住神・大皇産霊神・小一領神

御利益:開運招福、商売繁盛、病気平癒、
縁結びの神、学業成就、特に胃腸病の平癒の神

毎年、旧暦の8月1日に行われる夏の大祭・八朔祭は、
その前夜の深夜、神社前方の沖合に不知火(しらぬい)と呼ばれる
光の列が現れる日と重なるため、小高い丘にあり眺めの良い境内は、
不知火現象の観望地点として、県の名勝に指定され、
多くの参拝客が訪れるそうです。

鎮座地
熊本県宇城市不知火町永尾615


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2020年08月07日

三宮大明神【西岡神宮】熊本県宇土市の神社



西岡神宮は、和銅6年(713年)、
元明天皇の命により宇土地域の総鎮護として
中原(壇原)に創建されました。

当初は春日大神と住吉大神の勧請でしたが、
承久3年(1048年)、関白藤原道隆が八幡宮を合わせて祀ったことで、
三宮大明神と称されました。

宇土周辺の氏族の尊崇を受けましたが、
天正16年(1588年)に宇土を治めていた戦国武将小西行長の
社殿焼き討ちにあいました。

その後、慶長6年(1601年)、
新たに治めることとなった加藤清正により、現在の地に再興され、
さらに後の肥後熊本藩主・細川氏代々の保護を受け現代の形になりました。

御祭神
一之宮(春日大神)
主祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)

二之宮(八幡大神)
主祭神:誉田別尊命(ほんだわけのみこと・第十五代應神天皇)

三之宮(住吉大神)
主祭神
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)

●稚児宮
御祭神:少彦名神
御利益:子供の成長、子宝、安産、病気平癒

●西之相殿
鹿島宮(武甕槌大神)
御利益:武勇の神、武術上達、必勝

祇園宮(素戔嗚尊)
御利益:厄除け、疫病退散、縁結び

貴船宮(闇龗神)
御利益:水神、水難除け、縁結び

廣瀬宮(若宇加能売命)
御利益:治水の神、国家安泰、五穀豊穣

稲荷宮(宇迦之御魂大神)
御利益:五穀豊穣、商売繁盛

御霊宮(火雷天神、外七神)
悪霊退散、御霊鎮めの神

●東之相殿

加茂宮(加茂別雷大神)
御利益:天下安泰、開運招福

児の宮(少彦名命)
御利益:医療・温泉・酒造りの神、病気平癒

国造宮(大己貴神・遅男江神)
御利益:国土開拓の神、国土守護の神

龍田宮(天御柱神・国御柱神)
御利益:大気・生気・風を司る神

火鎮宮(火之迦具土神)
御利益:火の神、火災除け、鍛冶・防火の神

北野宮(菅原道真公)
御利益:学業成就、武芸上達

鎮座地
熊本県宇土市神馬町577


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2020年08月06日

【須佐能袁神社】福岡県久留米市の神社



須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)は、
建久八年(1197年)平家討伐に軍功があり、
源頼朝から筑後国在国司・押領使に任じられていた
竹井城主草野太郎永平が京都の八坂神社より勧請し、
創建したと言われます。

当時、草野祇園社といい、
草野家代々の守護神として
崇敬厚く奉祀してきました。

後に草野家は発心城に移り、
その後下って天正十五年(1588年)、
豊臣秀吉が九州平定の折り、
蜂須賀阿波守(はちすがあわのかみ)に命じ
草野家の末裔である草野家清を熊本の南関に誘い、
家清は誘殺されました。

ここで、二十余代、約四百年続いた草野家が滅亡し、
代わって草野町民の手により今日まで氏神として
奉祀してきました。

神仏混合時代には勝光山祇園寺と呼ばれていました。

明治4年に神仏分離の政令により、
今の須佐能袁神社(通称:ぎおんさん)
と称するようになりました。

御祭神
主祭神:素戔鳴尊
右殿:天照大御神・左殿:菅原道真公

鎮座地
福岡県久留米市草野町草野443−2


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2020年08月05日

肥後国二宮【甲佐神社】熊本県上益城郡甲佐町の神社



甲佐神社(こうさじんじゃ)は、
熊本県上益城郡甲佐町に鎮座する神社です。

肥後国二宮で、旧社格は郷社です。

阿蘇神社(阿蘇市)、
郡浦神社(こうのうらじんじゃ、宇城市)、
健軍神社(熊本市東区)、と共に
阿蘇四社と称せられる。

肥後南方の守護神とされています。

創建は、第八代孝元天皇26年ともいわれています。

阿蘇大神(健磐龍命)が鏑矢(かぶらや)を放ち、
その矢が止まった所に宮殿を建立したと伝えられ、
鏑崎宮(かぶらざきぐう)と称したが、
神功皇后凱旋ののち、
甲冑を納められたので
甲佐宮(こうさのみや)と改めたと言われています。

主祭神の八井耳玉命(甲佐明神)は、
阿蘇神社の主祭神である健磐龍命が朝鮮半島に渡り、
帰ってくるときに対馬の女性を連れ帰り、生まれた御子神で、
7歳のときに甲佐へ封じられたとされています。

御祭神
一殿に八井耳玉命(やいみみたまのみこと、甲佐明神)を主祭神とし、
仁寿元年(851)、
二殿に阿蘇神社の主祭神・健磐龍命(たけいわたつのみこと)、
三殿に郡浦神社の主祭神・蒲池比当ス(かまちひめのみこと)を祀まつり、
甲佐三宮大明神と称されました。

宝徳二年(1450)、
神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、神武天皇)と
媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)が
配祀されたと伝えられています。

鎮座地
熊本県上益城郡甲佐町上揚882


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2020年08月04日

【若宮神社】熊本県下益城郡美里町の神社



若宮神社(わかみやじんじゃ)は、
熊本県下益城郡美里町に鎮座する神社です。

旧社格は郷社。

永暦元年(1160)、
当時の領主であった阿蘇大宮司惟恭が、
堅志田庄池田亀ノ甲
(現在の下益城郡美里町中郡池田)の地に、
神武天皇の孫であり自身の祖神である
健磐龍命(たけいわたつのみこと)の分霊を勧請し、
領内の鎮護神として創建したと伝わっています。

1591年(天正19年)、
キリシタン大名小西行長の寺社焼き討ちにより
社殿等焼失し、87年間仮殿での奉斎が続いたが、
1687年(延宝6年)、現在の地に遷宮再建されました。

御祭神
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
国龍神(くにたつのかみ)
若彦神(わかひこのかみ)

ご利益:地域・家内安全、一族・子孫繁栄など

鎮座地
熊本県下益城郡美里町馬場605


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